19. 大地
一体どのような思惑があって魔弾の射手は、自分の仲間とも言える者たちを殺し続けていたのだろうか。
そしてどのような思いを抱きながら、那由多の手に掛かって死んだのだろうか。
魔弾の射手、それは大知と言う名前の男であった。
彼は克洋が現れるより半年ほど前に、現実世界から"冒険者ユーリ"の世界にやって来た。
大地が特典として得た能力は、百発百中を約束する弓の技術と共通語の習得である。
気弱な性格であった大地は、正面からの戦いを避けるために遠距離攻撃による戦闘方法を手に入れたのだ。
この世界に置ける言語の問題に気付いた大地は、勇人や健児と同じ失敗を侵さなかった。
そして更に幸運な事に健児は、同時期にこの世界に訪れた同郷の友人と巡りあうことが出来たのだ。
「援護を頼むぞ、大地!!」
「了解!!」
まだ原作まで時間があった事もあり、大地は仲間と共に原作と関わること無く純粋にこの世界を楽しんでいた。
特典として手に入れた能力を使って、彼らは冒険者紛いの仕事で旅費を稼ぎながら世界を旅していた。
まるで物語の主人公になったかのようにファンタジー世界を旅する大地たち、この時が一番楽しい時期であったろう。
しかし時が経ち、原作の開始時期が近づいてきた事で彼らは否応にもある選択に直面してしまう。
それは"冒険者ユーリ"の原作を知る者が選ばなければならない大きな二択、原作に介入するかどうかについての選択だった。
原作介入は諸刃の剣である、原作の展開をより良い方向に進める代わりに歴史が変わってしまい、最大のメリットである原作知識が意味を無さなくなってしまう。
加えて介入によって原作が良い方向に進むことは限らず、下手をすれば原作に無い悲劇を引き起こすかもしれない。
「俺はまずティルの元に向かおうと思う! 一緒にこの世界を変えよう、大地」
「し、暫くは様子を見た方が良いんじゃないか? 今下手に動いて、原作が変わっても…」
気弱な性格であった大地は、原作を変えるという行為が末恐ろしかった。
原作のまま進めば幾多の悲劇と引き換えに、この世界には平和が訪れるのだ。
下手に悲劇を避けようとして原作を動かして、世界が平和にならなかったどうする。
最悪の可能性が頭を過ぎった大地は、積極的に原作へ介入する気にはなれなかった。
しかし大地と行動を共にしていた仲間の意見は違った、彼は果断にも原作に介入していこうと考えていたのだ。
そして大地の仲間はまず手始めに、ティルの救出を行おうとしていた。
「嫌なら俺一人で行く! じゃあな、大地」
「だ、駄目だ!? 原作を変えるなんて…」
結局、大地とその仲間は決裂してしまい、大地の仲間は一人でティルの救出に向かうとする。
大地は恐ろしかった、原作の展開を変えることに。
原作では世界が滅ぶ紙一重の所で、この世界の主人公であるユーリが世界を救ってみせた。
しかし下手に原作に手を出したことで、その紙一重が逆を向いてしまったら…。
この世界に最初に来た時、大地は仲間と同じように原作に介入して原作展開をより良い方向に導こうと考えていた。
しかし下手にこの世界に馴染んでしまった大地は、この世界が滅ぶという事がどういう事かをリアルで感じれるようになってしまった。
既に大地はこの世界の住人になっており、この世界が滅んでしまったら自分も死んでしまう。
そして自分の生存を第一に考えるならば、原作介入という博打を打つのでは無く、原作の展開をなぞって貰ってユーリに世界を救って貰う方が確実なのだ。
そして原作の展開を変えることを望まない大地は、最悪の選択をしてしまう。
ティルの元に向かおうとしたかつての仲間に向かって、幾度と無くその仲間を助けてきた弓を向けてしまったのだ。
消えゆく仲間の死体を見て正気に戻った大地は、自分の犯した過ちを理解した。
嘆こうが喚こうが共に過ごしてきた仲間は戻ってこず、憔悴した大地が向かったのはティルが居る村であった。
別に仲間の意思を引き継ごうと考えた訳では無い、ただ最後に仲間が向かおうとした場所に行って見たかったのだ。
しかし大地はそこで、ある光景を目にしてしまう。
それは明らかに冒険者ユーリの世界の住人では無かった、この世界に無い漢字が記されたシャツを着た男は、大地と同じ原作をからの来訪者なのだろう。
その者は意気揚々といった様子で、ティルの居る村に繋がる街道を歩いていた。
恐らくあの男は大地の仲間がしようとしたように、ティルを救おうと考えているに違いなかった。
「駄目だ、原作を変えるのは駄目だ…」
あの男をティルの元に向かわせたら、自分が仲間を手に掛けた意味が無くなってしまう。
そう考えた大地は自然に獲物を構え、男の脳天目掛けて矢を放っていた。
これは原作の展開を守るために仕方ない事である、だから仲間を殺した自分は悪く無い。
都合のいい免罪符を自ら掲げた大地は、ティルの村に繋がる唯一の街道近くの森に潜むようになった。
一日中街道を監視し、街道に現れた転現実世界からやって来た者を弓で射殺していった。
最早狂人としか思えない行為を大地は続けていた、あの死神の少女が現れるまでは…。
フリーダに那由多、原作に置いて重要キャラクターが街道に現れた事に対して、何らかの感想を抱くような機微は既に大地から失われていた。
まるで壊れた機械のように弓を構え、彼女たちの間に立つ自分と同類らしき男に向けて矢を放った。
現実世界からやって来た者は皆、大地と同じように何らかの力を持っていた。
これまで射殺してきた者たちと大地が正面から戦っていれば、逆に大地が敗北していた可能性も十分にあっただろう。
しかし強力な力を持ったとは言え、彼らは皆平和な現代社会に生きていた日本人である。
彼らは超遠距離から放たれた矢に反応すら出来ず、その自慢の能力を披露すること無く死んでいった。
しかし今回の相手は大地との能力と相性が悪かった。
一撃で致死に達するであろう威力を持った大地の矢は、それ故に克洋の能力の発動条件に抵触してしまったのだ。
オートによる転移能力によって初めて大地の魔弾から逃れた克洋に向けて、大地は淡々と二射目を放った。
しかし二発目の矢は此方の存在に気付いた着物の少女、那由多の剣戟によって防がれてしまった。
「くそっ…」
自分の矢が防がれるのは初めての経験である。
大地は悪態を付きながら弓に矢を番え、克洋を庇うように立つ那由多に向かって放った。しかしこの矢もまた、那由多に簡単に防がれてしまった。
矢の軌道からこちらの居る方向を察した那由多が、凄まじい脚力でこちらに向かってくる。
まずはこの障害を排除しなけらば成らないと考えた大地は、次々に矢を放っていた。
しかしその矢は全て那由多の剣によって防がれてしまう。
大地の矢の威力は強力であり、幾ら那由多と言えども目視するのは難しい速度で飛ばされていた。
大地の矢は正確無比であった、それ故に那由多は簡単に矢の軌道を読むことが出来たのだ。
大地の失敗は百発百中の弓の腕に慢心せず、その弓を当てるための狩人としての知識を手に入れなかった事にあるだろう。
所詮は大地も、他の者たちと同じように与えられた能力に頼りきっているだけである。
確かに大地の弓の腕だけは、一流の狩り人と遜色ない物になっている。
しかし本職の狩り人は何も弓の腕だけを鍛えている訳では無く、獲物を追い込み確実に矢を当てられる状況に持っていくための技術を身に着けている。
本職の狩り人であれば馬鹿正直に獲物に向かって単調に矢を放ち続けることはせず、獲物を嵌めるための何らかの策を取っていただろう。
しかしこれまでどのような獲物を一矢で仕留めてきた大地には、相手に向かって矢を放つしか出来ることは無いのだ。
そして幾ら目にも留まらぬ速度で飛んでこようと、必ず自分に向かって飛んでくる矢を撃ち漏らすほど那由多の技量は低くなかった。
「なんで、なんで当たらないんだ!!」
「見た所、話は通じるようですわね。 何故、お兄様を狙ったのですか?」
「原作を変えちゃ駄目なんだ、駄目なんだよ…。 当たれ、当たれ…」
「…これは駄目ですね」
大地の元まで辿り着いた那由多は、人目で大地に見切りを付けた。
裏の世界で様々な経験をしてきた那由多は、今の大地のような人間を何度も見てきた。
この手の人間は引き返せない所にまで進んでおり、決して元の世界に戻ってくることはない。
半狂乱気味に弓を構える大地の姿に見切りを付けた那由多は、その生を終わらせるために無造作に手に持った刀を振るった。
幾多の人間の命を奪った魔弾の射手は、こうしてあっけない最後を迎えることになった。
今回の遠征で克洋たちは、ティルという不幸な少女を救うことが出来た。
結果としては大収穫と言っていいだろうが、克洋とフリーダの表情は何処か浮かない物であった。
あの後、克洋と別れたフリーダは村の住人達を相手に、ティルの扱いについて協議を行った。
協議と言っても実際は、勇者のパーティーであったフリーダの知名度を利用した恫喝に近いだろう。
結論としてティルの扱いについては、この少女が引き起こすあらゆる事態に対する全責任を此方が持つと言う条件と引き換えにフリーダが預かることが決まった。
フリーダ曰く、あの村の住人は全ての責任を引き受けると約束しただけで、諸手を上げてティルを引き渡すことを決めたらしい。
村人たちは厄介者を消えた事に対して喜んだくらいで、ティルを引き受けてくれたフリーダに感謝する者さえ居たそうだ。
あの小さな村に取っては膨大な魔力を持って生まれ、その才故に魔物を引き寄せるティルは厄介な荷物でしか無かったのだろう。
「あれほど腹が立ったのは久しぶりだ…、私があの村を滅ぼしてやろうと思ったぞ…」
「俺たち、結果的にあの村を救うことになりましたからね…」
あの村の住人のことを思い出したらしいフリーダは、憤懣やるかたない様子であった。
意外に情が厚い大魔導師は、ティルに対する村人たちの態度が許せないのだろう。
村から出てきた時にフリーダが浮かべていた表情は、那由多さえ唖然とした程強烈な物であった。
原作においてあの村は今から一年も経たずに、成長したティルから溢れだした魔力に引き寄せられた魔物によって滅びる運命にあった。
しかし村を滅ぼす切っ掛けとなる少女は今や克洋の腕の中に有り、憎たらしい事にあの村は滅びの運命を免れたのである。
あの村の住人を唯一褒められる事があると言えば、この少女を今まで生かしていた事くらいだろう。
あそこまでティルの存在を忌み嫌いながら、村人たちはこの少女を殺すことまではしなかったのだ。
一思いに殺した方が楽であったろうに、あえて村人たちは村で一番頑丈な建物である古代遺跡に監禁するという面倒な手段を取っていた。
幾らあの村の住人でも、子供を殺す事は躊躇ったのだろうか。
「後はあの狙撃手、この村を訪れる者を狙撃していた奴か…。
多分、動機は原作の展開を変えたくないからだろうけど…、一体何を考えていたのか…」
「お兄様の仲間は変な人間ばかりですね…」
「ああ、俺を含めてこの世界に来た奴らは、みんな馬鹿ばかりだよ…」
「…少し変わりましたか、お兄様?」
「細かい話は後にしろ。 今はこの子を綺麗にしてやらないと…。 まずは近くの街でこの子の衣服を…」
道行きに克洋たちを狙った現実世界からの来訪者、那由多から聞いたその男の最後の言葉からとりあえず目的らしき事は解った。
しかしその男、大地の事を知らない克洋に取って、原作展開を変えないためと言うだけで何人もの人間を手にかける気持ちが理解出来無かった。
那由多は大地は既に終わっていると言っていた、もしかしたらフリーダに初めて会いに行った時に遭遇した勇人と同じような状況だったのだろうか。
しかし件の弓使いは既に那由多の手に掛かってしまい、最早克洋が真実を知ることは出来ないだろう。
結果的に今回出会った現実世界からの来訪者も、同胞を手に掛け続けていた狂人でしか無かった。
辛辣な那由多の言葉は至極当然な感想と言えるが、それに対する克洋の反応が何時もと違った。
以前の克洋であれば自分を他の者たちと一緒にするなと喧しく抗議の声をあげていた筈だが、今の克洋にはそのような弁明をする気力は無かった。
身勝手な理由でティルをあのような環境に放置していた事に気付かされた克洋は、自分も今まで出会ってきた連中と同類であることに気が付いたのだ。
ティルと言う少女の救出、あの大地が仲間に手を掛けてまで守りたかった原作展開をぶち壊しにした克洋たち。
この影響が冒険者ユーリの世界にどのような影響を与えるかは、現時点では誰にも解らなかった。




