8. ルリス
"冒険者ユーリ"の世界における魔物たちの中には、RPGゲームなどでお約束の毒を持った魔物も存在している。
そのため魔物討伐を生業とする冒険者たちは、毒に対する対抗手段を持っていた。
克洋が取り出した小瓶、それはパーティー入りをした際にララから渡された毒消しの薬であった。
この毒消しはこの世界の冒険者に取っては必需品と言えるポピュラーな物で有り、克洋も原作を通して何度かこの青汁のような色をした液体を目にしていた。
恐らくルリスはキマイラに何かをされた事で眠っており、その原因はキマイラが持つ催眠製の毒である可能性が高い。
克洋はルリスの体を抱き起こし、その口に小瓶の液体を流し入れた。
「頼む、これで起きてくれ…」
「……」
魔物の持つ毒は千差万別で有り、ゲームのように毒消し一つで全てが完治する訳ではない。
この毒消しも一般的な魔物の毒を緩和する効果しか無く、余りこの毒消しを過信してはいけないとララにも言われている。
この毒消しがキマイラの催眠毒に利くか解らない克洋は、祈るような気持ちでルリスを見守っていた。
「……げほっ、げほっ、まずっ!? 何、私は…」
「ルリス!? 良かった、目を覚ましたんだな!!」
「一体此処は…、あの魔物はどうした!?」
「ああ、奴なら今はアルフォンスたちが…。 そうだ、アルフォンスが危ない!?」
「ちょっと待て!? 引っ張るな!!」
克洋の祈りが天に通じたのか、毒消しの効果によってルリスが目を覚ましたようだ。
意識が戻ってきたルリスが感じた初めての物、それは口の中一杯に広がる何とも言えない苦味であった。
先ほど克洋が飲ませた青汁に似た風体の毒消しの酷い味に、ルリスは涙を浮かべながらむせてしまう。
余りの苦さに衝撃を受けたルリスは、寝そべった姿勢から勢い良く上半身を起こす。
そこで彼女はこちらを心配にそうに見つめる克洋と視線が合い、自分が薄暗い見慣れぬ場所に居ることに気付く。
首を左右に動かして周囲の様子を伺うルリスの脳内に、段々と意識を失う直前の記憶が蘇ってくる。
やがて自分がキマイラに捕まった事を思い出した彼女は、慌てた様子で克洋に問い質す。
ルリスの問いかけを受けて克洋は、アルフォンスが一人でキマイラと戦っている状況を思い出したらしい。
急いでアルフォンスたちの元に戻るため、克洋は無理矢理ルリスを立ち上がらせ、未だに何かがぶつかり合う戦闘音が聞こえてくる戦場へ戻ろうとした。
克洋がルリスを連れてパーティーの元へと辿り着いた時、まさにアルフォンスは絶体絶命の状況だった。
恐らくキマイラの爪に切り裂かれたのか、アルフォンスの腕や足は紅く染まっていた。
荒い息を吐きながら片膝を付いているその姿は明らかに消耗しており、このままではアルフォンスの敗北は明白であった。
そして何時の間にか回収したらしい彼の獲物である斧もまた、主と同じようのボロボロになっていた。
その刀身がすっかり歪んでおり、最早この斧を刃物として使うことは不可能であろう。
傷付いたアルフォンスの背後では、全く無傷であるララが涙目になって狼狽えていた。
恐らくこの男は体を張って、愛する女性をキマイラから守り続けていたようだ。
「アルフォンス!?」
「大丈夫か! くそっ、魔物め…」
「はぁはぁ…。 克洋、ルリスを見つけたのか…。 こいつは俺が抑える、その隙にお前たちは逃げろ」
少し目を離した隙にすっかり変わってしまったアルフォンスの姿に、克洋は目を白黒させながら驚く。
アルフォンスもまた、克洋がルリスを連れていることにすこし驚いたようだ。
そしてアルフォンスは片膝を付いた状態から起き上がり、突如現れた克洋の警戒をしていたキマイラに向かって一歩前に出る。
その姿はまさに最後の力と形容するに相応しく、アルフォンスのある種の覚悟が見て取れた。
確かにこの場で一斉に逃げよう物なら、あのキマイラはすぐに追いついてしまうだろう。
このパーティーが生き延びるためには、誰かがあのキマイラを足止めするしか無いのだ。
「嫌、あなたを置いて逃げるなんて出来ない!!
あの化物を倒しさえすればいいのよ! 克洋やルリスも戻ってきたし、今なら…」
「その通りだ、ララ! 魔物め、此処で借りを返してやる!!」
「待て、ルリス!? そいつはヤバイ…」
愛する人の決断を察したララは、半狂乱になりながらアルフォンスを止めようとする。
そしてララに同調するようにルリスは、腰に吊るした鞘から剣を抜いて正眼に構えた。
幸運なことにルリスの装備品一式はそのまま残っていた。
あの魔物に捕まえたルリスから装備品を没収する知恵が無かったのか、それともルリスを侮って放置していたかは解らない。
しかし理由はどうであろうとも、奴に自分から武器を取り上げなかった事を後悔させてやる必要があるだろう。
ルリスの目には明らかに魔物に対する怒りが浮かび上がっていた。
不意を突かれたとは言え魔物に拘束された上に眠らされていたのだ、冒険者として高いプライドを持つ彼女に取ってこれは凄まじい屈辱であろう。
自らが受けた屈辱を晴らすためには、あの魔物を倒す以外に道は無い。
ルリスとてそれなりに経験を積んだ冒険者であり、キマイラから感じるプレッシャーやアルフォンスの今の有様から彼我の実力差は理解していた。
しかしだからと言って、アルフォンスを犠牲にして逃げることなど論外である。
そんな真似をしたら自分は真の冒険者にはなれない、あの時に自分を救った冒険者にはなれないのだ。
先ほどまでキマイラと矛を合わせていたアルフォンスの制止を無視して、ルリスはキマイラに向かって突撃した。
あの魔物には生半可の攻撃は効きそうに無い。
刃こぼれしたアルフォンスの斧と全くの無傷な様子のキマイラの姿からそう判断したルリスは、己の持つ最大威力の攻撃を選択する。
キマイラの元に近づきながらルリスは、己の持つ細身の剣に魔法を唱えた。
「高魔力付与!!」
「グラァァァッ!」
女性の非力さと言うハンデを魔法による強化によって補うことで、ルリスは近接型の冒険者として活動してきた。
この魔法はルリスが使える最大の強化魔法であり、彼女の奥の手と言える魔法であった。
魔法によってルリスの剣は刀身全体が光を放ち、まるで光の剣のようになっていた。
この魔法は魔力の消耗が激しく、ルリスでは僅かな時間しか維持が出来ない。
光の剣を携えたルリスがキマイラへと向かう。
それに対してキマイラは腰を落とし、前足に力を入れて今に飛びかかりそうな姿勢を取る。
恐らくルリスの剣が自分に届く直前に跳びかかり、逆にルリスを自らの爪の餌食にしようと言うのだろう。
「風刃力弾!! やれっ、ルリス!!」
「グルッ!?」
「いいタイミングだ、克洋!! くらえぇ!!」
しかしキマイラの跳躍に対して思わぬ邪魔が入った。
ルリスをサポートするために密かに転移魔法でキマイラの右方に跳んだ克洋が、キマイラの横っ面に魔法をお見舞いしたのだ。
恐らく柔らかなボールが当たった程度の衝撃しか受けなかったのだろう、キマイラは軽く顔を顰めながら殺気の篭った目で睨みつける。
克洋が放った魔法は全くキマイラにダメージを与えられていないようだが、少なくともキマイラの気を逸らすことには成功したらしい。
克洋がキマイラを惹きつけている間に、既にルリスはキマイラに向かって剣を振り下ろしていた。
最早キマイラに光の剣を避ける余裕は無く、キマイラの脳天にルリスの剣戟が到達した。
「嘘っ、何で剣が通らないの!? 私の…、私の魔法が…」
「グロォォォッ!!」
「あぁぁっ!?」
確かにルリスの奥の手、高魔力付与の効果は凄まじかった。
何せ今までアルフォンスや克洋が傷一つ付けられなかったキマイラに、初めて血を流させたのだから。
まるで紙で手を切ったかのように、キマイラの頭皮から僅かな血が滲み出ている。
確かにルリスの光の剣はキマイラの皮膚を貫いたが、残念ながらそれは薄皮一枚だけであった。
幾らルリスが剣に力を込めようとも、光の剣はそれ以上キマイラの皮膚を切り裂くことは無かったのだ。
ルリスは半ば呆然とした表情で、光り輝く自らの剣とそれを受け止めているキマイラの姿を見ていた。
この高魔力付与は、彼女の冒険者としての集大成とも言える魔法で有った。
それをこうも容易く防がれてしまった事で、ルリスは冒険者としての自分が全否定されたかのような衝撃を受けてしまう。
棒立ちとなっているルリスに対して、キマイラは容赦しなかった。
キマイラはまるで蝿でも払うかのように、自らの頭に剣を振り下ろした状態で固まるルリスを前足で弾き飛ばしたのだ。
ルリスは悲鳴を上げながら、キマイラの前から消えていった。
アルフォンスほどの頑丈さが無く、軽量なルリスには圧倒的なパワーを持つキマイラの一撃は致命的であった。
彼女は交通事故にでもあったかのように、放物線を描きながら吹き飛ばされていた。
その進行方向には洞窟の壁が有り、このままでは壁に激突するのは明白であった。
ルリスを庇うために転移魔法で跳んだ克洋は、壁を背にしながらルリスを受け止めようとする。
「ルリス!? うっ…」
「わ、私の剣が…」
それは両腕を広げる克洋に飛び込むかのようであった。
ルリスを受け止めた克洋は、その衝撃で後ろの壁に叩きつけらてしまう。
ルリスと壁で前後を挟まれた克洋は、その圧迫感と痛みで顔を歪めた。
克洋の腕に抱えられたルリスは、未だに高魔力付与が通じなかった事実を引きずっていた。
その目には何時ものような強さは無く、まるで気弱な町娘のような力の無い表情を見せている。
今のルリスには普段の冒険者らしい強さは全く感じることが出来無かった。
「…克洋、逃げろっ!!」
「えっ…!? 嘘だろう、あれは…」
「グロォォッォ!!」
ルリスに気を取られていた克洋であったが、アルフォンスの声によって自分たちが危機に直面している事に気付く。
克洋の視線の先では、何時の間にかこちらに近づいてきていたキマイラの姿があった。
十メートル弱ほど離れた位置に居るキマイラは、こちらに顔を向けながら大きく息を吸い込む。
そのキマイラの予備動作に克洋は見覚えがあった、あれはユーリの村で出会ったドラゴンがしていた物と同じ動きだ。
そして次の瞬間、キマイラの口から圧縮した炎が生まれる。
ドラゴンブレス、それと同等のブレス攻撃がキマイラから克洋たちに向かって放たれた。




