私について。
私は幽霊だ。とある駅前の花壇に居座っている。
よく自分が死んだ認識が無いという話をテレビの心霊番組などで耳にしていたが、自分の場合はそんな事は無かった。医者の宣告を客観的に聞いて、あぁそうなんだと思ったし、特に疑いも無かった。自分の葬儀で泣いている友人を見て、こんな私でもそういう人が居てくれたんだと不思議と幸せを感じたのだ。
私は生前、あまり価値の無い毎日を過ごしていた。やりたい事も欲しい物も無く、無為に毎日を過ごす日々。大学も特に目的無く選んだので、そこで何を学んでも将来に繋がるような価値が見出せないでいた。友人や知り合いの思想や目標を聞く度に、羨望と嫉妬が浮かぶと共に、自分には何も無いんだと思い知らされるような漠然とした虚無感に苛まれていた。
このまま大学を卒業して社会に出て、それなりの仕事をして生きていく。それが普通に出来る事がそもそも幸せな事だという認識はあった。親に、自分は恵まれている方なんだと言われた事もある。だから人生に不満は持たないつもりで居た。それでもこのままいつまでもなんとなく生きていく事に何の意味があるのだろうと自問する事もある。私はこのままでいいのだろうかと、きっと死ぬまで思っているような気がしていたのだ。
そして私は本当に死んでしまった。予想よりもずっと早い結末だった。考えていた卒業やら社会やらに関わる事も無かったのだ。人生は分からないものだ。
だけど不思議と素直に現状を受け入れる事が出来た。妥当な最期だとすら思った。あんな人生この先に価値も無いし、これはこれでそういう映画のシナリオだってあるだろう。葬儀で泣いてくれた両親や友人、わざわざ足を運んでくれたあまり関わりの無かった人達。私は長いようで短かった人生をちゃんと謳歌していたんだと教えてもらった気がした。それだけで本当に満足だった。
その時。皮肉でも謙虚でも無く、私の人生は素晴らしかったんだと、なんだか実感したのだ。
気がかりは、私の彼氏になってくれたあの人の事だけだった。
そのせいだろうか、死んで数日経っても私はこの世界から消えそうにない。そもそも初めての事だし、消えるものなのかさえ分からないが。
そんなわけで私はここに居る。とある駅前の花壇だ。
地縛霊とかいう種類ではない。と思う。これもまた、なった事も無いしルールを知らないから自分がそうかどうかなんて確認のしようがないのだが。
実は自由に動けるのだ。最初の頃は面白くてあっちこっち歩き回っていた。そして最後にここに落ち着いたのだ。どこに居てもやっぱりずっと気がかりだった、この場所に。
ここに居る理由は一つ。
あの日、あの人と待ち合わせた駅。
ここは普段利用する駅では無い。私の家もあの人の家も遠いし、大学の通学路からも離れている。だからきっとあの人があの改札から出てくる確率なんてずっと低いのだ。
だけど私は待っている。だってあの日、私は約束を破ってしまったのだから。そしてその謝罪すら出来ていない。ここでずっと待ち続ける事が、きっと私にとっての贖罪なのだ。
もしかしたらこれこそまさに地縛霊なんだろうかと、苦笑いすらこぼれる。
私は未練というもので現世に繋がれてしまった。
あれほど人生を淡泊に過ごし、未来に希望も持たず、いつ死んだって変わらないような生き方をしていたくせに、いざ死んだらまだここに居たいと心のどこかで願っている。
もう誰に気付かれる事も無くなってしまって、声を出す事も、喜怒哀楽の表現も、何もかも必要無くなってしまって、駅前に雑音が広がるほど孤独を感じて、それでもあの人に会いたくて。
なんだか何も考えられなくなってきて、ぼんやりと改札の方を眺めていた。そんな時だった。
「こんにちは」
とある男が声をかけてきたのだ。
最初、当然私ではないと思った。だって私は幽霊で、誰にも見えていないんだから。
家に帰ったりもした。通っていた大学にも行った。だけど誰と目を合わす事もなく、誰かに触れる事すら出来なかった。そして改めて痛感したのだ。自分が幽霊である事と、幽霊であるという事はこういう事なんだと。その瞬間、私は話しかける事を諦めたのだ。無意味だと知ったから。
それなのに、見るからに軽薄そうなこの男は、実に自然と声をかけてきたのだ。
私の目をまっすぐ見て。
この男は確実に私の事が見えている。それがどうにも不思議だったけれど、それと同時に馴れ馴れしく話しかけてくるこの軽薄さに嫌悪も抱いた。今の私は特に用事もない。約束をしていない相手をただひたすら待っているだけで、暇でさえある。それでもくだらないナンパ男に構っていられるほど情緒に余裕も無い。こんなにたくさん人が居る中で、こんな男に何故か認識されているという不満と不快感で爆発しそうだった。
だから思いっきり睨んでやったのだ。それこそ霊的な何かで呪ってやるくらいの気持ちで。
それでもこの男は引かなかった。連絡先を教えてくれだの、どこかにお茶しに行こうだの、しつこいくらいに話しかけてくる。本当に普通に、普通の女性を相手にしているように。
生前、私はナンパされても全て拒絶していた。そんな軽い男となんか、親しくなるどころか関わる事も嫌だったからだ。大抵の場合は完全無視か、嫌な顔の一つでもすれば相手は引き下がってくれた。きっと向こうだってノリのいい明るい女性の方がいいんだろうし、利害が一致しないと即座に判断するのだろう。そういった意味ではこの男は少し頭がおかしいのかもしれない。
連絡先なんて無いし、お茶なんて飲めないし。そもそもあなたなんかと関わるつもりも無いし。無視して立ち去る事も出来たけど、万が一その時に限ってあの人が駅から出てきたらという考えが頭をよぎる。そんな事きっと無いのに、それでもその可能性を捨てたくなかった。あの人に会う機会を、こんな男に減らされたくない。そんな意地から、どうしてもここを離れたくなかったのだ。
だから私は教えてあげたのだ。私の正体を。その事実はさすがにどうしようも無いし、引き下がってくれるものだと確信していた。ところが。
「私、幽霊だから」
「じゃあ、ずっとここに居るんだね」
……ん? いやいや。……え?
思考停止したのはこっちの方だった。おかしい、こんなはずじゃなかった。
この男はそのまま話し続けた。今日ここに来た経緯だとか、どの辺に住んでるだとか。
私は混乱しながらも適当に相槌を打っていた気がする。その内「また来る」と言い残し、その男は去って行った。
なんだか厄介な男に捕まってしまったかもしれない。そう思った。だけど同時に淡い期待も押し寄せてくる。
幽霊になってしまったけど、私を認識出来る人も居る。
もしかしたらあの人も私が見えるかもしれない。
そうしたら、私の心残りを解決出来る。きっとそれが、私がここに残っている理由。
それを解消したらせっかくあの人に会えても、私は消えてしまうのかもしれない。
それでも確認したい事があるのだ。あの人に。
あなたは、私を―――。