17. 提案
ユーリの村から現在の住処であるマカショフ村に戻ってきた克洋はその翌日、通い慣れた道を通ってフリーダの住処へと来ていた。
目的は例のゴブリンモドキの一件について、フリーダに報告するためである。
克洋たちをユーリたちの元に向かわせたのはフリーダである、彼女に今回の一件の顛末について話さない訳にはいかない。
しかしフリーダの元には自分と一緒に戻ってきた那由多が既に居るため、粗方の話は既にしている筈に違いる筈なのだ。
そのため克洋は自分がフリーダに詳しい話しをする必要は無いと気楽に考えていたのだが、予想に反してゴブリンモドキとの一件を一から十まで全て語る羽目になった。
あの人斬り少女は面倒な報告を克洋に丸投げにしたらしく、フリーダに全くゴブリンモドキの話をしていなかったのだ。
食卓で克洋に入れさせたお茶を飲みながら、フリーダは克洋からユーリの村の近くに現れたゴブリンモドキの話に耳を傾けていた。
決して話し上手とは言えない克洋の語りは冗長でまとまりに欠けていたが、克洋の記憶が新しかった事も有り内容事態に不備は無かった。
そして話しを聞いていく内にフリーダの表情は徐々に険しくなっていき、克洋が話を終えた頃には額に手を当てながら大きな溜息を漏らしていた。
「…お前の同類は馬鹿ばかりなのか?」
「だから一緒にしないでください!!
もしかしたら色々と事情があったかもしれないし…」
フリーダの口から出た辛辣な疑問は、彼女の本心からの言葉であった。
克洋の同類と思われる現実世界からの来訪者が、よりにもよってゴブリンという最下層の魔物と同化をしてしまったと言うのだ。
先日問答無用でこちらに襲いかかった馬鹿者といい、今の所克洋の同郷の人間の印象はフリーダの中でストップ安であった。
克洋としてもゴブリンと成り果てた同郷の人間に思う所が有るが、このままでは自分を含めた現実世界出身の人間の株まで落ちてしまう。
そのため克洋は苦しい言い訳をしながら、あのゴブリンモドキとなった健児をフォローする。
残念ながら魔物との同化を解除するためにはそれなりに時間が掛かるため、克洋たちがあのゴブリンモドキからまともな話が出来るようになるは暫く先だ。
仕方なく完全な推測で有るが、克洋はあのゴブリンと同化した男には何かあったのだと強弁した。
「もういい、とりあえず今回の件は魔族の関わりが無い事は解ったな…」
「あの魔族の情報は今の所掴めていません、矢張りお兄様の情報を信じて新年まで待つしか無いようですね…」
「…これからの事ですが、一つ提案が有ります。
今度…、ティルの居る村に行ってみませんか?」
「はぁ?」
そもそも克洋たちがユーリの村に向かった目的が、ユーリが森で見た者があのザンの関係者である事を疑っての事だった。
"冒険者ユーリ"の原作において、ユーリの村は後数ヶ月先の新年にドラゴンを率いるザンに襲われる事になっている。
時期的にザンの関係者である可能性は低いと推測はされていたので、今回の件でザンの情報が手に入らなかったのはある意味で予想通りであった。
残念なが克洋たちは現時点で、あの魔族の少年ザンの情報を全く掴めていなった。
何処かに雲隠れでもしているのか、那由多があちこちに探りを入れているのだが尻尾すら掴めていない状況なのだ。
唯一の手がかりは克洋の持つ原作の情報でしか無く、克洋たちは新年まで待つことしか出来ない。
そんな待ちの状況になった所で克洋は、那由多たちにある提案を持ちかけていた。
それは"冒険者ユーリ"の作中において、メインキャラクターと言える重要人物の元へ行こうと言う要望であった。
「…あの村に行く必要は無いと言ったのは、お兄様本人では? 何故今頃になって…」
「いや、そうなんだけどさ…。 やっぱりティルの村には一度行った方がいいと思い直して…」
克洋の提案に対してフリーダと那由多たは、一様に怪訝な表情を示した。
何故ならば克洋が口に出した話は以前、今後の方針を決める際に議題に上がった話だった。
そしてこの案を没にした張本人が、今再びこの話題を出している克洋であったのだ。
ティル、それは冒険者ユーリの世界におけるメインキャラクターの一人である。
原作に彼女が住んでいた村名は明記されており、克洋はその村名をしっかりを覚えていた。
既に村名から大まかな所在は那由多が調べており、行こうと思えば何時でもその村に行くことが出来た。
しかし克洋はあえてその村に行く必要は無いと考え、今までその場所に出向くことは無かったのである。
「その時は俺以外にこの世界に来た奴が居るならば、絶対ティルの元に行く奴が居ると思ったんだよ。
原作を読んでいる奴なら皆、ティルを早めに村から救いだした方がいいって考える筈だしさ…」
ティルと言う少女の特徴を一言で表すならば、不幸の星に生まれた者であると言っていいだろう。
"冒険者ユーリ"を読んだ事のある人間ならば余程心が荒んだ者で無い限り、ティルの悲しき過去に心を痛める筈だ。
ティルは生まれつき、人並み外れた魔力を持って生まれてきた。
それはこの世界で最高峰の魔法使いであるフリーダのそれを上回る物で有り、魔族とのハーフであるユーリを除く純粋な人間の中では最高の魔力持ちであろう。
そして彼女はこの魔力のせいで、凄惨な子供時代を過ごすことになる。
魔力、それはこの世界における重要なエネルギーで有る。
人間や魔物、そして魔族はこの魔力を使って世界や自分の体に干渉を行い、様々な現象を引き起こす。
特に魔物に取って魔力を摂取する事は自分の体を強化する事になり、それ故に強大な魔力は魔物を引き寄せる性質があった。
冒険者のような魔力のスペシャリストで有れば魔力を垂れ流しにする危険性を熟知しており、普段は自分の魔力を抑えて生活をしていた。
しかしティルは生まれつき強大な魔力を持って生まれ、不幸なことにティルの村で魔力の扱いに長けた者は誰も居なかったのである。垂れ流しされたティルの魔力は魔物と言う災いを呼び、村に少なくない被害を齎した。
結果的にティルは忌み子として扱われ、魔力を遮断するために隔離されてまるで囚人のような生活を強いられたのだ。
そしてティルの不幸は加速する。
ティルが成長するに連れて魔力の総量がどんどん増えていき、やがてその魔力は強大な魔物を村に呼び寄せたのだ。
魔物たちによって村は全滅、皮肉なことに村で一番強固な建物に閉じ込められていたティルだけが生き残った。
その後、ティルは火事場泥棒に訪れた野党に拾われてしまう。
当然のように野盗たちもティルに取っては、良き保護者とはならなかった。
冒険者ユーリが掲載されていた雑誌が少年誌という事も有り、直接的な表現は避けられたが明らかに野党たちに慰み者にされた描写もあったくらいである。
やがてティルはとある冒険者に保護されて、強大な魔力を制御する術を身に付けるために冒険者学校へと入れられる。
そこでティルはこの世界の主人公ユーリと出会うのだ。
「確かにお兄様はそのように仰って、その少女の村に行くのは不要だと力説されました。
では何故、今になって心変わりを?」
「今までに出会った俺のお仲間の事を考えたら、色々と不安になったんだよ…。
逆ギレして襲ってくる奴とか、ゴブリンモドキになる奴とか、ろくな奴が居なかったからな…。
それでもしかしたら、まだ誰もティルの元に行っていない可能性があるって思ってさ…」
「ティル、最高峰の魔力を持つ少女か…」
「とりあえず村に行ってティルの状況を確認したいんだ、駄目かな?」
自分と同じような"冒険者ユーリ"の原作を知った者が居るならば、決してあの不幸な少女を放っておく筈が無い。
そのような認識から克洋は、自分があえてティルを救いに行く必要が無いと考えていた。
有り体に癒えばティルの救出を、自分以外にこの異世界へ訪れた来訪者に押し付けたのである。
しかしこれまで克洋が出会ってきた現実世界からの来訪者は、はっきり言ってまともな者が誰一人存在しなかった。
言葉が通じないからと言って問答無用で襲い掛かってくる者、ゴブリンと同化してしまいゴブリンモドキと化した者。
もし現実世界からやって来た他の人間がこれと同類だったならば、ティルを救おうとする者など居る筈も無い。
そのため克洋は今更であるが、念のため今からでもティルの元に向かおうと提案したのだった。
克洋の提案を受けたフリーダは、腕を組んで考える素振りを見せた。
那由多はフリーダの決断に委ねるつもりなのか、笑みを浮かべながらフリーダの様子を眺めている。
暫くして彼女は克洋の提案に頷き、克洋たちの次の目的はティルの状況確認を行うことになった。
"冒険者ユーリ"において、ティルはフリーダの直弟子と言ってい存在である。
彼女はフリーダの元で魔力の制御方法を学び、魔法使いとして勇者のパーティの一員となったのだ。
フリーダは克洋から既に、未来の弟子であるティルの話を聞かされていた。
そして強力な魔力を持つというティルと言う少女に興味があったフリーダは、今回は克洋たちと共にティルが居るという村に行くことにしたらしい。
克洋と那由多とティルの三人は、ティルが居る村に続く街道を歩いていた。
旅慣れている那由多や元勇者のパーティーとして冒険に明け暮れていたフリーダは、流石と言った所で全く足取りに淀みが無かった。
それに引き換え克洋の方は最初の頃にように足を引っ張る事無かったが、額に汗を掻きながらも女性陣のペースに遅れないようにするだけで精一杯だった。
街道と言ってもろくに舗装がされておらず、道と道以外の区別が付いている程度の田舎道であった。
周囲には克洋たち意外に人気は無く、街道を使っているのは彼らだけのようだ。
ティルの居る村は主要な街道から外れた小さな村で有り、この小さな街道はティルの村にしか繋がっていない。
辺鄙な村にわざわざ訪れようとする物好きな旅人は、克洋たちくらいなのだろう。
克洋と那由多は先日と同じ旅の装い、フリーダは魔法使いに相応しいローブにマント姿であった。
自宅で着ている微妙に汚いローブより幾らか綺麗なそれは、恐らくフリーダの外行用の衣装なのだろう。
「おい、本当にこの先に村が有るのか…」
「それは調査済みです。 まあお兄様が言う少女が居るかは解りませんが…」
「うーん、ユーリの村に行った時を思い出すな…」
先日訪れたユーリの住む小さな村に行くときも、克洋と那由多は今のような誰もいない街道を歩いていた。
克洋はユーリたちとの記憶を思い出しながら、舗装がされていない凸凹した道を歩いて行く。
やがて克洋たちは目的地である村が見える地点にまで辿り着いていた。
そしてこのタイミングで克洋は、また世界が遠のく感覚を覚えてしまう。
風切り音らしき物が聞こえた瞬間、克洋の視界の景色が後ろにずれていた。
克洋の転移能力が発動して、その体が数メートルほど後方に移動したのだ。
もう何度目かになるか解らない転移の自動発動、それは克洋に身に致死となる攻撃が襲ったことを意味する。
慌てて克洋は先ほどまで自分が居た地点に視線を向け、その場所に一本の矢が打ち込まれている事に気付く。
矢は深々と地面に刺さっており、転移が発動しなければ克洋の体を貫いていただろう。
「狙撃!? 一体何処から…」
「また来ます!!」
克洋がもたもたと状況判断をしている間に、歴戦の戦士である那由多とフリーダは既に獲物を構えて警戒態勢を取っていた。
那由多は他の人間に注意を促しながら、空中に向かって刀を振るった。
すると那由多の刀の斬撃に吸い込まれるように矢が飛び込み、その矢を真っ二つに切り裂いたのだ。
綺麗に分たれた矢は目標に命中すること無く、地面へと落ちた。
「どうやら狙いはお兄様のようですね。 今の一射、正確にお兄さまの側頭部に向かって飛んで来ていました」
「はっ!? なんでまた俺が…」
「弓による狙撃か…、くそっ、射手の姿が見えない! 一体何処から打っているんだ…」
現実世界において弓の射程距離という物は、100メートルにも満たない。
しかし矢が飛んできた方向を見ても、射手の姿などは何処にも居なかった。
目の前には見渡す限りの野原と、その奥のほうに森が見えるだけだ。
考えにくい事であるが克洋たちに向かって飛ばされる矢はあの数キロは離れた森の中に身を潜めた魔弾の射手が放っている物らしい。
この世界は冒険者ユーリの世界であり、現実世界の常識をそのまま当てはめることは出来ない。
原作の中でも一流の冒険者は、平気で空中に浮かぶドラゴンを矢で射落とす描写もあった。
恐らくこの矢を放っている者は、その冒険者と同レベルの事が可能なのだろう。
「お兄さま、フリーダ様。 先に村にまで行ってください、この狙撃手の相手は私がします」
「えっ、大丈夫なのか?」
「狙撃手の狙いは正確無比、だからこそ読みやすい!!」
再びこちらに襲いかかる矢を刀で払いのけながら、那由多は一目散に矢が飛んできたであろう方向に駆け出す。
魔弾の射手は自分に近づいてくる剣士の存在に気付き、那由多に向かって次々に矢を放っていく。
矢の風切り音と矢が叩き折れる破砕音は遠くなっていき、やがて那由多が森の中に足を踏み入れた所で聞こえなくなった。




