9. 風の刃
アルフォンスやララの視線の先で激しい爆発が起きた。
キマイラの口から放たれた炎の塊が、克洋とルリスが立っていた周辺をを吹き飛ばしたのである。
アルフォンスはキマイラの新たなる力に恐怖していた、遠目で確認する限りではあれは竜種が使うドラゴンブレスと同等の威力を秘めている。
もしあの攻撃が先ほどの戦闘で使われていたら、恐らくアルフォンスの命は既に無かったであろう。
今まであの化物はこちらを弄ぶかのように、あの奥の手を使わずに戦っていたのだ。
自分たちは命がけでキマイラの遊びに付き合っていたのだと知り、アルフォンスとララの胸に絶望が去来する。
あのブレス攻撃を受けたら、下手すれば死骸すら残らない可能性がある。
アルフォンスとララは最悪の展開を予想しながらも、克洋とルリスの生還を信じた。
「うわっ、危なかった…」
「克洋、それにルリス!!」
「ララさん、悪いけどルリスの事を頼む…」
「解ったわ! 大丈夫、ルリス…」
そしてアルフォンスたち願いは通じた、爆発の直後に彼らの正面にルリスを抱えた克洋が跳んできたのだ。
以前に間近でドラゴンブレスを目撃していた克洋は、キマイラの予備動作からそれと同等の攻撃が来ると予測できた。
そのため克洋は即座に転移魔法を発動させて、キマイラの攻撃を回避出来たのだ。
ララたちの合流出来た克洋は、未だに力のないルリスをララに預ける。
ララは克洋からルリスを受け取り、心配そうに看病する。
克洋たちがブレス攻撃から逃れた事に気づいたらしく、キマイラはすぐに合流した克洋たちパーティの方に近づいて来た。
既に格付けは済んだとばかり、キマイラはゆったりとした足取りで向かってくる。
その表情には余裕すら伺えた。
「やはりルリスでも駄目だったか…、あいつの皮膚の硬さはドラゴン並だ。
俺たちの攻撃では、奴を倒すことは出来ないだろう…」
「じゃあ私の魔法で…」
「確かにお前の上級魔法なら、あいつを倒せるかもしれない。 しかし今お前からの魔力供給が無くなったら、俺は一分と持たずにあいつに倒されてしまうだろう。
この面子であいつと正面から戦えるのは、お前から魔力供給を受けた俺しか居ないんだ…」
複数のモンスターの長所を合成して生み出されたキマイラは、パワーとスピードという単純な性能のみでこのパーティーを圧倒していた。
アルフォンスとの言う通りキマイラに辛うじて対抗できるのは、ララからの魔力供給を受けた彼だけであろう。
加えてキマイラの皮膚は生半可な攻撃を通さず、克洋の刀だけで無く魔力供給によってパワーアップした筈のアルフォンスの斧をも容易く弾いて見せた。
ルリスの高魔力付与もキマイラの前には刃が立たず、最早打つ手が存在しなかった。
このパーティーで最大火力であるララの上級魔法であれば希望は有るかもしれないが、彼女が魔法を使うと言う事はアルフォンスへの魔力供給を止める事を意味する。
魔力供給を受けたアルフォンスの力で辛うじて均衡を保っているこの状況で、その選択は自殺行為でしか無いだろう。
最早彼らのパーティーは八方塞がりなのだ。
「克洋、お前の転移魔法は確か…」
「前に試した通りだよ…、全員を運ぶのは無理だ」
「そうか…、やはり俺が残るしか無いな」
「ダーリン!?」
転移魔法、克洋が"冒険者ユーリ"の世界に訪れる際に手に入れた上級魔法にはある制限が存在した。
実は転移魔法で運べる人数には制限が有り、一定以上の人数を抱えた状態でこの魔法は使用不能なのである。
魔法のエキスパートであるフリーダ曰く、転移魔法で運べる人数は術者の技量によって変わるらしい。
そして現在の克洋の力量では、自分を抜かして大凡二人を運ぶのが限度であった。
この制限は厳密に言えば人数で無く重量に掛かる物らしく、例えばユーリたちのような軽い子供たちであれば三人運ぶことが出来た。
逆に大柄なアルフォンスが鉄製の重い装備で全身をガチガチに固めていたら、彼一人運ぶだけで制限に達してしまうだろう。
パーティーに加入する際、万が一に備えて転移魔法で運べる人数を確認していた克洋たちはこの能力で全員が同時に逃げられない事を知っていた。
それ故にアルフォンスは足止め役を買ってでたのだろう、愛する人を確実に助けるために…。
悲痛な覚悟を固めたアルフォンスは、自らを奮い立たせるかのようにボロボロの斧を握りしめる。
恋人の覚悟が伝わってきたララは、涙を浮かべながらそれを止めようとした。
このままでは原作通り、アルフォンスがあのキマイラに殺されてしまう。
それでは自分がこのパーティーに加わった意味が無く、克洋としてもアルフォンスの決断を受け入れられなかった。
否、最早原作を変えるなどと言う当初の理由は関係なく、克洋に対して良き兄貴分として接してくれたアルフォンスに死んで欲しく無かったのだ。
アルフォンスの覚悟を前にした克洋は、自らもある覚悟を決めた。
「…俺がやる」
「…克洋?」
「俺があいつを倒す、だから一瞬だけあいつの動きを止めてくれ!!」
「馬鹿な、お前に奴が倒せる訳…」
「…出来るのか?」
「切り札を使う、信じてくれ」
克洋の提案を世迷い言として切って捨てようとするルリスを遮り、アルフォンスは克洋と目線を合わせながらその真意を確かめようとした。
アルフォンスが見た所、克洋は転移魔法と言う長所が無ければ駆け出しの冒険者レベルの実力しか無かった。
そんな克洋があの化物を倒せるなどと言うことは到底信じられることではない。
しかしアルフォンスの見た所、今の克洋は嘘や虚勢を張っている様子は無かった。
短い間であるが一緒にパーティーを組んでいたアルフォンスは、克洋はこのような場で嘘を吐く愚か者では無い事を知っていた。
そして克洋はフリーダの弟子、あの大魔法使いに師事していた男であれば本人の言う通り何らかの切り札を持っているかもしれない。
一瞬の逡巡の後、アルフォンスは克洋の言葉を信じることを決めた。
僅かな打ち合わせを終えて、冒険者達のパーティーは動き出す。
最初に動きを見せたのはアルフォンスであった。
このパーティーの前衛役はルリスとアルフォンスの両名であり、本来ならば二人同時に動くべきだろう。
しかしルリスは獲物である剣を手放しており、無手でキマイラに向かうのは自殺行為である。
そのためこの場面では、アルフォンスが一人で行くしか無かった。
アルフォンスは最早鈍器となってしまった斧を振りかざし、キマイラに向かっていく。
勇ましい雄叫びを上げるアルフォンスであるが、その体は先ほどまで受けたダメージと蓄積した疲労によって既にボロボロである。
「うぉぉぉっ!!」
「グルルッ…、グラッ!!」
迫り来るアルフォンスを前に、キマイラはそれをいなすかのように後方に下がろうとする。
今の手負いのアルフォンスであれば、真っ向から押しつぶすことが出来ただろう。
しかしキマイラはアルフォンスの突撃をマトモに受けることは無く、回避する選択をしたのだ。
恐らくこの一撃があの獲物の最後の抵抗であり、これさえ凌げば後はキマイラの独擅場になる事は明白だ。
加えてアルフォンスの突撃に合わせて、先ほどから姿を消したり現れた忙しい、克洋の姿が消えたことにキマイラは気付いていた。
これは先ほどと同じようにアルフォンスがキマイラを引き付ける間に、克洋が奇襲を掛けると言う手はずになっているに違いないだろう。
アルフォンスと克洋の両方の動きを警戒するためは、一度引いた方が無難なのだ。
わざわざ囮を使ってパーティー全員をこの洞窟と言う狩場におびき寄せるほど頭のいいキマイラは、状況から導き出せる最適な選択を取っていた。
克洋たちの予想通りに…。
「油断したわね! 魔力拘束!!」
「ッル!?」
それはキマイラにとって完全に埒外の一撃だった。
先ほどアルフォンスの陰に隠れていて何もしなかった女が、いきなり此方に向かって魔法を発動したのだ。
よく見れば先程までアルフォンスの体を覆っていた魔力の光が消えており、それはララが何時の間にか魔力供給を止めていた事を示していた。
これまでの戦いにおいてララはアルフォンスのために魔力の供給をしており、そのためにララ自身はキマイラとの戦闘において直接的には何の活躍をしない。
そのためキマイラはララの存在を戦力外として認識したらしく、ララの行動を全く無視はしていない物の警戒対象としては限りなく低い位置に置いた。
それは大きな賭けであった。
先程までアルフォンスは、魔力パスを通じて行われる魔力供給の恩恵を受けてキマイラに何とか食らいついていた。
しかしこの最後の攻防において、アルフォンスはララの自由を作るためにあえて魔力供給を切ったのである。
此処でキマイラがアルフォンスと正面からぶつかり合う選択をしたならば、アルフォンスは意図も容易くやられていただろう。
しかしこれまでの戦いでキマイラの頭の良さを実感していたアルフォンスは、あの魔物がそのような効率の悪い選択をしないと確信していたのだ。
ララの放った魔法は、相手の拘束を目的とした中級クラスの魔法である。
キマイラのパワーがあれば、あのような拘束は相手を一瞬だけ留める程度の効果しか発揮しないだろう。
しかし克洋は相手を一瞬だけ止めてくれるだけで良かった。
キマイラを牽制するために転移魔法を発動していた克洋は、そのまま元の位置に戻ってくる。
そして克洋は自身の持つ切り札を切る、神の書、克洋の持つ伝説の武具と言う名のチートアイテムである。
もっと早くこれを使うべきだったと思われるかもしれないが、克洋には此処で神の書を使えない事情があった。
前回とユーリの村でのドラゴンとの戦いとは違い、今回のフィールドは洞窟内と言う閉鎖空間である。
此処で前回のように、巨大なドラゴン一体を丸ごと包み込むような大規模な魔法を使うのは難しい。
下手をすれば洞窟を崩してしまい、克洋たちが生き埋めになる可能性が高いだろう。
残念なが克洋には神の書で強化された魔法をコントローする技術などは無く、洞窟を破壊せずにキマイラのみを倒す芸当は不可能であった。
そのため克洋は今まで神の書の使用を躊躇っていたのだ。
「…行くぞ、俺の全魔力をくれてやる! …風刃付与!!」
ヒントはルリスの高魔力付与であった。
今まで攻撃魔法を増幅する事しか頭に無かった克洋には、直接相手を攻撃しない強化魔法は盲点であったのだ。
ルリスの高魔力付与は薄皮一枚だけではあったが、魔力パスの恩恵をうけたアルフォンスですら傷つけられなかったキマイラにダメージを与えた。
ならばより強い魔力付与を施した剣であれば、あのキマイラを切り裂けるに違いない。
体感的に六割程度残っていた克洋の魔力が一瞬で枯渇した。
服の下に仕込んだ専用のホルダーに収められた神の書は克洋の魔力に反応して活性化し、自らの目覚めを喜ぶかのように神々しい緑色の光を放ち始めてる。
己の持つ武具を強化する魔力付与、神の書によって極限まで増幅されたそれは克洋の刀に数メートルにも昇る巨大な風の刀身を作り出した。
克洋の刀から発せられる風の息吹は、広間内に居るアルフォンスたちも感じるほどの荒々しさだった。
「何だ…、あれは…」
「凄い、克洋くん。 あんな奥の手があったなんて…」
克洋の神の書によって桁違いに強化された魔力付与を前に、アルフォンスたちは驚きを隠せなかった。
特に同じ魔力付与使いであるルリスは、高魔力付与と比較するのもおこがましい克洋の風の剣は衝撃であった。
本能的に克洋が生み出した風の刀身の威力を察知したキマイラは、すぐにでも逃げ出したいとばかりにララの拘束から逃れようと藻掻く。
しかしララの拘束魔法は、未だにキマイラを捕えて離さなかった。
克洋の刀から生み出された風の暴風は、克洋の腕から逃れようとするかのように激しく刀を揺さぶった。
克洋は全力で刀の柄を握りしめて風の刃を固定しながら、キマイラに向かって全速力で駆ける。
魔力拘束によって拘束され、今のキマイラに行えるのは自由に動かせる口から放たれるブレス攻撃だけだろう。
しかしブレス攻撃には貯めの時間が必要であり、残念ながら貯めが完了する前に克洋の剣が届くほうが早い。
そのため克洋は何の躊躇いも無しに正面から突っ込んでいった。
「グラッ!!」
「ぐっ!?」
「克洋、大丈夫か!!」
克洋の失敗はキマイラが未だに手の内を残している可能性を考慮しなかった事だろう。
複数の魔物を組み合わせて生み出された人造の怪物、キマイラには多彩な能力が備わっている。
"冒険者ユーリ"の原作でもキマイラたちは、予想外の能力で主人公であるユーリたちを苦しめた物である。
そして体を拘束されたキマイラには、ブレス攻撃に以外にもまだ抵抗の手段は残されていたのだ。
キマイラが克洋に向かって口を大きく開けた次の瞬間、何かが克洋に向かって飛び出してきた。
勢い良く飛び出したそれは克洋の胸元に直撃してしまう。
アルフォンスは見た、キマイラから飛び出したそれは奴の長い舌であった。
蜥蜴に似た姿を持つリザードマンと呼ばれている魔物の中には、今のキマイラのように長い舌を槍のように使う物も存在した。
どうやらあのキマイラはリザードマンが持つ、その舌の能力も備わっているらしい。
聞く所によるとリザードマンの舌の一撃は凄まじく、生半可な防具であれば簡単に貫いてしまうらしい。
その一撃をまともに受けてしまった克洋を見たアルフォンスたちは、最悪の展開を予想してしまう。
「うぉぉぉぉぉっ!!」
「ギャァ…」
しかし克洋は一瞬足を止めた物の、再び風の刃を担いで走り始めた。
克洋の胸元にはキマイラの舌の一撃を弾き飛ばした防具、ユーリたちの村の住人から餞別として頂いたドラゴン製の防具があった。
ドラゴンの鱗をふんだんに使用した防具はキマイラの最後の抵抗をも跳ね除け、そのまま克洋は風の刃の射程圏内まで近づくことに成功する。
そして克洋はララの魔法によって拘束されたキマイラに向かって、躊躇いなく荒れ狂う風の刃を振り下ろしたのだ。
最後の切り札である舌の奇襲を防がれたキマイラには、最早抵抗の手段は残されていない。
迫り来る断罪の刃を前に、キマイラの三つの目が大きく見開かれていた。
克洋の生み出した風の刃は、ドラゴン並と評されたキマイラの体を容易く貫いた。
神の力によって生み出されたそれは、まるで紙切れのように簡単にキマイラの体を真っ二つにしたのだ。
キマイラは恐怖に怯えた表情を浮かべながら、かすかな断末魔をあげなら息絶えた。
幾多の冒険者を餌食としてきたキマイラが、克洋たちの手によって見事討伐されたのである。