成仏。
高校2年生の時の事だ。僕は当時付き合っていた彼女に振られた。
僕が通っていた高校は、校門を出てすぐの所に大きな川があり、向こう側の大通りとを繋ぐ近代的なデザインの大きな橋が架かっているのが特徴だった。橋の両側には川沿いに桜が植えられ、春の季節にはとても華やかな風景が広がる。そんな正面玄関の外観を、この高校の志望動機として選ぶ生徒が居るほどだ。
僕はまさに桜の季節、その橋の上で別れを告げられた。
「他に好きな人が出来たんだ」
彼女の理由はこうだった。なんともありがちだったけど、僕は何一つ言い返す事が出来なかった。だって、それじゃ仕方ないねと、納得せざるを得なかったからだ。もちろん納得なんてこれっぽっちもしていなかった。だけど彼女が続けた言葉に、僕は押し黙るしかなかったのだ。
「だって、君と居てもつまらないんだもの」
頭を殴られたような衝撃だった。直後、思考は完全に白紙となり、一切の事を考えられなくなっていた。
僕は彼女と居て楽しかった。きっと浮かれていた。彼女の表情や反応、仕草の一つ一つが愛おしくて、そんな人とずっと一緒に居られるのが嬉しくて、すっかり舞い上がってしまっていたのかもしれない。
そんな彼女は、僕に対してつまらないと思っていたなんて。
楽しんでいたのは僕だけだったのだ。彼女を楽しませる事に意識が足りていなかった。
そんな事じゃ、彼女が僕以外の誰かを見付けて選んでしまうなんて当然の結果じゃないか。そんな思考が頭を巡り、僕は愕然としたのだ。
僕の解釈が正しいかはわからないけど、「他に好きな人が」出来てしまったのは、僕が「つまらない人間」だからだ。だから僕は変わらなければいけないと思った。好きな人には積極的にならないといけない。もう同じ失敗をしてはいけない。そう誓ったのだ。
彼女とはもうそれ以来会っていない。きっと幸せにやっているのだろう。後悔はあれど未練は無いのだ。だって今僕はもっと素敵な人に出会った。
いつもの花壇に腰掛ける幽霊は、今でもまだ僕に心を許してはいないだろう。相変わらず不機嫌そうに僕を見て、面倒そうに僕の相手をする。このままずっと過ごすのも、それはそれで楽しい気がする。出来る事なら彼女が消えてしまう事無く、いつまでもこんな穏やかな時間が続けばいいと思う。
だけどそれで、彼女は幸せなんだろうか。また独りよがりで、楽しいのは僕だけで、彼女の方はずっと僕に対してつまらない人だと思い続ける事になるかもしれない。
それだけは絶対に嫌だった。そんな情けない結末は、もう2度と繰り返したくないと思っているのだ。
だから僕は、彼女の事をもっと積極的に知ろうと思った。だってもしも彼女が今何かの理由で苦しんでいるのなら、それを救えるのは姿を認識出来る僕だけじゃないか。
「ちょっと待ちなさい」
そんな彼女は険しい顔でこちらを睨んでいる。
「どうしてそうなるのよ。会ってどうする気?」
「だって、君の事もっと知りたいんだ」
今はもはやその結論で頭が一杯だ。彼女は両手で頭を抱えている。
それにもう一つ、僕はその彼氏さんに会わなければいけない理由がある。彼女はさっきこう言ったのだ。
まだフラれていないと。
彼女は幽霊になってしまっているし、今現在その関係がどうなのかハッキリさせない事には、僕だって動くに動けないじゃないか。もちろん身を引く気なんて全く無いけど。
「君の彼氏にちゃんと確認をしたい。交際が続いているのかどうなのか。僕はそういった部分を曖昧にしたまま君と進展していくのは、どうにも気持ちが悪いんだ」
頭を抑えていた指を額に移動させ、多少のイライラを見せながら、彼女はじっくりと何かを考えている。
パラパラと降ってきた雨なんかお構いなしだ。さすがだなぁ。
「あなたと話していると私が死んでいるという前提を忘れそうになるわ」
「……? まぁ、僕にとってそこはどうでも」「黙りなさい。話が進まないわ」
指の隙間から覗くその眼光に心臓を掴まれる。僕はこの目が好きだ。
「なぜ私とあなたの仲が進展する予定になっているのか甚だ疑問だけど、もしも私の彼氏がこの先もずっと交際を続けていくと言ったらどうするのかしら。その時はあなた、潔く私の事を諦めてくれるの?」
「まさか! 諦めるわけないじゃないか。もしそうなったら、僕は頑張るよ。君に選んでもらえるように。その彼氏よりもいい男になって、君に認めてもらえるように」
その為にも、やっぱり僕は彼氏さんに会いたい。彼女がどんな人を好きになるのか、この目で確かめたいのだ。
彼女の表情は険しいままだったけど、俯いてまた何かを考え込んでいる。
降りだした雨は少しずつ勢いを増して、僕が折り畳み傘を広げようとした時だった。
「わかったわ」
俯いたまま彼女が口を開く。
「彼氏を紹介するわ。そして、あなたに一つお願いをする」
「うん。ありがとう、任せてよ」
「そうしたら私にはもう未練は無いわ。ちゃんと成仏出来る気がする」
「うん…………ん?」
彼女はまっすぐ僕を見て言った。
「私を成仏させてください」