2. 魔族
"冒険者ユーリ"の世界には、人類の天敵と呼ばれる魔族と呼ばれる種族が存在した。
魔族はこの世界の覇権を握るために、定期的に人類サイドへと襲いかかった。
魔族と人類の全面戦争この世界の歴史において幾度と無く繰り返されており、人類サイドはその戦いに全て勝利し続けてきた。
しかしそれは紙一重の勝利と言ってよく、人類サイドは戦いの度に毎回滅亡寸前の所まで疲弊していた。
人類サイドが戦いの傷を癒やしている間に魔族も戦力を回復させてしまい、人類が復興した頃に戦力を整えた魔族が襲いかかる。
最早、災厄と言っていい魔族との戦いの歴史、それを覆したのが"冒険者ユーリ"の主人公、ユーリの父親である冒険者ヨハンだ。
ヨハンは仲間である戦士・僧侶・魔法使いと言う少数精鋭で魔族の本拠地に乗り込み、魔族を統べる魔王を倒すことで魔族と人類の全面戦争を回避したのだ。
そして人類サイドはヨハンの偉業を尊び、彼に勇者という称号を与えたのである。
少し話が脇道に逸れてしまったが、兎に角、この世界において魔族は人類にとても忌み嫌わられている存在だった。
克洋は転移魔法と言う、逃げる事に掛けては最適の能力を持っていた。
そのため那由多という危険な少女に刀を突き付けられている状況は、本来なら危険でも何でもないのである。
転移魔法の乱発で魔力が枯渇し掛かっている物の、感覚的に後一度くらいは跳ぶことは出来るだろう。
しかし克洋は転移魔法で逃げるという最善の手段を取らず、蛇に睨まれた蛙のように那由多の前から動くことが出来無かった。
目の前の少女から発せられる異様なプレッシャー、恐らく殺気と言う奴に晒された克洋は完全に少女の雰囲気に飲まれていたのだ。
本物の人斬りが発する殺気に克洋の身体は震え上がり、背中から冷たい汗が流れ、恐怖で息が詰まった。
平和な日本で呑気に暮らしていた克洋と、既に何人もの人間を手に掛けてきた那由多。
克洋が那由多の胆力に負けることは、ある意味で当然の流れであった。
「…なんでよりによって那由多と遭遇するんだよぉぉっ。
ユーリとかフリーダ様とかは高望みかもしれないが、せめて最初はレジィ辺りが出てくるのが筋だろう!?
百歩譲ってアーダンの糞野郎でもいい、兎に角、初っ端で那由多は無いだろう、畜生ぉぉぉっ!!」
「…少し五月蝿いですよ、お兄様?」
「はい、すいません!」
目の前の人斬り少女から発せられる殺気にすっかり参った克洋は、半狂乱になって喚き出してしまう。
しかし少女の一声に過剰に反応した克洋は、情けないことに一瞬で口を閉じた。
下手をすれば揉み手でもしそうな程の腰の低さである。
「と、とりあえず…、俺の知っている事は全部話すんで命だけはぁぁぁっ!!」
「では、お兄様の知っていることを全て話してください。 もし私を偽るような事があれば…」
「解ってます! ええっと、実は俺は此処とは別の世界の住人で…」
那由多の殺気によって心が完全に折れた克洋は、恥ずかしげもなくその場で土下座をして見せた。
自分より年下の少女に頭を下げるという行為に羞恥を感じる余裕は克洋に残されておらず、ただただ生き残る事に必死であった。
薄暗い森の地面の上に這いつくばり、身にまとっているジーパンが土で汚れてしまう事など今の克洋には些細な事であった。
そして克洋は那由多に言われるがまま、現実世界から来訪してきた自分の素性や"冒険者ユーリ"という作品の話をぶちまけてしまった。
この世界は"冒険者ユーリ"と言う作品の世界である。
克洋に取ってそれは真実である事は確かだが、この世界の住人である那由多には到底受け入れられない事実であろう。
自分が誰かに作られた存在で有るという、荒唐無稽な話を素直に信じるほうがどうかしているのだ。
克洋も内心で那由多が話を途中で遮り、世迷い言を続ける自分に斬りかかるのでは無いかと怯えていた。
しかし那由多は克洋の話を最後まで黙って聞いた後、顔に手を当てて何やら考え込んでしまったでは無いか。
土下座の体制のまま話をするのは辛いため、とりあえず直立の姿勢を取ることを許された克洋は那由多の奇妙な反応を訝しむ。
そして那由多に遮られる事無く、克洋はそのまま冒険者ユーリの大まかな粗筋を話し終える。
話が終わった事で克洋が口を開くのを止め、恐る恐る那由多の様子を伺う。
暫くしてから考えがまとまったらしい那由多は、克洋に向かってある質問を投げかた。
「…お兄様に一つ質問が確認したい事が有ります。
お兄様が知る話の中で、私はザンという名の魔族の下で働いたのですね?」
「う、うん…。 確かザンに付いて人類サイドの敵になれば、人類サイドの強者を一杯斬れるっていう理由で…」
前述の通り魔族は人類に取って不倶戴天の敵であり、常人ならば決して魔族に味方しようとは考えないだろう。
しかしこの那由多と言う少女はそんな常識を無視して、人の身で有りながらザンという名の魔族の仲間になるのだ。
ザン、それは"冒険者ユーリ"の世界におけるユーリのライバルポジションとなる魔族の名だ。
物語の中でユーリとザンは幾度と無く剣を交え、その戦いの渦中で那由多は望み通り強者たちと思う存分に斬り合う事が出来た。
生粋の人斬りである那由多は特に強者を斬ることに対して強い喜びを覚え、強者と戦う機会を得るためにザンの仲間になる以前から色々と物騒な事をしていたらしい。
この危険な少女にってザンと組むことは、自分の趣味を満たすことが出来るウィンウィンの関係と言えるだろう。
「その魔族は、元々この世界に居る存在なのですね?
お兄様のように、別の世界とやら来た訳では無く…」
「…どういう事だ? 何を聞きたいんだ」
「…では何故あの魔族から、お兄様と同じ匂いを感じたのでしょうか?」
「はっ…、それって…」
現実世界からの来訪者である克洋とこの異世界の住人であるザン、両者の接点は皆無である筈だった。
しかし既にザンと面識があるらしい那由多は、その独特の感覚で克洋からザンと同じような気配を感じたと言うのだ。
人斬りとして裏の世界を生きてきた那由多の感覚は異能と言っていいほど鋭く、原作の中でもその感覚を活用するシーンが幾度かあった。
原作の設定的に那由多の言葉には非常に説得力が有り、克洋は話の思わぬ展開に驚きを隠せなかった。
克洋が那由多と出会う数時間前、那由多はザンと人気のない森の中で対面していた。
人前で魔族と人間が会うわけにはいかず、両者が落ち着いて話が出来る場所はこのような所しか無いのである。
この会合を企画したのは魔族の少年の方であった。
人類の天敵である魔族の少年ザンが、趣味と実益を兼ねた裏稼業で名を馳せていた那由多に会談を持ちかけたのだ。
魔族の少年が自分に何の用があるのか気になった那由多は、躊躇うこと無くその話に乗ってこの会談の場に現れた。
那由多はこれまで魔族という存在を斬った事が無く、密かに初体験をするチャンスだとも考えていたらしい。
魔族と呼ばれる種族のについて一言で説明するなら、ファンタジー世界で定番のエルフやダークエルフと同等の存在と考えればいいいだろう。
俗にエルフ耳と呼ばれる尖った耳を持ち、人間の十倍は長く生きられる長寿の種族であった
軍服風の衣装を着た魔族の少年ザンの見た目は、人間で言えば那由多と同年代程度に見えたが、長寿である魔族の年齢は見た目では判断する事は難しい。
少なくともザンが浮かべている感情の無い表情や身振りは、その幼い見た目とは不釣り合いと言えた。
その席でザンは先ほどの克洋の話通り、那由多に自分の仲間になるように持ちかけたのだ。
「…残念ですが、その誘いはお断りします」
「…理由を聞いてもいいかな?」
「確かに興味をそそられる話です。 しかしどうも貴方様と共に戦う気が起きなくて…」
「そうか、ならば仕方ない…」
恐らく原作通りに話が進めば、那由多はこの話に乗ってザンの仲間になっていただろう。
ザンの提案は那由多から見れば酷く魅力的な物であり、裏稼業に飽きを感じていた那由多に取っては渡りに船の提案だった。
しかし那由多はザンの誘いを拒絶した。
どうやら那由多の持つ鋭い感覚が、目の前の魔族の少年からある種の違和感を感じたらしい。
己の感覚を信じた那由多は、ザンの仲間になる提案を蹴る選択をした。
那由多に拒絶されたザンは別段表情を変えること無く、徐ろに右腕を那由多の方に伸ばした。
すると次の瞬間、那由多の頭に強烈な痛みが走ったでは無いか。
「なっ、これは…!?」
「やっぱり初期手札は揃えておきたいからね。 趣味じゃ無いが操り人形になって…」
「…このぉぉぉっ!!」
「っ何っ!?」
那由多は激しい痛みと共に、自身が何かに塗り潰される感覚を覚えた。
このままでは自分が自分で無くなってしまう、そう感じた那由多は半ば反射的に腰に挿していた刀を抜く。
裂帛の気合と共に放たれた居合の一振りは、常人には把握できないほどの速さで目の前に居る魔族の少年へと辿り着く。
そして放たれた刃はザンの周囲に張り巡らされていた障壁に弾かれ、甲高い金属音を鳴り響かせた。
一般的に魔族は人間を遥かに上回る魔力を保持しており、魔法に関しては魔族は人類の一歩も二歩も先を行く。
この時の那由多は知る由も無かったが、原作においてザンはその膨大な魔力を使用して常に自分の周囲に魔法による障壁を張り巡らせているのだ。
そのため那由多の渾身の居合は、あえなくザンの障壁に防がれてしまう。
「まさか僕の力から逃れるとは、これは君を手駒にするのは無理かな…。
仕方ない、ならこうするのが最善だろうだ」
「「グァァァァァァッ!!」」
「っ!? 貴方様は私が必ず切り捨てます、絶対に!!」
那由多の反撃に驚いた様子のザンは、ひらりと宙に浮いて那由多から距離を取る。
膨大な魔力を持つ魔族に取って、自身の体を浮遊させる魔法など息を吸うように使うことが出来る。
結果的に那由多の居合はザンを仕留める事はできなかったが、結果的に那由多はその行動によって救われることになった。
那由多を警戒したザンから距離を取った事で、先ほどまで自分を襲っていた頭痛も収まったのである。
体調が戻った那由多は、常人なら気絶する事間違いない純粋な殺意を飛ばした。
今にもこちらに襲いかかってきそうな人斬りの姿に、ザンは残念そうにため息を付きながら右腕を天にかざした。
するとザンの動きに合わせて、上空から数体のドラゴンが舞い降りてきたでは無いか。
今回の会合を持ちかけたのはザンで有り、この場所もザンが指定した場所である。
恐らくこのドラゴンたちは、万が一の事を考えてザンが用意していた保険なのだろう。
ザン一人ならば兎も角、これだけのドラゴンを那由多が一人で相手にするのは厳しかった。
人斬りとして名を馳せている那由多の剣技は対人に特化しており、この手の魔物を相手にするのは難しいのである。
素早く状況判断をした那由多はザンに対する復讐を誓い、その場からの逃走を試みるのだった。
そしてこの逃走劇の最中で那由多は、克洋と出会うことになった。
那由多からザンとのやり取りを聞かされた克洋は、内心で強い衝撃を受けていた恐らく那由多がザンから受けた攻撃は、相手を洗脳するための能力なのだろう。
しかし克洋の知る限り、原作でザンにそのような能力を持っていると言う設定は無かった。
原作に無い能力を持ち、克洋と同じ匂いがするという魔族の少年ザン。
克洋はザンの正体に有る推測をした。
「まさか…、誰かがザンの体に憑依している?」
「何ですか、それは?」
「ええっと…、異世界物には幾つかパターンが有るんです。
俺のようにそのまま異世界に来訪するパターン、以前の知識を持ったままこの世界で赤ん坊から転生するパターン。
そして異世界のキャラクターに精神だけ憑依して、そのキャラクターに成り代わるパターン…」
「つまりお兄様は、あの魔族の中に誰か別の人間が入っていると?」
「いや、ただの推測ですよ、本当…」
那由多に語ったようにザンの体に誰かが憑依しているでは無いかという克洋の想像は、現時点では推測の域を出ない。
今の情報だけでは、ザンの正体を掴むことは不可能だろう。
しかし仮にザンが本当に克洋と同じように現実世界からやって来た者であるならば、この世界には他にも現実世界からやって来た人間が居るかもしれない。
克洋以外に現実世界からやって来た者は、恐らく克洋と同じように"冒険者ユーリ"の世界の知識を知っているだろう。
そしてその知識を元に克洋以外の人間が行動を起こせば、この世界の歴史は原作とは異なる物になってしまうかもしれない。
頼み綱と言える原作知識が早々に役に立たなりそうな不安を覚えた克洋は、この世界先行きに不安を覚えた。
ザンについての話も終わり、とりあえずこの場での会話は区切りを迎えた雰囲気になっていた。
自分の知る全ての情報を暴露した克洋は、このまま那由多から開放されると言う淡い期待を描いていた。
話を聞く限り目の前に居る少女は、精神が乗っ取られている疑惑が有る魔族の少年ザンを狙っているようだ。
一応命の恩人で有り、知っている情報を全て吐いた自分をわざわざ殺す理由は無い筈である。
しかし克洋の淡い期待は、すぐさま打ち砕かれてしまう。
「ではお兄様には、暫く私と行動を共にして貰います。
お兄様が居た方が、あの魔族と出会う確率が上がりそうですので…」
「えっ、俺はそろそろ失礼したいんだけど…」
「…もし私の前から黙って姿を消したら、あの魔族の少年の次にお兄様を殺してさしあげますよ」
「ぜ、全力であなたの復讐に協力します!!」
「…これからよろしくお願いしますわ、お兄様」
どうやらこの人斬りの少女は、まだまだ克洋を利用するつもりらしい。
可愛らしい笑みを浮かべながら、さり気なく刀に手を伸ばした那由多の姿に克洋は戦慄を覚える。
此処で克洋が逃げたならば、この人斬りの少女は宣言通り自分を殺しに来るに違いない。
こんな危険な少女に狙われたくない克洋が取れる選択肢は一つしか無く、克洋は泣く泣く那由多に協力することを約束した。
克洋の協力を取り付けた那由多は、年相応の可愛らしい笑みを満面に浮かべる。
そしてそれとは対照的に克洋の顔色は悪くなり、意識が遠のく感覚を覚えた。