24. 決意
次に克洋が目覚めた時、辺りの景色は一変していた。
自分の目の前に広がるのは暗い村の風景では無く、木材の香りがする屋内の風景であった。
自分が横たわっている場所も冷たい地面で無く、白いシーツが敷かれたふかふかのベッドの上である。
自分の上に掛けられた心地よい温もりの毛布を手で避けながら、克洋は上半身を起こした。
未だにはっきりとしない頭を働かせながら、克洋は自分がユーリの村で充てがわれた部屋に居ることに気付く。
部屋の窓から明るい日差しが有る所を見ると、少なくとも今は昼辺りらしい。
頭に血が巡ってきたのか、克洋は段々と意識を失う直前の事を思い出してきた。
トム爺さんを迎えに行った事、ドラゴンが現れた事、そして…。
「…あら、起きましたか、お兄様」
「那由多か…、確か俺はドラゴンと遭遇して…」
「今回はそこそこ役に立ったようですね、少しだけ見直しましたよ」
克洋が目覚めたタイミングを見計らったかのように、部屋に入ってきた那由多がこちらに声を掛けてきた。
那由多はそのまま克洋のベッドに近寄り、手近にあったを引き寄せて座る。
意識を失う直前の記憶が戻ってきた克洋の中に、今更ながら昨晩の恐怖が蘇っていた。
無謀にもドラゴンと交戦した克洋は、神の書の力でどうにかそれを撃破した。
そして神の書を使った代償として、魔力を限界まで搾り取られたのだ。
今の体が冷えたような感覚には覚えがある、前に神の書を使って魔力切れになった時の同じ現象だ。
魔力と言うより生命力か何かがごっそりと抜けさり、自分が希薄になるようなこの感覚は忘れたくても忘れられない。
「そうだ、あれからどうなった。 ユーリたちは…」
「無事ですよ、ユーリ様たちは怪我一つしていません。 …ああ、ティル様だけは体の何箇所かで擦り傷が出来ていましたね」
「うわっ、俺のせいだよな、それは…。 怒っているかな、ティル…」
克洋が無茶をした成果はあったようで、ユーリたちは無事であったらしい。
恐らく怪我らしい怪我は、克洋がティルを放り出した時に出来た物だけであろう。
緊急事態だったとは言え、少女を地面に放り出すとは自分も無茶をやった物である。
「それじゃあ今回の件で犠牲になったのは、トム爺さんと言う人だけか…。
原作のように村が全滅という事にはならなかったが、やっぱり全てを救うことは…」
「いえ、そのお祖父様も生きております」
「えっ、でもあの爺さんの家は…」
「どうやらお兄さまと入れ違いに、あのお祖父様は避難場所に現れたようですね。
ドラゴンに破壊された家は、既に蛻の殻だったのです」
「うわっ、何だかな…」
どうやらトム爺さんはユーリたちの危惧とは裏腹に、ちゃんと村の危機に気付いて避難を行っていたらしい。
不幸な入れ違いによって誰も居ないトム爺さんの家に向かった克洋たちは、無駄にドラゴンとの遭遇戦を行ってしまう。
犠牲が出なかった事は喜ばしいが、自分たちの苦労が無駄骨だった事を知って克洋はやるせない物を覚えていた。
「まあ村の人的被害は0だった事を喜ぶのかな…。 それで肝心のザンは…」
「…逃げられました。 お兄様が最後のドラゴンを倒し直後にね…。
結局、私の剣はあの魔族に届かなかった…」
ザンの話を出した途端、那由多の様子は一変してしまう。
どうやら那由多は念願のザンと出会えた物の、その首を取ることは出来無かったようだ。
那由多は視線を床に落とし、胸の中から湧き上がる激情に耐えるかのように拳を強く握りしめていた。
何時もお嬢様然とした笑みで感情を覆い隠している少女が、珍しく克洋の前で仮面を外しているのだ。
この少女がザンとどのようなやり取りをしたかは不明だが、少なくとも不本意な結果に終わったで有ろうことは想像が付いた。
那由多に変えるべき言葉が見付からず、克洋は那由多の様子を見守っている事しか出来無かった。
暫くの間、克洋と那由多の間に沈黙が流れていた。
やがて克洋は自ら沈黙を破り、初めて自分が出会ったこの世界の住人に対してある決意表明をする。
それは克洋がティルとの出会いによって目覚め、この"冒険者ユーリ"の世界と言う現実に向き合ったことによって得た結論であった。
「…なあ、那由多。 俺、この世界でやりたい事が出来たよ」
「…何でしょうか、それは?」
「まだ、具体的にどうするかは決めてないんだけど…。
ユーリに全部押し付けないようにしたいんだ、世界の命運とか大層な物をさ…」
"冒険者ユーリ"の原作において、この世界の主人公であるユーリは世界を救う働きをした。
しかしそれは言い方を帰れば、世界の命運を一人の少年に押し付けたと言っていい。
確かにユーリは勇者と魔王の息子と言う選ばれた血筋と言え、世界を救うだけの力を内に秘めた少年だ。
だからと言って、あの少年に全てを任せるのは間違っている気がするのだ。
原作の最終回、世界を救ったユーリの姿は今とはすっかり別人になっていた。
幾多の悲劇と直面した事で強制的に大人へと成長させられたその表情は、アンナと笑い合っていた村の子供時代の面影は全く無い。
命を掛けた戦いを何度も繰り返したことによって、その体には決して癒えぬ傷跡が至る所に刻まれている。
そして最終回の最後のページ、そこには全てを出し尽くして燃え尽きたユーリの姿が描かれていた。
公式ではユーリの生死は不明としているが、ファンの間ではユーリは死んだと断言されている程その姿は痛々しい物であった。
現在のユーリは原作の最終回時点のような陰は全く無い、極々普通の村の少年でしか無かった。
しかしこのまま原作通りに進んでしまえば、ユーリはあのような悲しい姿へとなってしまうだろう。
ユーリと言う少年とそれなりに交流を深めてきた克洋は、悲劇の道へと向かうユーリを黙って見ていることは出来無くなっていたのだ。
ユーリを犠牲にする選択肢を取ってしまえば、自分はティルの時と同じ後悔を味わってしまう。
克洋はもう二度と、あのような思いをしたく無かった。
原作においてユーリはこの世界の最高戦力となり、その最高戦力が命を掛けなければ世界を救うことは出来無かった。
言うなれば克洋のやろうとしている事は自分からベリーハードモードに難易度を上げることであり、はっきり言って無謀と言える決意であった。
克洋の無謀な決意表明に対して、那由多が何ら言葉を発することは無かった。
那由多と克洋の間に微妙な空気が流れている所に、それをぶち壊す新たな登場人物が現れる。
勢い良く扉を開けて現れたのは、克洋が体を張って守ったユーリたちであった。
扉を開けて部屋の様子を確認したユーリたちは、克洋が目覚めている事に気付いて顔を輝かせる。
ユーリを先頭に、アンナ、ティルと続いて、少年少女たちは駆け足で克洋のベットの上に近づいて来た。
「兄ちゃん! 目が覚めたのか!!」
「大丈夫ですか!」
「カツヒロさん!!」
心配そうに克洋に声を掛けるユーリたち、その姿は那由多の言う通り無事その物の姿であった。
ユーリやアンナは怪我一つ無く、ティルも腕や足に包帯を巻いている物の元気そうである。
克洋はユーリたちの姿を見て、ある種の感慨に浸っていた。
原作においてユーリはザンの襲撃時、目の前で幼馴染を失った事を切っ掛けに勇者の魔王の血が覚醒した。
勇者と魔王から引き継いだ魔力が暴走し、その魔力は村を襲ったドラゴンたちを飲み込んだ。
そして覚醒の反動でユーリは神の書を使った俺のように眠りにつき、数ヶ月近く眠り続けてしまう。
しかし今のユーリは覚醒をすること無く、此処で死ぬはずであった幼馴染の少女を生き残っている。
一部の家屋が燃えてしまった物の、ユーリの故郷と言っていこの村は無事に残っている。
原作で幼馴染や故郷を失い、嘆き悲しんでいた不幸な主人公の姿は何処にも無いのである。
これが良い事から悪い事かは判断出来ないが、少なくとも克洋は一つの悲劇を回避することが出来たのだ。
「ゴメンよ、兄ちゃん…。 俺のせいで…」
「聞いたのか?」
「うん、俺が勇者の息子だって…。 だから村が襲われた…」
「ユーリ…」
ザンと言う明確な脅威が現れた事で、ユーリはただの村人では居られなくなった。
ユーリの育て親であるデリックは、この少年に真実を伝えたらしい。
勇者の息子である自分を狙って村が襲われた。
原作のように村が全滅することは避けられた物の、その事実を受け止める事は荷が重いのだろう。
今回の一件に責任を感じているらしいユーリは、大人びた悲痛な表情を浮かべる。
生まれた時から一緒に居る幼馴染の少女は、初めて見るユーリの姿に心配そうに声を掛けた。
やがてユーリは悲痛な表情を拭い去り、決意に満ちた強い表情を克洋に向ける。
「俺、冒険者学校に行って兄ちゃんみたいな冒険者になる!! 今度ドラゴンたちが現れたら、俺がやっつけてやるんだから」
「私も、私も冒険者になってカツヒロさんの役に立ちます!!」
「ははは、そうか…」
原作においてユーリはザンの襲撃の後、デリックの紹介で冒険者学校に入学して冒険者の道を進み始める。
それはザンに対抗するための力を付けるための物であり、この世界においてもユーリは原作と同じ道を進むようだ。
冒険者を目指すことになったユーリであるが、その脳裏にはあの巨大なドラゴンを一撃で粉砕した克洋の勇士があった。
ユーリに取って冒険者とは克洋の事であり、未だに克洋の真の実力を知らないユーリは克洋に憧れを抱いているらしい。
ユーリに同調するかのように、ティルもまた冒険者になる決意表明をする。
ティルは自分を苦行から救ってくれた恩人である克洋にご執心らしく、その恩返しとして克洋の役に立ちたいらしい。
元々、ティルを冒険者学校へ入学させる事決定事項であった。
彼女の内に眠る膨大な魔力の制御方法を身に付けるには、冒険者学校と言う環境は適切なのである。
今までティルにはこの予定を内緒にしていた筈だが、この機会にフリーダが教えてあげたのだろう。
原作においてもティルは、自らの魔力の制御方法を学ぶためにユーリとは一年遅れで冒険者学校に入学していた。
経緯は違えど、ティルもまた原作と似た道筋を進むようだ。
「では私もユーリ様とティル様のご同輩になるようですね。 私も冒険者学校へ入学するつもりですので…」
「えっ、お前が!? 何でまた…」
「そうだよ、那由多は今でも凄く強いのに…」
「私も学びたい事があるのですよ…」
ユーリやティルが冒険者学校へ入学するのは、原作を考えたらある種の既定路線である。
しかし那由多の入学は完全な想定外であり、克洋は度肝を抜かれてしまう。
那由多の入学はユーリも予想外だったらしい、彼は那由多の実力を直に見たことがあるのだ。
未熟なユーリと違い、那由多は冒険者の資格こそ無い物の既に冒険者としての実力を持っていた。
そんな彼女が未熟な自分と同じように冒険者学校へ通う事が不思議らしい。
どのような思惑があって、那由多は冒険者学校への入学を決意したのか。
この少女が何の目的も無し冒険者学校に行くはずも無い。
既に一流の域に達しているこの少女が、冒険者学校で一体何を学ぶつもりなのか克洋には想像も付かなかった。
「これから忙しくなると思いますが、お互い頑張りましょう。 克洋お兄さま」
「那由多、お前…」
那由多の口から出た言葉を聞いた克洋は、口を大きく開けて唖然とした表情を取る。
聞き間違いではない、確かに今この少女は克洋の名を読んだのだ。
原作において那由多は気に入った人間しか名前で呼ばないと言う癖が有り、克洋は今までこの少女から一度も名前で呼ばれた事が無かった。
一体この物騒な少女にどのような心境の変化があったか解らないが、那由多はこちらの事を少しは認めてくれたらしい。
何時ものように楚々とした笑みを浮かべる那由多の姿は、相変わらず何処ぞのお嬢様のように可憐であった。
冒険者ユーリにおける物語の開幕を告げるザンの襲撃、これによってユーリの冒険が始まっていく。
生き残った村人や幼馴染、勇者と魔王の血を覚醒させなかった主人公、それは原作と大き異なる物であった。
克洋を筆頭とした現実世界からの来訪者と言う異分子を抱え込んだ事で、原作から大きく歪んでいく冒険者ユーリの世界。
この世界がどのような結末を迎えるのだろうか。