囚われの少年
「ここは……」
其処は見知らぬ部屋だった。
「どうぞ、こちらへ」
用意された服に着替え、案内された部屋へ赴く。
「はじめまして、笠原聖君」
何も分からないまま、入り口でただ立ち尽くしている聖。そんな聖に目線と手で応接セットに座るように勧めながら、その男はひどく人好きのする顔で笑った。
「貴方は何者ですか。俺をどうするつもりです?」
この場の持つ異様な雰囲気に呑まれない様に気を張りながら、聖は部屋に敷き詰められた赤い絨毯を踏みしめて、男の目前に立った。足元には毛足の長い敷物のふわふわと心許無い程の感触。
質素な部屋の中、その絨毯だけがえらく上等なものであることに気付いて、聖は存外冷静でいられる自分を褒めたくなった。
「どうして、こんな強引な真似を?」
「君と二人きりで話がしたかったからかな」
「話?」
「単刀直入に言おう。今受けている依頼から手を引いてくれないかい?」
それはよく言えば落ち着いた、だが見た目よりは老いた印象の声だった。
「無茶な頼みだ」
間髪を入れずに返したそれは、聖にとっては考えるまでもない答え。
「僕は受けた依頼は必ずこなします」
だが、男もそんな答えですんなり引いてくれる程は、易くはなかった。
「そうか。ならば、依頼者に依頼を取り消させればいいのかな」
「凛に何をするつもりだっ」
弾かれたように顔を上げ、目を見開く聖に男はからかうように声を掛ける。
「甘いな。ここで依頼者の名を出すとは」
「なっ」
明らかな自分の失態に聖は唇を噛み俯いた。
「私のお願いを聞いてくれるかな。聞いてくれれば、今すぐに無傷で君を返そう。そうだな、不快な思いをさせた侘びも渡そうか」
男が煙草に火をつけた。何もいえない聖を見つめたまま、業とらしく煙を吐き、楽しげに語り続ける。男が吸っているのは煙草ではなく葉巻なのだろうか、聖には馴染みの無い不快な匂いが部屋に立ち込めた。
「勿論、凛君にも何もしない」
「……」
「どうかな」
「無駄だな。あんたが本気で犯人探しを止めさせたかったのなら、俺を拉致なんてしたのは失敗だ」
漂ってくる煙に嫌悪の表情を見せながら、聖はきっぱりと男の言葉を遮る。
「どういう意味だ」
男が、微かに眉を顰めるのにも構わずに、聖は言葉を続けた。
「消えた俺を探す為。事件の真相を探る為。今頃は俺なんかよりもよっぽど優秀で怖い奴がこの件に引き込まれてる頃だ」
言いながら口元を歪める。
「何?」
自分の優位を確信した様に、葉巻を銜えて聖を見る男が滑稽で笑いが抑えられない。
「あいつは俺とは違う」
「あいつ?」
何の事か分からないと、男が探る目で聖を見る。
「あんたは馬鹿だ」
その態度に、男が笠原探偵事務所の事情を何も知らないのだと確信する。
「笠原探偵事務所の本来の所長代理だった女だ」
本当に馬鹿な男。形勢逆転とばかりに聖は目の前の男を睨みつけた。
本気で事件を探られたくないのなら、聖を放置すれば良かったのだ。所詮今の聖には、真実を探り出す程の能力はない。だが聖が消えた事で、紫条は関口を頼るだろう。もしかしたら美桜は藤堂を頼るかもしれない。
「あいつは、脅迫にも買収にも屈しはしない。勿論守るべきものは何をおいても守る」
言い切ると同時に頬に痛みを感じた。殴られたのだ。黙っていると、もう一発。今度は少し強い衝撃が腹に来た。一瞬、息が止まり、膝を折りそうになるのを、ただ耐える。
「残念だったな」
「貴様っ」
「俺をこんな所に連れ込んだ時点で、あんたは勝負に負けたんだ」
激情し射殺しそうな目で自分を睨む男を、聖は蔑むように笑い続けた。