13. ゴブリン
山道を歩いて一時間ほど経ち、ユーリが謎の男を目撃した場所までたどり着いた。
少年の足で辿り着ける場所と言うことも有り、そこまでの道程は余り険しい物では無かった。
ただしそれはこの世界の基準に照らし合わせ場合の話で有り、この世界に来たばかりの克洋であれば途中で悲鳴を上げいていた事であろう。
フリーダの元で行った修行の成果が出たのか、克洋はユーリの前で冒険者らしくこの程度は何でもないと装う事は出来ていた。
「本当に此処で合っているのか、ユーリ?」
「本当だよ、確かに俺は此処でゴブリンに囲まれる男を見たんだ」
「ユーリ様の話は本当のようですよ、これを見てください、お兄様」
「これは…、足跡?」
目的に場所に辿り付いた克洋たちであるが、残念な事にその場には既に謎の男の姿は無かった。
しかしとりあえず周辺を捜索した克洋たちは、すぐに謎の男の痕跡を発見することになる。
それは何かの足跡であった。
複数の足跡は一様に、森の奥へと向かっているようだ。
「この小さい足跡はゴブリンの物ですね」
「ならこの一つだけで大きいのは、ユーリが見た男の物か…」
「この足跡を辿れば、その謎の男のところまで付くんだな! よーし、行こうぜ!!」
「こら、ユーリ! 先走るんじゃ無い!!」
小柄な少年であるユーリと同程度のサイズをした足跡は、元勇者のパーティーであるデリックがゴブリンの物であると断言した。
ゴブリンの足音は無数に有り、ユーリが言ったように複数のゴブリンがこの場所に居た事を示していた。
そしてゴブリンたちの小さな足跡の中に、一つだけ大きな足跡があった。
それは明らかに成人男性並のサイズで有り、恐らくこの足跡の主がユーリが見たあの謎の男であるのだろう。
謎の男の手がかりが見つかった事ですっかりテンションが上がったらしいユーリは、神父の制止を無視して暴走してしまう。
まるで野に放たれた犬のように、ユーリは足跡を辿るために一目散に駆け出した。
克洋たちは慌てて、ユーリ少年を追いかけた。
どうにかユーリに追いついた克洋たちは、再び山の中を歩いていた。
神父に拳骨された事で落ち着いたらしいユーリは、大人しく克洋たちと共にゴブリンたちの足跡を辿っていく。
「!? 止まりなさい!」
「神父様?」
「あれは…、ゴブリン!?」
冒険者としての経験値の差が出たらしく、デリックは真っ先にその存在に気が付いたようだ。
突然の制止に驚くユーリたちに対して、神父は無言で視線を向ける事で制止の理由を説明する。
神父の視線の先に、克洋たちの一団から数十メートルほど前方に三体のゴブリンたちが立っていたのだ。
ゴブリンたちは歩哨のように辺りを見回しながら、武器を手に持って警戒をしていた。
丁度、今居る位置がゴブリンたちから見て木々の影に隠れているため、克洋たちはあのゴブリンたちに気づかれていないようだ。
後数メートル進んでいたらゴブリンに見つかっていた可能性が高く、いち早くゴブリンに気付いたデリックのファインプレーであった。
「どうやらあのゴブリンは、此処を守っているようだな」
「足跡が続いている、この先に何かあるって事か…」
「ではお兄さま。 あのゴブリンを片付けて来てくれますか」
「おお…、て、えぇぇっ!?」
謎の男に対する唯一の手がかりである足跡は、あのゴブリンたちが居る場所の先まで続いている。
これを辿るためには、確かにあのゴブリンたちを排除しなければならない。
しかしどういう訳から那由多は、その役割をこの面子で現時点ではただの村の少年でしか無いユーリを除いて一番弱いであろう克洋に任せたのである。
対外的にはデリックは村の一神父、那由多は冒険者である兄に同行する少女でしか無い。
事情を知らないユーリから見ればゴブリンを倒す危険な役目は、冒険者としての資格を持つ克洋に降らせるのは当然であろう。
これから始まる克洋の戦いぶりに期待して再び目を輝かせ初めたユーリの姿を見て、克洋は最早後には引けないことを悟った。
まだゴブリンたちは克洋に気付いていない。その利点を生かすために克洋が最初に取った選択は奇襲であった。
ゴブリンたちに気づかれないように迂回しながら近づいて行き、木の影に体を潜める。
そしてゴブリンが克洋が潜む方向から視線を逸らした瞬間、腰に帯びた刀を抜いた克洋は全速力でゴブリンに向かって駈け出した。
突然姿を見せた克洋に驚いたゴブリンたちは混乱しており、今ならば全くの無抵抗だ。
既に刀を抜いていた克洋は、刀を振りかぶりながらゴブリンに近寄る。
そして此処数ヶ月毎日行ってきた訓練通りに、上段の構えかから刀を振り下ろした。
「キィ…」
「「キィッ!?」」
今まで感じたことの無い肉を斬る感触とともに、克洋の刀は殆ど抵抗無くゴブリンの体に吸い込まれていった。
その切れ味は俄仕込みの剣術とはとても思えないほどであるが、これには種があった。
よく見れば克洋の持つ刀の刀身が淡く光っているだろう、これは克洋が刀に掛けた魔法の光である。
魔法、フリーダの指導を受けた事で身に付けた克洋の武器だ。
魔法の習得と言う面に置いて、克洋には他の人間にはないアドバンテージがあった。
それはこの異世界を訪れる際に得た特典、転移魔法の行使である。
"冒険者ユーリ"において魔法を行使するための第一歩は、自身の体に存在する魔力を認識することにある。
そして第二歩目は、魔力を使って世界干渉するための感覚を身につけることになった。
この世界において魔法は、魔力を持って世界に干渉することにより発動する異能である。
普通はこの世界に干渉すると言う説明し難い感覚を覚えるには、下手すれば年単位の時間が掛かる場合もあった。
しかし克洋は転移魔法を既に習得しており、転移魔法は当然のように世界に干渉することによって発動する魔法である。
克洋は転移魔法を通して、第二歩目である世界に干渉すると行為はどういう事であるか体で体感出来たのだ。
フリーダの尽力で魔力の存在を意識出来るようになった克洋は、上記の理由によって第二歩目となる世界に干渉する感覚を覚える過程をすっ飛ばす事が出来た。
そして魔法の基礎を身に付けた克洋は、幾つかの初級魔法を習得する事が出来ていたのである。
ちなみにこの世界の主人公であるユーリは原作において、克洋のようなチート無しにも関わらず僅か一週間で初級魔法を使えるようになっていた。
少しばかり反則をしようとも所詮は凡人である克洋が、公式チートである主人公には勝てないようだ。
克洋が使った魔法は、自分の武器に魔力を付与して強化する魔力付与だ。
克洋はゴブリンに襲いかかる前に、事前に自分の獲物に対してこの魔法を掛けていた。
克洋の魔法の技術では数分間の間、刀の切れ味を少し良くするだけの効果しか発揮しないがゴブリン相手にはこれで十分である。
克洋の刀によって頭を断たれたゴブリンは、僅かな断末魔と共にその場に崩れ落ちる。
しかし一体目のゴブリンを倒している間に、克洋の奇襲と言うボーナスタイムは終了してしまう。
残った二体のゴブリンたちは、数の理を生かすために克洋の左右に挟みこむように移動する。
仲間の復讐に燃えるゴブリンたちは、明らかに殺意を宿した瞳で克洋を睨みつけた。
最下級とはいえ相手は魔物である。
この世界に来た頃の克洋であれば、ゴブリンの迫力に飲まれてしまったであろう。
しかし今の克洋に取って、ゴブリンの殺意などそよ風に等しかった。
何せゴブリンの千倍は恐ろしい、あの人斬りの少女の殺意に晒されてきたのだ。
今の克洋に取ってはこの程度の殺意で動揺する筈が無い。
「「キィィィ!!」」
数の理を生かすためにゴブリンっちは呼吸を合わせて、ほぼ同時に克洋に向かって襲いかかる。
一般的に喧嘩に置いて、三人の相手に囲まれたら勝ち目が無いと言える。
多対一の状況で別々の方向から同時に責められたら、普通の人間の処理能力では対処しきれないのだ。
数カ月程度の上で多対一をするほど無謀ではない克洋は、相対する相手を減らすための手段を取る。
右腕で刀を持ったまま、左手をゴブリンの方に向けた克洋は世界に干渉する呪言を呟く。
「魔力弾!!」
「キィッ!?」
それはかつて勇人も使っていた、この世界における最下級の攻撃魔法であった。
しかし魔人化した勇人と比較して、魔法の関して凡才である克洋が出したそれは明らかに劣っている。
克洋自身もこの魔法で相手を倒せるとは毛頭思っていない、しかし魔力の弾丸を受けたゴブリンは幾らかのダメージを受けたのか地面に膝を着いてしまう。
一体をその場で釘付けしたた克洋は、もう一方から迫ってくるゴブリンの相手をするために体を九十度回転させる。
刀を正眼に構える克洋に向かって、ゴブリンが棍棒で殴りかかる。
醜悪な魔物が自分の命を狙ってくるという状況は、常人には耐え切れない恐怖であろう。
しかしこれでも克洋はあの那由多相手に、何度も模擬戦を行っていたのだ。
ゴブリンの何の技術も無い棍棒捌きででは、今の克洋を止めることは出来ない。
棍棒による振り下ろしを冷静に刀で受け流し、ゴブリンは棍棒が空振った事で大きな隙を見せる。
そしてゴブリンが棍棒を構え直すより、克洋の剣がゴブリンに振るわれる方が早かった。
「キィィィッ!?」
ゴブリンの棍棒を鯔した事で下段になっていた刀を切り上げ、ゴブリンの体を斜めに切り裂く。
ゴブリンは断末魔の悲鳴を上げて、その場で倒れ伏した。
克洋は勝利に喜ぶ事無くすぐに刀をゴブリンの体から剥がし、そのまま後ろに向かって刀を突き出す。
克洋の刀が突き出された先には、先ほどの魔力弾で足止めを食らっていたゴブリンが立っていた。
克洋が他のゴブリンと戦っている間に回復したこのゴブリンは、背後から克洋を奇襲しようと思ったのだろう。
しかし那由多の無茶な特訓によって殺気を感知する、バトル漫画に有りがちな技能を手に入れてしまった克洋にそのような奇襲は意味を成さない。
ゴブリンに致命傷を与えるために、克洋は腕に力を込めてゴブリンに突き刺さった刀をそのまま振り下ろす。
ゴブリンの体は縦に引き裂かれ、ゴブリンは苦痛に顔を歪ませながら手に持っていた棍棒を地面に落とした。
「キィィッ…」
呻き声を上げて倒れる最後のゴブリン、全ての障害を排除した事を確認した克洋は荷物から出した布で刀を拭いだす。
刀の手入れをしながら、克洋は自分の上げた戦果に内心で大きな驚きを感じていた。
以前に克洋は那由多に対して、自分はどの程度強くなったか尋ねて見た事があった。
僅か数ヶ月とは言え、剣や魔法を身に付けた自分がどの程度のレベルであるか気になったのだろう。
そしてその時の那由多の答えは、ゴブリンなら何とか勝てるだろうとの事だった。
どうやらあの時の那由多の言葉は、お世辞では無かったらしい。
今回の戦いも最悪転移魔法を使えば死ぬことは無いと考えて挑んだのだが、まさか転移魔法無しで勝てるとは夢にも思わなかった。
あの色々と無茶な特訓も、しっかりと克洋の血肉になっていたようである。
相手は最下級の魔物であることから、強者の立場に居るデリックや那由多から見れば克洋が見せた戦いは特に見るべきものは無かっただろう。
しかし現時点ではただの村の少年でしか無いユーリに取って、華麗にゴブリンを倒した克洋はまさに少年が夢見た冒険者の姿そのものだった。
「すげぇよ、克洋の兄ちゃん!!」
「まあ、これくらいは出来てもらいませんとね…」
「ははは、まあこんな物だよ…」
ユーリは瞳を輝かせながら、鞘に刀を収めた克洋の勇姿を見つめていた。
自分の程度を知っている克洋はユーリの反応に複雑な思いを覚えるが、少年の夢を壊さないためにあて何も言うことは無かった。




