(11)窓から眺めていた世界.1
デッパリア城裏の森の木の洞に虛空の欠片を隠し、僕らは置換でどこかの建物の一室に飛んだ。
「――ここは?」
「私が借りてる宿」
そこは木造の一室で、一人で泊まるのがやっとの狭さだった。日当たりが悪く、家具はベッドと机だけで、机の上には弾丸に交じって見覚えのある金銀財宝が山を成して溢れて出ていた。
「これは?」
「鉄砲玉呼び出すときに入れ替えたヤツだね」
成る程、財宝と弾丸を置換させていたのか。確かにあの時は置換させる物体が財宝しかなかったとは言え、しかしこれは、歴とした窃盗行為だ。やっぱりこの人についてきて良かったのか、今更ながら心配になる。
「返すんですか、これ?」
「返すわけないでしょ。せっかく盗んできたのに~」
僕の胸内の不安は増大した。
そして、机の上にもう一つ。そこには猫がいた。全身が夜空のように黒い猫が、机上から零れ落ちるほどの財宝の上で、妙に紳士的に見えるスッとした姿勢で座り、一等星を思わせる青い瞳で僕を意味ありげに見詰めてくる。
「猫……?」
するとトモエさんは荒々しくその猫の首輪を掴んで、自身の顔の前まで持ち上げた。
「おいクソ猫、テメェ大事なこと黙ってやがったな?」
塔での寸劇を思い出す粗暴な口調で猫にそう言い迫る。すると猫は口をぱくぱくと開いた。
「落ち着け、巴。そういう時は深呼吸が良い。一度深呼吸をして、それから我を降ろせ」
渋い声、何処からか異様に渋くて低い声が聞こえてくる。僕は思わず周囲を見渡すが、見渡せるほど広くもないこの部屋に、先程の渋い声を発しそうな人間など見当たる筈もない。
「話逸らすんじゃねぇぞクソ猫……。お前、虛空の欠片が異能を封じ込めるって、知らなかった訳じゃねぇよな?」
トモエさんは今にも殴り掛かりそうな勢いで猫に問い詰める。宝物庫で言っていた“クソ猫野郎”というのは、恐らくこの猫のことのようであるが、しかしこれは、一体どういう状況なんだ?猫が喋っている……?
「何の事だ?我には御主の言うことが何の事かさっぱり分からぬ」
「嘘つけよ。目ぇ泳いでんぞ」
「――、うむ……」
猫はトモエさんから顔を逸らす。表情はないのに、確実に追い詰められている感じが伝わってくる。
「――確かに、我は知っていた。虛空の欠片が異能を封じる事を。ただ、伝え忘れていたのだ。我に悪意はない」
この猫……、なんて惨めな悪足掻きをするんだ。見ていられない。
「あっそう。それで?遺言はそれで満足?」
「待て待て!何と物騒な事を言うのだ。我は誠心誠意の真実を述べたのに、その報いがソレではあんまりではないか!」
「ふーん……」
「何だその目は!我は決して嘘など吐いていない。どうしてもそう主張したいのならば、我が嘘を吐いているという証拠を示してみたまえ」
あの猫、必死だな……。
「あーだこーだと五月蠅い奴だなぁ……」
トモエさんは猫を財宝の山の上に降ろす。
「お前、私が困るように敢えて黙ってたろ?」
「……いや?」
語尾が獅子に睨まれた子鹿のように震え上がっている事が全てを物語っていた。するとトモエさんは、意味ありげにスカートのポケットに手を突っ込んだ。
「はぁ……、せっかく煮干しを仕入れてきてあげたのにな~。もったいないけど、これは自分で食べようかな~?」
トモエさんは身体の向きを逸らし、横目で猫を見下ろす。その目は実にしなやかで強かだった。トモエさんの手が収まるポケットの輪郭が、まるで何かを掴んでいるように蠢く。猫はその布の向こう側を食い入るように見詰める。
「御主、それは卑怯ではないか!この身体が煮干しに抗えないのを……!――あぁ、駄目だ。煮干しの事を考えると、もう煮干しの事しか考えられなくなる……!絶対ウソに違いないのに……、くぅぅ、抗えぬ!煮干しを我に寄越せ――!」
猫はトモエさんに飛び付き、ひらりと躱され、奥のベッドに着地する。
「乱暴はやめてよ。別にあげないって言ってるんじゃないんだよ?そのちっちゃい脳でも分かるよね?煮干しが欲しいなら、どうすればいいのかな?ほら、早くしないと、煮干しは逃げていっちゃうよ~?」
トモエさんは嫌らしいを通り越して最早残忍な表情を振りかざす。自業自得であるとは言え、今更ながら猫が可哀想になってくる。
「おのれ……!悪魔めッ……!そんなに我を虐めて楽しいか!」
苦しむ猫の様子を見て、トモエさんは大魔王のような高笑いをした。
「うん。もう楽しい。ホント最高だよ。って、あれれ~。口答えしている場合なのかな~?」
トモエさんは再度ポケットの輪郭を波立たせる。何と惨い……。
「……確かに、御主の言う通りだ。我は御主を困らせようと敢えて黙っていた!今ここに認めよう!だから早く!早く煮干しを……!」
猫は縋るように両手、いや、両前肢を伸ばし、トモエさんを見上げた。だが、トモエさんは悪魔のように微笑んでいた。これは若しや……。
「煮干しぃ?え~?なんのこと~?」
「やはりかッ!悪魔めッ!」
猫は凄い勢いでベッドに倒れ込んだ。何というか、自業自得だが少し可哀想な気になってくる。
「ざまぁみろ。あんな悪質な嘘を吐くお前が悪いんだからな。天罰だ、天罰」
トモエさんは本気で憤った顔で猫を見下ろした。確かに、この猫が虛空の欠片の異能無効化を黙ってなかったら、トモエさんもラルレインと戦って痛い思いをしなくて済んだかもしれないし、僕も大勢の兵士に追われる恐怖を味わなくてよかったかもしれない訳だし、そう思うと、この猫結構悪質なことをしているな……。
「天罰は人が下すものではない!」
「黙れ、嘘つきクソ猫が!」
「あの……」
僕は久方ぶりに声を発した。
「その喋る猫は一体……?」
「ああ、コイツ?コイツは、うーん、何て言えばいいのか――?」
トモエさんは腕を組んで頭を捻ったあと、先程の悪魔のような高笑いが嘘のような穏やかで晴れやかな顔を僕に向けた。
「まぁ、面倒臭いからざっくり言うと、私をこの世界に引き込んだ張本人、かな?……猫だけど」
この世界に引き込んだ……?全く意味が分からない。この人と出会ってから意味の分からないことずくめではあるが、僕の思考は懲りずに処理過多による機能停止を起こす。
「如何にも!」
すると間髪入れずに猫の渋い声が響く。僕は殆ど無意識にベッドの上の猫を見る。猫は背筋をピンと伸ばした姿勢で僕を見ていた。
「我は実空間管理分子、通り名はシュレディンガーなり」
「実空間管理分子……?」
僕はそれを忠実に繰り返すだけで精一杯だった。
「如何にも。御主にも分かるように説明すると、この宇宙の管理者と言ったところか。つまり我は猫ではあるが猫ではない。これは現代の世界に馴染む為の仮初めの姿。故に喋る事も何ら不思議にあらず」
猫は妙に偉ぶってそう言った。なんか、異様に鼻に付いた。
「……つまり、どういう事ですか?」
そして結局、それが僕の素直な感想だった。
「つまり、あんま深く考えずに適当に流しておけばいいってこと」
「は、はぁ……」
トモエさんはいつもの暢気さでそう言った。そんな事を言われたって、今凄い重要そうな事を言われた気がするのだが、と思いつつ、踏み入れたら暫く帰ってこられなそうなので、取り敢えずトモエさんの言う通り適当に流しておくことにした。
「そうですね。そうしておきます……」
「うむ。御主の未熟な脳では到底理解できぬであろうからな!」
猫は実に偉そうにそう言った。一瞬、本気でぶん殴ってやろうかと思った。やはりこの猫に同情の余地はない。僕は猫に熱い熱い視線を放ったが、猫は気付かずにトモエさんの方を見上げた。
「――して、巴。虛空の欠片は手に入ったのか?」
「取り敢えず持ち出すことには成功した。今は城の北側の森に隠してある。何せ、あれ持ってると置換できないんでね!」
「うむ……。――そうだ!巴。ずっと気になっていたのだが――」
すると猫は前肢を僕の方に向けてきた。
「――その陰気な幼子は何者なのだ?」
陰気……!このクソ猫、僕で話を逸らした上、僕の事を陰気だなんて、許せない。あとで下水に捨ててやろうか。
「あぁ、リオのこと?」
するとトモエさんは僕の背後に回り、僕の肩を両手で掴んだ。僕は振り返りトモエさんの顔を見上げる。それだけで僕の煮え滾る怒りはスッと収まった。
「虛空の欠片があった塔に閉じ込められてたから連れて来た」
「どうするのだ?そのような陰気な幼子を……?」
陰気陰気って五月蠅いなコイツ……。僕は再び猫を睨み付ける。
「どうするって、可愛いから弟にする」
「えっ!?」
あまりに意外で想定外の一言に、僕は慌ててトモエさんの顔を見上げた。するとトモエさんは楽しそうに嫌らしく微笑んでいた。これは、やられた。
「冗談だよ。でも暫くは一緒にいようね。それとも、ホントに弟になっちゃう?」
トモエさんは無邪気にそう言った。僕は何も言えなかった。
「兎も角、第一段階は達成という事だな」
「そゆこと。もう大変だったよ~」
トモエさんはそう零して僕の横を通り過ぎ、猫が座るベッドに倒れ込んだ。猫はすんでの所でベッドから脱出し、ベッドの脇からは大量の埃が噴き出される。
「いやー、ホント疲れた~」
ベッドの反動が治まると、トモエさんは両手足を目一杯に広げ、伸びをすると、そこでぱたりと脱力した。ベッドに収まりきらなかった両手両足がベッドからはみ出る。
「巴め、危ないではないか!我が逃げ果せたから良かったものの、もし一瞬でも反応が遅れていれば我は巴の下敷きになっておったぞ!」
猫は、らしからぬ渋い声でベッドの上に向かって文句を垂れるが、トモエさんからの返事はない。トモエさんは既に眠っていた。猫は再びベッドに飛び乗り、それからその事を認識する。
「何だ、寝ておるのか」
猫は身体を翻してベッドを降り、次いで窓枠に飛び乗った。
「おい、御主。窓を開けろ」
猫は窓枠から僕を見つめる。
「僕ですか……?」
「御主の他に誰が居るのだ。さぁ、早く。二日間も閉じ込められて我は大変暇であった。早く窓を開けるのだ」
「分かりました」
僕は急かされて思わず駆け足で窓を開けた。
「感謝する」
すると猫はそう言い残して窓から飛び降りた。僕は慌てて窓から下を覗くが、二階から飛び降りたと言うのに、猫は平然と狭い路地裏を歩いていた。僕は胸を撫で下ろしてから、窓際から離れた。
それから僕はトモエさんに掛け布団を掛けてあげようとして、掛け布団がトモエさんの下敷きになっている事に気付いて、起こさないように僅かな力で引っ張ってみて、無理だと判断して、どうしようか暫く悩んで、トモエさんの身体が乗っていない余白を引っ繰り返して、トモエさんを包むように掛けた。不十分である感は否めないが、ないよりはマシだろう。
「(お腹すいたな……)」
空腹を感じる。確かに、窓の外の日は高く上がっていた。もう昼だ。食べ物がないか部屋を見渡す。すると机の陰に紙袋を見付ける。その中には果物やらパンやらが入っていて、僕はそれを勝手に食べていいのか暫く悩んでから頬張った。
視える運命は変わった。辛うじて視える範囲は翌日の昼頃、今から丁度丸一日程度で、それ以上は輪郭がぼやけ曖昧になり、一ヶ月後ともなるとまるで形を成さなかった。きっと塔を出たからだ。時が止まったかのようなあの塔を出て、あらゆる可能性が未知数に存在する環境に身を置いているから、僕の未来視は使い物にならなくなったのだろう。少し前の悲観的な自分がまったく恥ずかしい。こんな大した事のない能力に、まるで人生を支配されていたかのような感覚に陥っていたなんて、今や丸一日分しか視えない事が何とも皮肉的で笑うしかない。……僕は。僕はこれから、どうなるんだろう。
窓の外、異様に近い隣の建物との隙間、ちっぽけな雲がたった一人でどこまでも青い空を流されている。
未来は変わる。僕の未来視が如何に限定的な力かも知った。そして僕はあの部屋の呪縛から解放された。もっと晴れ渡ってもいい筈だ。あの青空のように。それなのに僕はこの期に及んで、心細さを感じている。あの部屋に居たかった訳じゃない。ただ、井の中の蛙が大河を知ったという話なのだろう。胸の中に、今まで無縁だった漠然とした不安が僕の心を唆す。これから僕はどうなってしまうんだ。僕が今後進むであろうみちの先に、悲劇的な結末が待っているのではないか。その可能性は、未来が視えない以上ゼロじゃない。どんな可能性だって、この混沌とした世界には有り得るのだ。そもそも、悲劇的ではない、僕が求める結末とは何なんだろう。幸せとは、何なんだろう。幸せを手に入れて、いつかは失われるそれを壊れないように大事に怯えながら暮らす日々は幸せだと言えるのか。幸せを手に入れて、僕らは本当に幸せでいられるのか。万物は崩壊の定めにあるとしても、幸せほど壊れ易いものはない。それを手にしたとして、僕は手放しで喜べるのか。では、僕は何を求めて、何を目指して生きればいい。何の為に、何をして、何に努めて、何を捨てて生きればいい。何を目的に、生きればいい。意味があれば幸せなのか。大義があれば幸せだと言えるのか。考えれば考えるほど、行くべき先が分からなくなる。
やがてちっぽけな雲は窓枠の外に消えていった。あの雲は何処へ向かうのか。いつか大きくなって、雨を降らせる事が出来るのか。それとも、そのまま誰にも知られずに消えてしまうのか。雨を降らせ終わると消えてしまうのか。雨を降らせられたとして、その雨は何をもたらすのか。恵みか、災害か。
僕は考える事に疲れて、寝転びたくなって、部屋中を見渡して、トモエさんが眠っているベッドにお邪魔するか、それとも床に寝転がるかを暫く逡巡して、トモエさんを起こさないように静かにベッドの縁に寝転がった。
いつもと違う天井、これにさえも不安を憶え、あんなに嫌気が差していたいつもの天井を、胸のどこかで求めてしまっている自分がいる。これで良かったのか。あの部屋を出て、僕は良かったのか。初めから壊れるものなら、初めから存在しない方が良いのではないか。僕はここに居て良いのだろうか。いや、もうやめだ。何も考えたくない。瞼を下ろす。開け放たれた窓から、活気の良い声が聞こえてくる。近くからは、トモエさんの寝息が聞こえる。部屋の何処からか、隙間風の甲高い風切り音が聞こえる。兎に角、今はどうだっていいじゃないか。どうだっていい。どうだっていいさ。僕は鼻から胸いっぱいに空気を吸い込んだ。




