16. 山の主
上手い具合に山の主を引き付けてユーリたちが離脱する隙を作った克洋は、転移魔法の連続使用によって何とか生き延びていた。
数キロ先まで跳ぶことが出来る転移魔法で本気で逃げようと思ったたならば、克洋の姿は既にこの場から消えていただろう。
しかし一応、ユーリたちがこの場から離脱しようとしている事に気づいていた克洋は、あえて山の主から見える位置に跳ぶと言う囮を務めていたのだ。
しかし発動するために魔力を必要とする転移魔法は、使用回数に限界があった。
先のゴブリンとの戦闘で幾らか魔力を消費しており、この調子では転移魔法はすぐに打ち止めになってしまう。
そのためユーリたちが居なくなった事を確認した克洋は、初めて山の主に対して反撃に出たのだ。
「くらえっ!? …っ、硬っ!!」
「グロロロッ!!」
「うわぁぁ!!」
意を決して山の主の背後に跳んだ克洋は、そのままその背中目掛けて刀を突き立てようとする。
しかし克洋の刀は、山の主の硬い毛皮に阻まれて刃先すら通ることは無かった。
先ほどゴブリンを相手にした時に刀へ掛けていた魔力付与は既に切れており、その切れ味はゴブリンを相手にした時より悪くなっている。
しかしそれを差し引いても刃先すら通らない山の主の皮膚の硬さは凄まじく、これでは克洋の技量では到底この魔物を斬ることは叶わないだろう。
そして山の主の防御力に呆然としている間に、山の主が背後に居る克洋目掛けて腕を伸ばしてきたのだ。
残念ながら山の主の背中に目が付いていないため、克洋の位置にあたりを付けて適当に腕を動かしたのだろう。
そのため山の主の腕に生やした鋭い爪は克洋の体を完全に捕えられず、僅かに克洋の腕を傷つけるだけであった。
「痛っ!? う、腕が…」
「まあこれが限界ですかね…、お兄様にしては頑張った方でしょう。
後は私にお任せください、お兄様」
山の主に腕を切り裂かれた克洋は、追撃を避けるために再び転移魔法を発動させて距離を取った。
そして山の主に傷つけられた痛みに対して苦悶の表情を見せる。
克洋が使う転移魔法には、即死攻撃時にオートで回避すると言うゆとり仕様の便利機能が付与されていた。
しかしこの機能には欠点があった。
実はオート回避は文字通り、即死に達しうる攻撃にしか発動しないのである。
今のように死ぬ可能性が全然無い軽い攻撃を受けた時にはこのオート回避は発動する事なく、普通にその攻撃を受けて傷を負ってしまうのだ。
ダメージを受けた克洋を見た那由多は、此処でようやく動きを見せた。
どうやら那由多は克洋の修行も兼ねて、あえて克洋一人で山の主の相手をさせていたらしい。
那由多は腰に差した刀を抜き、軽やかな足取りで山の主へと近づいていった。
山の主は漫画的な表現で言えば、序盤から中盤辺りに出てくるボスモンスターと言っていいだろう。
硬い毛皮に覆われた皮膚は生半可な刃や魔法を弾き、人外の腕力によって振るわれる爪は巨木さえも一撃で叩き折る。
中堅レベルの冒険者が束にならなければ討伐不能な、山の主という異名に相応しい強力なモンスターだ。
ゴブリン程度が精一杯な克洋では決してこの中ボスには勝てないだろう、しかし那由多が相手であれば話は大きく変わってくる。
「あら、この程度ですか…。 やはりドラゴンに比べたら、全然柔いですね…」
「グワァァァッ!?」
山の主が中盤の中ボスであるならば、那由多は原作的には中盤から終盤に出てくるボスキャラである。
原作を鑑みれば、はっきり言って那由多は山の主とでは格が違う。
気がついた時には那由多は山の主に懐にまで近づいており、刀を鞘に収めて所謂居合と呼ばれる構えを取っていた。
山の主は手が届く所にまで近づいてきた那由多に対して、全く反応することが出来ない。
一閃、まさにそう呼ぶに相応しい一振りであった。
克洋から見たら一筋の光が煌めいたようにしか見えないほどの剣速で、那由多の刀が山の主の体を切り裂いたのだ。
克洋相手に猛威を振るっていた山の主は、断末魔を上げながら地面に後ろから倒れていった。
那由多はあっさりと斬られた山の主に、つまらなそうな表情を浮かべながら刀を収めるのだった。
一瞬で山の主を撃破した那由多であるが、半年前の彼女では此処まで鮮やかにこれを倒すことは出来無かっただろう。
山の主の強靭な皮膚は生半可な刃物を弾き、対人に特化した那由多では相性の悪い相手だからだ。
冒険者は対魔物用に振るわれる剣で有り、どちらかと言えば威力を重視した物になっている。
強力な魔物の中には、鉄をも上回る強度を誇る皮膚を持つ物も存在していた。
冒険者の剣はそれを切らなければならず、必然的に有る一定以上の威力は必要になる。
一方で那由多の使う剣術、それは冒険者が使うそれとは種類が異なる物であった。
那由多の剣は対人間用の物になっており、威力より技工を重視しているのだ。
相手が硬い鎧を纏っていればその隙間を突けばいい、無理に鎧ごと相手を断とうとすれば反撃の隙を与えてしまう。
対人における剣術においては、必要以上の威力は害悪でしか無い。
過剰な力を出そうすれば隙も大きくなり、それは対人の斬り合いにおいて致命的な物にもなる。
しかしそれ故に対人を極めた那由多の剣は、対魔物に置いて大きな力不足となっていた。
かつてザンと遭遇した時、那由多はザンの張った障壁を貫くことは出来無かった。
そして那由多の斬撃は、ザンが放ったドラゴンの皮膚切り裂くことも敵わなかった。
障壁の魔法だけならば人間でも使える者も有ったが、人間が扱える障壁の殆どは体の一部分しか覆うことは出来ず、強度も高く無い。
実際に那由多は障壁を使う人間の術者を相手にして、障壁の隙間から相手を斬った経験や、障壁ごとその術者を切り裂いた経験もあったのだ。
しかし強力な魔力を持ったザンの障壁は人間レベルを遥かに上回っており、那由多はあの瞬間に自分の剣ではあれに届かない事を悟った。
あれは魔族という人間と異なる種族で有り、あれを斬るには対人用の剣術では不足なのだ。
「…で、これを調達してきたのか。 本物のドラゴンの素材を使った鎧か」
「ドラゴンの皮膚は魔物の中で最高峰の硬さです、これを切れればあの魔族の障壁も斬れる筈ですから…」
あの魔族との出会いから数ヶ月もの間、那由多は克洋の相手ばかりをしている訳では無かった。
那由多は対魔族用のために、克洋と同じようにとある修行を行っていたのである。
そのために用意したのが、ことゲームではお決まりの装備と言えるドラゴンを素材にした鎧である。
冒険者ユーリの世界においてドラゴンの皮膚は魔物の中で最高峰の硬さを持っており、それを素材にした武具は高価な値で取引されていた。
那由多が何処からかドラゴンの鎧を調達して来た時、フリーダは那由多の行動に対して呆れた顔を見せた物である。
ドラゴン製の装備は一流の冒険者なら喉から手が出るほど欲しい物であり、それを訓練のために使う者など見たことが無かったからだ。
那由多は何処からドラゴン製の装備を手に入れてきて、それをザンの障壁と見立てたのである。
フリーダの家の庭に設置されたドラゴンの鎧、それに対して那由多は何千・何万回も剣を振るってきた。
最初は強靭なドラゴンの装甲に那由多の剣は弾かれていき、この訓練で何本刀を駄目にしたか解らない。
しかし最初の頃はピカピカであったドラゴンの鎧も、今では刀傷だらけの酷い有様となっていた。
つまりこの数ヶ月で、那由多の剣はドラゴンの皮膚を上回るようになったのである。
昔ならいざ知らず、ドラゴンを斬ることが出来る今の那由多の剣が山の主にどうにか出来るはずも無かったのだ。
目的を果たした克洋たちは、縛り上げた健児を連れてユーリたちの村に戻ってきていた。
山の主との戦闘と言うイレギュラーが合った物の、無事に謎の男を捕獲する事が出来た。
克洋が受けた調査依頼は無事に達成、克洋の冒険者としての初仕事は成功に終わったのだ。
同化によって気が狂ってしまった健児は、デリックが同化の治療を行うことが出来る医療施設まで運ばれることになった。
同化が回復してくれれば、まともに話ができるようになるだろう。
「それでさー、兄ちゃんが魔法を放ったらゴブリンがばったばったと倒れて…」
「へー、あの頼り無さそうな兄ちゃんがなー、人は見かけによらないな」
「流石は冒険者様って所か」
今回の冒険にすっかり興奮したユーリは、すっかり克洋や那由多に心酔したらしい。
ユーリは誰彼構わず克洋の冒険譚を自慢気に語り回ってしまい、克洋の存在は村の中で知らぬ者は居ないほどになっていた。
克洋たちの冒険の証としてあの山の主の死体は、若い村人たちの手によって村まで運ばれていた。
強力な魔物の死骸は利用できる物が多く、一種の宝の山であるこの死骸を村人が放っておく筈も無い。
村人たちは見るからに強力そうな山の主の姿に恐怖し、それを真っ二つに切り裂いた克洋の力量に畏怖した。
どういう訳か那由多は山の主を倒した手柄を克洋に譲ってしまったので、克洋は山の主を倒した凄い冒険者として村人に認知されてしまったのだ。
村の誰もが克洋に好意的に接するようになり、中には最初にあった時に克洋を馬鹿にしていた事を謝る者まで居る始末だ。
そして村人たちからの純粋な敬意の視線に耐え切れず、克洋は那由多と共に足早とユーリたちの村か去っていった。
ユーリ、"冒険者ユーリ"の世界の主人公である少年との暫しの別れであった。




