調査 壱
「よーし、やるぞ」
まず手始めに。やる事は決まっている。
翌日から聖は、手に入るだけの古新聞をかき集め調べだした。どんなに小さな事でもと、アングラ系出版物にも目を通す。とにかく事件を扱った文章を、片っ端から読み尽くす勢いだった。
事件の内容が内容だけに、その中には眉をひそめる程に猥雑な物も、どう考えても好奇や中傷から発せられたであろう噂話もまれている。それだけに、この事件における一般大衆の理解度も知れた。
「酷いな」
「そうか?]
「酷いだろう! 何なんだよっ、コレ」
「被害者は皆、裕福な家の娘達だ」
「だから?」
「平たく言ってしまえば、御貴族様達ばかりだからな」
「だから、それが何だってんだよ!」
聖の剣幕に紫条は暫く黙って何かを考えていたが、やがて静かに話し出した。
「金や権力に対する欲求は、人間が自然と持つものだ。しかし求めたからといって全ての人が満たされる訳ではない。だよな」
「それは。まあ、そうだろうな」
「豪邸を構え、個人で車を持ち、旨い物を食う。そんなものは一部の権力者だけの特権。今の日本の資本主義とはそういうものだ」
「まあな」
「だからこそ、金や権力に縁の無い人間達は、裕福な人間の醜聞を好むんだ。それが下世話なものであればあるほど大衆は喜び、この手の読み物は売れる」
紫条の言葉を聖は無言で聞いていた。
「勿論、大方の庶民は善良な世間の常識の範囲内で生きている。歳若い少女への同情もあるだろう。だが善悪とは無関係に、人は深層心理の中では嫉妬、羨望、憧憬、憎悪といった感情を常に感じでいるものなのさ」
「つまるところ」
分からないでもないが、あまりにあからさまな言葉の数々に、聖の口から溜息が漏れる。
「コレは、その感情の表れだって言うのか」
「まあ、そう言う事だ」
口元に微かな笑みを浮かべる紫条を見て、聖の眉間に皺が寄った。仕方の無い事なのだと受け流す紫条の態度が気に入らないのだろう。しかし、聖も感情のままに反論を繰り返すほど世間知らずではない。
「被害者達には会えるだろうか」
「難しいだろうな」
様々な感情を胸に押し込んで悲しげに呟く聖に、少々困惑気味に紫条が告げる。
「直接話が聞きたいんだ。こんなもの読むだけでなくて」
聖は忌々しそうに雑誌を放り出した。
「気持ちは分かる。だが気持ちだけで動けるほど、探偵っていう職業は万能じゃない」
音を立てて床にばら蒔かれた雑誌類。その一つを手にして机に戻すと紫条は顎に手を当てて考え込む。時折耳にかかる長髪を、煩わしげに弄びながら。
「あの子に頼む気は無いか?」
「あの子?」
「関口糖子だ」
「嫌だっ!」
紫条から告げられた名前を聞いた途端に、聖の顔色が変わった。元々不機嫌そうだった口調が、更に荒々しいものとなる。
「冗談じゃない。何を今更」
「そう、冗談じゃない。本気だ」
しかし、紫条はそんな聖の豹変ぶりにも一切、動じはしない。
「男であるお前が、今、被害者達に会ったところで良い結果を生みはしない。それくらいは分かるだろう?」
おそらくは会わせてもらえない。よしんば会えたとしても、怯えられるのが関の山。
「それは。でも、何故ここでよりによって関口が出てくるっ」
「アレは女で、尚且つ被害者達よりも幼い。ただでさえ警戒心を抱かれ難い上、他人の懐に入り込むのが馬鹿みたいに巧い」
「あいつは外面が良いだけだ」
「そうだな。だが、被害者達から口に出したくも無いだろう過去の話を聞き出すのに、アレ以上の適任者を俺は知らない。お前もそうだろう」
「それは……」
『関口糖子』それは一年前、笠原克弘が失踪する直前まで克弘の片腕として探偵社で働いていた人間。あの当時の克弘が、紫条が、そして聖が一番の信頼を寄せていた存在。
「アレの実力は、お前もよく知っている筈だ」
「だか、関口は俺達を裏切って探偵を辞めた。今はたかが場末の娼婦だ。役に立つとは思えない」
「いいや、役には立つさ、間違いなく」
「どうして言い切れる」
「肩書きが探偵じゃなくなっても、アレの気質や能力が変わる訳じゃないからな。アレは根っからの探偵なんだよ」
「なっ!」
腹が立った。あくまでも関口を認める発言を繰り返す紫条も。紫条にここまで信頼されている関口も。
「嫌だ」
「聖」
「今の所長は俺だ。捜査方針は俺が決める。関口に協力依頼なんて絶対にしないっ」
そのせいか、紫条に返した声は必要以上に辛辣なものになった。
「それが、事件の早期解決の為でも嫌か?。依頼人の為でも妥協は出来ないのか?」
「……明日、被害者達には俺が会う。反論は認めない」
そう言い切って、聖は紫条の返事を待たずに部屋を出た。声を聞かなくても、態度を見なくても、紫条が不満気でいる事は分かっていたが、振り返る事もしなかった。
「嫌なんだ。それだけは。本当に」
意見の相違があっても、提案を無下にされても、決して感情を滲ませない。そんな有能な助手から、「翌日三時に被害者の一人と面談の約束を取り付けた」との連絡が入るのは、それから数時間後の事だった。
その喫茶店があるのは、銀座の表道路から一本脇道に入った目立たない場所。古びた雑居ビルを四階までトントンと上がれば、意外な程真新しい扉が客を出迎える。薄暗い店内では、最新の真空管アンプがノイズ交じりに、店主の趣味でもあるクラシックの名曲を奏でていた。
静かな店内の一番奥。一際静かで一際暗い、其処だけ周囲から隔離された空間。そこに聖と凛、そして一人の少女が座っている。
二人はここで、連続少女暴行事件の被害者と会う約束をしていた。
事務所に呼ぶと警戒されて、素直に来てくれるか分からない。今までの経験からそう判断した紫条が自分達の行きつけの喫茶店を指定したのだ。ここのマスターとは克弘が探偵所長をしていた頃からの付き合いだ。気心も知れている。そして此処なら、困難なお願いを受けてくれた少女に対する礼も出来る。何故ならこの店はそのぼろぼろな外装とはうらはら、中々旨い紅茶と洋菓子を出すのだ。勿論被害者への配慮から、成人男性である紫条と如月は席を外している。
「そろそろいいかな」
そんな紫条の心遣いが効をそうしたのか、聖の目の前では、凛と被害者の少女がお茶と菓子に舌鼓をうちながら雑談を繰り返している。この雰囲気ならば、話を聞きだす事もそう難しくないかもしれない。
「お願いします。お嬢さん」
聖は和やかな空気を壊さないように、慎重に少女へと語りかけた。
「どうか全て聞かせてください。あの日の事を」