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螺旋迷宮 標的はひとり  作者: 葉月
3/13

調査 弐

 夕闇迫る繁華街の人混み。その中を聖と凛は二人で、肩を並べて歩いている。

 あの後、少女は意外なほど沢山の情報を聖に伝えた。

 当日の足取りから襲われた場所。犯人の服装。身体つき。話した内容までも。それは聖でさえ、よくもまあ此処までと半ば呆れる程の情報量だった。少女は今まで警察にも何も話しはしなかったと言っていた。否、今まで刑事と会おうと思った事も無かったと。

 しかし、もしかしたら。

 彼女は誰かに、全てを話してしまいたかったのかも知れない。饒舌だった少女に、ふと聖はそんな事を思った。

「黒猫庵って店、この辺にないですか?」

 暗い雑踏を掻き分けて進む内、どうやら道に迷ってしまったらしい。考え事をしていたのも悪かったか。聖は仕方なく手近な女に声を掛けた。

「黒猫庵? 何だい、それは」

「甘味処です」

 『黒猫庵』それは被害者から聞き出した、当時の彼女の行きつけだった甘味処。事件当日、彼女はその店からの帰り道に暴漢に襲われたという。犯人が店で獲物を物色していた可能性も充分ある。調べるなら早いほうが良いと、二人は少女と別れたその足で、店まで足を伸ばしていた。

「あんた、この辺をどこだと思ってるのさ」

「繁華街ですよね」

「馬鹿だねこの子は。ここは玉の井、銘酒屋通りよ」

 銘酒屋。字面から考えればただの呑み屋だが、実際にその名を冠する店が売っているのは女。それは聖も知識としては知っていた。

 道を教えてくれた親切な女は、良く見れば豊満な身体に薄い着物一枚しか身につけていない。厚化粧で塗りたくられた顔は黙っていれば若い女にも見えたが、実際はかなりの年齢だと予想がついた。その姿は典型的な娼婦にしか見えない。そして、女に言われてあらためて辺りを見渡せば、周囲には似たような格好の女性達が数多く立っている。

「まいったな」

 確かにここは私娼街なのだろう。

「ああ、魅力的な女性が多いとは思いましたが。どうやら道に迷ってしまったみたいですね」

 動揺を悟られないように呟きながら、聖は徐々に歩みを早くする。自分一人ならば別に構わないが、凛を連れていつまでもこんな所にいるわけにはいかない。

「口が上手いね。あんた」

「そうですか」

「しょうがないね、ついておいで。仲間に聞いてみてあげるよ」

 聖の後をついてきた女の、そんな言葉に安易に頷いたのはやはり凛の為だ。しかし、焦りが冷静な判断を狂わせた。いつもなら見抜ける筈の女の嘘が見抜けなかった。

「おいで。こっちだよ」

 資金が潤沢にあり、体力も知恵もそこそこある。そんな聖の捜査方法は、良く言えば豪快。悪く言えば雑だった。金や物をばら撒くような情報収集に目を付けられたのだろうか。それとも、凛の美貌が目を引いたのか。

女が聖達を案内した先に待っていたのは、いかにもガラの悪そうな五人の男達だった。それぞれが角材や鉄パイプ等の得物を手にして哂っている。

「探偵さん」

 凛が怯えた瞳で聖を見た。

「大丈夫。こっちへ」

 華奢な身体が、寒さとは別の理由で震えている。周囲を警戒した聖が咄嗟に凛を抱き寄せようとしたが、その時にはもう遅かった。

「なっ」

 聖よりも頭二つ以上は背が高い一人の男。その男が瞬時に聖の腹に角材を撃ち込んできた。

「ちっ」

 直撃は避けられたが、結構な衝撃を受ける。

「甘いな」

「くそっ」

 ぐらついた足元が災いし次の攻撃は避けられなかった。吹っ飛ばされた勢いで背後の壁に背中を打ち付ける。そのまま息つく暇もなくもう一発を肩にくらった。

「んんっ」

 声も出せない衝撃。激痛と痙攣が身体を襲う。

「きゃっ」

 突然聞こえた声に目を向けると、男が凛の腕を摑んでいるところだった。助けようとするが体が動かない。頭を打った所為か意識すらも曖昧になる。

「いやっ。放してっ」

「てめえ」

 男に拘束された凛の悲鳴を耳にしながら、聖の身体は何も出来ずに地に沈んだ。

「だあれ?」

 そんな聖達に、暗がりから微かな声が掛けられた。涼やかな声がどろりと濁った闇を震わせる。不躾な声に咄嗟に聖が顔を上げると、暗闇の向こうに小さな影が一つ見えた。あまりにも小さな影は女か子供か。近づけてはいけないと、咄嗟に聖は叫んだ。

「逃げろ。来るな」

「誰か其処にいるの?」

 だが聖の必死な声は小さすぎて相手に届かない。闇の奥からゆっくりと、壊れ物の様にほっそりとした身体付きの子供が近付いてくる。

頭から漆黒の薄衣を被っているので顔は見えないが、年は一五、六だろうか。その年の子供が着るにはひどく不似合いの、だが、目の前の不思議な雰囲気の子供には似つかわしい、喪服の様な黒の着流しを身に付けている。

「喧嘩してたの?」

 闇の中響く声。聖だけでなく男達までもが子供の存在感を無視できないのは、その強い気迫のおかげだろうか。

「は?」

 直接声を掛けられた聖は勿論、周囲の荒くれ共でさえ、一瞬、気押された様に手を止めた。

「喧嘩かって聞いているんだけど?」

 『鈴を転がすような美声だ』子供が近づいてきたお陰で、初めてはっきり その声を耳にした全員が、喩えではなく心の底からそう思った。

「!」

 そして夜風に冷やされて、少しだけ冷静になった頭で不意に聖は思い出す。この声を、自分は確かに知っていると。

「……関口」

「当たり。気付くのが遅いわよ、お坊ちゃま」

 態と呆れた風を装いながら告げられる言葉。病的までに細く白い指が、優美な動きで薄衣を外す。

「なっ」

 瞬間、聖以外の周囲の人間が、揃って声を失くした。凛でさえ、男に組み敷かれているという自分の状況を忘れて少女に見入る。

「お久しぶりね。別に懐かしくはないけれど」

 静かに微笑む少女は、それ程までに美しかったのだ。薄衣の下から表れたのは、しなやかな長い黒髪。日本人では決して持ち得ない、まるで満月を思わせる様な金の瞳。

 間違いない。

 その姿から少年だと予想した子供は、意外にも聖の良く知る少女だった。

元探偵で、今は娼婦。

「関口糖子か、本当に」

「たった一年でもう私の顔を忘れたの? 薄情ね、お坊ちゃま」

 聖よりも年下のくせに、少し眉根を寄せながら母が悪さをした子供を咎めるように言うその様子は昔のまま。

「まあ、随分と似合わない場所での再会で、こっちも驚いたけど」

 昔のように夜遊びを叱る。

「驚いたのはこっちだ」

「そう?」

 とっさに飛び出した聖の反論も、糖子は受け流す。

「で、その行為は合意なのかしら?」

 糖子の視線は、無残に組み敷かれた凛に向けられていた。そんな糖子に答えたのは聖ではなくて男達だ。

「こんな街だ。当たり前だろ」

 金縛りのような驚きから立ち直った男達は、あわよくば糖子の事も捕らえる気になったのだろうか。新たな獲物の登場を歓迎する様に、ニヤつきながら糖子を見る。

「あんたらには聞いてないって」

 しかしそれに返されたのは、顔に似合わぬ辛辣な口調。蔑むように男達を見る金の瞳。

「何!」

「どうなの、お坊ちゃま」

「てめえっ」

「お前も同じ目に遭いたいか!」

 並みの人間なら震え上がりそうな男達の怒鳴り声にも、糖子は微塵もたじろがない。

「ねぇ、どうする?」

「俺はお前が嫌いだ」

「知ってるわ」

「お前も俺が嫌いだよな」

「そうね」

「お前には関係ない」

「そう?」

「おいっっっ! お前らっっっっ! 状況忘れてんじゃねえのかっ」

 糖子の登場で無視されまくっていた男の叫びが暗闇に響く。それなりに緊張感の漂っていた筈の空気を置き去りに、まるで痴話喧嘩の様な会話を繰り返していた聖と糖子は、怒りに肩を震わす男のその声に我にかえった。

「あっ御免。本気で忘れてた」

「お前」

 呑気な少女の声に、怒りで浮き出た男の血管がピクリと引き攣る。

「少し痛い目見て反省しなっ!」

 怒りも限界だったのだろう。言葉と同時に男は糖子に襲い掛かった。

「ふーん」

 しかし糖子の直前で、男はピタリとその動きを止める。

「遅いな」

 男の攻撃に先んじて糖子が腹に足蹴りを入れたのだ。

動き辛い筈の、和服の不利さをまるで感じさせない動き。一切の溜めも無く、軽々と蹴り上げられた右足。男は自分に何が起こったのかも気付かぬうちに崩れ落ち気を失った。

「私は関係ないみたいなんだけどな」

「お前何者だ」

「ただの娼婦?」

 笑いながら軽口を叩く糖子を見て聖は天を仰いだ。紫条の言葉は正しかった。糖子は昔のままだ。何も変わっていない。

 ならばこの邂逅は天の助けか。過去の確執を考えて躊躇したのは、ほんの一瞬。聖は自分の為では無く、凛の為に叫んでいた。

「助けてくれ。頼む、関口っ」

「良い子ね。よくできました」

 その答えを待っていたのだろう。嬉しそうに笑い、糖子は足早に男達の元へと近づく。

「まずは一人」

 凛を抱え込んでいる男の身体を片足で弾き飛ばした。

「何しやがるっ!」

「決まってる。その子を返してもらうのよ」

 糖子の動きに驚き、鉄パイプで殴りかかる男がもう一人。それを軽くかわしつつ、手首に向けてほぼ垂直に掌底を叩き込んだ。

「うおっ」

 一見軽そうに見える攻撃だが、体重を乗せたその一撃は、男の手から得物を奪うのに充分過ぎる威力を持っていた。

「ぎいいっっ」

 悲鳴が闇に響く。呻き声に紛れて微かに、骨の折れる鈍い音がした。

「なんて……」

 数々のおぞましい音。それを聞きながら聖と凛は、戦う糖子から目を離せずにいる。

 喧嘩は醜い。育ちの良さも手伝って、今まで二人はそう思っていた。否、今でも変わらず思っている。

 しかし、糖子の戦いは。

 淡い月明かりの中で長めの袖を翻しながら、無駄の無い動きで的確に男達を倒していく華奢な身体。

「なんて綺麗」

「ああ」

 まるで踊り子が舞を舞うかのようなその姿に、二人は目を奪われていた。

「少し下がっててね」

 半ば放心していた聖と凛に糖子が声を掛ける。

はっとしながらもその声に従い、移動を始めた二人を目の端で捉えると、糖子は思いっきり腕を振り上げ、小さな黒い塊を男達に投げつけた。

「これでお仕舞い」

「なっ」

「何だ、これ」

 身体を煙が覆うのと同時に、男達がいっせいに咳き込み涙を流し始める

「糖子ちゃん特製爆弾だよ」

「爆弾っ!」

 悶絶しながら怒鳴る男達を見下ろしながら、糖子は平然と答えた。

「胡椒と山椒と唐辛子の粉を混ぜてみた。結構効くでしょう」

 凄いでしょう。えっへん。そう胸を張る姿は子供そのもので、今まで華麗に闘っていた人物と同じとは思えない。

「関口、お前馬鹿だろ」

「えー、酷い。お坊ちゃまの好みに合わせたのに」

「俺の好み? 何の事だ」

「殺傷能力が無いけど、多数の敵の動きを止める事に対しては威力甚大。自分は傷ついても人を傷付けたくないって甘ちゃんには、ぴったりの武器でしょう」

「……」

「まあ、材料費が馬鹿っ高いのが珠に瑕だけどねぇ。必要経費だと思えばいいわ」

 文句ある?と云わんばかりに、糖子は残りの球体を聖に向けて放り投げる。その威力を目の当たりにした聖が、落としては大変とばかりにあたふたと受け取った。それを横目で流しながら、糖子は悶え苦しむ男達に止めを刺して気絶させるのも忘れない。

「流石というべきなんだろうな」

「お褒めに与り光栄です」

 聖の言葉を受けて、全てを終えた糖子は、芝居がかった仕草で深々と一礼をする。

 当面の危機は去った。

 感謝していいのか、呆れていいのか、微妙な気分を味わいながらも、胸に広がる安堵感に聖と凛は顔を見合わせて微笑んだ。

「!」

 しかし次の瞬間、聖の全身に悪寒が走る。反射的に振り返った聖が見たのは、突きつけられた銃口だった。

「動くな」

 新たな男の出現。

「全く、情けない奴等だ」

 糖子が瞬く間に地に伏せた輩の仲間か、否、彼らの上役といったところなのだろうか。男は意識に無い彼等を冷ややかに見下ろしている。

「あ~あ、これって形勢逆転?」

「判ってるじゃないか」

 カチリと聞こえた小さな機械音は糖子と聖に、目の前の銃の撃鉄が起こされたことを教えた。後一瞬で、銃からは弾丸が発射される。

「飛び道具はずるいよ。おじさん」

「詰めが甘いな、ガキ」

 銃口は、この場にいる者の中で一番の弱者である、凛に向けられていた。

「おっと、そのふざけた爆弾は使うなよ」

「使えるわけないじゃない、こんな場面じゃ」

 今、銃を向けられているのが自分なら、何とかする自信が糖子にはあった。だが、銃口は真っ直ぐ凛に向いている。しかも男は三人からみて風上に立っているのだ。いくら糖子でも、下手な真似は出来なかった。

「忠告だ。余計な事に首を突っ込むな」

「余計な事?」

 聖の尤もな疑問に答えたのは問われた男ではなく、側で話を聞いていた糖子だった。

「馬ー鹿。今お坊ちゃまが抱えてる事件は一つだけでしょ」

 軽口をたたきながらも猫のような糖子の瞳が煌きを増して、男をじっと見つめていた。

「おじさん、警官?」

「何故そう思う?」

「それ、南部式でしょ」

「ああ、そうだ。良く知ってるな」

「娼婦と警官は仲良しだからね。見慣れてるのよ」

 まるで世間話をするかの様に会話を交わす男と糖子。聖は不思議なモノでも見るように、じっとその様子を眺めていた。

「よく言うぜ」

 自分が警官に襲われた。その奇なる事実に咄嗟には動けない聖に代わり、会話を続けながらも糖子が他二人を守るように場を移動する。

「で、それを聞いてどうする?」

 自分の勝利を確信しているのか、男が糖子の行動を咎める事は無かった。銃口を凛に向けたまま、余裕を見せる様に楽しげに哂う。

「こんな所で撃ったら、音を聞きつけて誰か来るよ。不味いんじゃない。正義の味方のお巡りさんが」

「他人はそんなに親切じゃないぜ。お嬢ちゃん」

「そうかしら」

「こんな街で暮らしているんだ。分かってるだろう、お譲ちゃんも」

 その言葉を実証するように、男は銃を一発撃った。弾は糖子の頬を掠めると、背後の壁にめり込む。

「弾丸の無駄遣いはやめるのね。それって所詮は国の財産じゃない」

 頬を流れる鮮血を拭いもせずに、あくまでも冷静に糖子は告げる。

「黙れ餓鬼。公務執行妨害で逮捕してもいいんだぞ」

「呆れた。子供を襲うのが公務なの?」

「目障りで礼儀知らずな探偵に、分をわきまえてもらおうと思ってな」

「礼儀知らずはそっちだと思うよ。お巡りさん」

 こんな場面でも相変わらず落ち着いた声。危機に際しては逆に腹をすえ、冷静になる。それも聖の知る、糖子の変わらない美点の一つだ。

「五月蠅い。お前に用は無い。とっとと消えろ」

「出来ないな」

「ぶち込まれたいのか」

 互いに睨み合う刑事と糖子を、聖はただ見つめていた。

「出来れば遠慮したい」

「お前はム所でも人気者だろうからな」

「看守にも囚人にもね」

「判ってるじゃないか」

 冷たい銃に、聖は嫌悪感と云い様のない恐怖をおぼえる。そういえば兄はそれを人の本能と言っていた。簡単に人の命を奪う武器を前に、無意識に身体は震える。一番の部外者である糖子に、会話の全てを任せている無様さにも気付いていない。

「全く、娼婦風情が偉そうに」

 あくまでも糖子を貶めようとする刑事の言葉。

「日本人にとって性は淫靡であり、密室の秘事であり、貞操は美徳であり、処女性は女の宝である」

「突然、何よ」

「娼婦は最低な職業だ」

 その断罪する様な男の口調。一瞬言葉を詰まらせた糖子に代わり、叫んだのは凛だった。

「来る男がいるから、仕事が成り立つのではないの? 自分の身内を売るような家でも息子をそういうお店に連れて行く習慣がある。女性を馬鹿にした話だわ」

 その内容に聖が顔を顰め、糖子が驚いたように視線を向ける。だが凛はその全てを見ない振りで話し続ける。

「女の性を商売にしてるのは男の方です」

「言うじゃないか。お前もそう思ってるのか?」

 男は凛には目もくれず、糖子に問う。

 刑事の言葉の目的は判りやすい。『これ以上、自分の邪魔をするなら、お前は無認可娼婦として檻の中だ』言外に込められた意図に糖子が気付かない筈は無い。しかし糖子は動揺一つしなかった。

 元々、見ず知らずの人間の言葉など耳に入れてはいない。その上、今は予想外な味方までいるのだ。負ける気はしない。

「そうだな」

 糖子は凛を横目で捉え、にやりと笑う。

「うん、思う。案外と刑事さんも娼館の常連なんじゃないの。随分と女をいたぶるのがお好きなようだし」

 それでも、男の嘲りの言葉もまた止まらなかった。

「見苦しいな。大体にしてお前は、探偵社の連中と肩を並べてつるめるような人間じゃないだろ。したり顔でものを言っているがね」

 今まで口を挿まずにいた聖だったが、話題が探偵社の事になれば黙ってはいられない。その気持ちが態度に表れたのか、刑事の視線が聖に移る。

「笠原さん、貴方も貴方だ」

「俺がなんです?」

「気付いていないんですか。貴方にくっついていれば何か良いことがあるかもしれない。そう考える輩がいる事を」

「それは」

「この女も其れが目的で、貴方の周りをうろちょろするんだ。そもそもコレは、貴方のお兄さんに取り入って、いつの間にか探偵社に入り込んできた屑でしょう。それなのにお兄さんがいない今でも貴方の傍から離れない。それだけでも、充分軽蔑の対象になるだろうに」

 聖に語り続けるその顔は、嫌味で歪みきっている。

「結婚以前に、複数の男性達と関係を持ってみたり、妊娠中絶、もしくは出産を経験してみたり、そんな、阿婆擦れの一人なんですからな。この女は」 

 糖子を貶める男の顔は卑しかった。男の言葉を聞く内に怒りが膨れ上がり、、聖は今度こそ糖子を庇おうと決心する。凛も同様だ。

 目を合わせ、頷きあう。

 しかし同時に決心した二人が口を開くよりも先に、その声が皆の耳に届いた。

「そんな事、貴方などに口出しされるいわれは無いですよ」

 いつの間に近づいて来ていたのか。声と共に現れたのは二十半ばの青年。どこから見ていたのか。青年はこの場の状況を完全に把握しているらしくい。

「糖子は義文が、自分自身で選んだ相棒なんですからね」

 落ち着いた低音に動揺は無く、近づく動きにも隙が無い。

「差配さん!?」

 反対に、糖子の声は驚きに満ちたものになった。

「どうして、ここに」

「それはこちらの台詞だ。家を抜け出したと思ったら、こんな時間にこんな所で大立ち回りとはな。驚いたよ、糖子」

「ごめんなさい」

「謝るくらいなら、こんな事初めからしないでほしいな」

 突然の顔見知りの出現。動揺ゆえか、今まであれほど冷静さを保っていた少女のものとは思えない程、糖子の声は震えていた。驚いたと言いながら、全く動じていない青年とは対照的に。

「おまえ、藤堂か?」

「おや、僕をご存知ですか」

 凛は先程から次々と展開される不慮の出来事が、自己の処理範囲を超えたのか、流石に口を挿む事も出来ず、ただ呆然としている。

しかし、聖はもう驚きはしなかった。

「遅いぜ。藤堂さん」

 何故なら糖子と再会した時から、藤堂伊織と出会う事は聖の中では想定済みだから。

「それならば話は早い。それ以上、この子を貶めるのは止めていただけませんか。刑事さん」

 藤堂伊織は、馬鹿が付く位に関口を大切にしている今の彼女の保護者であり、婚約者なのだから。

「なっ」

 静かだが確かな怒気を帯びた声に、刑事は声を失いその場に立ち尽くした。聖、凛、糖子。それぞれに能力や肩書きを持ってはいても、所詮は子供である三人とは違う。自分よりも社会的地位がある藤堂の出現に、刑事も己の不利を悟る。

「おぼえてろ!」

 月並みな台詞を吐き、急にその場を去ろうとする。そんな男に藤堂が、殊更静かに声を掛けた。

「刑事さん、お名前は?」

「お前に名乗るような名は無い」

「おや、残念。名前でも知ってれば、多少は手心を加えてさし上げられるかもしれないのに」

「俺は職務を遂行しただけだ」

 慇懃無礼の見本のような藤堂の皮肉に、男は意味の無い捨て台詞を吐いただけで逃げるように立ち去っていった。


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