18. ティル
身も蓋もない言い方になるが、克洋は遊び半分で"冒険者ユーリ"の世界にやって来たと言える。
平凡な現代社会に退屈していた克洋は、さしたる目的や野望も無く何となく異世界へと降り立ったのだ。
那由多との出会いによって克洋は色々と面倒事に巻き込まれ、念の為に付けた筈の即死回避機能が発動した回数は最早数えきれない。
しかしこのような目にあったにも関わらず、克洋は未だにこの世界での生活を夢幻のような感覚を覚えていた。
否、このような現実離れした異世界らしい体験をしたことにより、その認識は更に増したのかもしれない。
所詮は克洋に取ってこの"冒険者ユーリ"の世界は絵空事の延長に過ぎず、数ヶ月以上経った今でも現実として完全に認識できていなかったのだ。
しかし克洋の認識はどうであれ、この"冒険者ユーリ"の世界は確実に存在していた。
この世界の住人はあるがままに世界を認識し、この世界で泣いて笑って怒って死んでいく。
もしかしたら克洋は、あえて気がつかない振りをしていたのかもしれない。
この世界が魔法や魔物と言う現実離れした要素で溢れかえっていようとも、決して自分の都合のいい夢の世界では無い事に気づきたく無かったのだ。
そして克洋はこの日、先延ばしにしていた異世界と言う現実と直面する時が訪れてしまう。
それを克洋に伝えたのは、一人の不幸な少女であった。
魔弾の射手の相手を那由多に任せた克洋たちは、後ろ髪を引かれる思いを感じながらティルの村まで辿り着いた。
その村はユーリの村と同レベルの小さな村で、普通の旅人なら寄り付くことは無いだろう。
村の中には特に目立った建物が無く、十数軒程度の木造の簡素な家が並んでいた。
村の周りには畑が耕されており、これがこの小さな村の貴重な収入源らしい。
「…見られていますね?」
「小さな村だからな…、異邦人を歓迎していないのだろう」
先日訪れたユーリの村では、村人たちは克洋たちを暖かく受け入れてくれた。
主人公が純粋に成長するに相応しい、小さいながらの良き村だったと言えよう。
それに対してこの村は克洋たちに対して、何処か冷たい印象を与えていた。
村人たちは克洋たちを警戒しながらも、こちらを観察するかのように様子を伺っている。
その視線をお世辞にも友好的とは言えず、排他的な印象を克洋たちに与えた。
現実世界においても狭い村社会でよそ者を拒絶することは良く有ることだ。
この村はユーリの村とは違い、よそ者の存在を快く思っていないのだろう。
「ん、この気配は…」
「何かあったんですか、フリーダさん?」
「旅人様、この村に一体どのようなご用件で…」
村の中ほどまで進んだフリーダは、何かに気付いたか様子を見せる。
克洋はフリーダの反応に気付き、彼女が何に気付いたのか訪ねようとした。
しかし克洋たちを邪魔するかのように、何時の間にか年配の村人が声を掛けてきた。
恐らく村の中でそれなりの地位に居ると思われる村人は、猜疑心に満ちた目でこちらを伺っている。
「…あっちに魔力の気配を感じた。 こいつは私が相手をするから、お前は様子を見てこい」
「は、はい!!」
「旅人様?」
「我々は冒険者だ、実は旅の途中に…」
「冒険者様!? 何故、冒険者様がこんな所に…」
小声で克洋に指示を出した後、フリーダは懐から冒険者の立場を示す冒険者カードを見せながら村人の相手をした。
この世界では冒険者という職業は一種のステータスになっており、少なくともこのような辺鄙な村に用もなく訪れる筈は無い。
村人は度肝を抜かれたような顔で、フリーダの翳した銀色の冒険者カードを仰ぐ。
そしてフリーダが村人を引きつけている間に、克洋は指示通りにフリーダが示した方へと向かった。
その場所は克洋に取って見覚えのある場所であった。
村の奥にある小さな村に不釣り合いな金属製の建物、これはこの村に伝わる古代遺跡の跡であった。
遺跡は箱型の形をしており、大きさは現実世界で言う所の一階建ての家屋程度の大きさしか無いだろう。
木製の家が主流のこの世界において、金属製の建物の存在は明らかに浮いた存在であった。
箱型の建物の正面にある入り口らしき場所は、誰も通さないように厳重に封鎖されていた。
しかし克洋は封鎖された入り口に目もくれず、原作の描写を思い出しながら箱の周囲を探るように周る。
すると克洋は箱の入り口から見て右側面の地面近くに備えられた、小さな窓を発見した。
この小さな窓は入り口を封鎖されたこの遺跡における唯一の外界と繋がりであり、彼女は此処から食料を提供されることで辛うじて生かされていた。
克洋は地面に膝を付き、恐る恐る窓から遺跡の中の様子を伺おうとした。
しかし遺跡の中は明かりが無く、窓から覗いたくらいでは中の様子は解らなかった。
克洋の記憶が確かならばこの窓がある部屋には、彼女が監禁されている部屋がある筈である。
意を決した克洋は転移魔法を使って、窓から見える薄暗い遺跡の部屋へと飛び込んだ。
「うわっ!? なんだこれ…」
遺跡の中に入った克洋は、部屋の中に充満する汚臭に顔を顰めていた。
外から覗いただけでは解らなかった、この部屋には糞尿などの刺激臭が充満していたのだ。
克洋は鼻を摘みながら辺りを見回すが、窓から漏れる微かな光しか光源が無い部屋の中の様子は全く見えてこない。
まずは明かりが必要と考えた克洋は、最近覚えた呪文の詠唱を初めた。
「照明魔法」
ある意味で冒険者に取っては必要な魔法、薄暗い洞窟などで光源として利用される光魔法である。
克洋の手に生み出された光は部屋の中を照らし、明るくなった部屋の中を見回した克洋はまさに絶句という表情を浮かべていた。
10メートル四方の人間一人を閉じ込めるには広すぎる部屋の中には、恐らくトイレ代わりとして使用されている汚い壺と、寝床として使われているであろう藁の束、そして食事の跡と思われる残飯しか無かったのだ。
そして部屋の中央の藁の寝床の上に、部屋の主である少女の姿があった。
恐らく先ほどまで寝ていたであろう少女は、克洋の気配に気付いて目を覚ましたのだろう。
少女は金色の髪を伸ばしっぱなしにしており、最早布切れと言ってい服を辛うじて身にまとっていた。
まるで幽鬼のような長いぼさぼさ髪の間から見える瞳は、克洋が放つ魔法の光に対して眩しそうに細めていた。
長いこと風呂に入っていないのか少女の体は酷く薄汚れており、少女から漂う匂いは酷いものである。
そしてまともな食事を取っていないため、その体は骨と皮と言っていいほどガリガリであった。
「…ぁ、ぁぁ」
「お前…」
少女は克洋に向かって何か言葉を発しようとするが、少女の声は声となって出てこなかった。
恐らくこの少女は長い間、誰とも言葉を交わす事は無かったのだろう。
喋り方を忘れてしまった少女は、声を発することすら出来ないのだ。
これが冒険者ユーリの世界のおいて最も不幸な少女、ティルと克洋との出会いの瞬間であった。
小さな村に不釣合いなこの頑強な遺跡に押し込める事で、魔物を引き寄せてしまう少女の膨大な魔力は遺跡の分厚い壁に遮断されていた。
村の平和だけを考えるならば、魔物を引き寄せるこの少女を遺跡に押し込める村人の選択は正しかったのだろう。
しかしそんな道理は、この哀れな少女を目の前にした克洋には到底受け言えれることが出来無かった。
ティルの哀れな姿を見た瞬間、克洋は頭をハンマーでかち割られたような強い衝撃を覚えた。
この少女をこの地獄から救わなければならない。
己の内から湧き上がる衝動に従った克洋は、少女を抱えるように優しく抱きしめた。
「ぁ!?」
「ごめん…」
少女はまるで羽のように軽く、克洋はいとも容易く彼女の体を抱き上げることが出来た。
少女を抱えながら、克洋は無意識の内に少女に詫びを入れていた。
克洋は少女がこのような不遇の状況に甘んじている事を知りながら、今まで少女の事を放置していたのだ。
そんな自分を殴りつけてやりたいほど、克洋は過去の自分の選択に後悔をしていた。
克洋はティルが今のような劣悪な環境に居ることを知っていた。
原作においてティルの回想シーンという形で、彼女の監禁生活の様子が一コマだけ描かれていたのだ。
しかし絵で見た情報と、この目で直に見た情報とでは受ける印象が全く違った。
克洋がこの世界での出来事をもっと真剣に捉えていれば、この少女の事を決して後回しにはしなかっただろう。
少なくとも克洋がすぐにティルの元に駆けつけていれば、この少女は数ヶ月早く自由を取り戻せたのだ。
所詮は漫画のキャラクターである、そのような克洋の身勝手な認識が少女の苦しみを伸ばしたのだ。
一刻も早くティルを此処から連れださなければならない。
克洋は驚きの表情を浮かべる少女を抱えて、何の躊躇いも無く牢獄の外へと跳んだ。
ティルを連れた克洋は、そのままフリーダの元へと跳躍を行う。
フリーダは突然現れた克洋と、その腕に抱かれてた少女を見て全てを察したらしい。
ティルはフリーダの周りに居る村人の姿を見て、怯えたような表情を浮かべながら克洋の方に抱きついてくる。
この少女の反応を見るだけで、彼女が村人から受けた仕打ちが解るようである。
フリーダは無言のまま克洋から少女を受け取り、布切れ一枚しか着ていないティルに自分が来ていたマントを被せた。
そしてフリーダは懐からネックレスのような物を取り出し、優しくティルの首にそれを掛ける。
「これは魔力封じの護符だ。 とりあえずこれを付けていれば、この子が魔物を引き寄せることは無い」
「フリーダさん、俺は…」
「なっ、その子を外にだしては成らぬ! 村に災いが…」
「早くその化物を元の場所に戻せ! またこの村に魔物が…」
「…お前はこの子を連れて村の外に出ていろ。 始末は私が付けてやる」
克洋が連れ出したティルの存在に気付いた村人たちが、途端に騒ぎ出した。
村人の反応を見たフリーダはティルを再び克洋に預けて、村の外に出るように言う。
フリーダはまるで氷のような冷徹な表情で、ティルをあの遺跡に戻すように言う村人たちを睨みつける。
克洋としても村人に怯えるティルをこれ以上此処に置いておく理由は見い出せず、フリーダに従って村の外まで跳ぶのだった。
村から少し離れた地点の街道にまで跳んだ克洋は、ティルを地面に下ろそうとする。
しかしティルが靴を履いていない事に気づいた克洋はその行動を中断して、再びティルの体を抱え直した。
ティルの体は10才を超えた子どもとは思えないほど軽く、克洋は少女を抱えている事に全くの負担を感じない。
ティルは物珍しそうに、首を左右に見渡しながら辺りの景色を見ていた。
物心ついた時から殆どの時間をあの遺跡で過ごしきた少女に取って、見るもの全てが珍しいのだろう。
子供らしい笑みを浮かべながら、ティルは何でもない外の風景を楽しんでいた。
しかしこちらを見ている克洋の視線に気付いたティルの表情が途端に曇り、怯えたようは表情を浮かべてしまう。
克洋はティルを安心させるために、昔親戚の子供にしてやったように優しく頭を撫でた。
何の手入れのされていないティルの髪の触り心地は悪かったが、決してその不快感を表情に出さないように克洋は笑みを作る。
克洋の手の感触に驚いた様子を見せたティルであったが、やがて目を細めて表情を緩めていった。
「その子が件の少女ですか、お兄さま?」
「うわっ、いきなり後ろから話しかけるなよ!?」
何時の間にか克洋の後ろに来ていた着物の少女、那由多の呼びかけに驚いた克洋は思わずティルを落としそうになってしまう。
慌ててティルを抱え直した克洋は、振り向いて那由多と対面する。
先ほど克洋たちを狙っていた狙撃手の所に向かった那由多は、何時の間にか此方に戻ってきたらしい。
この少女は狙撃手を見つけられたのだろうか、それとも逃がしてしまったのだろうか。
見た所、那由多の姿は別れる前と何ら変わっており、少女の様子からあの狙撃手と一戦を交わしたかどうかすらも解らなかった。
「この子が此処に居るという事は、やはりお兄様のお仲間は此処には辿りつけなかったようですね」
「そうだよ、残念ながらこの村に現実世界から来た連中は居なかったよう…。 ん、辿り着けない?」
もし自分たちより早くこの村に"冒険者ユーリ"を知る者が現れていたら、この少女の苦行をもう少し早く救えたかもしれない。
完全に八つ当たりである事を理解しつつ、克洋は自分以外の現実世界からの来訪者に対して不満を抱いていた。
しかし克洋の抱いていた不満は、那由多が漏らした不可解な表現に気付いた事で頭の中から霧散してしまう。
先ほどの那由多の言葉をそのまま捉えれば、この村に辿り着くまでに何らかの障害があったようにも聞こえた。
しかしこの村にはろくな舗装がされていない物の、ほぼ一本道の街道が作られていた。
余程の馬鹿でも無ければ、この村に着けない筈が無いのだ。
那由多の発言の真意が理解できなかった克洋は、目の前の少女にそのことを尋ねた。
「おい、辿り着けないってどういう意味だよ?」
「いえ、お兄さまのお仲間は何人かこの村に訪れようとしたようです。
しかし皆、あの狙撃手にやられてしまい、村に辿りつけなかったようですね」
「はっ、やられた!? そういえばあの狙撃手、あいては一体何者だったんだ?」
「お兄様のお仲間でしたね、死体が綺麗サッパリ消えたので…」
「おい、また殺したのかよ!?」
「仕方なかったのですよ。 今回は話の通じる相手でしたが、ある意味で全く話が通じませんでしたので…」
那由多の話が真であれば、やはり克洋が現れる以前にもこの村を訪れようとした者は存在したらしい。
彼らが一人でも辿り着いていれば、克洋の腕に抱えられた少女はもう少し早くに救われていただろう。
しかし彼らは皆志半ばに倒れてしまったのだ、あの魔弾の射手によって…。
 




