つるぴか石のおかえし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
先輩はちゃんと「おかえし」をしていますか?
よい意味でも悪い意味でも、自分が受けたものに対して、相手に返さなくちゃいけないという気持ちが起きる。いわゆる返報性というやつですか。
私たち、借りを作ったままだと、どうにも落ち着かない心地を生み出しやすい存在らしくって。これもまた貸し借りなしのフラットな状態へ持っていきたがる、自然の調節機能のひとつなのかもしれませんね。
このおかえし、身の丈にあっているものならいいのですけれど、あまりに多大すぎると困ることがあったりします。
たとえば、太陽ですね。この恵み、日光浴をはじめとして地球上の多くの生き物が助けられているだろう、代表的エネルギーのひとつ。ぶっちゃけ、地球全体がお返しをしたところで追いつくかどうか。
太陽さんは表向き、「それでもいいんだよ~」と寛容なふりして笑い、今日もさんさんと私たちを照らしてくれているわけです。
しかし、笑いはときに、不機嫌を表に出さないための仮面でもあります。いつ仮面がずれ落ちて、その下の怒りや悪意にさらされるんじゃないかと思うと、夜もおちおち眠れません。
ゆえにおかえしをする。相手ばかりじゃなく、自分も「礼を尽くしたのだからバチは当たるまい」と心を安定させるのですね。物理的、科学的なことばかりでなく、心理的、精神的なバランスもまた肝要ですから。
以前に先輩からお願いされたネタ探しの件、ようやくまとまってきましてね。「おかえし」に関するお話、聞いてみませんか?
私が以前、住んでいた場所には「つるぴか石」の存在が知られていました。
つるぴか石とは、町の郊外にある山々で、地域の人たちが定期的に手入れをしている岩のことなんです。
大人が数人腰かけられるほど、広くて背の低い石たちは種類こそまちまちですが、共通している点があります。その名の通り、表面がつるぴかになるほど磨かれているんですね。
定期的に顔を洗われ、手入れをされている彼らはかすかな凹凸も存在しないかわいがられよう。やや斜めを向いたその顔は、一様に南を向かされています。
つまり、太陽が昇り沈んでいく様を見届けられる方角へ、ですね。つるぴか石の顔が向く方向へ木の枝葉などが伸びてくると、これもすみやかに処理されます。
お天道様が下さる光を、つるぴか石にたっぷりと受けてもらうためにですね。
いわく、つるぴか石はずっと昔から、太陽より浴びる光のおかえし役を仰せつかった存在なのだとか。
我々が十分におかえしできていない分も、代わりにその身体で引き受けてくれている。ゆえにその肌にも、その返す先にも問題が生じてはならない、と。
石のまわりで遊ぶことも固く禁じられましたね。もとより、その周辺は遊ぼうにも傾斜に囲まれた狭い空間。鬼ごっこをはじめとした、体を動かす系の遊戯はまともにできそうにありません。かといって、動きの少ない遊びをするのに、小高いここまで足を運ぶ必要性は薄いし……と人気は出ませんでした。
それでも、つるぴか石の御役目を継いでもらうこともまた大事。のちにかの土地を離れることになる私も、年に4回。季節の変わり目あたりにつるぴか石のお世話を親に指導されることがありましたよ。
石のお手入れは石工さんにお任せしますので、私たちのような専門外の人たちは石を磨きつつも状態チェック。指で触れてようやく気付くようなわずかなへこみでも、細かに報せることが求められます。
光を浴びる際、邪魔になりづらい北側には小ぶりな物置が設置されてありまして。その中に高枝切りばさみなどの枝葉を処分するための道具一式が入っています。
つるぴか石の後ろ、石と同じくらいの高さまで腰をかがめて見上げてみて、わずかでも視界を遮りそうなものを取り除いていくのです。
私たちの手入れをしていたのは、青小目の石。墓石などにもよく使われる、なじみのあるタイプでした。これらを陽が暮れたタイミングでお世話するわけです。
日中の「おかえし」を存分に果たし、太陽が沈み切って、仕事の必要がなくなるやすぐに癒しの時間に入る。誰だって仕事終わりには、ぐでっとしたくなるものでしょう。
しかし、これは神聖かつ厳密な区切りでもあることを、私は目の当たりにもしたのです。
いつぞや、早めに現地へついたときのことです。
つるぴか石の近辺は見晴らしがいいですから、自然とその場で、太陽が山の向こうへ沈むのを確かめることができます。
私たちがたどり着いたときは、周囲を赤く染める夕陽が、八割ほど稜線に隠れたあたりでして。目玉焼きのごとき残りのふくらみがゆるゆると、沈んでいくのをじっと北側に控えて待っていたのですが。
不意に、その太陽の中を通り過ぎようとする、鳥の群れがあったのです。
逆の「く」の字隊形を維持しながら、見事な飛びっぷりでしたよ。それがつるぴか石の顔の先を遮ることさえしなければ。
あの光景は、いまでも覚えています。
群れはですね、赤い陽の中へ差し掛かったとたん、一羽一羽が火に包まれていくんですよ。
ただの火だるまと違うのが、飛んでいる彼らが全くそれを意に介していないように見受けられるところ。
普通、火に巻かれているとなれば、たちまち暴れて隊列を崩し、次々と墜落していきそうなもの。それが彼らは火の玉となっても一直線。太陽の中を飛びきって、ふちより出ていくときにはもう、包んだ火もろともいなくなっていました。
燃え尽きてしまった、と考えるのが自然でしょうが、それはあまりに自然な消え去り方。死にともな、という生き物らしいあがきの気配の見えない、あっけないものでした。
「おかえしとは、石と太陽の間に紡がれるあまりに大きなものだ。意図があろうと偶然であろうと、それを身に受けることになれば、ああなってしまうのだ」
そのとき一緒にいた父は顔色一つ変えることなく一部始終を見届けた後、そう話してくれましたよ。