11. 主人公
少年が住む村は何の特徴の無い退屈な場所だった。
平和と言えば聞こえが良いだろうが、少年にはその平和の貴重さ理解出来るほどまだ成熟していなかった。
村の裏手に有る山は、そんな少年の好奇心を満たす絶好の場所だった。
魔物が出るからと大人から立ち入ることを禁じられているが、そんな危険は少年に取っては好奇心をくすぐるスパイスでしか無かった。
少年は育て親である神父様から言い付けられ仕事を放り出し、口煩い幼馴染の少女から逃れてて今日も一人山を探検していた。
薄暗い森の中を歩く少年の気分は、伝え聞く冒険者になった気分である。
冒険者、それは少年にとって憧れの存在だった。
魔王を倒して世界を救った勇者ヨハンを筆頭に、冒険者の偉大な伝説はこの小さな村にも伝わってきている。
少年は物語の冒険者になったつもりで、その辺に落ちていた木の棒を片手に森の中をずんずん進んでいった。
「…だ、誰だ!?」
「"グァァァァァッ!!"」
「う、うわぁぁぁぁぁっ!!」
そして少年は山の奥で、奇妙な格好をした男の姿を目撃してしまう。
男は少年の知らない文字が描かれたシャツを着ており、何日も洗っていないのか服は泥まみれになっていた。
そして男は不可思議な事に、人類の天敵である魔物の群れの中心に立っていたのだ。
男の周囲に居るそれは緑色の皮膚をした小柄な人型の魔物で、手に木で作られた棍棒を持っていた。
少年はこの魔物に心当たりがあった。
ゴブリン、魔物の中で最弱に位置する下級の存在である。
しかし最弱とは言え相手は魔物、初めて見る人類の天敵の姿に少年は恐怖を覚える。
はじめ少年は目の前の状況を、男が魔物に捕まっているのだと考えた。
しかし息を殺しながら伺ってみると、どうもそれは違う事が解ってき。
むしろその男は魔物たちの中心に位置し、魔物たちは男に従っているように見えた。
突如、男がその場で人間とは思えない雄叫びを上げた。
その声は明らかに魔物のそれであり、すっかり肝の冷えた少年は一目散にその場から逃げてしまった。
山から降りてきた少年はすぐさま、村の住人たちに先ほど見た光景を語った。
魔物を操る奇妙な人間が居た、あれは遠くない内に村を襲うに違いないと。
しかし少年が目撃した魔物を連れた奇妙な男の存在について、残念ながら村の人間は誰も信じてくれなかった。
大人たちは拙い嘘で山に入った事実を誤魔化そうとする少年の小賢しさを叱りつけ、問答無用で少年に拳骨を一発お見舞いしたのだ。
この世界に体罰に異を唱える人間は居る筈も無く、拳骨を咎めるものは誰も居なかった。
「だから俺は見たんだ。 魔物を従える男を、あれはきっと魔族だよ!!」
「夢でも見たんじゃ無いの、ほら、それより手を動かしなさい。」
ペナルティとして自分ががやる筈だった仕事の量を倍に増やされた少年は、幼馴染の少女の監視を受けながら仕事をこなしていた。
幼馴染の少女にさえ自分の話を信じて貰えず、少年はすっかり不貞腐れている様子だった。
少年と同年代らしい少女は茶髪の髪をツインテールでまとめた、少しそばかすが目立つがそれすらも愛嬌に見える可愛らしい女の子であった。
文句を言いながら仕事をする少年の姿が楽しいのか、幼馴染の少女は頬杖を付きながら笑顔でユーリの働きぶりを監視していた。
そして少年たちから少し離れた場所で、彼らの様子を見守る一人の偉丈夫の姿があった。
「魔物を従える男か…。 まだ時期では無い筈だが…」
少年の育て親である神父は村の中でただ一人、少年の言葉を気に掛ける者であった。
少年の様子を見守りながら神父は真剣な面持ちで、少年が目撃した者の存在について考えていた。
神父はとある筋から、この村に魔物を引き連れた魔族が現れる可能性が有ることを知っていた。
しかし今は伝え聞いていた、魔族が現れると言う時期では無い。
かと言って少年を目撃談を、他の村人たちのように夢であると斬って捨てるのは危険である。
万が一の可能性を考えた神父は、古い友人に連絡を取ることにした。
あの小さな大冒険から数日経った。
大人たちにこってり絞られた少年は流石に懲りたらしく、あれ以降山に入ることは無かった。
しかしあの一件で少年が大人しくなったかと言えば、残念ながらそういう訳では無かった。
今日も少年は育て親の神父様から言い付けられた仕事を放り出して、村の中を駆け回っていた。
彼の後ろには少年のサボりに気付いた口煩い幼馴染が付いてきており、村恒例の少年と少女による追いかけっこが始まっているようだ。
「待ちなさい、今日のお仕事がまだでしょう!!」
「へへーんだ、俺に追いつけたら考えてやるよ」
村の子どもたちで一番の俊足を誇る少年は、必死に追いかけて来る幼馴染は挑発しながら逃げ続けた。
少年は顔を後ろの方に向けて、こちらに追いつくことが出来ずに悔しげな顔を浮かべる少女に意識を向ける。
少年に取って村の中は知り尽くしており、例えを前を向いて無くても転けることなど有り得ないのだ。
そして少年はその慢心から、自分の前方から歩いて来る男の影にギリギリまで気付くことは無かった。
その男はこの何もない村の何が珍しいのか、まるで観光でもするかのように周囲を見渡しながら歩いていた。
そのため男の方も、正面から近づいてくる少年に気付くのが遅れたらしい。
「あ、危ない!?」
「…えっ!?」
「うわっ!?」
いち早く少年の危機に気付いた少女が慌てて注意を促すが、時既に遅く少年は前方から歩いて来ていた男と正面衝突してしまう。
その男は少年より一回り大きく、全速力で体当たりする形なった少年は無様に跳ね返されてしまい、反動でその場に尻もちを着いてしまう。
一方少年がぶつかった相手は、倒れることは無かった物のそれなりにダメージを受けたらしい。
丁度少年の頭がぶつかった腹の辺りを抑えながら、痛みに苦しんでいる様子である。
恐らく男の連れらしい黒髪の少女が、悶える男の姿に呆れたようなため息を漏らしていた。
「危ないじゃない、ちゃんと前を見なさいよ! ごめんなさい、怪我は有りませんか?」
「いや、これ位大丈夫だから…」
「気にしないで下さいまし、お兄様が気を付けていたら回避できた事ですので…」
少年に追いついた少女が、幼馴染に変わって少年がぶつかった男に頭を下げる。
男は少年のヘッドバッドを喰らった腹がまだ痛むのか、微妙に声を震わせながらも年長者らしく少年を許す態度を取った。
男の横に居た黒髪の少女は申し訳無さそうにする少年の幼馴染に対して、こちらの責任でもあるとフォローを入れる。
「こら、あんたもちゃんと謝りなさい!」
「ご、ごめんよ。 俺がちゃんと前を見て無かったから…」
「ははは、このくらいはへい…、えっ!?」
幼馴染に促されて少年は、先ほどぶつかった相手に素直に頭を下げた。
少年の真摯な謝罪に対して、男はこの場を収めるために笑って流そうとしたのだろう。
しかし男は台詞の途中で言葉に詰まり、突如その表情を一変させた。
男はまるで幽霊でも見たかのように驚いた顔をしながら、目の前に立つ少年の姿を見つめる。
男に正面から凝視された少年は、居心地悪そうに男から顔を逸らしていた。
「…お兄様」
「…あ、ごめん。 俺も不注意だったからお相子だよ、気にしなくていいからな…」
暫く少年の目の前で固まっていた男は、連れの黒髪の少女の呼びかけによって再起動を果たす。
そして男は慌てて取り繕うように、少年に先ほどの事を気にしないように言う。
少年は男の態度を少し奇妙に感じながら、無言で頷いて男の謝罪を受け入れた。
この小さな村の住人と少年は全て顔見知りであり、この村の中で少年の知らない人間は皆無であった。
そして先ほどぶつかった男とその連れの少女は見覚えがなく、必然的に明らかに村の外からやって来た人間であった。
しかしこの何も無い村にやって来る外の者は限られており、外からの客は非常に珍しい事である。
一人は二十歳前後の男、背に旅の荷物と護身用らしき刀を背負っている。
一人は少年と同年代の若い少女、この辺りでは珍しい着物姿をしており彼女も腰に刀を指していた。
余り顔立ちは似ていないが、どちらも東の国の縁がある人間らしく黒々とした髪をしていた。
好奇心旺盛な少年は、すぐに二人がこの村に訪れた理由を尋ねる。
そして少年は、彼らが少年の育て親である神父様を訪ねてこの村にやって来た事を教えられた。
「こっち、こっち! こっちが神父様の家だよ」
「こら、お客さんを置いて行っちゃ駄目でしょう!!」
少年は二人の案内役を買って出て、自身の住処でも有る神父の家へと彼らを先導していた。
しかしやる気が空回りしているのか、少年は先導する筈の二人を置いて駈け出してしまう。
少年に同行した幼馴染の少女は、慌てて少年を追いかけていく。
案内される側の二人は、前を行く少年と少女に置いて行かれない程度のスピードで村の中の狭い道を進んでいた。
二人組の片割れの男、克洋の視線は先ほどからずっと前を行く少年を捉えたままであった。
「あれがお兄様の言う主人公という奴ですか? 私には普通の子供にしか見えませんが…」
「子供って…、お前とほぼ同じ年だろ…。 うん、あれがユーリ、この世界を救う主人公様だよ」
克洋の反応から少年の正体を察していたらしい連れの少女、那由多の確認の問いかけに克洋は応じる。
克洋は初対面である筈のあの少年の素性を知っていた。
少年の正体に気が付いた時、驚きのあまりに間抜けな顔を晒してまった。
その少年の姿は、克洋のよく知る人物であった。
逆立った金髪頭に、その体格は年頃の男の子にしては少し小柄で、身長は那由多と殆ど変わらない。
実部を見るのは初めてであるが、那由多の時と違って人目でこの少年の正体を察することが出来た。
この世界を描いた原作においって、最も多く登場してきたキャラクターなのだ。
幾ら克洋でも、この少年を見間違う筈が無い。
人類の英雄である勇者の血と、人類の敵対者である魔族の女王のちを受け継ぎ、何れ世界を救う運命を背負った少年。
未だ己の運命を知らず、少年は無邪気に狭い村の中で穏やかな生活を送っている。
これが克洋が"冒険者ユーリ"の世界の最重要人物と言える存在、主人公ユーリと出会った瞬間であった。




