15. ゴブリンモドキ
健児がゴブリンと同化してしまい、ゴブリンモドキになった経緯を神ならぬ克洋たちが知る由も無い。
今の彼らに理解出来ることは、目の前にゴブリンと同化した哀れな人間が居ることだけである。
そして克洋たちは名前すら知らぬ、ゴブリンモドキとなった人間を生きたまま確保する事を決断する。
それは人道的な理由を無くは無いが、一番の目的は情報源の確保にあった。
一応、同化を治療する方法は原作でも触れられており、然るべき医療機関に入れることが出来れば同化は治療する事ができる。
そのためにあれを捕まえて正気に戻す事が出来れば、克洋たちは念願の情報源が手に入るのだ。
「それではお兄さま、お願いいたします」
「へいへい…」
「頑張って下さい!!」
勿論、何も知らないユーリには克洋たちの裏の目的を説明する筈も無い。
克洋たちは建前上は、純粋にゴブリンモドキと化した哀れな人間を救うために動くことになっていた。
当然の事ながら現時点では無力な少年でしか無いユーリは、デリックと共にこの場に残って隠れている事になる。
必然的にあのゴブリンモドキを捕まえる役目は、立場的に冒険者である克洋に割り振られていた。
そして今回は克洋一人では不安なのか、那由多も付いてくる事にもなっていた。
克洋と那由多は純粋にこちらを応援するユーリの声を聞きながら、ゴブリンたちの食事の場へと乗り込むのだった。
それは楽しく食事をしていたゴブリンたちに取っては、驚愕の出来事であったのだろう。
何の前触れも無しにゴブリンたちの頭上から、刃物を持った男と少女が舞い降りてきたのだ。
転移魔法によってゴブリンたちの中心、ゴブリンモドキが居る付近まで跳んだ克洋たちがまず行ったことは周囲の邪魔者の排除だった。
那由多と背中合わせになり、克洋は正面に居る十体ほどのゴブリンたちを担当する事になっていた。
先ほどの前哨戦とは違い、今回のゴブリンは数が多い。
この数相手に素人剣術で全てを片付けるの難しいだろう、そこで克洋はファンタジーの世界らしく魔法による攻撃を選択した。
使うのは現在の克洋が使える最大威力の魔法である。
ちなみに最大と言えば格好いいが、ただの属性を付与しただけの初級攻撃魔法であった。
熟練した術師なら無詠唱でも発動出来る程度のレベルの魔法であるが、素人に毛が生えた程度の克洋では詠唱のキャンセルは到底不可能である。
実戦で悠長に詠唱をする暇が出来るとは考え難く、実用は難しいと思われていた魔法であるが今回に関しては話は別だ。
転移前から事前に詠唱を済ませておき、克洋は魔法が発動寸前の状態でゴブリンたちの前に姿を見せたのだ。
「…風刃波!!」
フリーダからのスパルタ教育によって身に付けた風の初級魔法が、力有る言葉と共に放たれる。
初級とは言え、ゴブリン相手ならばこれで十分だ。
克洋の手から放射状に風の刃が広がり、ゴブリンたちに向かって襲いかかる。
克洋の魔法はまだ精度が甘く、先ほどの一撃で全てのゴブリンが倒せたとは考えづらい。
案の定、克洋の視界の端の方に地面に胡座をかいている一体のゴブリンの姿があった。
目の前で一瞬の内に仲間が風の刃で切り裂かれた光景が処理仕切れていないのか、ゴブリンは唖然とした顔で固まっている。
撃ち漏らしを片付けるため、克洋は刀を抜いてゴブリンの元に駆け出す。
刃物を持った男が自分に近づいてくる姿を見て、ようやく危険が迫っていると感じたらしいゴブリンは慌てて手に持っていた食事を放り出して立ち上がろうとする。
しかしゴブリンが体制を整える前に、克洋が近づく方が早かった。
克洋は何時もの素振りの要領で、上段から袈裟斬りで刀を振り下ろした。
魔法によって強化された刀は容易くゴブリンの体を切り裂いていく。
先ほど同じ肉を切り裂く嫌な感触を感じながら、力を込めて刀を引く動作を取る。
そして体を斜めに分たれたゴブリンは、そのまま地面に崩れ落ちた。
先ほどの風刃波で撃ち漏らしたゴブリンは全て片付けたようで、克洋の視界の先に両の足で立つゴブリンは既に存在しなかった。
担当分のゴブリンたちを倒した克洋は、後ろを振り向いて那由多の様子を伺う。
「よしっ、終わった! そっちは…、まあ終わっているよな…」
「遅いですよ、お兄様」
那由多の周辺には生きているゴブリンの姿は無く、先ほどまで食事をしていたゴブリンたちは全て地面に倒れていた。
どうやら那由多の方もあっさりゴブリンたちを片付けたらしく、那由多の刀はゴブリンの血で染まっていた。
ゴブリンたちは全て始末され、森の中の広場には克洋と那由多とゴブリンモドキと化した人間だけが残った。
ゴブリンモドキは克洋たちを警戒するように唸り声を上げながら、ゴブリンが使う木製の鈍器を構えす。
その姿はまさにゴブリンその物で、やはり人間らしさは欠片も感じられなかった。
「グルルルルル…」
「やっぱり話は通じそうに無いか…」
「とりあえず気絶させますね。 村まで運んで、後は専門家に任せましょう」
どう見てもゴブリンモドキは、大人しく克洋たちに同行する様子の無かった。
それも当然だろう、このゴブリンモドキから見て克洋たちは仲間であるゴブリンたちを殺した殺戮者なのだから。
こちらに抗おうとするゴブリンモドキの姿を見て、克洋たちはまずはゴブリンモドキの無力化を図ろうとした。
そのために那由多は正面から堂々と、武器を構えるゴブリンモドキ近づいてく。
彼女の実力があれば赤子の手をひねるより容易く、ゴブリンモドキを気絶させる事が出来るだろう。
既に魔物と同等の存在に成り果てたゴブリンモドキは、自分がこの少女に絶対勝てないことを本能的に理解したのだろう。
しかしこの連中は決して見逃せない相手であり、そのためゴブリンモドキは仲間であるゴブリンたちの仇を取るためにある行動を選択する。
「グラァァァァァァァァァァァァァッ!!」
「なんだ、雄叫び!?」
「五月蝿いですよ」
「グァッ!?」
突如、ゴブリンモドキは腹の底から絞り出したような叫び声を上げた。
ゴブリンモドキの突然の行動に驚く克洋。
一方の那由多は取り乱す様子も無く、ゴブリンモドキの意識を容赦なく奪おうとする。
刀の柄によって頭を揺らされ、ゴブリンモドキはあっさりと気絶したて地面に倒れた。
指一本動かさないゴブリンモドキの様子を見る限り、暫く起き上がってくることは無いだろう。
全てが終わった事を察して満面の笑みで克洋たちの方に近づくユーリと、その後を追いかけて来るデリック。
克洋は持ってきたロープで気絶したゴブリンモドキの人間を縛り上げながら、笑顔でユーリたちを迎える。
全てが終わったと感じていた克洋やユーリの表情は穏やかであった。
しかしその表情はすぐに曇ることになる、森の奥から現れた新たな魔物の影によって。
それは克洋たちの世界に生息する熊に酷似した魔物であった。
しかし熊と違ってその全長は三メートル近くはあり、全身の体毛がくすんだ赤色をしている。
前足には鋭い爪を生やし、口から大きな牙をはみ出した魔物は、森の木々を薙ぎ倒しながら克洋たちの前に姿を見せる。
克洋たちは先ほどまで居たゴブリンたちとは明らかに格が違う、強力な魔物の登場に息を呑んだ。
「あら、この山にはこんな魔物も居たのですね?」
「馬鹿な、あれはこの地域一帯の山の主だ!? こんな人里に近い場所に現れる奴では無いぞ!!」
「ね、ねぇ…、あの魔物、こっちを睨んでいるよ」
「おいおい、もしかしてさっきの声はあいつを呼ぶための物じゃ…」
克洋の想像通りあれはゴブリンと同化して正気を失ったテイマー、健児の使役する魔物であった。
ゴブリン以外の魔物を求めた健児にまだ知性が残っていた頃、ゴブリンたちから集めた情報によってこの山に住まう主の存在を知った健児はこの強力な魔物の使役に成功した。
使役した物の日常生活の向上においてはこの戦闘向きの魔物は役に立たなかったため、健児はこの魔物を今まで放置していたのである。
しかしゴブリンモドキと化した健児とこの魔物との主従関係はまだ残っており、健児の最後の呼びかけによって山の主は姿を表した。
山の主は主であるゴブリンモドキを救うために、克洋たちに向かって襲いかかった。
山の主は最初に狙った獲物、それは主である健児の一番近くに居た克洋であった。
山の主は唸り声をあげながら、克洋に向かって来る。
とりあえず凶暴な魔物から距離を取りたかったのだろう。
克洋は慌てて転移魔法を発動させて、山の主から大きく距離を取った。
克洋としては特に何も考えてなかったのだが、その位置は偶然デリックとユーリが居る位置から反対方向にあった。
山の主はまずは克洋に狙いを定めたのか、先ほど居た場所から移動した克洋に向かって駆けていく。
地面に四足になった山の主の動きはその巨体に似合わず俊敏であり、転移魔法によって空いた距離をすぐに潰してしまう。
「グロロロロロッ!!」
「ひぃぃっ!?」
「デリック様! ユーリ様を…」
「!? すまない…」
「神父様!? 待って、まだ克洋の兄ちゃんや那由多が…」
山の主が克洋に掛かりきりになっている間に、那由多はデリックとユーリに手振りでこの場から離れる事を進める。
那由多の意図を察したデリックは、すぐさまユーリを脇に抱えながら克洋たちから離れようとする。
元勇者のパーティーであるデリックであれば、あの程度の魔物は物の数では無い。
しかしデリックはユーリの安全を優先するため、あえてこの場から闘争する選択を選んだ。
友である勇者ヨハンの息子の見の安全を守るのはデリックの責務であり、此処でユーリを危険に冒してまで山の主と戦う理由は彼には無かった。
デリックはまるで疾風のように、ユーリを抱えたままこの場からの離脱を試みる。
そして残ったその場に残った克洋と那由多は、山の主として君臨する魔物と相対した。




