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Evolution Theory

Ferris wheel

作者: 楠 海

「ずっと一緒にいてくれる?」

投げかけた問に、彼はしばらく私を見つめた。色が薄く茶色というよりは黄色の瞳と視線が絡み合う。

「……確約は、できない」

「うん。そうだよね」

「あっさり引き下がるんだな」

意外そうに目を細める彼の帽子を奪い取る。濃灰色の髪から覗くのは、同色をした三角形の――イヌ科の動物の耳だ。

「おい、」

「大丈夫だよ、他のゴンドラ見る人なんていないし」

それに窮屈でしょ、と続けると、耳に手をやった彼は渋い顔ながら頷いた。

「で、いきなりどうしたんだ」

「何が?」

「俺の答えはわかってたんだろう?」

「そりゃ、ね。灰崎さん、最初からそう言ってたし」

『将来のことは約束できない。それに普通の恋人になれるわけがないんだぞ?』

お前それでもいいのか、そう厳しく諭されたあの日も、迷いはなかった。

後先考えない馬鹿な若者かもしれない。けれど、そんな私と付き合うことを承諾した灰崎さんだって似たようなものだ。

「クリスマスだから、それっぽいこと言っておこうと思って」

「そのせっかくのクリスマスの夜を俺みたいな《狼》と過ごそうなんて、酔狂なやつだ」

「クリスマスだからこそ彼氏と過ごしてもいいと思うんだけど」

灰崎さんの声に滲んだ自虐的な響きには気づかないふりをして軽口を返し、窓の外を見る。

少し後悔する。

そんなこと言わないで、って。

言うべきだったのだろうか。

眼下では、夜闇の中に港町がイルミネーションに縁取られて浮かび上がっている。丸ごとクリスマスの飾り付けをされた、異文化が混ざり合いながら共存する不思議な空気の街だ。

洋館でも帆船でもこの観覧車に乗る時でも、明らかに《異人》の目を持つ彼を見て顔をしかめる人は少なかった。それどころか、翼を持つ人も尾を持つ人も牙を持つ人も、笑っていた。

この街だから。今日はクリスマスだから。少しだけ空気は寛容になる。

華やかな装飾が切ない。

《異人》にとってこの開放感はつかの間のものでしかないと、彼らを抑圧しているのは私みたいな「普通」の人間たちだと、知っているから。

「その彼氏に十歳と少し年上の《狼》を選ばなくてもよかっただろうに」

「灰崎さんそれ自分にも言えるって気づいてる?」

「不本意ながら」

「時々なんで私と付き合ってくれてるのか不思議になるようなこと言うよね」

「お前みたいな小娘に真剣に惚れてるなんて素直に認めるのは癪だからな」

「好きだって素直に言えばいいのに」

「飛鳥、好きだ」

本音を包んでこね回す戯れの会話を目も合わせずに転がしていると真摯な声音が突然混ざり、鼓動が跳ね上がった。

隣に座る彼を振り返ると真顔だった。またからかうつもり、だよね、きっと。騙されるもんか。

「……灰崎さん、どうしたの?」

「どうしたも何も素直に言っただけだが?」

さっきまでの少し意地悪な口調と違った優しい表情に、騙されないと決心したにも関わらず頬が火照る。

「……不意打ちなんてずるい……」

「逃げられたら困るからな。時々は言っておかないと」

「逃げないもん」

「俺は化け物なのに?」

「私は人間じゃない灰崎さんが好きだよ」

好き、と声に出すには少し勇気が必要だったから、照れ隠しに手を伸ばす。彼の尖った耳に触るとうっとうしがるように少し震えた。動物の仕種だ。

その手を灰崎さんに掴まれた。

抱き寄せられ彼の腕の中にすっぽり収まる。どきどきするというよりは、伝わってくる体温に安心する。

「不意打ちは、飛鳥の方だろう」

「え?」

「人間じゃなくてもいいとぬかす奴は何人かいた。でも人間じゃないところも好きだと言ったのはお前だけだ」

だから飛鳥が好きだ、と言われてもよくわからないから私は少し黙っていた。

どこよりも目立つこの密室は今は二人だけのもので、私たちがここにいることをみんなが見上げていながら誰も知らない。私たちは風景の一部だから。

ふと、そんなことに気づく。

「俺は《狼》でいることを誇りに思ってる」

「……うん、知ってる」

「俺だけじゃなく、種も肯定してほしいと、肯定できる人間でないと付き合えないと思ってる。《狼》も、《鷹》も、《鹿》も全部」

「うん」

「俺はな、たとえお前と生きるためだろうと、俺の種を否定したりしない。捨てはしない。絶対に――」

始めは冷静だった灰崎さんの言葉が熱を帯びているのにやっと気がついた。彼の背中に腕を回すと一層力の篭る両腕も、自分に言い聞かせるように囁く声も、微かに震えている。

「……灰崎さん、」

「だから」

呼びかけた声はしっかりとした言葉に遮られる。

「俺じゃなくてもいいんだぞ」

……彼の言った意味がわからない。

「もっと歳が近い人間に乗り換えても、構わないから」

ちょっと待ってよ。

「お前自身が幸せになれる道を選ぶと約束してくれ」

嘘つかないでよ、だって、

「飛鳥を巻き込みたくないんだ」

こんなに強く私のこと抱きしめてるのに。

十歳以上年下の私に縋るみたいに。

こんなのらしくないよ。

いつもはもっと皮肉っぽくて冗談ばかり言って考えてることをはぐらかして、がんばって追いつこうとしてる私に余裕を見せつけて子供扱いして意地悪に笑うのに、ていうか列挙したらすごく非道な人なのになんで私彼のこと好きなんだろ。

でもこんなに諦めたようなこと言う人じゃないのに。

「どうしたの、灰崎さん」

彼は答えない。

「そんなこと言わないでよ」

さっきは言わなかった台詞がこぼれ落ちる。

「私は灰崎さんじゃないと嫌なのに」

そんなのただの我が儘かもしれない、なんて思いがかすめて、振り払う。

「ねぇ、……どうしたの?」

「…………友人の《鷲》が、翼を、捨てようとした」

やっと聞こえた。かすれた声で絞り出した、灰崎さんの事情。

「羽毛を毟った挙げ句階段から後ろ向きに落ちた。複雑骨折だった。救急車の中でも暴れて手がつけられなかったらしい。添え木も包帯も拒否して、叫んでいた。こんなものさえなければ、と」

聞こえたのは機械の軋みか、彼の喉の奥で響く唸り声か。

「どうして自分を捨てなきゃいけない。アイデンティティを放棄しないと追い詰められるなんて間違ってる。だから、俺は……っ」

「うん。……信じてるよ」

彼の頭に手を乗せる。

いつもは彼が私の頭を撫でてくれる。だからたまには、逆でもいいよね。

戸惑った顔で彼が顔を上げる。

「灰崎さんは負けない」

「……飛鳥」

「私も一緒にいるから。離れないから」

日の光の下では縦に裂けている灰崎さんの瞳孔が丸くなっている。ゴンドラの中が暗いからだ。比例して、いつもは鋭利な彼の雰囲気も眼差しも緩んで、少しだけ不安げに陰っている。

「だいたい私若い人はそんな好きじゃないし」

「……それでも向こうから寄ってくることがあるだろうが。それが心配なんだよ」

冗談めかして言うと、ふっと目元を和ませて答えてくれた。そして彼はひょいと鞄に手を伸ばし、

ふわりと柔らかいものに包まれた。

「……え、これ、うわ柔らかっ!」

「印」

強引に巻かれた、ブラウンの長いマフラーはものすごく柔らかくて思わず奇声を上げてしまった。……ああ、女子力が……

照れ隠しなのかぶっきらぼうに言い放ち、マフラーを整える灰崎さんは目を合わせようとしない。

けれど耳は自信なげに半ば伏せられている。なんだか和む。

「確かお前の学校、派手な防寒具は禁止だったよな」

……前に愚痴ったこと、覚えててくれたんだ。

「あとすぐ解けるのが嫌だと言っていたから、長いものにした。……もしかすると重いかもしれない」

「マフラーに重いも何もないよ。……ありがとう、すごく嬉しい」

こんなに軽くて、こんなに肌触りがいいんだから、きっと値が張るものなんだと思う。《異人》の社会待遇を考えても安い買い物じゃなかっただろう。

だからこそ素直に受け取りたい。遠慮なんてしない、だってそれって灰崎さんが私に向けてくれたものを断ることになる。

よかった、と言う灰崎さんは少なからず緊張していたみたいだ。

しげしげと私を見つめ、眉をひそめる。

「やっぱり学校に着けて行けないとは言えピンクを買うべきだった」

「学校以外でも使うよ?」

「それだと印の意味がない」

「うわ、マフラー以上にそういう発想が重いんだけど」

「獲物を逃がしはしない」

「逃げてもいいって言ったくせに!」

「その当の獲物が自分は逃げないと宣言したんだろうが」

……そう、あんなに欠点がずらずら列挙できるのに、なんで灰崎さんを好きなのかなんて自分でもわかってる。

こんなふうに時々可愛くて本当はすごく優しくて、子供みたいなところもあってやっぱり大人で、プライドをちゃんと持っててそれを貫き通せるくらい強い《狼》だから。

「……うん、逃げないよ」

ぎゅっと、彼に抱き着いて。

「大好き」

すると強引に引きはがされた。

抗議しようと口先に出て来た言葉は、

灰崎さんの唇に奪われた。

クリスマスに間に合った!

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