0. プロローグ
それは若者に有りがちな症状だったのだろう。
一年ほど前から大学生をやっている克洋は、日々の生活に酷く退屈していた。
家賃の安さだけが売りのボロアパートで目を覚まし、義務的に大学へと通う毎日。
眠気と戦いながら教授の一本調子な講義を聞くだけの日々に、何の意味が有るのだろうか。
確かに大学生になった事で、以前に比べて自由度は格段に上がったと言っていい。
本命だった地元大学に成績が届かなかった事もあり、親元から離れて一人暮らしを初めた事で親の束縛からも開放された。
しかし周りの環境が変わろうとも本質的に克洋の生活は全く変わってなく、まるでルーチンワークのように平凡な日常をこなす日々が続いていた。
「世は事も無しか…」
高校生の頃の克洋は、大学生になれば何か変わった事が起きるのでは無いかと考えていた。
しかし大学生になっても克洋の周りには、退屈な日常しか広がっていなかった。
別に漫画のような常識離れした事件や出来事が起こる筈も無い事は解っている。
しかしせめてこの退屈な日常を揺さぶる、ささやな出来事が起きるのではと期待していたのだ。
今の生活に不満が有るわけでは無い。
大学に行かせて貰っている上に、仕送りまで受けている環境で不満を言うほど克洋は親不孝では無い。
地元から離れた事で高校時代から付き合いのある人間とは縁が切れたが、代わりに大学で新しい友人も何人かは出来た。
それにも関わらず、克洋の胸に巣食う虚無感は消えることは無かった。
克洋は湧き上がる負の感情を誤魔化すために、自宅への向かっている足を早めた。
今の我が家には待っている家族は誰も居らず、夕食が用意されている筈も無い。
そして自炊をする気がさらさら無かった克洋は、帰り道の途中で行きつけのコンビニに立ち寄っていた。
わざとらしい笑顔を浮かべる中年の店長に出迎えられながらコンビニに入った克洋は、まずは雑誌コーナーに立ち寄っていた。
雑誌や本で腹が膨れる訳ではないが、克洋はコンビニに入ると最初に雑誌コーナーに行ってしまうのだ。
今日は何時も立ち読みしている雑誌の発売日では無いため、克洋は適当に棚を眺めながら食品コーナーに向かおうとしていた。
しかし雑誌コーナーを抜ける途中で克洋の足が止まり、克洋は雑誌棚に釘付けになってしまう。
足を止めた克洋の視線の先、そこには少し前からコンビニで見かけるようになったワイド版のコミックが置かれていた。
「冒険者ユーリ、か…」
"冒険者ユーリ"、それは今から二年ほど前に完結した少年漫画の作品名である。
この作品は架空のファンタジー世界を舞台に、勇者の息子という典型的な主人公のユーリが世界を救うまでの物語を描いた漫画作品だった。
"冒険者ユーリ"は大手週間少年雑誌で連載されており、それなりに人気があった作品であった。
浮き沈みが激しい週間少年誌と言う媒体で、打ち切られる事なく円満完結を迎えた時点でこの作品の凄さが説明出来るだろう。
克洋自信もこの作品のファンであり、自宅には全巻40冊弱ほどとなるコミックスが揃えられていた。
自然と克洋の手が"冒険者ユーリ"のワイド版コミックに伸ばされ、コミックス数冊分をまとめた分厚い本を目の前に持ち上げる。
ワイド版コミックの表紙には、金髪ツンツン頭の小柄な少年が剣をかざした姿が描かれている。
その絵は明らかに初期の頃に書かれた物であり、表紙の煽りを見る限りこのワイド版コミックスは"冒険者ユーリ"の序盤をまとめた物なのだろう。
「…まあ、たまにはいいかな」
自宅に帰れば全巻を揃えているが、此処でこのワイド版コミックスに出会ったのも何かの縁で有る。
久しぶりに懐かしの漫画を読みたくなった克洋は、手に持ったワイド版コミックスを棚に戻すこと無くそのまま食品コーナーへと向かった。
そしてコンビニを出た克洋は、カロリー高めなコンビニ弁当と"冒険者ユーリ"のワイド版コミックが入ったコンビニ袋を携えて帰宅していった。
"冒険者ユーリ"の魅力の一つは、その緻密な世界観であろう。
まるで実際にその世界を見てきたかのような、説得力のある世界やキャラクターが漫画の中に描かれているのだ。
克洋が購入してきたワイド版コミックスでは、"冒険者ユーリ"の序盤である冒険者学校での生活が描かれていた。
主人公であるユーリが友人であるお調子者のレジィと共に、ハチャメチャな学校生活を送りながら冒険者への道を進んでいく。
克洋はページを捲りながら、ユーリの活躍を楽しんでいた。
「いいな、楽しそうだな…」
退屈な現実世界に生きる克洋に取って、"冒険者ユーリ"の作品中に描かれているファンタジー世界は酷く魅力的に見えた。
この作品を全巻持っている克洋は、決してこの世界が楽園で無い事は知っている。
漫画にお約束な世界の危機が迫っている"冒険者ユーリ"の世界に比べたら、現実世界の方が百倍安全で住みやすいであろう。
しかし少なくともこの世界ならば、克洋が感じているような退屈を吹き飛ばしてくれる筈だ。
克洋は年甲斐もなく、漫画の世界に行きたいなどと言う馬鹿げた事を考えていた。
もしかしたらこの時に生まれた感情が、全ての切っ掛けだったのかもしれない。
まるで宙に浮いているような、まるで海を漂っているような、そんな形容しがたい状態であった。
服装も寝巻き姿では無く、克洋が今日出掛ける時に来ていたジーパンとシャツに様変わりしている。
前も後ろも上も下も解らない場所に何時の間にか居た克洋は、すぐにこれは夢であると納得していた。
世に言う明晰夢と言う奴なのか、非常に意識がはっきりしていた克洋は辺り一面が眩しいばかりの白色の染められた空間を見回す。すると夢らしく克洋の頭の中に、奇妙な声が響いてきた。
男とも女とも言いがたい、言うなれば機械が発するような無機質な声でそれをこう言った。
"冒険者ユーリ"の世界に行く気は無いか、と…。
「ははは、やっぱり夢か…、俺も単純だな…。
いいぜ、行けるんだったら喜んで行ってやるよ!!」
"冒険者ユーリ"の漫画を読んだ夜に、"冒険者ユーリ"の世界に行く夢を見る。
自分の単純さに呆れ返った克洋は、深く考える事無く謎の声に答えてしまう。
この時の克洋はこれが自分の夢であると信じて切っており、疑いの気持ちなどは微塵も無かった。
そして克洋は自分の行った決断の重さに気付くこと無く、この短いやり取りによって退屈で安全な現実世界と別れを告げてしまう。
「…此処は?」
あの奇妙な空間で謎の声と幾らか会話をした後、気付いた時には克洋はまた別の場所に来ていた。
そこは自室であるボロアパートでは無く、一面に草原が広がる見たこともない場所だった。
やがて克洋はこの場所が現実世界では無く、"冒険者ユーリ"の作中に描かれたていた異世界であると知ることになる。
こうして克洋は無自覚のまま、"冒険者ユーリ"の世界に来てしまうのだった。
11/13 第零章 0.~24.の改行方式を変更、以降は随時対応予定。