(14)窓を眺める今の僕
あの窓を見上げる。三階の窓。あの部屋に僕は居た。あの大きな部屋。外から見れば実にちっぽけなものである。あの日々は何だったのか。ちっぽけなものではなかったのに、傍から見たらこの程度にしか映らないのだと思うと腹立たしいし遣る瀬ない。
「リオー!」
僕を呼ぶ声がする。僕は声の方に向かう。
本当に来てしまった。デッパリア城・城壁外。まるで、ちょっとトイレに行ってくる、みたいなノリで……。
「――あの部屋見てたの?」
「まぁ、はい……」
「懐かしい?」
「いや、そんなんじゃないですよ」
「そっか」
そんな会話をしながら、トモエさんは木の洞から虛空の欠片を取り出した。
「あったあった。石コロ担当大臣――!」
トモエさんは誰かを呼びつけるようにそう言う。まぁ、明らかに僕の事を呼びつけているのだが……。嫌な予感がする。
「僕の事ですか?」
「そうだよ。この前、任命したでしょ?」
トモエさんは少し不機嫌になる。そんなこと言われてたか……?
「――はい、だからこれはリオが持っててね。私が持ってると相互置換が使えなくなっちゃうから」
トモエさんは虛空の欠片を僕に差し出してきた。確かにトモエさんが持っているよりは僕が持っていた方がいいとは思うが、未来視が使えなくなるのは心臓に悪い。が、僕は虛空の欠片を受け取る。
「いい?ちゃんと大事に持ってるんだよ?」
「分かってますよ」
「――じゃあ、帰ろっか」
「はい。帰りましょう」
去り際に一度だけ、城壁の向こうの遠い塔の三階の窓を見つめる。これで終わりだ。もうお前を視る事はない。僕は城壁の向こうの遠い塔の三階の窓に背を向けて、トモエさんの背中を追った。
一方その頃、デッパリア城内では――。
壁、柱、絵画、柱、壁、柱、花瓶、柱――、その整えられた景色がひたすら繰り返されるような廊下に一人の人物が現れる。
その人物は筋骨隆々とした大男で、腰には大剣を携え、重々しいシルバーの鎧を全身に纏い、内地が赤い大層なマントをはためかせていた。灰色の髪を後ろに均し、褐色の肌をし、骨張った凹凸のはっきりとした顔は異常なまでに真剣な表情を浮かべている。この人物の名はダイゴロム・ラルレイン。齢21にしてキューソロジア国軍第一六部隊少佐に抜擢された逸材である。平民の生まれながらその戦闘力のみでスピード出世を果たし、その実力は国軍内では既に五本の指に収まると噂されている。
彼は扉の前で立ち止まる。扉には国軍総帥の文字がある。
「第一六部隊少佐ダイゴロム・ラルレインであります。入室宜しいでしょうか?」
すると扉の奥から「入り給え」と声がする。ラルレインは「失礼致します」と返事をしてドアノブを捻った。
入って正面の机に痩せこけた丸眼鏡の男が腰を下ろして待ち構えていた。金縁の丸眼鏡が印象的な男で、掴み所のない笑顔を浮かべている。机上にはマルゲ・モリアスと書かれたプレートがラルレインを迎えていた。
「ラルレイン君。久しぶりだね。任命式以来かな?」
「はい。任命式以来です」
「君の活躍は常々聞いているよ」
「ありがとうございます」
ラルレインは直角九〇度のお辞儀をした。
「そんなに畏まる必要はないよ。適度に楽にしてくれ給え」
「はい。楽にします」
しかしラルレインは寸分も動かなかった。マルゲはその様子を少々笑顔に綻びを覗かせながら観察しつつ、机の引き出しから書類を取り出す。
「さて、本題だが、どの件で呼び出されたのか、分かるかな?」
ラルレインは暫く黙り込んでから口を開いた。
「――いいえ、まったく」
「……そうか。昨日の泥棒騒動の件なのだが、君の報告書は見させてもらったよ」
マルゲは書類を持ち上げ、ラルレインに見せる。
「ありがとうございます」
「君の作文能力は壊滅的だね。誤字脱字の博覧会かなと思ったよ。理解に非常に苦しんだ」
「お褒めに与り光栄です」
ラルレインは再び直角のお辞儀をした。
「……君、今の皮肉を褒められたと思ったのかい?」
マルゲは細い目を僅かに開け、赤い瞳孔を覗かせる。
「皮肉……。俺は今、皮肉を言われていたのですか?」
ラルレインの返事を聞いたマルゲは、目を丸くしてラルレインを見詰めた。
「……そうだが?」
「そうでありましたか。失礼しました。ところで、その皮肉というのは一体何なんでありましょうか?」
ラルレインは異常に真面目な眼差しを、嘘偽りの無い澄み切った眼差しをマルゲに注ぐ。マルゲはラルレインに釘付けになったまま、書類を手から落とした。
「――うむ、そうか……。皮肉については後で辞書を引き給え。君には本題のみを告げよう。ダイゴロム・ラルレイン。君は第一六部隊少佐の座から降りてもらう」
マルゲは仕切り直して、真剣な顔でラルレインと向き合う。一方のラルレインも表情を動かさない。
「泥棒を逃がした身の上、承知致しました」
「最後まで話を聞き給え。泥棒を逃がした事を責めているのではない。寧ろ、バイオレーター相手に善戦した事を買っているのだよ」
「バイオレーター……?」
「バイオレーターについての説明は後だ。それで話の本題だが、君には対バイオレーター特殊部隊・ヴィットに編入してもらう」
「ヴィット……?」
「取り敢えず、ついてき給え」
マルゲは席を立った。
立ち入り禁止の立て札をすり抜け、マルゲとラルレインは城壁内の古い建物に立ち入る。
「立ち入り禁止と書いてありましたが」
「あれを書いたのは私だよ。人を寄せ付けない為にね」
その建物は取り壊しを待つだけの年老いた建造物で、南側をツタ状の植物に覆われ、反対の北側をコケに覆われていた。かつての輝きを細部に鏤めながら、しかしそれが尚のこと痛々しさを助長していた。
ヒビ割れた窓ガラス、吹き抜ける風、緑の匂い、煌びやかに光っていたであろうシャンデリアはエントランスの中央に落ち、床はところどころ抜けている。歩く度に沈み込む廊下、多くの部屋のドアは外れ、その奥には埃を被った上物の家具が見るも無惨な姿で立ち尽くしていた。天井の陰は蜘蛛の巣が我が物顔で陣取り、時々小動物が駆け回るような小刻みな音が何処からか聞こえてくる。
「ここは嘗て、デッパリア城を警備する兵を泊める為の宿舎だったそうだよ。それにしては随分と豪華で無駄が多いと思うのだがね」
先を行くマルゲが一度振り返ってからそう言った。
「確かに豪華です」
「嘗てのキューソロジア帝国が如何に栄華を誇っていたかを垣間見る事が出来るだろう。そして、今のキューソロジア帝国の退廃ぶりもよく表している。この宿舎はまさにキューソロジアと共にあるという訳だね」
「ふむ……」
ラルレインは真っ直ぐマルゲを見詰めていた。マルゲは歩みをずんずん進めながら話を続ける。
「しかし、この宿舎はまだ死んではいない。何故なら、今尚優秀な軍人をその懐に抱いているからだ。素晴らしい事だと思わないかい?」
「何がですか?」
「……うむ。――ここは今、対バイオレーター特殊部隊・ヴィットの本部基地となっている。ヴィットは秘密部隊だから、この廃れた建物は存在を隠すのに丁度いい。まぁ、時々愚か者が肝試しにやってくるのは、中々に困った事ではあるが――」
マルゲは立ち止まる。そこは廊下を抜けた先にある宿舎食堂の調理場の奥だった。そこの床には蓋があった。
「ラルレイン君、この蓋を開き給え」
「了解しました」
ラルレインは蓋の持ち手を握り持ち上げると、地下室へと繋がる下り階段が現れる。マルゲはその階段を先んじて降り始めた。
「助かったよラルレイン君。では行こうか」
「はい」
ラルレインもマルゲの後を追って階段を降りる。
階段を暫く降りる。岩肌が剥き出しの道中には電気ランタンが設置され、その導線を辿って階段を降りる。次第に岩肌の毛色が変わってくる。積み重なった時代を巻き戻しながら階段を更に降りる。すると突然、階段が鉄製に変わる。各段が穴の開いた鉄の板になり、更に少し進むと、明らかに広い空間に出た。地下にしては異常な大きさの巨大空間。明かりは遥か下に見え、この巨大地下空間の輪郭を浮かび上がらせる。三階建てくらいの大きさの建物ならすっぽり収まってしまいそうな巨大な空間がそこには広がっていた。
「これは……」
ラルレインはその信じがたい景色を、柱も手摺りもすっかり鉄製に変わった階段の上から見渡した。
「信じられないだろう?当然だよ。国軍本部に屋内訓練場があるだろう?単純な面積でいうと、あれの三倍はあるんだ。これほどの地下空間は、現代の技術力では再現不可能!」
マルゲは得意げに説明した。マルゲは更に続ける。
「電気も地上から引いて、上下水道も独自の経路を用意した。換気設備も充実させて、地下にいながらいつでも地上の新鮮な空気を吸える。まさに現代の理想郷。まぁ、日光はどうにもならないから、時々外に出てもらわないと体内時計がズレちゃうんだけどね。どうだ!?凄いだろう!?」
マルゲは言葉を重ねる度にテンションを上げ、最後などはかなりの声量で声高に自慢していた。
「ここで暮らせますね」
「うむ……、その為の施設なのだがね……」
マルゲは少し悲しそうな顔をした。
そうこうしている内に二人は階段を降りきり、巨大地下空間の地上に降り立つ。そこには踏み固められた土が敷かれていて、適度に柔らかく歩きやすい。
「――ラルレイン君、君はここで少し待っていてくれ給え。今から君に会わせたい人物を呼んでくる」
そう言い残してマルゲは巨大空間を真っ直ぐ縦断していった。ラルレインの位置、すなわち階段側から見て反対の壁際にはキッチンやリビングのような空間が岩肌をくりぬかれて作られており、人間が生活している痕跡がある。岩肌の壁には他にも沢山のドアも設置されており、マルゲはその内の一室をノックした。
暫くして、マルゲはラルレインの前に戻ってきた。
「彼女が君に会わせたい隊員だよ」
マルゲが横に身を引くと、マルゲの後ろに控えていた人物が現れる。
「彼女の名はトコヨノ・マヨイ。こう見えても立派な隊員だ」
そこには細身の女が立っていた。地下空間に於いても闇を寄せ付けぬ白い肌をし、背後の光源を透き通す線の細い癖のない黒髪は首辺りで切り揃えられ、後ろ髪の毛先は蒼色に染められていた。なだらかで幼げな人形のような整った顔立ちをし、しかしその顔立ちには見合わない攻撃性が表情に染み付いている。右目には黒い眼帯を、左の瞳は碧色をし、その碧色の瞳はラルレインの全身を見定める。
「ヴィット所属、トコヨノ・マヨイと申します」
トコヨノは攻撃的な表情からは想像もつかないような滑らかで淑やかな敬礼をする。ラルレインはその所作に目を奪われる。
「総督、この美しい少女が隊員なのですか?」
マルゲは得意げに答える。
「そうだよ。とても優秀な、もしかしたらヴィットで一番使える隊員かもしれない。若干19だが、侮らないことだよ」
「ですが……」
食い下がるラルレインに、トコヨノは攻撃的な溜め息を吐いた。
「はぁ……。モリアス総督、まさかこの無礼者と二人一組を組ませる訳ではありませんよね?」
トコヨノの声は毅然としていて、冷徹に聞こえて、しかしその奥に確かな激情を感じる。
「残念だったねマヨイ君。その通りだよ」
「有り得ません。任務は私一人でも十分遂行可能です。このような無礼者が居ては、足手纏いで任務成功の可能性が狭まるだけです」
トコヨノは毅然としながら鋭い口調でマルゲに訴える。
「まぁそう言わないで。彼はダイゴロム・ラルレイン。元国軍第一六部隊少佐だったが、ついさっき辞めてもらってきた。バイオレーターではないが、実力は折り紙付きだよ」
マルゲの言葉にトコヨノは眉を吊り上げ、怒りを顕わにする。
「は?バイオレーターではない?総督は自分の言っている事が分かっていらっしゃるのですか?異能も無い者が、バイオレーターにどう対抗し得ると言うのですか?」
トコヨノは非常に攻撃的な口調でマルゲに迫った。
「それなら、一度手合わせをしてみればいいじゃないか」
マルゲは心底余裕そうにそう答える。その答えにトコヨノの怒りは姿を眩ませた。
「分かりました。もし仮にこの無礼者が私に勝てたのなら、私は総督の言う事に従います。ですが、私が勝てばその話はお受けしません。宜しいですか?」
「構わないよ」
するとマルゲはシワクチャな微笑みでラルレインに向かい合い、肩に手を置いた。
「――ラルレイン君。君は既に少佐の座を辞している。つまり、ここで力を示せなければ君は路頭に迷う事になるよ。是非とも頑張ってくれ給え」
「はい。俺は誰にも負けません」
ラルレインは濁り無くそう言い切った。
「おっ、威勢がいいね。では両者頑張り給えよ」
「待ってください」
ラルレインの突然の制止にマルゲとトコヨノの視線が集まる。
「俺は今から何をするんですか?」
場が凍り付いた。
ラルレインとトコヨノは地下空間を一杯に使って距離を取り、向かい合う。
「手合わせを始める前に、ラルレイン君にはバイオレーターの説明をしておくよ」
マルゲは向かい合う両者の間から壁際まで引いた位置に立っている。
「バイオレーターとは、この世の法則・理を逸脱した“異能”を行使する者、と定義している。その異能は実に様々で、昨日の泥棒も恐らくはバイオレーターだろう。その戦闘は常識を逸っし、常人では幾ら束になろうと敵わない。そもそも単位が違うと言う訳だ。が、君は今からそれを逸っしようとしている。ある意味では、君は今からバイオレーターになろうとしているとも言えるだろうが……、まぁ、言葉遊びはさておき、要するに君の前にいるマヨイ君もバイオレーターという訳だ。油断をすれば命はないよ」
「ふむ……」
ラルレインは明らかに中身の伴わない声を発する。
「言っている意味がよく分かりませんでしたが、分かりました。俺は誰にも負けません。遠慮なく行かせていただきます」
ラルレインは鞘を腰のバンドから取り外し、鞘に収まったままの剣をトコヨノに向ける。
「剣を抜かなくても宜しいのですか?」
トコヨノは腰に携える二本の刀剣の柄の位置を左手で確認した後、両手につけている白い手袋のうち、右手の手袋を外し始めた。タイトな手袋の手首辺りを左手で捲り上げると、中指の先の部分を口で咥えて軽く引っ張り、手袋を引き抜く。すると筋が括れ節が少し膨らんだ指が並んだ細い手が露わになる。
「これは手合わせだ。刃を向ける必要はない」
「不愉快ですね。貴方は自分の立ち位置というものを全く理解していない。これは言わば捕食者と被食者の対決、貴方には攻撃の権利など一切存在せず、ただ一方的な暴力に晒されるのみ。私は一応手加減してあげますが、貴方に手を抜く余裕など到底ありませんよ」
そう言うトコヨノの右手周辺に白く細かい粒が発生し始めたことにラルレインは気が付いた。粒は空中に独りでに現れ、周囲の光を乱反射して瞬きながら舞い散り、そして解けて消えていく。
「なんだ、それ――」
「もう遅い」
その瞬間だった。ラルレインは自身の足下が急激に冷たくなった事に気付く。視線を降ろすと、足の周りに氷塊が纏わり付いていた。
「氷……?」
ついさっきまで何も無かったはずの足に分厚い氷塊が現れている。ラルレインは訳も分からないまま足を抜こうと藻掻くが、氷はビクともしない。それどころか、足から足首、足首から脛へと徐々に確実に這い上ってくる。
「私の異能は“範囲指定式熱度操作”。今は貴方の足下周辺の温度を氷点下まで下げました。安心してください。貴方の足は指定範囲から外しておきましたので、大人しくしていれば貴方の足が壊死する事はありません」
トコヨノはそう言いながら腰の鞘から剣を抜き、緩やかな足取りで行動不能のラルレインに近付く。右手に引き抜かれた細身の剣は、白い凍結現象に覆われ始めている。
「言った筈です。常人がバイオレーターに敵う訳がないと――」
トコヨノは藻掻くラルレインを見詰めたまま、マルゲにも聞こえるように声を張ってそう言った。
「己と敵の戦力差を正確に見極め、必要に応じて撤退する。戦いの基本です。それが出来ない人間を戦場には連れて行けない。敵がバイオレーターなら尚の事、危険なだけです。身の程を弁えなさい」
トコヨノの冷え切った刃がラルレインの首筋を掠め血が一筋垂れる。
「勝負はここまでで――」
トコヨノの勝利宣告を遮るような甲高い金属音。ラルレインはトコヨノの剣を弾き飛ばした。トコヨノはラルレインの表情を見て、眉を顰める。
「まだ抗うつもりですか?」
「当然だ。俺は負けない。もう二度と――!」
ラルレインは鞘を抜き捨てる。トコヨノは咄嗟に一歩退いた。
「今更剣を抜いたところで如何するつもりですか?」
「斬る!」
するとラルレインは足下の氷を叩き切った。氷は欠片となって派手に砕け散る。
「なっ――!」
トコヨノは直ぐさま退避姿勢を取るが、意表を突かれたほんの僅かな隙が発生する。そのほんの僅かな隙、トコヨノまでの距離、自由になった強靱な足、ラルレインは一瞬で振り下ろした大剣を持ち上げ構えを取ると、膝を曲げて低く沈み込み、全身に溜めた力で地面を蹴ってトコヨノに迫る――。
時間が止まったように、その領域は一瞬を保つ。
「――俺の勝ちだ」
ラルレインの大剣はトコヨノの首筋に触れていた。血だけが垂れる。
「くっ……!」
トコヨノは歯を食い縛り、目を剥き出し、引き攣った顔のまま硬直している。ラルレインは剣をトコヨノの首筋から放すと、鞘もないのに刃を空中に収め、地面に落として、そして拾った。
「確かに、君の言うとおりだ。俺は自惚れていた。鍛錬の日々の末、俺は強くなったと思っていた。今の俺なら他者を守れる“英雄”になれると思っていた。だが、それは思い違いだと君のお陰で気付けた。バイオレーター、それと渡り合うには俺はまだまだ弱い。俺はまだ英雄たり得ない。その事に今気付けてよかった。ありがとうトコヨノ。君のお陰だ」
ラルレインは心底真剣な顔でトコヨノに握手を求める。だがトコヨノはそれに応じず、黙ったまま顔を逸らした。
「おめでとうラルレイン君。加減していたとはいえ、あのマヨイ君から一本取るとは、やはり君は本物だね」
マルゲはいつの間にか近付いて来て、嬉しそうにラルレインの岩のような肩をぽんぽん叩いた。
「本物……?はい、俺は本物です」
「うむ!」
明らかに噛み合ってないラルレインの言葉をマルゲは一つ返事で往なし、トコヨノの背中に近付く。
「どうだったかいマヨイ君?面白い奴だろう?」
「……確かに、戦闘センスの塊のような人です。いいでしょう。私が言い出した賭けですし、あの人と二人一組での任務を受けます。しかし――!」
トコヨノはカッと翻り、ボケッとしているラルレインを指差して睨み付けた。
「ダイゴロム・ラルレイン!私が足手纏いだと判断したらすぐに突き返します。いいですか?手加減した私に勝ったからと言って、バイオレーターと対等に戦えるなんて愚かな思い違いはしない事です。私よりも戦闘に優れたバイオレーターなど幾らでも存在するんです。その心に潜む些細な慢心が命取りになりますよ。分かりましたか?」
そんな台詞を吐く時でさえトコヨノの声は毅然さを保っていた。
「うむ。俺は負けない、もう誰にも」
ラルレインはトコヨノの言葉を正面から受け止めた上で、至って真剣にそう返した。トコヨノは一瞬なに言ってんだコイツみたいな顔をしてから眉尻を吊り上げた。
「負ける負けないの問題ではないのです。バイオレーターとの戦闘は本当に危険なんです。貴方の命に関わる事なんですよ?本当に分かっているのですか?」
「分かっている。戦いの最中に気は抜かない。俺は負けない」
トコヨノの表情から険しさが消える。トコヨノはまるで未知の生命体でも見るような顔でラルレインを見詰める。大真面目な顔をしているラルレインの顔を見詰める。
「あの人、正気ですか?」
トコヨノは唖然とした様子でマルゲに問い掛ける。
「ああ、恐らくは……」
マルゲもまたラルレインを難解な数式を眺めるように見てから、目を逸らすように下を向き、眼鏡を上げる。
「――ともあれラルレイン君、ヴィット入隊おめでとう。君はヴィット創設以来初の異能を持たざる者だ。その活躍、期待しているよ」
マルゲは分かり易く切り替えてラルレインを歓迎した。
「ありがとうございます」
ラルレインは意味が分かっているのか分かっていないのか定かでないパッとしない顔で直角のお辞儀をした。
「うむ。ラルレイン君とマヨイ君、いいコンビになりそうだね」
「は?」
マヨイは唖然とした顔でマルゲを見る。だがマルゲはもう何もかも意に介さないようなシワクチャな笑顔を浮かべていた。
「勘弁してください、総督。こんな脳まで筋肉で出来ているような人を私一人に押し付けるつもりですか!?」
「では!あとの事は全てこの優秀なマヨイ君に聞き給え。私はこれでお暇させてもらうよ。私は忙しいからね――」
マルゲはそう言ってそそくさと階段の方へ去っていく。
「待ってください、総督――!」
トコヨノもまたマルゲを追って離れていく。ラルレインは一人、大空間に取り残される。
「……うむ」
ラルレインは暫く立ち尽くしてから、再び有りもしない鞘に剣を収めようとし、再び落として、再び拾ってから、投げ捨てた鞘を拾いに行くのであった。




