9. 修行イベント(剣術編)
冒険者、"冒険者ユーリ"の世界において国から魔物討伐のエキスパートとして認められた者のみが名乗ることを許される職業である。
そして冒険者の種類には大きく分けて二種類のタイプ、前衛タイプと後衛タイプに分ける事が出来た。
前衛タイプはその名の通り、己の肉体を持って直接戦うスタイルを好む者たちを指す。
那由多やかつて勇者のパーティーであった戦士ルーベルトなどは、まさにこの前衛タイプに属する冒険者であろう。
基本的に魔物は人間を遥かに超えた身体能力を持ち、普通で人間であればその圧倒的な性能差に敗れてしまう。
そのため前衛タイプの冒険者たちは、足りない身体能力を補うためにある方法を取っていた。
魔力、この世界の住人ならば誰もが少なからず持つ資質である。
前衛タイプの冒険者たちは、己の魔力を自身の身体能力を強化するために使用しているのだ。
魔力による身体能力の強化は一石一丁では行かず、初歩的な強化を習得するだけも普通は数年単位の年月が必要となる。
そして魔力による身体能力の強化が熟練していくに連れて、まさに漫画のような有り得ないスピードとパワーで戦うことが出来るのだ。
自分の体が揺さぶられる感覚によって、克洋は強制的に眠りの世界から呼び起こされる。
瞳を開いて見ればそこには中年の女性が、克洋を見下ろしているでは無いか。
未だに完全には覚醒していないらしい克洋は、寝ぼけ眼の様子で辺りを見回した。
そこは元の世界での克洋住んでいたアパートと全く異なる、年季の入った木製の家屋の一室だった。
克洋が使う狭い部屋にはベットと小さな机と椅子が一組、それにささなかな収納スペースとしてチェストが置かれているだけである。
中年女性は未だにベットの上で愚図愚図している克洋を見て、呆れた表情を浮かべていた。
「ほら、何時まで寝ているんだ! 早く顔を洗ってきな!!」
言われるがままに克洋はゆったりとした動きでベッドから出て、中年女性の指示通り顔を洗いに向かう。
残念ながら此処には蛇口などと言う文明の力は存在せず、克洋はわざわざ外の井戸にまで向かう必要があった。
井戸のまでの道行で既にある程度目が覚めていた克洋は、井戸から水を汲む労働と冷たい水の感触で完全に覚醒する。
克洋は持ってきた手ぬぐいで顔を拭った。
外はまだ日が登った辺りであり、正確な時間は解らないが恐らく克洋が元の世界に居た時にはまだ夢の中に居る時間だろう。
しかし電灯という文明の利器が無いこの中世風の世界において、日が昇っている時間は貴重な活動時間である。
周りを見渡せば他の家屋から朝餉の支度のために煙が上がっており、克洋と同じように顔を洗いに来ている人間も多い。
克洋は体を大きく伸ばして強張った体をほぐしていく、今日も克洋の異世界ライフが幕を開けた。
勇人との予期せぬ遭遇戦を切り抜けた克洋はあの後、フリーダに自分の知る全ての情報をぶちまけた。
この世界の人間には俄に信じられない話であったろうが、勇人というイレギュラーな存在が克洋の話に真実味を持たせたのだろう。
結論から言うと克洋の扱いは保留状態となり、とりあえず原作第一話目となる新年まで様子を見ることになる。
そして克洋の身柄は監視の意味も兼ねて、フリーダのお膝元であるマカショフ村で寝床にする事になった。
克洋的にはフリーダの家に居候する展開が良かったのだが、現実はそう都合よく行かないらしい。
流石に妙齢の女性が一人暮らしをしている所に、男である克洋が住み着くのはまずかったようだ。
ちなみに女性である那由多となると話は別だったらしく、あの少女は普通にフリーダの家に住み着いていた。
余り大きな村とは言えないマカショフ村には宿という物は存在せず、克洋はフリーダの口利きで村内の雑貨屋に居候をしている。
雑貨屋には中年の夫婦が切り盛りしており、世話焼きの奥様はよく克洋の面倒を見てくれていた。
「きゅじゅぅ、なな! きゅうじゅー、はち!!…」
顔を洗って朝の身支度を整えた克洋は、家の裏手にある空き地で刀の素振りをしていた。
克洋の持つそれは那由多がどこからか用意した本物の刀で、彼女曰く安物の鈍らで有るらしい。
正面斬り、袈裟斬り、胴切り、那由多から教えられた基本的な型を、額に汗を滲ませながら黙々とこなしてく。
時折、刀がスッポ抜け無いように手汗を拭いながら克洋は素振りを続けていた。
原作でザンがユーリの前に現れる年明けまで後半年弱、この空白の期間を有効に使うために克洋は所謂修行イベントを行うことになった。
不本意ながらもこれから克洋は原作に関わっていくことがほぼ確定しており、今の素人のままでは足手まといなるのは目に見えていた。
そのため克洋はこの半年の間に、戦闘訓練という修行イベントを行うことを義務付けられたのだ。
金属の塊である刀は重量感が有り、素振りをするだけでも一苦労である。
剣など学校での剣道の授業でしかやった事のなく、軽い竹刀しか持った事の無い克洋にいきなり刀はきつかった。
最初の頃は十回程度素振りをしただけで限界になり、那由多から真顔で呆れらたくらいである。
しかし数ヶ月近く続けていれば嫌でも慣れる物で、今の克洋の素振りはそれなりに様になっていた。
朝の訓練を終えて雑貨屋の奥様お手製の朝食を取った克洋は、マカショフ村を離れてフリーダの元に向かっていた。
村かからフリーダの住居までは徒歩で数時間ほどであり、克洋の転移魔法を使えばすぐに着く距離である。
しかし克洋は転移魔法を使わず、額に汗を掻きながら徒歩で移動をしていた。
現代と言う文明の利器に囲まれた世界からやって来た克洋は、基本的に体一つが勝負のこの世界の住人と比較して圧倒的に体力面で劣っていた。
そのため克洋は体力強化の訓練を兼ねて、村からフリーダの住居までの道のりを転移魔法無しで通うことを命じられたのだ。
加えて克洋は背に野菜や牛乳と言った食料品が入った袋と素振りに使った刀を担いでいた、袋の方はフリーダの食料品一式である。
世界最高峰の魔法使いとは言え、フリーダは何処ぞの仙人のように霞で生活している訳でも無い。
定期的にフリーダは日々の食料を村から調達しており、克洋は現在その輸送役も兼任させられているのだ。
荷持の重みに挫けて転移魔法を使って楽すると言う誘惑に耐えて、克洋は無言で足を動かし続けた。
「おや、お兄様が来ましたか…。 今日もちゃんと」
「ゼェゼェ…、サボれる訳無いだろう! もうあんな目は御免だ!!」
フリーダの家に辿り着いた克洋を迎えたのは、今日は赤色の着物を来た那由多であった。
ちなみに今の克洋の格好は、雑貨屋に女将に用意して貰った中世風の白いシャツに黒いズボンだった。
はっきり言って着心地は現実世界の物に比べて余りよくないが、流石に三ヶ月近く使っていれば違和感も無くなっていた。
那由多の軽口に付き合いながら、克洋は何時もの場所に村から持ってきた食料品一式を置いて一息付いた。
別に聖人君子では無く、むしろ堪え性の無い現代っ子である克洋は、最初の頃に誘惑に負けて転移魔法でズルをした事もあった。
しかしこの時の克洋はすっかり忘れていた、自分が監視対象である事を。
どうやら克洋の動向はフリーダの何らかの魔法によって監視されており、転移魔法を使ったズルはすぐに見破られてしまったのだ。
その後でペナルティとして課せられた無茶な訓練がトラウマになっている克洋は、二度と転移魔法を使う事は無かった。
「フリーダさんは?」
「お籠もりです、あの様子では暫くは出てきませんね…」
日々魔法の研究をしているフリーダは時々、研究熱が激しくると今のように研究室に閉じこもる事があった。
あの状態になったフリーダに声を掛けると、邪魔をするなと問答無用で攻撃魔法を放ってくるので迂闊には近寄れ無いのだ。
克洋もかつて地雷を踏みに行ってしまい、オート回避の転移魔法が発動してしまった程である。
「では時間も勿体無いですし、今日の組手と行きましょうか。 今日はせめて死亡回数を一桁に減らして下さいね、お兄様」
「無茶言うなよ、俺は素人だぜ…」
那由多から組手に誘われた克洋は、嫌そうな顔を見せながら持ってきた刀に手を伸ばす。
そして二人はフリーダの家から出て、家の正面に広がる空き地へと出た。
先日、勇人の激戦を繰り広げたフリーダの家前の野原には、所々にその戦いの跡が残っていた。
克洋と那由多は所々穴ぼこになっている地面の中で、比較的平坦になっている場所で組み手を行っていた。
互いに刀を持って向かい合う克洋と那由多、しかしその差は端から見ても歴然であった。
高々三ヶ月程度の経験しか無い克洋の姿勢は何処かぎこち無い物で有り、刀を構える姿は何処か様になっていない。
一方の那由多は克洋と逆で刀と一体化しているように見え、泰然とした態度で刀を構える姿はそれだけで絵になった。
一瞬の呼吸の後、那由多の姿は克洋の視界から消える。
素人には反応不能な那由多の踏み込み、しかし克洋がこの人切り娘と組手を行ったのはこれが初めてでは無い。
どうにか那由多が自分の左方から斬りかかってくる事に気付いた克洋は、左足を軸に九十度体を回転させながら逆袈裟の軌道で左方に刀を振るう。
一瞬の交差の後、克洋の体は先ほど居た位置から数メートル離れた場所に移動していた。
克洋の苦し紛れの迎撃を難なく躱した那由多が、そのまま克洋の首を薙ごうとした所でオートの転移魔法が発動したのだ。
自身の能力が無ければ自分が那由多に殺されていた事は明白であり、克洋は直前まで迫ってきた刀の軌跡を思い出して思わず首元に手を伸ばす。
「あら、また逃げられましたか」
「逃げて無ければ死んでるんだよ、転移が発動しているって事は! 何時もの事だけど、もう少し手加減とかしてくれよ!!
ていうか訓練の組手で真剣を使うなよなぁぁぁ!!」
「本気で無ければ何も覚えませんよ、お兄様」
死亡攻撃を自動で回避する克洋の転移魔法の存在から、那由多は克洋の組手の時に本気で殺しに掛かるのである。
最初の頃は数分の組手で克洋のオート回避が十数回も働いてしまい、魔力切れで克洋がぶっ倒れてしまった物である。
そもそも訓練で真剣を使う事自体がおかしいのだが、那由多は木刀などでは本番で何の役にも経たないと言って真剣での斬り合いを強制してくるのである。
ちなみにこれは那由多が狂っているだけで、この世界でも普通は木刀や模造刀で剣の訓練を行う筈だ。
実際、原作でユーリが剣の練習をした時も、ちゃんと模造刀を使っていた物である。
しかし那由多の無茶な意見も一理有った。
ほぼ毎日、何人もの腕利きを屠ってきた那由多の殺気混じりの剣に晒されてきた克洋は、最近那由多の動きにどうにか反応できるようになっていた。
此処三ヶ月で那由多に数百回近く殺されかけた経験により、どうやら克洋は殺気を読むと言う漫画染みた技能を身に付けつつ有るらしい。
「もう終わりですか、お兄様?」
「…くそっ、もう一本!!」
見た目は中学生程度の少女にしか見えない那由多であるが、この世界の住人を見た目だけで侮る事は出来ない。
冒険者の資格こそ持っていない物の、原作においてユーリたち主人公勢相手に存分に敵キャラをやっていた那由多の実力は冒険者と何ら遜色は無い。
幼いころから剣を振ってきたバリバリの前衛タイプである那由多は、当然のように魔力による身体能力の強化を習得していた。
今の克洋と魔力の補正を受けた那由多とでは、身体能力だけでも大人と子供以上の差が有ると思っていいのだ。
加えて那由多には既に何人もの人を斬っている、経験豊富な剣術スキルも有る。
技量面に置いても、剣に触って数ヶ月の克洋が敵う筈も無い。
億に一も勝てる見込みは無いが、此処で泣き言を言っても目の前の少女が止まらない事は身を持って知っている。
克洋は転移魔法が誤作動を起こして自分が那由多に斬り殺されない事を祈りつつ、今度はこちらの番とばかりに那由多に斬りかかった。
十数回ほどの組手、それと同数の転移による擬似的な死亡を繰り返した事で、克洋の体力と精神と魔力が限界を迎える。
とりあえず今日の組手は此処までと言うことになり、克洋は這々の体でフリーダの家に戻っていた。
克洋の体は汗でびしょ濡れになっており、疲労で呼吸が荒い物になっていた。
一方同じ時間組手に付き合った那由多の方は汗一つ掻いていない、やはり経験の差は歴然のようである。
水分を補給するために克洋は台所の方に向かい、瓶に入れてある水を柄杓を使って呷った。
「お兄さまは無駄な動きが大きいから疲れるのが早いのですよ。 もう少し型を体に覚えさせないと…」
「ハァハァ…、ちゃんと素振りは毎日やってるって」
「あれだけでは全然足りませんよ。 お兄さまは余り才能が無いようですし、型が完全に身につくまで後三年は必要ですよ」
「そんな…」
剣の道は一日にしてならず。
特に天才でも何でもない克洋が、まともに剣を使えるようになるには時間が掛かるだろう。那由多の見立てでは、克洋は後三年も頑張らなければ一人前にはなれなりらしい。
厳しい現実を突き付けられた克洋は、顔を顰める。
克洋の脳裏には主人公らしく才能の塊である、ユーリの原作での成長スピードが思い返されていた。
あの主人公は全く剣を振った事の無い状態から、僅か数ヶ月で主人公が通う冒険者学校のクラスメイトの中でトップクラスの腕にまで急激に成長する。
主人公らしいと言ったらそれまでで有るが、それと比較した自分の亀のような成長を考えると自然と克洋の気持ちは憂鬱になった。




