【ギリシャ物語】贈り物。
今年も生誕祭が近づき、アルテミスは密かに恐怖していた。
レトの輝ける双神、光明神のアルテミスとアポロンの生まれた日となれば、生誕の地デロス島は勿論、オリンポスでも二日間の賑やかな祭りが催される。二人に対する贈り物も数多く寄せられて、それはそれは華やかな光景が繰り広げられるのだ。
それが何故、恐怖や不安を覚えるのかというと…弟アポロンの並々ならぬ愛情に原因がある。
その愛情が贈り物にも表れていて…その、なんとも重いのだ。
去年は、20mばかりある、巨大なアルテミスの像を贈られた。
上等の大理石に、金箔を貼り付け、瞳には大粒のサファイアを使用したとても目立つ代物で、目鼻立ち、たおやかな身体のラインも美しく大変に見事な細工だったが…いかにせん大きい。
受け取ったのはいいものの、神殿にも収まりきれず、結局中庭で野ざらしになっている。
その前の年は、うっかりディオニュソスのワインを褒めたものだから、それに対抗して巨大な酒の湖を贈られた。
滝があり、船遊びも出来ると自信満々だったが、長時間近くにいると酔ってしまうので、時々侍女に汲みに行かせる以外は近づく者もいない。
……普通がいいのよ、普通が。
アルテミスは、思わずため息を吐いた。
生誕祭まで残り一週間。
「…そういえば、アルテミスの誕生日プレゼントはどうなったの?」
記憶を取り戻して数日、ヘルメスはいつものように酒を持ち込みながら、アポロンに尋ねてみた。
「ああそれがな…まだ曲も詩も半分以上未完のままで…」
深々とため息を吐くアポロン。
「悪かったね、僕のことで時間を取らせてしまって」
「いや、それは構わないんだが…このままだと7、8時間にしかならないな…」
「……ちょっと待って。大体、どのくらいの予定で作っていたわけ?」
「20時間ぐらいには納める予定だったが?」
それは日が暮れるどころか次の日が昇るよ、と心の中で突っ込むヘルメス。
「…僕もあんなことがあったからさ、プレゼントの準備してないんだよね、実は」
エメラルドの瞳が楽しそうに細められる。
「ちょっとアイディアがあるんだけど、聞いてくれない?」
ヘルメスがさらさらと紙の上に描き出したものを、アポロンは暫く見つめ。
それから二人でへーパイストスの所に行って、なにやら打ち合わせをし。
三人の合意で、なんだかんだと作成が始まった。
それは、アルテミスへのとびっきりのプレゼント。
とうとうこの日が来てしまったわ…。
アルテミスは、いつもより念入りに沐浴をしながら、そんなことを心の中で呟いた。
水晶のような冷たい、透明な水を浴びるといつもは爽やかな、きりりとした気分になるのだが、今日に鍵っては胸の奥の暗澹たる気持ちをけしてはくれない。
侍女たちが捧げ持つ衣装が、いつもの短く動きやすいチュニックではなく、長い裾を引いたドレスだということにも起因している。
…アルテミスだって若い女性だ。そのほっそりした優美な身体に、晴やかな服を纏うことはけっして嫌いではない。
それが、自分の誕生日でさえなければ。
「明日のアポロンのための贈り物は、ちゃんと準備出来ているわよね?」
一日違いで生まれた弟のプレゼントを、念のため確認してみる。
「はい、勿論ですわ。アルテミス様が仕留めた最上の獲物の皮で作った矢筒や、宝石を削った高価な絵の具も」
「ありがとう…お前達は本当にセンスがいいわ」
侍女のニンフ達は、主人の褒め言葉に顔を赤らめる。
美しい衣装に、キラキラと輝く首飾りや腕輪を付け、しなやかなプラチナブロンドを結い上げて神殿を出る。
庭には、すでに何人もの神々がお祝いに駆けつけていた。
「アルテミスー!お誕生日おめでとう!!」
なんの躊躇いもなく抱きついてくるのは、神々の末っ子、ディオニュソス。
男嫌いを自負しているアルテミスとは、例外的に仲がいい神の一人だ。
「今年も、取って置きの葡萄酒を用意してきたよー!それから、アリアドネがよろしくって。新作のパズルを贈ります、って」
「アリアドネのパズルは面白いのよね。さっそく暇が出来たらチャレンジしてみるわ」
アルテミスがにっこり笑うと、次に今日は自分も綺麗に着飾ったアテナが現れる。
「誕生日おめでとう。今日も美しいな、可愛い妹よ」
「アテナお姉さま。ありがとうございます」
はにかんだ少女に、アテナは何枚かの見事な織物を渡す。
「お前の晴れ着に、と思ってな。夜の森と月光を織り込んだ。良かったら使って欲しい」
「まぁ、こんなに…!お姉さま、心から感謝致しますわ!」
アリスタイオスとアクスレピオスからは、連名で蜂蜜を使った美顔ローションが、パーンからは今年生まれたばかりの可愛い子犬が、ムーサたちからは素晴らしい詩集が、それぞれ届けられる。
「…あら、そういえば、アポロンは…?」
一通り、神々の祝福と贈り物を受けて、ふと、アルテミスはその中に双子の弟の姿がないことに気付く。
例年通りなら真っ先に姉の前に参上し、とびきりの笑顔で贈り物を披露する筈なのだが。
「ほら、アポロン、探してるって」
「し、しかし…」
庭の隅の方で、緑のマントを羽織った陽気な青年と、いつも穏やかな鍛冶の神、そして金色の光明神という異色な取り合わせが何やらひそひそ話をしているようだ。アルテミスは持ち前の真っ直ぐな気性そのままに、三人に近づいて行った。
「誕生日おめでとう。弓の調子はどうかとキュクロプスたちが気にしていたよ」
「ありがとう。貴方が来てくれるだなんて、へーパイストス。ヘラ様のご機嫌はいいの?」
「大丈夫。母にこれしきのことで文句はいわせないさ」
髭をもっさりと生やしたいつもの姿で…しかし、身なりを構えばきっと美丈夫になる筈だとアルテミスは思った…へーパイストスはきらりとオッドアイを煌かせた。
隣のヘルメスは帽子を取ると、深々とお辞儀をしてみせる。
「美しき、金の弓の使い手、森の獣たちの守り神、そして慈悲深き産婆の女神。本日は、ご尊顔を拝し祝誕の席に招かれましたことを心より光栄に存じます」
「ヘルメスはいつも口が上手ね。ところでさっきから、三人とも何をしているの?」
その声にぎくっとなったアポロンは、ヘルメスとへーパイストスにつつかれて、小さな銀色の箱を取り出す。
「姉上に…その、生誕の贈り物を…」
まぁ、とアルテミスはその箱を手に取る。へーパイストスの作であろう、品のいい、繊細な装飾を施された小箱。
いつもの大仰な贈り物と比べると、それは意外なほどささやかで…。
……まぁ、巨大な像なんかよりずっといいんだけど。
アルテミスが心の中で呟いていると、
「開けてみてよ、アルテミス。その中身は僕のアイディアでね」
ヘルメスが楽しそうに声を掛ける。彼女は驚いて、蓋を開いた。
髪飾りや指輪を仕舞えそうな、絹張りの優美な箱の中から…。
(これは……竪琴の音色…?)
いや、僅かに違う。しかし、澄んだ水晶のようなメロディが、その箱の中から鳴り響いているのだ。
周囲の神々も、その音につられて近くに集まってきた。
「不思議…こんな小さな箱の中から、美しい曲が流れてくるの…!」
「…その曲は、私が姉上のために作ったものです」
少しだけ頬を赤らめて、アポロンが跪く。
「誕生日おめでとうございます。最愛の姉上…」
「ありがとう!最高の誕生日の贈り物だわ!」
抱きつかれ、うろたえるアポロンの後ろでハイタッチするヘルメスとへーパイストス。
アルテミスの生誕祭が、和やかに始まろうとしていた。
●あとがき
とてもとてもお久しぶりなギリシャ物語です!(土下座)
時系列的には、約束。の後にくる話で、内容もその頃に考えたもの。
この時代には絶対ありえないオルゴールも、ヘルメスとへーパイストスの手に掛かれば簡単に出来てしまいそうな気がするところが凄い。
なにせ、アンドロイドとか作ってますからね、へーパイストス。SFも真っ青ですよ。
殆ど初登場な彼ですが、いつもはおだやかーな気性の方で、怒らせると怖い、という風に思っています。
ぜひ、アグライアさんと幸せになって下さい。