(7)反抗.2
扉が開く。扉の奥から、男が現れる。深緑色の頭髪を短く切り揃え、毛先一本に至るまで整えられた痩せた男。シワ一つホコリ一つ無い背広を着て、縁の丸い金の眼鏡を掛けた男。作り笑いとせせら笑いが染み付いた、本性の見えないシワの多い顔の男。
「やぁ、リオネット!気分はどうだい?」
男はズカズカと部屋に立ち入ってくる。
「――おや、まだベッドから出ていないのかい?」
「は…はい……」
僕はベッドで横になり、掛け布団から頭だけを出し、体の方は布団にすっぽり被さっていた。
「うむ、昨日の今日では仕方もあるまい。よく休むがいいさ、リオネット」
恰も親しげに喋るこの男こそが、僕を親元から引き離し、この部屋に閉じ込めている張本人、マルゲ・モリアスである。マルゲはシワだらけの微笑みを浮かべ、少し離れた位置から僕を見下ろす。
「お気遣い、有難う御座います……」
僕は至って普通に話した。努めて普通に。
「うむ――」
マルゲは柔やかにそう言うと、途端に真顔に戻り、部屋の奥のヒビ割れた窓に近付いた。そして窓を見たまま、僕に背を向けたまま語りだした。
「今日はね、君の様子を見るだけのつもりだったのだよ。人質にされて心に傷を負ったんじゃないか、ってね。でも、君は存外タフみたいだ。顔色も良いし、声色も暗くない」
何が言いたいんだコイツは。気味の悪い言い回しに寒気が走る。
「君が元気そうで私は嬉しいよ。でもここで一つ残念なお報せだ。昨夜の泥棒がつい先程、牢から消えたそうだ。それも妙な事にコイン一つだけを残してね。不気味だとは思わないか?なぁ、リオネット?」
マルゲはこちらに振り向いて、僕にそう問い掛けた。
「そ…そうですね」
「――だよね?」
奴はそう言うと、今度はコツコツと革靴を鳴らして部屋中を歩き回り始めた。
「聞いた話によれば、泥棒はマジシャンみたいでね。何でも、瞬間移動したり、させたりする事が出来るらしいよ。でも恐らく制約が存在するようだ。だって、そうじゃなければ、誰にも気付かれずに宝を盗めた筈だ。だが、そうは出来ない。侵入方法も実に不気味だ。塔の入り口には大勢の兵が居たというのに、誰にも気付かれずに泥棒は塔に侵入した。残されているヒントは、この部屋の外に突如として現れた大岩に壊されたそこの扉、一度きりの銃声、そして、そこの窓の風穴一つだ」
マルゲは部屋を一周すると、ベッドのすぐ脇に立ち止まった。
「そこで私は思い付いたよ。泥棒のマジックは初めからマークしている物体にのみ可能なのだという事にね。だから、恐らく侵入経路であろうこの部屋に私は来たんだ。泥棒が何か残していたら、ここに居るかもしれないからね」
「……!」
僕は自分の身体の内側が冷えていくのを感じた。
「でも安心したまえ、リオネット。大方見回したが、この部屋に泥棒の姿はないようだ。もしかしたら、まだ見ぬマジックで隠れているだけかもしれないけど、もしそうなら残念ながら私もお手上げだ。と言うことで、私はこれから最上階の方も見て来ようと思うのだが、……その前に一つ、質問をしてもいいかい?」
するとマルゲは、ベッドで横になる僕に顔を近付けてきた。
「な…なんでしょう……?」
マルゲはいつも細めている目をかっぴらいて僕を真上から見下ろす。
「実は泥棒が身を隠す手段で、より現実的なものがあるのだよ。それは何だと思う?リオネット――?」
全てをお見通しだと言わんばかりの威圧感。まさか、もうバレているのか?いや、だとしたら、こんな弄ぶような質問はしないか。いや、分かっていて遊んでいる?焦る僕を見て楽しんでいる?有り得る。この男ならやりかねない。いや、寧ろ試しているのでは?僕にボロを出させようとしている?分からない。真意がまるで読めない。
「……まさか、僕が匿っていると、言いたいのですか?」
「そうだよ。よく分かったね。君にしては聡明じゃないか。まさか、心当たりでもあるのかい?」
「まさか……。やめて下さいよ。そんな訳ないじゃないですか……」
「……、ふむ、そうか――」
マルゲは立ち上がりながら一瞬真剣な顔をして、それからいつものシワだらけの嫌な顔に戻った。
「そうだよね。疑ってすまなかったよ。これも一応仕事なものでね。では、私はこの辺でお暇させてもらうよ。困った事があったら何でも私に言うんだよ」
マルゲはそう言い残して部屋を去っていった。
「――はぁ……」
僕はマルゲが部屋の鍵を閉める音を聞いてから、息を吐き出した。全身の力が抜けて、もうベッドから身動きが取れなかった。
「いやぁ、面白かったぁ~。ドキドキしたね?」
布団の中からトモエさんが顔を出した。憎たらしいほど清々しい顔をしていた。
「ドキドキって……。貴方、一体なにを考えているんですか!?バレたらどうするつもりなんですか!?……いや、もうバレていて、その上で踊らされているのかも――!」
僕は久しく感じていない感情の激流に頭を抱えた。何だかもう、気が狂いそうになった。
「大丈夫だよ。そうカリカリしないの~」
「何を言って――!」
そう言い掛けて、その瞬間に、僕はふと我に返った。何なんだ、この状況は?布団の中で、トモエさんが、僕の体に跨がっている?身体がこんなにも密着して、顔がこんなにも近くで、そう意識してしまった瞬間に、僕の頭は真っ白になって、頬は自分でも分かるほど真っ赤になったのを感じた。
「まぁまぁ――」
僕はその事に動揺を隠せないというのに、トモエさんは至って平常で、何気なくしている。何事でもないかのように、僕の硬直した身体を跨いで、隣に寝転がる。
「イテテテ……。まぁ、何かあったら私が守ってあげるから。それより、このベッドふっかふかだね~。ガキのくせに羨ましいなぁ」
トモエさんは僕の横で、今から眠りに付きそうな穏やかな顔をして深呼吸をした。なんで、なんでこの人はこんなに余裕なんだ。僕はその事が、どうしようもなく恥ずかしくて、悔しくて寂しくて、そんな気持ちがどうしようもなく押し寄せて、僕の心を水没させた。
「――おっと、このまま横になってたら寝ちゃいそ……」
トモエさんは足を高く上げて、振り子のように起き上がった。それからベッドから降りて、振り返って僕を見た。
「さぁリオ、ちゃちゃっとお宝を戴きに行こっか」
――この人は、いったい僕よりどれだけ大きいのだろう?
「……はい、お供します」
「あれ、何かリオ、顔赤くない?……もしかして、美人なお姉さんとの添い寝にドキドキしちゃった?」
「そんなんじゃないです――!」
僕はベッドから少し横着に飛び降りた。見慣れた景色を置き去りにして。




