表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

コーヒーパーラー『ライフ』

龍の形見

作者: あんたのわたし

 


 コーヒーパーラー『ライフ』のストーリーから少し話がそれてしまうが、よろしいだろうか。


 この町にかんするひとつのおとぎ話をしてみたいと思う。


 この話は、ある男の憂鬱から出発する。


 花のにおいなどで、季節の変わり目を感じ、そのささやかな変化に、無限の親しみを感じたりするさわやか男子。そういうには、年がいっているが、少女マンガ風の大きな瞳が印象的な、クリーンスタッフの瑛太社長。


 この男は、この数日と言うもの、ぼんやりと清掃会社、クリーンスタッフの事務所の窓から、外を眺めているのだ。


 この男は、前から働き者と知られているのだが、この数日は、怠け者のように、緩慢に手足を動かして、肩を落としていすに腰掛け、ぼんやりと窓から外を眺めているのだ。


 男の気持ちを、一言で表せば、憂鬱。そういうことだろう。


 ところで、この男は、なぜ憂鬱になってしまったのか。それは、この男の心にいやな予感の芽が、一日一日と大きく着実に成長しているからなのだ。


 この男は、たまらなくなると、つい、弱音の一言が口をついて出てしまうのだ。


「ほんとうに、昔みたいに戻ってしまうのかな」


 そして、男は、泣きそうな顔になってしまうのだ。


 男にとっては、その昔というのは、何とも居心地の悪かった時代であった。


 先代社長の陰に隠れて、また、古参の社員に気を使いながら、息の詰まるような日々の連続であった。


「ボンボンは、じーっとみとりゃええんよ。だれもあんたに加われとは言わん」と、したり顔の社員が言った時代だ。


 社長は、じーっとするだけではなく、きっちり目をつぶっていなければ、耐えられない事態が、いくつも起こった。


 しかし、あれから、二十年の月日が過ぎるうちに、いろんなものが変わり、いまでは、この会社も、常識というものが通用するような会社に戻っていた。


 昔の時代を懐かしむものもまだ会社にはいるが、社長にしてみれば、そのような連中には、会社から一日も早く消えてしまってもらいたい今日この頃であった。それが、いまの瑛太社長の本音と言うもんである。



「ボンボン! 社長さん、懐かしいですね」


 死んだはずのその男は、前触れもなく、突然、この会社に姿を現した。


 ある人物が死んで、二十年して生き返った。そんな話は、なかなかというか、絶対に人から、事実としては、受け取ってもらえないものだ。死んだはずのその男を実際前にした瑛太社長も、とうぜん、否定した。


「あの男のふりをして、また、人をおどろかそうとしているんでしょうけど、信じませんよ。あのひとが死んだのはずいぶん昔の話、二十年前の話でしょう。そのころは、『龍の形見』では、死んだ人間が生き返えることもあったということだそうですが……」


 その人物は、ニヤリと笑った。その笑いは、確かにあの男である。


「またまた悪い冗談を……」


 瑛太社長は、机の引き出しに、昔の写真があるのを思い出した。そして、取り出した。それは、二十年前の闘技大会の参加選手の集合写真であった。


「それらしいのがいますね。今のあなたそっくりだ。でも、自分の目を信じられない時代ですから……」


 その男は、瑛太社長から写真を取り上げた。


「われわれが本気でがつんがつん、やりおうていたのも、今にして思えば、夢物語ですなぁ。そして、あの戦さが、ある日を境にして(一晩にして)終わってしまったのは一種のマジックですよ」


「……」


 さすがに、瑛太社長のいやな予感は、確信に変わりつつあった。


「ところで、今日、ここに寄らしてもらったのは、二十年前に、我らが、話おうて、閉鎖をきめた闘技場が、また、開始になると言うことでして、私は、嬉しゅうて、たまらんで、こうやって挨拶をしにやってきたんよ」


 男は、上着を脱ぐと、シャツも脱いだ。男の胴体には、深い刀傷、打撲のあと、銃の弾痕が生々しく残っていた。


「えっ? やはり、あんたは、あの日、日本刀や、ナイフを腹に何本も突き刺さったままで、立ち往生の弁慶状態で、しかも、マグナムの銃弾が容赦もなく、頭部を襲い、真夏の海岸すいか割り状態が、瞼を閉じて、あの名を呼べば、今も鮮明にあのときの姿が目に浮かぶ、伝説の極道、いや、格闘家の森野熊五郎ではないですか」


「よう、思い出してくれた。でも、俺、昔とちっともかわっとらんやろう」


「たしかに……。あなたが生きていることは、私には、全く理解のできないことです」


「細かいことばかり、考えちょったらはよう年とってしまうよ」


「あんた、若社長さん、先代の社長は今どうしているんかのう。会社の名前も、関東興業からクリーンスタッフとかずいぶんと軽うなってしもうて……、ワシにはもうなじめんような時代になってしもうた」


「話は、こっちにもきていると思っているんだがなぁ。先代社長さんと、堀米ヤスさんがおらんかったら、話がみえんからなぁ」


「……」


「まあ、あんたと『龍の形見』の話してもらちはあかんからな」


「なに、なに、なーにー! 『龍の形見』ですって!」


「そう。あれが、出てきたそうやから、『龍の形見』の購入資金に、先代社長に五億円ばかり、用意してもらおうとおもうてな」


「ご、ご、五億円?!」


「端数の数字は、俺、よう覚えとられんから、たしか、そんなもんやったと思うんや」


「会社起こすとか言うて、田舎のじいちゃん、ばあちゃんたちからかき集めた金、社長さんに預けとったんやけどなぁ? 先代社長、留守か……」


「すみません」


「社長、留守とはなあ……」


 とかいって、森野熊五郎氏は、寂しそうな様子で帰って行ったが……。そのとき、つぶやくのがはっきりと聞こえた。


「話はうごいとるんや、後戻りはできん」



 それ以来。瑛太社長の心は、絶望感で胸一杯の状態なのである。


 さらに、社長を鬱にさせてしまった原因は、この大事なときに、この会社の大物たち、先代社長と、堀米安二郎、堀米ヤスが留守なことである。社長は、森野熊五郎の登場以来ずーっと、連絡を取ろうとしたが、十日以上も連絡がなかった。ただ、昨日、留守番電話にメッセージが残されていた。


「虫の知らせっちゅうやつや! 夢に森野熊五郎が現れおったんや。どこぞで、刺しつ、刺されつの闘技場同窓会やろうと思うて、日本中かけまわっとるそうや。いいかぜ、ふきはじめたんよ! 俺もやらんことがあるから、しばらく会社には行けんよ」


 留守番電話の先代社長の話しぶり、テンションの高さは、二十年前のあの悪夢の時代の熱狂と同じだった。


 瑛太社長は鬱状態に加え、さらに悪いことは重なるもので、この数日、バンドマン毅が失踪をしていた。バンドマン毅は、頼りなくもあるが確実に戦力になってくれそうなやつである。そのせいで、仕事に穴があき、人の手配で、きりきり舞いの忙しさになりつつあった。



 さらには、最近いろいろ相談に乗ってもらっているオカマの占い師、岡寺ノブヨも最近は見かけない。瑛太社長は、彼女に会って相談したいことがあった。


 岡寺ノブヨについては、動向に関する情報が入っていた。占い的に問題があるのでクリーンスタッフの事務所に近づこうとはしないということだけらしい。困った事態になると、有用な情報源であるので、来訪を期待していたのだが、必要なときには現れない、会いたいときに会えないというのが、岡寺ノブヨの特性というべきものであった。



 ということで、次に、岡寺ノブヨの話に移ろう。


 このところ、毎日のことであるが、下町のとあるそば屋を、岡寺ノブヨは訪れていた。乱れた気を整えるのは、『おそば』を食べるのが一番。というのが、岡寺ノブヨの持論であった。このそば屋で、お昼をすませると、地下鉄を使い、埼玉方面、千葉方面、横浜方面、新宿方面へと、日々違った方面のいろんな場所に向かった。出発前に、岡寺ノブヨは、携帯電話で、訪問先にアポイントメントをとっていたので、そば屋の女将には、それを漏れ聞き、「あの占い師さん、本当に顔が広いわね」と驚いて見せた。


 岡寺ノブヨは、人生における経験の中から、あるふたつの予言が生まれそうな予感がしていた。


 ひとつは、よい予言。


 たとえば、地上にいる無数の占い師の中から、とある神に選ばれた占い師が、近々起こる大惨事を予言して、世界のヒーローになってしまうとか、とてつもない金持ちが、五億円くらいの大金をアタッシュケースに詰め込んで、占い小屋を訪問し、「この金の使い道については、一切合切、あなたにおまかせしよう」とか、言い出したりするとか、あるいは、最近、岡寺ノブヨや同業の占い師を悩ませているモグリの占い師、どんなに憎んでも憎みきれない商売敵のこのダンピング占い師のところをエイリアンが襲撃し、この不法占い師たちを土星に拉致し、一生涯、彗星の見張り番をやらせるとか、そういうザマーミロ的展開も十分岡寺ノブヨは期待していた。


 ――しめしめ、こういう展開に乗っていくためには、情報収集、怠りなく! 分かってますって!



 もうひとつは、悪い予言。


 岡寺ノブヨは、このところ、非常な危機を実感していた。自分の頭の線が、すべて切断されてしまって、霊感が、脈絡もなく暴走している。


 これは、よほどのことが起きようとしているに違いないわ。なにか、二千年ほど前、古代都市ポンペイでおきたことに、近い悲劇が到来しようとしているそんな予感がするわ。


 岡寺ノブヨは、この事態の真相を究めようと、動き始めた。そして、仲間の占い師や霊感関係の仕事をしている連中と連絡をとって、意見を聞いてみた。こんどの強い予感というか霊感は、多くの仲間が実感し、不安を感じているということであった。この問題について、話し合うサークルもいくつかできていたが、なにかの事実が判明するということは今のところはない。ただ、不安は着実に大きくなっていた。


 未知の霊感についてのやりとりの中で、占い師の仲間の一人が、岡寺ノブヨに聞いてきた。


「ニュータイプの占い師として、評判になっている占い師についてなにか情報ありませんか」


「それって、私たちの最大の敵、ダンピング占い師のはなしでしょ」


 その占い師の意見では、占い師全体の心を支配する悲劇の予感の問題も、問題だけど、私たちにもその正体の分からない、未知の占い師が登場してそれがとても受けているということが気になるということであった。


「その占い師が、地球に最悪の事態をもたらそうとしているのよ」


 はっきりといえば、その占い師が何かとんでもないことをしでかしそうな予感がするというのだ。


「なんか、あの占い師が、すべてに絡んでいるって言うことね。見つけだして、一刻も早く殺してしまわなくっちゃ」


「……。しかし、占い師とかいっても、受けているとか、評判だとかいうだけでは、どの占い師のことをいっているのか全く絞りきれないわ」


 岡寺ノブヨは、途方に暮れてしまうのであった。



 この問題の解決の糸口は、意外なところからもたらされた。


 岡寺ノブヨは、このところ、外出が続いていたので、留守番電話をセットすることは、絶対に忘れてはならないことであった。にもかかわらず、このところずっと、岡寺ノブヨは自分のうちの留守番電話はセットされないままになっていた。彼女の電話には、重大事件を知らせるように執拗に呼び出しのベルが鳴り続けていたのに、岡寺ノブヨは、電話に出ることもなく、留守番電話に切り替わることもなかったのだ。


 岡寺ノブヨが、二日前の深夜、やっと家に帰って、くつろごうと、コンビニのおそうさいとワンカップの日本酒をテーブルの上に並べ、週刊誌を広げたその瞬間に、けたたましく、電話が鳴りだした。


「あんた、いったい。こんな深夜まで、どこうろついていたのよ。相談したいので、毎日、毎日電話していたのに、いつも留守。なんで、占い師のくせに携帯を持っていないの」


 その声は、明日香であった。明日香は、岡寺ノブヨと同い年で雇われ女将をやっていた。店は不況の中、何とか頑張っていた。ところで、岡寺ノブヨは、携帯は、私用には使わなかった。これは、明日香には内緒だった。


 明日香にはどこか暗いところがあった。そこで、岡寺ノブヨは、彼女の悩みにのってあげてた。おもしろいことに、明日香は岡寺ノブヨの町のことをよく知っていた。コーヒーパーラー『ライフ』やクリーンスタッフの連中のことなど。


「ねぇ、例のストーカーの件で、進展があったの?」


「どうして、分かるの?」


「一番、悩んでいるみたいだったからね」


「そう、二週間くらい前の晩のことだったわ。雪が積もった夜だった。家の裏に、何かの気配がしたの。ストーカーだと思った。それで、怖かったけれど、私のことをつけ回しているストーカーの見極めようと決心したのよ。一気にカーテンを開き、サッシの扉を開くと、その向こうにいたのだれだと思う? それは、エイリアン。昔なじみのエイリアンだったの。彼ったら、小さな体で、大きなアタッシュケースを運んできていた。そのエイリアン、死んだ彼の友人で、一緒に二〇年前に店にきていた頃には、下っ端のエイリアンだったけど、いまでは、出世してヒトカドのものになったわ。そして、そのエイリアン。こんどは責任のある仕事を地球にやってきたそうなの。そのエイリアン、私をつけ回していたのは、その仕事に関することだったみたい。いまは、いないあの人のことを思い出した」


「その元客のエイリアン、何の用事だったの。アタッシュケースなんか持ってきて」


「うちの子は、そのエイリアンの王になるべき血筋なので、エイリアンの王として迎えたいと、うちの子供を売ってほしいって。なんと十五億円で、売ってほしいって言われた」


「つまりは、あんたの死んだ彼って、エイリアンの王様だったってことなるの」


「たしかにそうなるわ。あの人とつきあっていた頃にできたあの子。わたしたちが駆け落ちして、生まれたあの子。あの子が生まれたすぐあとに、あの人は死んでしまった。あの人がエイリアンの王だったなんて信じられない。お金は、一〇億円手付けとしてもらった。あと五億はアタッシュケースに入りきれなかったので、子供を引き渡すときに持ってくる。そういう約束になっているの」


「もう売っちゃったの? でも、私に相談してくるところをみると、売っちゃったことを後悔しているのね」


「お店の方もうまく言っているというわけではないし。あの子に立派な教育を受けさせてくれるって約束してくれたし、あのこの将来の幸せのことを考えたら、それしか、道はないように思えたの。でも、……」


「売る気がなくなったなら、お金を返せばいいじゃない。……。えっ、その十億使ってしまったなんて言わないでしょうね」


 女は泣き出した。


「使っちゃいました。あなたの町に住んでいた頃の知り合いで森野熊五郎さんという人の亡霊が、枕元にたって、俺が死んだのはお前のせいだ。一生恨んでやる、とか言うから。五億円だせば、生き返れる方法があるから、そしたら、この恨みをチャラにしてやる。そういって、無理矢理、五億円持って行ってしまったの」


「残りの五億は?」


「そして、その翌日には、どこから情報を得たのか。あなたの町のクリーンスタッフの堀米ヤスが現れて、地下闘技場の再建に五億円がどうしても必要なので、貸してほしいと頼まれました。五億円あれば、いま、エイリアンが所有している『龍の形見』を買い受けることができるそうなの」


「『龍の形見』の話は聞いたことがあるけど、本当の話なのね」


「話せば、いろいろと複雑なんだけど、答えは、イエスよ。不思議だと思うでしょ。うちの子が、人の運命を予言できるのも、あのころの不思議な体験が影響しているのかも」


「今、思ったんだけど、あんたの子供って、占い料ダンピングで客を取っているどっかのモグリの占い師のことじゃないでしょうね」


「そういう言い方もできるかも。新宿の高級美容室で、水商売のお客さんの占いをやらせてもらっています」


「やっぱり! しょうがない娘ね。それなら、わたしもこの話に乗るしかないわね」




 岡寺ノブヨは、タクシーで明日香のところに向かう間、『龍の形見』について考えていた。   


 そういえば、岡寺ノブヨは、『龍の形見』について、昔、コーヒーパーラー『ライフ』のマスターに話を聞いたことがあった。


『龍の形見』、それは、みかけはちょうど、子供のおもちゃのスノードームのようなもの。大きさも、手のひらにのりそうなスノードームと同じような物。しかし、『龍の形見』が不思議なことは、そのちっぽけな、ガラスの容器の中には広大な世界が存在しており、何千人という人間を収容できるということだそうだ。そして、二十年前には『龍の形見』の中の広大な世界で、毎夜、格闘技の大会が開かれていたそうだ。『龍の形見』の中に、選手や観客として、何千人もの人間が集まったものだそうだ。『龍の形見』に出入りするためには、町のとある廃ビルのとある扉が用いられた。『龍の形見』の中の闘技大会では、毎日、生死をかけた戦いが行われていた。この『龍の形見』には、入り口はあったのだが、出口というものはなかった。選手も、観衆も、試合が終わるまで熱狂し、そして、ふと気づくと、翌朝には自分の家で目が覚めるということであった。さらに、試合に敗れて死んだ選手も、翌朝には、何もなかったかのように無事に、自分の家で目覚めるということになった。これは、夢だったという人間もいる、しかし、何千人もの人間が、同じ闘技大会の夢を見るのであろうか。


「この大会には、みんな熱狂した物さ。クリーンスタッフの連中も若かったし、血の気が多かったので試合に進んで参加していたよ。うわさを聞いて、全国からすごい選手がやってきた。なかには、エイリアンも、参加していたといううわさを聞いたな。エイリアンは、試合では熊のようにたくましかったのだが、普段は、小柄の生き物だったという話だ。ところで、ある日、不思議な男が店にやってきた。男は、わたしが頼みもしないのに、懐から『龍の形見』を取り出して見せてくれたのさ。『龍の形見』は、一見して普通のスノードームだった。しかし、その小さなスノードームの中には、何千人という観衆がいて、リングがあって、リングの中では、戦いが行われていたのさ。私は、その『龍の形見』のなかで行われている試合に見とれてしまった。ところで、男が『龍の形見』をしまおうとしたとき、男はあやまって、『龍の形見』を床に落としてしまった。男は、相当に体を害している様子だったので、とつぜん腕かきかなくなってしまったりしたのだろう。床で、砕け散った『龍の形見』は、こわれたガラスのスノードーム以上の物には見えなかった。『闘技大会もコレで終わりだ』と男はつぶやいた。実際に、それからは、この町から『龍の形見』も格闘大会もなくなってしまったというわけだ」


 そう、人生のまばゆい時代を振り返るように、マスターは岡寺ノブヨに話したのだった。





 死んだはずの森野熊五郎が、クリーンスタッフにやってきた何日かあとのことである。


 瑛太社長は、朝の清掃業務を終えると、疲れた体で、牛丼屋にたちよった。そして、少しばかり遅い朝食をとることにした。瑛太社長の体には、疲労感が満杯になっていた。このところ、主戦力の社員が、会社を離れているために、その負担が結局、瑛太社長に集中してしまっている。


 この疲れをとるために、普段の並盛りから、奮発して、特盛りを注文した。特盛りの牛丼が、出されると、瑛太社長は、どんぶりからこぼれそうな肉の盛り上がり具合で元気が出てくるような気がした。


「兄ちゃん。あと、牛皿の特盛り、十皿追加や! 切らさんようにどんどん持ってきてや!」


 瑛太社長は、その声の主の方を振り返ってみたのだが、その声の主は思い当たるような人物ではなかった。


「牛肉っちゅうのは、ほんまにパワーや、パワーそのものや!」


 男は、大声でいいながら、牛皿一皿分を一気に、口に流し込んだ。


「ますます、元気たまってきたでー。この調子や」


 男の前には、空になった牛皿と飯のどんぶりが、それぞれ、一メートルくらいの高さにまで積みあがっていた。


 ――ひとりで、これだけ食ってしまったのか?

 化け物か。しかし、派手な衣装やな。


 瑛太社長は、ピンクのラメのジャケットをふつうに町中できている人物をみるのは、たぶん、生まれて始めてのことだった。


 その瞬間のできごとだった。


 巨大な牛皿と、飯のどんぶりの巨大なタワーが何かの弾みで崩壊したのである。


 逃げまどう客たちで、牛丼屋の店内は一瞬パニックになった。


 牛皿と飯どんぶりが牛皿の残り汁を振りまきながら店内に散乱した。


 そして、牛皿の残り汁が、瑛太の背中にも直撃した。


「兄ちゃん、すまんな。偉いすまんことしてしもうたな」


 男は、頭を下げた。並外れた巨体を、縮めて、あやまった。


「ワシが悪かったんや。つい油断して、どんぶりを牛皿の積あがった方にぶつけてしもうた」


「……」


「洋服もシミになってしもうたな。頭にも、顔にも汁かぶってるで」


 男は、牛丼屋の店員を呼んだ。

「にいちゃん、おしぼりを持ってきてくれ。大変なことになってしもうたんや」


「兄ちゃん、……。えっ、お前瑛太じゃないか」


 瑛太が男の顔をまじまじと見ると、ポマードなどで髪の毛をびったりと固めていて。髪の量がぐんと増えヘアスタイルは、違っていたし、日焼けサロンの帰りかよというくらい、ごんがりと肌を焼いていたし、カラーコンタクトでも入れたかのようにキリリとした瞳をしていた。しかし、たしかに先代社長であることは間違いなかった。


「……。ひょっとして、先代? 三〇キロくらい体重増えていません?」


「五〇や、正確に言うと五三・五キログラム、先月より増えとった」


「急にマッチョになられて、少し見ないと思ったら、いったいなにが起こったのですか」



「決闘や! 森野熊五郎が、地獄からよみがえって来よったんや。森野熊五郎は、うちの会社にもきたやろう」


「……」


「遠路はるばる、地獄から森野熊五郎が戻って来よったんよ。ワシも、ヤツの熱い思いに、ワシの体の熱い血がまた、たぎりだしたんや」


「おっと、俺も人を待たせている身、お前とゆっくり話をしとる場合やないんや」


「場所は、都庁前の特設会場や! 観客もよけい集まるそうや」


「えっ? 都庁っていま戒厳令が引かれてませんかね。今朝、東京都に、エイリアンが宣戦布告したってニュースでやってましたよ」


「なんや、なにが起こったんや」


「たしか、一五億円で養子縁組みが成立したのに、その子供を連れに言ったエイリアンが、引き替えのために持ってきた五億円を奪われた上に、ひどくボコられた。それで、エイリアンが東京都に抗議を申し込んだのですが、東京都がなかなか請け合ってくれないので、今朝、エイリアンが宣戦布告をして、東京都とエイリアンの全面戦争が間もなく始まるそうですよ」


「どっかで、聞いたような話やな。その話、飲み屋のねぇちゃんと岡寺ノブヨがからんどらんやったか?」


「たしかに、加害者とか言う人物が、『おかまをなめるんじゃないわよ』とか言って、取材の記者に抗議しているのをテレビで声は聞きました。顔や姿は、テレビに出ませんでしたけどね。僕も、どこかで聞いたような声だとは思いました」


「そうか、やっぱり、俺は、早まったことはするなと、とめたんや。しかし、明日香と岡寺ノブヨは言うこときかんかったんやな」


「……」


「明日香は、キャバ嬢時代の昔からの俺のなじみや。いまは、かまっとられんが、決闘が終わって手がすいたら、力になってやらんといかん」


「岡寺ノブヨ? ……」


 瑛太社長には、エイリアンと戦う岡寺ノブヨの姿は、あたまに思い描くことができなかった。


「すまんが、やつらも新宿におって、心細い思いをしていると思うんや。決闘が終わって、助けに行くまで待っているように、奴らに伝えられる手立てはないもんやろか」


 先代社長は、ラメのジャケットのポケットからペンと予定表のノートを取りだした。今発生した新たな戦いの予定を喜々として、書き込んだ。


「また、戦いの予定が入ってしもうたわ。人気もんは本当につらいわ」

    



 どのようにして、岡寺ノブヨと明日香が、東京都とエイリアンとの全面戦争に絡むことになったのか説明するために、一日時間をさかのぼることにしたい。


 二人は、電車で新宿を目指していた。


 前日の晩から、明日香は、変だった。自分の子のことであるのに、なにか投げやりな態度があった。明日香は、自分の子供を守る積極的な行動に出ることを拒んでいた。


「もう、自分の子供ではないのだから」とか、「決まってしまったことだから」とか、「子供は、自分にとっては手の届かない存在なんだから」とか、「受け取ってしまった金を返せる目処が立たないのだから」とか、とにかく、子供を取り返すために前向きの行動に出ようとしなかった。


 岡寺ノブヨも、煮えきれない態度の明日香のせいか、どういう行動に打って出るべきか、イメージが湧かないでいた。


「子供の顔を見たら、どうすべきかはっきりと分かりそうな気がするの。私をあなたの子供に会わせて!!」


 最後には、明日香も観念して、岡寺ノブヨを子供のいる美容室に案内することにした。


「明日香、残金としてもらえる予定の五億円について、未練があるのではないの? お金のために子供を売る親なんて信じられないわ」


「……」


「でも、子供ってもう二十歳くらいになるわよね」


「……」


「私が聞いている話だと、モグリの占い師は、まだ、学校にも行っていないくらいの子供だっていうけど?」


「……」


「自分の大事な子供を、ぜんぜん知らない人間に預けっぱなしみたいなことができたわね」


 岡寺ノブヨは、女に説教した。


「……」


 女は、うなずくばかりで、あえて、岡寺ノブヨに反論するとか、事情を説明するとか言うようなことはしなかった。


 岡寺ノブヨと女は、美容室に到着した。


「ここね。私のライバルが、闇で、ダンピング価格で仕事して、たくさんの都内の占い師を泣かしているというのは……」


 美容室には、多くの女性が詰めかけていた。そして、自分の占いの順番がくるのを待っていた。


「流行っているわね。ずいぶんと儲かっているようじゃないの」


 岡寺ノブヨは言った。


 占いを求める女性たちの先頭には、テーブルがあって、そこには、幼女が腰掛けていた。


「あの子よ!」


 岡寺ノブヨは、幼女を指さした。


 幼女は、テーブルの上の水晶玉のようなものをのぞき込んでいた。


 そして、客の悩み事を聞いていた。


「あの水晶玉がくせ者ね。すみませんね。お嬢ちゃん。占い師さん、失礼なことはじゅうじゅう分かっているんですけど、それでも確認しておきたいことがあるんですね。この

 水晶玉の裏には、本物の東京都占い組合認定シールが張られているかどうかと言うことなんです。張られていないと、普通は、面倒なことになってしまうんですよ」


 岡寺ノブヨが、幼女の前の机から、水晶玉のようなものを取り上げて仔細に調べ始めた。


 女性も、ノブヨと一緒に水晶らしきものをながめた。


「……。不審ね。……。えっ? これ、……違っている」


 一見して、水晶玉に見えたそれは、実は、スノードーム。


「これって、スノードーム?」


 スノードームとは、球形の透明な容器に、水や、きらきら光る銀紙のような小片、そして、建物、橋などのミニチュアが入っている主に幼児のおもちゃである。それは、岡寺ノブヨにもよく分かっていた。そのスノードームには、言うにいわれぬ威厳があり、安っぽさもなく、幼児のおもちゃには見えなかった。


「えっ」


 岡寺ノブヨが、戦慄のつぶやき声を思わずあげた。


 スノードームの中の、タツノオトシゴのようなミニチュアが動いたのだ。正確に言うと、そのタツノオトシゴが生きているように、岡寺ノブヨには思えたのだ。


「こんにちわ」と、同行の明日香が語りかけると、それに答えてタツノオトシゴうなずいたように思えた。岡寺ノブヨは、同行の女性とスノードームの中のタツノオトシゴの間に、暖かい感情の行き来が感じられた。瞬いたタツノオトシゴのつぶらな瞳には、岡寺ノブヨもかわいらしさに、思わず微笑んでしまった。


「えっ、ひょっとして、あなたの子供って、この幼女ではなくて、このスノードームの中の……」


「そうです。トムという名なの。うちの子供は、ほかの子供たちとは少しばかり違っているんです」


「こんにちは」


 岡寺ノブヨは、トム君に挨拶した。


「こんにちは……」


 岡寺ノブヨにトム君が、聞き慣れぬいんとねーしょんの日本語の挨拶を返したとき、異変が起こった。


 タツノオトシゴ似のトム君は、さらに何かを話しそうに見えたのだが、何かを感じて黙り込んでしまった。そして、神隠しに遭ったように、姿を消した。


 岡寺ノブヨと明日香は、殺風景な、見覚えのない部屋に、気づかぬうちに移っていた。


「ひょっとして、ここは『龍の形見』の中ってこと?」


 岡寺ノブヨは、つぶやいた。


 美容室にたくさんいた美容師、美容室の客、占いに来ていた客、そして、幼女までがそこから消えてしまっていた。


「あなたは、わたしたちの、囚われものに、なった。囚われものだ。これからは、わたしたちの命令に、したがっていただく」


 たくさんにひとが消えて、ひとりのエイリアンが現れた。


「トム君!」


 明日香は、悲鳴を上げた。エイリアンの手には、虫かごのようなものがあり、先ほどのタツノオトシゴ似のトム君が、薬でももられたかのようにぐったりとして横になっていた。


 エイリアンは、岡寺ノブヨに名刺を渡した。名刺には、『(株)宇宙商社第一営業部部長、DR.ノバ』と書かれていた。


「この人が私の子供をもらいに来たエイリアンよ」


 明日香は、小声で言った。


「五億円はどうなったの。その子と引き替えに、用意すると約束した五億円」


「あなたたちが、子供を引き渡さないことを決心したことを知っている。だから、いまから、私たちは、実力行使をして、私たちの権利を守らねばならない。というわけで、あなたと私との約束も反故になった。私は、子供をもらっていくが、お金は渡せない」


「これからわたしたちをどうするつもり」


 明日香は、少しも怯まなかった。


「クリーンスタッフとあなたがたは、私たちとの提携契約に違反した。また、もろもろの事情から、私たちは、ある決断を行うことにした。わたしたちの企業の利益を損なうような行為は、決してゆるされません。そのような行為にたいしては、その企業が属する国に対しても罰が与えられるのです」


「あんたたち、戦争でもしかける気?」


 岡寺ノブヨは聞いた。エイリアン、DR.ノバはそれには答えなかった。


「わたしはおまえたちの質問に答えた。こんどは、おまえたちが、私たちの質問に答える番だ。おまえたちから、聞いておきたいこと。それは、堀米ヤスというやつのこと」


「知らないわね。私、クリーンスタッフのことについてそこまでディープな知識を持っていないのよ」


 エイリアン、DR.ノバの質問に、岡寺ノブヨが答えた。


「おまえたちが、知らないと言うことは、堀米というヤツを弁護するヤツがいないと言うこと。ということは、堀米が死刑になると言うこと」


「堀米さんを処刑して、その責任を私に押しつけるき?」


「……」


「あなたをこの世界へ導いたのはだれ」


「……」


 DR.ノバは答えなかった。


 交渉決裂。明日香は、岡寺ノブヨに合図してその場を離れようとした。


「お母さん、俺を見捨てるのですか? 堀米は、あなたが僕を売ったお金で『龍の形見』を買おうとしている。あなたは、また昔の仲間の森野熊五郎のためにお金を使った。でも、僕のことは 見捨てていく」


 明日香は動揺した。それが、岡寺ノブヨにも見て取れた。


「大人になれよ。もう、二十歳なんだろう。お母さんを理解してあげなよ」と、岡寺ノブヨは、タツノオトシゴ似のトム君のことをたしなめた。


 岡寺のぶよは、たつのおとしごの怒りを静めるために、言った言葉は逆効果を生んでしまった。トム君は、食い下がってきたのだ。


「お母さんは、残りのお金の五億円が今でも欲しいのか」


「欲しくはないけど、約束は守るべきでしょう」と、明日香はきっぱりと答えた。


「しかし、それは残念だ。その五億円は、このDR.ノバが持ち逃げしてしまおうと考えているよ」


「……」DR.ノバはたじろいだ。


「僕も、お母さんの五億円を持って行った堀米は赦さない。堀米は、心の迷路から永遠に抜け出ることはできない。僕には堀米の未来が見えるんだ」


 DR.ノバは、トム君の話を聞いてうなずいた。


「たしかに、トム君の占いはよく当たるようだね。これからもよろしく頼むよ。堀米は危険な男。やつは、二〇年前から『龍の形見』に異常なほどの関心を示した。やつは、手を尽くして『龍の形見』の設計図を手に入れようとした。そして、数日前に、ついに闇の技師に接触して、設計図を示し『龍の形見』の制作を依頼した。これ以上、堀米を放って置くわけにはいかない。私は、やつを見つけしだい殺すよう命じるだろう」


 両者のにらみ合いがあった。


 そのあと、DR.ノバは、虫かごのトム君を連れて、別室へ退いた。


「まあ、いい、ここでゆっくり、あたまをひやして、かんがえてみなさい」


 龍王の子、トム君が泣き止まないので、夜になると、DR.ノバの使いが明日香を呼びに来た。


 それから、岡寺ノブヨが、一人っきりになった。


 そして、丸一日が過ぎようとしていた。


 部屋にスクリーンが現れたかと思うと、テレビ放送を流し始めた。テレビではニュースをやっていた。




『龍の形見』に、閉じこめられてしまっているうちに、悪玉エイリアン、DR.ノバにより、あることないこといろんな情報をミックスしたでっち上げが、新聞社、テレビに流され、世間では、東京都とエイリアンの全面戦争という報道に沸いていた。


堀米ヤスが持ち逃げしている五億円が帰ってくれば、すべては解決します」


 DR.ノバは、テレビで微笑んだ。


 DR.ノバも、まさか、『龍の形見』から岡寺ノブヨが生還するとは思っても見なかった。


 また、堀米に対する認識も少し甘かった。


 ただ、この時点では、悪玉エイリアン、DR.ノバは、堀米が持っている五億円とあわせ。十億を手に入れるため、完全な計画が、できあがっていた。


 しかし、このとき、DR.ノバには、実際には、予想もつかない未来が待っていたのだ。




 先代は、牛丼屋で仕事に向かう瑛太社長と別れると、新宿へ向かった。そして、地下街を通って都庁前にやってきた。


 しかし、そこには、誰もいなかった。


 ただ、都庁前の広場には、扉のユニットがあった。その扉は、部屋と部屋とを区切っているわけではなかった。ただ、扉のユニットが立っていた。


 先代は、その扉が扉がなにを意味するかすぐに察した。


 先代は、扉を開くと中に入っていった。


 扉の向こうにあったのは、懐かしい闘技場だった。


「ここで、お前とやり合うのを楽しみにしとったんや」


 闘技場のリングには、森野熊五郎がいて、話しかけてきた。


「俺は、もうじきあの世に帰らんといけん。五億円ポッキリの金じゃ、薬の効きにも限界があるみたいや。あの世に行く前に、言いたいことがあるんよ。ひとつは、お前に預けとったと勘違いしとった五億円ことや。会社まで出向いていって、えらい心配したやろう。何に使うたかやっと思い出したわ。明日香のために、キャバクラ『スマイル』開いてやったんや。たしか、あの店、えらい赤字を出しよったんや。あれで、そうとう、カネ持って行かれたわ」


「残りは、わけのわからんの廃品回収業者に出してしもうたわ。その廃品業者の乗っ取る車の電飾も見事なもんで、ワシは気にいったんよ。そいつに、きまえよう、みんな持って行ってくれるよう言ったんよ」


「あと言いたいことは、堀米ヤスのことや」


「俺は、堀米ヤスのことが心配でならない。というのも、俺は生き返ることが出来たとき、まず、堀米ヤスのところに出かけていった。ヤスは、俺に、『龍の形見』が売りに出されているという。ヤスは、新聞の三行広告の切り抜きを示してくれた。俺は、ヤスの話に乗った。そして、明日香にそのための資金五億円を工面してもらうようにいったのだ。『龍の形見』の入手の旅に出たヤスはすぐに行方不明になった。俺は、ヤスの身に何かが起こったことを確信した。そこで、俺は、お前、つまりクリーンスタッフの先代社長に相談したのだ。お前は、バンドマン毅という男を様子を調べに行かせたのだが、その後何も情報が入ってこない。俺は、心配でたまらない」


 最後に、もう一度、先代社長と戦えなかったことをわびたのだが、それだけ言い終えると、影が薄くなり、森野熊五郎ついには消えてしまった。


 森野熊五郎に続いて、『龍の形見』には、DR.ノバが現れた。そして、そのDR.ノバはアタッシュケースを持っていた。


 それは、明日香から話を聞いていたDR.ノバだと言うことが分かった。


 社長は、DR.ノバを呼び止めた。


「君、君は、ひょっとしてDR.ノバ君か?……俺たちとともに、このリングで戦った時のリングネームはグレート松本だったよね。君たち、エイリアンもこの戦いに参加してくれて、その時には、人間としての姿で、戦ってくれたんだよね。懐かしいなぁ」


 DR.ノバは、社長が呼び止めたことなど全く耳に入らぬように知らんぷりして、通り過ぎようとした。


「君、話があるんだ。待ってくれ。おい、君。君と一緒のエイリアンで、君が大事にしていた選手がいたよね。そうだ。グロス川崎とか言ったな。あいつ、キャバクラ『スマイル』の明日香ちゃんと駆け落ちしたんだよね」


 先代社長は、DR.ノバのことを追いかけ始めた。


 DR.ノバは、それほど足が早くない。先代社長が、必死で追いかけると、DR.ノバと社長との距離はどんどんと縮まっていった。


 DR.ノバは、それでも、社長よりも早く扉のところにたどり着けそうに思えた。


 ところが、近くの建物が、なにかの衝撃で、この建物の構造物の一部が落下して、DR.ノバの行く手を塞いだのだ。


 DR.ノバは、落下した構造物を避けようとした。


 DR.ノバは、あわてていたのか、構造物と一緒に落下していたワイヤーに足を取られた。DR.ノバは虫かごの中のトム君が無事か確認した。


 DR.ノバが、振り向くと、そこには、先代社長の顔があった。


 DR.ノバは、顔を背けた。


「竜王がその子の父親だというのは本当か? そこを知りたいのだ。ついに君は、あの頃の夢を実現したのだね。僕は、そのころからグロス川崎が竜王だってことは知っていた。竜王って言うのは、ずいぶんと偉いエイリアンだそうだね。その竜王が、次の代の竜王の母親になるべきものを捜して、宇宙を旅していたんだよね。君は、龍王思いの部下だったって話も聞いた」


 先代社長は、DR.ノバに真顔で尋ねた。


「そうさ、こいつの父親は、間抜けな王、龍王さ」


 DR.ノバは虫かごの中のトム君を見ていた。


「龍王は、闘技大会に没頭し、消えかかっていた自分の命をそこで燃やし尽くした。とんだ間抜け野郎さ」


「……」


 DR.ノバは、笑い出した。


 DR.ノバは、高らかに笑った。


 DR.ノバの笑いは、どんどんと勢いがついて行った。


 先代社長は唐突に話題を変えた。


「お前は、闘技大会の主催者と聞いたが?」


 DR.ノバは、先代社長の質問には答えずに、聞き返した。


「そうだ。それがどうしたというのだ」


「そうか、やはりそうか。俺は、知っている。あの闘技大会を維持するために、自分の命を削っていたことは、内緒にしているつもりだったろうけど、みんな知っていた。龍王である、グロス川崎が闘技大会をやめる決心したのも君の健康のことを案じてのことだった」


 DR.ノバは話を変えた。


「『男たちが意地と意地とで作った龍の歴史が存在した』とか、世迷いごとを言っているのはおまえたちだったよな?」


「そうだ、あの闘技場で戦った男たちは死ぬまでそれを誇りに感じるだろう」先代社長は答えた。


 DR.ノバは、それに答えずに、笑った。


「『なんと失礼なヤツだ』と思ったろう」


「……」


「俺は、おまえたちのように気取ったヤツが、一番嫌いなのだ。宇宙で、おまえたちのような奴らがのさばっているのを見るのが耐えられないのだ。そんなバカなおまえたちに、現実というものを思い知らせるために『龍の形見』を奪い取りたかった。というのも、闘技場は、友を俺から奪ったわけだからな」


「竜王よ!」と、DR.ノバは呼びかけた。


「龍王、つまり、お前は、こいつらにだまされ、言いくるめられ、『男の意地』を賭けた 戦いとやらにのめりこんでいった。そして、自分の最後の命を削り、死んでいったのだ。龍王は、俺や、お前の母親、明日香を 顧みず戦いの中で自分の命を燃やしつくしてしまったのだ」


 業を煮やした、龍王は、天上の世界から、DR.ノバに語りかけてきた。


「いいわけは止せ! 五億円横領した言い訳は聞きたくない。お前が、自分自分の心を裏切るために、苦しんでいる。しかし、お前は自分の想像していうものとは全く違ったものに育っているのだ。自分のただし姿を見なさい。そうすれば、お前は、苦しみから自由になれるはずだ」


「言い訳ではない。これが 俺の本心さ。いっさいがっさいをはかいする。これが、俺の本能なんだ」


「どうして、自分を見つめないのだ」


「言い訳じゃない。その証拠に、一切合切をはかいする。竜王よ、手始めに、俺は、おまえのこどもをはかいする」


 DR.ノバは懐から、鋭いナイフを取り出すと、虫かごの中のトム君に狙いを定めた。


 そして、迷いを振り切るようにナイフを振り下ろした。


 すると、DR.ノバが思ってもみなかったような、女性のうめくような声が辺りに響いた。


「明日香。お前はどうしてここにいるのだ」


 DR.ノバの足下に倒れた明日香は、すでに息絶えていた。


「私の母であり、龍王妻、明日香は、死んだ。予言を実現するために」


 と、タツノオトシゴ似のトム君はつぶやいた。


「麒麟の誕生のためにすべては用意されていた。龍王も、『龍の形見』も何千年も続いた龍王とDR.ノバの旅も」


 それを、聞いたDR.ノバの瞳に、涙があふれた。そして、頬をつたって落ちていった。


「すべてが、俺のためだったとは、それなのに俺はなんと言うことをしてしまったのだ。なんと多くの、見当外れの恨みをいだいていたのか」


 DR.ノバのほおをつたう涙は、炎に変わり、DR.ノバを焼き尽くした。そして、その炎の中から、麒麟が生まれたのだ。DR.ノバが死に、悔い後の炎の中から、麒麟が生まれたのだ。麒麟は、炎をまといながら空へ飛び立っていった。


 先代社長は、地面に落ちた虫かごを拾い上げ、虫かごの中のトム君と一緒に、麒麟の旅立ちを見送った。




 妻を失い、友を見送った龍王の慟哭が新宿都庁ビルの上空にこだました。岡寺ノブヨが捕らえられていた『龍の形見』の壁にWCと記された扉が現れた。岡寺ノブヨは、まだ、見張られていると思って警戒していたので、トイレを借りるふりをして、ダッシュして『龍の形見』を飛び出してきた。


 息が切れたままで、まだ、苦しい。


 そんなときに、誰かがとつぜん、岡寺ノブヨの肩に、背後から手をかけてきたのだ。岡寺ノブヨは驚いて振り向いた。


 それは、バンドマン毅であった。


 バンドマン毅は、堀米安二郎から預かった手紙を携えていた。


「これ、俺に代わって、クリーンスタッフの仲間のところに届けてもらえませんかね。俺、何日も寝てないし、深夜バスで新宿へ着いたのも、たったいまのことなんで、立っているだけで、ふらふら状態なんですよ」


「先代社長か、コーヒーパーラー『ライフ』のマスターか、岡寺ノブヨさんに渡せって言われているんで、もらってもらえれば、うれしいです。というのも、一刻も早くうちに帰って眠りたいわけで……」



 遺書


 堀米安二郎


 兄弟よ、ゴメン。俺は、おまえたちから託された金。俺たちの理想を復活させるための資金をすべて、この町で使い尽くした。俺は、この町にやってきて、果たしていない義理や、不人情というものをつくづくと実感してしまった。俺は、義兄弟の杯を交わした仲間たちのためになんにもしてこなかった。しかし、彼らは、俺を本当の兄弟としてもてなしてくれた。歓迎してくれた。俺は、あいつ等が示してくれた仁義・人情に俺は泣いた。そして、俺は、心の底から生まれ変わることにした。俺は、あいつらのもてなしに、最大のもてなしを持って返すことにした。そして、もてなしの宴を延々と続けた。そして、友は、ほんとうに義侠の精神をここにみたと言って、俺に喝采を与えてくれた。俺は、満足した。たとえ、カタギの人間が、五億円を投じた乱痴気パーティと揶揄しようとも、俺は、そいつ等に対して、これっぽっちも聞く耳を持たない。


 義理人情の世界は、俺のような大馬鹿者がいて初めて意味を持つものなのだ。


 俺は、一文無しになった。そして、俺は、兄弟と交わした約束が残されている。俺は、わかっている。この約束も、俺の命と同じくらい重いものだと言うことを……


 俺には、算段があるつもりだ。俺は、兄弟には、はなしてはいなかったものの、この二十年間。あの日に起こった出来事、あれから、たどった義理人情の没落。一時たりとも忘れたことはなかったのだ。そして、俺たちの苦渋の二十年間にだれが笑っていたのかも、しっかりと突き止めている。


 この町にやってきて、乱痴気騒ぎの間でさえも、俺はあいつ等の情報をしっかりと集めていたんだ。


 兄弟よ、覚えているかい。あれは、突然の出来事だった。兄弟と、森野熊五郎の戦いは、もつれにもつれていた。しかし、兄弟よ。あんたは、熱戦に、森野熊五郎が少しづつスタミナを失っていた。明らかに、森野熊五郎の動きが鈍くなったのを見抜いた兄弟は、渾身の一撃を森野熊五郎に見舞った。その一撃は、熊五郎の野郎の頭蓋骨にはっきりとした打撃を与えた。熊五郎は、兄弟の攻撃をもう受け止められなくなってしまった。熊五郎の意識がもうろうとなって、足下もおぼつかなくなっているのは、だれがみても明らかなことであった。兄弟は、この因縁の戦いに最後の決着をつけるべく、とどめの一撃を見舞ったのだ。


 森野熊五郎の最後は、だれも想像していないくらいのあっさりとしたものだった。その場に、へたり込むように、腰から落ちていくと、大の字になって、もう息をしなくなってしまった。


 兄貴を称えて、満員の会場の観客は、喝采した。


 そして、この戦いに、はっきりとしたけじめを付けるために、会場の客たちの手で、森野熊五郎にとどめを刺すことになった。森野熊五郎は、引きずり起こされ、そして、その腹に向かって刃物のが突き立てられていった。また、銃によって、体のあちこちが打ち抜かれていった。そして、心臓めがけて、最後に、マグナムの銃弾が発射された。森野熊五郎は、確実に死んだのだが、それでも、かろうじてたっていた。それに対して、観衆からは、拍手喝采が送られた。敗者に対しても喝采が送られるということは、闘技場においては非常に珍しいことであった。


 そして、この戦いの証人たちが、『龍の形見』に戦いの報告をしようとしたとき、『龍の形見』は失われて、もはや存在しなかった。


 まもなく、『龍の形見』を神聖な格闘場から盗んでしまうというとんでもないことをしでかした奴がいることが分かった。


『龍の形見』が、俺たちの戦いのイヴェントは、その存在意義を失ってしまった。


『龍の形見』なしに戦いが、行われたと見なされ、龍の恵みによる、森野熊五郎の復活は起こらなかった。森野熊五郎は、もう戻ってはこなかった。


 俺たちは、あの日以来『龍の形見』を失った。そして、我らの女神が、俺たちのことを見捨てて、この町を去っていたことに気づいた。女神は、巨大な負債を俺たちのために残していった。俺たちが、金を用意して始めたキャバクラ『スマイル』は、あの女神、明日香のためのものであった。


 俺たちを、悲しみのどん底に突き落とした一連の事件の背後に、ある影が存在していたのを兄弟は、気づいていたかい。


 俺は、この影と一戦交えること。俺は腹をくくったのだ。この影は、兄弟が思っているように、五億円とか、話し合いとか、なまっちょろいもので解決を付けられるようなものではないのだ。この問題にけりを付けるには、俺の『龍の形見』がいるのだ。



「要するに、大勢の昔の仲間を集めて、豪勢にキャバクラで連日遊んで、五億円を使いきったという話か」


 堀米ヤスの遺書を読み終えた岡寺ノブヨは、吐き捨てるように言った。


「……」


 バンドマン毅は、否定せず、ただ、自虐的な笑みを口元に浮かべ、うなずいただけだった。


「では、たしかに私が預かっておくわ」

 と、岡寺ノブヨは言ったのだが、バンドマン毅はうちに帰ろうとはしなかった。


 バンドマン毅は、なにか言い出したそうであったが、なかなか言い出しそうになかった。


 それが、わかって岡寺ノブヨは、いらいらしてきた。


「なにをいいたいの」


「実は、今度の出張で、お金をあまりもらってこなかったんですよ。急な話だったわけだし、瑛太社長に内緒で出発したし、ということで、いま、五十円しか持っていないす。小銭でいいんです。会社に帰るための電車賃。いくらか、お借りできないかと思って。だから、ノブヨさんの姿を見かけたときには本気でうれしかったです。ワンコインでいいんです。よろしく」


「えっ、あんたバカじゃないの。私に小銭を借りたいなんてこんな状況で言うような言葉じゃないでしょう。絶対に、ありえない。ほら、あれをみなさい」


 岡寺ノブヨは、バンドマン毅の肩をたたいて促すと、空の一角を指さした。


「えーっ」と、言うばかりでバンドマン毅はその光景に息をのみ立ち尽くした。


 伝説の獣、麒麟が炎を身にまとい、都庁ビルの上空を周回飛行していたからである。麒麟は口に五億円を収納したアタッシュケースをくわえていた。麒麟が口をもごもごさせると、アタッシュケースのカチッと音を立てて開いた。


 そして、アタッシュケースの中から五万枚の一万円札が、ヒラヒラと新宿の空に雪のように舞いはじめたのだ。



 翌日、クリーンスタッフの事務所にて、瑛太社長は今回の事件のことを頭で整理してみた。


「意地と意地で作られた、男の歴史がそのころまで、この町にもあった。まさしくそういうことだ」


「世界各地に広まった古代文明。それを支えていたエネルギーの一つが『龍の形見』。『龍の形見』の見守る戦いでは、戦士たちはどんなに戦っても死ぬことはない。そういう言い伝えがあった。でも、本当かしら。二〇年前には、その言い伝えを信じて、なんにんもの人間が死んでいったと言うけれど……」


「キャバクラのねぇちゃんが、若い男と駆け落ちして、『龍の形見』も失われた。そんな夢物語が、今頃になって現実になって俺のところに降りかかってきた……」



 ところで、堀米ヤスの消息については語られてはいないのだが、というのは、無謀にもエイリアンたちが要求していた金を持参せずに、『龍の形見』を手に入れようとした無謀さに、関係者は、コーヒーパーラー『ライフ』のマスターを含めて、堀米が生還するとは全く考えず、このような考えれば悲しくなるし、うっとうしい事項は、忘れてしまうのが一番であると、暗黙の了解が生まれたのだ。そして、堀米について語られることはなかった。


 そして、瑛太社長以下、クリーンスタッフの面々は、また、地味でカタギの仕事に精を出す日々が始まったのである。


 この数日たたぬうち、エイリアンと交渉すると言い残していて、連絡が取れなくなっていた堀米安二郎が戻ってきた。


「こいつら、俺の命を狙ってきた刺客や」


 片手には、エイリアンの生首がいっぱい詰まったナップサック、もう一方の手には、『龍の形見』が抱えられていた。


「『龍の形見』は、計画通りいかんかった。闇の技師に制作を頼んだが、いい加減な仕事しかしよらん癖して、ぎょうさんカネふんだくられた。しかたないから、新聞の隅から隅までよう捜して、裏闘技大会を見つけた。商品がなんと『龍の形見』となっとったんよ。そこで、俺は、ダメ元で参加してみたんよ。そしたら、優勝して、本物の『龍の形見』が手に入ったというワケや」


「また、あのころの愉快な日々がこの町に帰ってくるぞ」


 と、堀米ヤスが吠えて見せた。堀米ヤス土手っ腹には、風通しが良さそうな大きな穴が出来ていた。よく見たら、眼窩から、目玉が飛び出しそうである。


――平和な日が戻ってくると思った俺がバカだったのか。


 そう、瑛太社長にまた鬱の日々が帰ってきたのだ。



 了








2ちゃんねる創作発表板「『小説家になろう』で企画競作するスレでも、皆さんのお越しをお待ちしています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ