(10)対決
周囲は三階建ての建物が裏門から城内中心部へ繋がる通路沿いに建ち並び、背後には裏門から連なる高い城壁が左右へ延々と続く。通路は馬車がすれ違うのがやっとの手狭なもので、石畳の隙間から雑草がはみ出している。城壁付近は一定の空間があり、高い城壁によって陰り地面が剥き出しになっている。トモエさんは通路の20メートルほど先に立ち、僕や門番、ラルレインは裏門から僅かに離れた場所に集まっていた。
「門番諸君、この子供を守れ。奴と戦うのに庇っている余裕はない」
ラルレインは一歩歩み出ると、腰の鞘から剣を抜きトモエさんに向かって構えた。
「了解!ご健闘を祈ります!――さぁ、君は僕らと来るんだ」
「いや……、あの……」
僕は門番の二人に手を引かれて裏門の方に促される。僕は引かれるまま移動する。体力がなかったのだ。その時ふと、トモエさんと目が合った。トモエさんは僕に向かって微笑んで、再び片眼を一瞬閉じてみせた。
「……さてと。それじゃあリベンジマッチを始めようか。勝ち逃げなんて許さないからねッ!」
先に動いたのはトモエさんだった。トモエさんはラルレインに向けてピストルを発砲、弾丸は目にも止まらぬ速さで空間を貫き、ラルレインの右耳付近を通過する。その間ラルレインは一切構えを揺らがさない。次の瞬間、弾丸はトモエさんと置換し、トモエさんはラルレインの背後を取る。だがラルレインはそれを読んでいたかのように、トモエさんが背後に現れた瞬間に足を一歩前に踏み出し、それと同時に踏み出した左足を基点に体を回転させてトモエさんに斬り掛かる。トモエさんの手が届かず、かつラルレインの剣の切っ先がトモエさんを捉える絶妙な距離、その切っ先がトモエさんを切り裂きかけた瞬間、トモエさんは忽然と消え、代わりにその場には弾丸が現れ、弾丸は迫る切っ先に一刀両断にされる。ラルレインは直ちに構え直し、周囲に警戒の網を張り巡らせる。難攻不落の殺気が周辺を支配する。だがトモエさんは想像の斜め上から現れる。ラルレインの上、空中に現れたのだ。トモエさんの身代わりになった弾丸に薬莢が付いてなかった事を考えると、背後を取った時に置換させた弾丸を、ラルレインの上を通過するように仕組んでいたようだ。しかしラルレインは表情一つ変えず、最適な一動作でトモエさんを向かい撃つ構えを取る。トモエさんは堪らず弾丸を外に放ち、何とか逃げ果せる。
「アンタ、やっぱバケモンだね。あれを容易く反応されちゃうなんて、もう何しても勝てる気がしないよ」
「では投降しろ」
「するわけないでしょ!」
トモエさんは再びラルレインに向けて二回発砲する。やはりいずれもラルレインを避ける道筋を辿るが、次の瞬間、弾丸は突然何かに弾かれたように有り得ない角度で曲がった。片方は左下方、もう片方は右上方に軌道を変えた。更に弾丸は何度も弾道を変え続け、ラルレインの周りを蜂のように飛び交い取り囲んだ。どうやら置換時に方向操作をして弾丸の軌道を操っているようだが、それにしても信じられない光景だ。これには不動のラルレインの背中にも動揺が見られる。
「これなら、流石のアンタも反応しきれないんじゃない?」
これは恐ろしい……。いつどの瞬間に、どの地点に現れるかも分からないトモエさんを常に全方向で注意し続けなければならない上、逃げ場もない。常人ならまず回避不可能な必殺技だ。が、このラルレインという奴は、その只中に身を置いても尚構えを一切崩さない。その背中から既に動揺は消え、湖畔の底に沈むような異常な落ち着きをみせている。
「……」
奴の覇気が緊張感をもって辺りを支配する。まさか、この攻撃を撃ち破ろうというのか?
トモエさんが消える。現れたのはラルレインの右足下、身を低く屈め鋭い眼差しでラルレインを見上げる。試すような挑発的な眼差しだ。トモエさんは手を伸ばす。ラルレインの足首に向かって、そっと素早く手を伸ばす。その手が触れかけたその時、ラルレインの身体が手の先から離れていく。異常な反射神経からラルレインは瞬時に身を引き、トモエさんから離れ、そして構えをトモエさんに向ける。
だが、トモエさんは笑っていた。策略が嵌まった時の、残酷で愉悦的な笑みを浮かべていた。
次の瞬間にはトモエさんは、ラルレインの右足下から消えていた。再び現れたのはラルレインの背後、首元だった。もう一つの弾丸と置換したのだ。既に伸ばしていた手が今まさに首元に触れる。
その時だった。ラルレインは倒れた。一瞬にして全身の力を抜き、重力に身を任せ、何の受け身も取らずに胸から地面に倒れた。トモエさんの手は空を切った。その次の瞬間にはラルレインは腕で地面を蹴って逆立ちのような体勢になり、足の裏でトモエさんの腹を蹴り上げた。トモエさんの身体は真後ろに突き飛ばされ、建物の壁に背中を強打する。
激しく咳き込むトモエさんにラルレインが迫る。
「マジかぁ……、絶対やったと思ったのになぁ……」
乱れた髪の間から、トモエさんはラルレインを見上げた。
「勝負あった。大人しく投降しろ」
ラルレインは息一つ切らさずに剣を鞘に戻して、トモエさんを見下ろした。
「好きにしろよ……。どっちにしても、もう……」
トモエさんの頭がこくりと倒れる。その反動で、黒髪がトモエさんの表情を覆い隠す。まるで幕が降りるように。肩も、腕も、指も、その全てから力が抜け、糸が切れた操り人形のように無力に地に垂れた。
負けた……。また負けた……。――駄目だ。勝てない。あいつに勝てない。運命に勝てない。僕は結局、何も出来ない。逃れられない。運命は変わらない。何も、結局は何も変わらないのか。
何故か異様に清々しくさえある。結局は無理なんだと言うことを、証明された気がした。僕の不毛の日々が報われた気がした。トモエさんでさえ無理なのだ。それに僕が敵う訳がない。僕がひれ伏す運命は、誰だって覆せない。それなら、僕が覆せなくたって、何も恥ずかしい事はない。だって、誰がやったって無理なことを、どうして僕なんかが出来ようか。あぁ本当に、希望を抱いたりなんかして、何をやっているんだ僕は。僕はただ、僕はただ誰にも抗えない流れに身を任せるしかないのだ。それは当然の事だ。誰だって老いには逆らえないように、運命にだって逆らう事など出来やしないのだ。普通のことだ。そうだ、当たり前の事なんだ。僕が弱い訳じゃない。それこそが正しい。
では何故、涙が止まらないんだ。止め処なく溢れるんだ。悔しい。悔しい。何故悔しい?運命に抗えない事か。それともトモエさんが敗れた事か。それもそうだが、そうじゃない。僕は、僕が僕の運命を変える為に何も出来ないことが悔しい。僕の運命なのに、僕は非力で、臆病で、結局何も出来ない。格好付けて、ふざけた諦め文句ばかり探して、目を背けて、そうすれば楽になるから、そうするしかなかったから、でも今は、それ以外の選択肢が無限にあった筈なのに、僕は諦め癖が抜けずに、結局何もしていない。変わらないのは運命じゃなくて僕だ。僕がこの期に及んで変われないから、運命は降り戻されるんじゃないのか。悔しい。弱い僕が憎い。変わらない僕が憎い。変わりたい。もうこんな気持ちは散々だ。変えたい。変えるんだ。僕の手で。僕の行動で――。
――僕は門番の手を振り解いて走り出した。
本当に、何をやっているんだろう僕は。こんな事をしても何も変わる筈ないのに、ただの自己満足の為に、でも、それでいいじゃないか。どうせ変わらない運命なら、一度全部壊してしまえばいい。飽き飽きしていたんだ。それが奈落に繋がる道筋であったとしても、トモエさんが一緒ならきっと嫌じゃない。この人となら、奈落だって乗り越えられる気がするんだ。
――僕は立ち止まった。トモエさんの前に、ラルレインの前に、立ちはだかった。そして僕は、運命の反動を全身で浴びるように両腕を広げた。
「――どうしたんだ?」
ラルレインは驚いていた。表情には殆ど分からなかったが、間違いなく驚いていた。
「僕はこの人と共犯です!この人を捕まえるなら、先に僕を捕まえてください!盗んだ宝石は僕が持っています。これがその証拠です!」
僕は虛空の欠片をラルレインに見せる。ラルレインはそれを見ても、相変わらず訳が分からないという顔をしていた。
「何を……?」
「だから!僕とトモエさんが一緒にこれを盗んだんです!僕とトモエさんは仲間なんです!人質じゃないんです!人質のフリをしていただけで、僕はトモエさんと同じ悪い人なんです!だから、僕をトモエさんと一緒に捕まえてください!」
「……何を、言っているんだ?」
「理解できないんですか?このスカポンタンっ!」
「そこまで――」
何者かが急に僕を背後から抱き上げた。その抱き上げ方にも、背中の感触にも、僕は憶えがあった。僕は振り返る。
「トモエさん!?」
「ったく、クソガキのくせに、一丁前にカッコ付けちゃってさぁ……」
そこにはトモエさんの顔があった。いつもより疲れが滲み、目元にも覇気がないが、まだ瞳は確かに光り、ラルレインを見つめていた。
「まだ立ち上がるか……!?」
ラルレインは左足を一歩引いて半身になり、剣の柄に手を掛ける。
「大丈夫なんですか?」
「んな訳ないでしょ~……。もう腹痛いし、背中痛いし、意識は飛びそうになるし、最悪だよ……。それでちょっと卑怯なことしようとしたんだけど、ボクちゃんに邪魔されちゃったしさぁ……」
「あっ……」
そういう事だったのか……。気絶したフリをして、ラルレインがトモエさんを連行しようとして触れる瞬間を狙っていたのか。やってしまった……。
「そのお陰で引くに引けなくなっちゃったよ……。この野郎め、やりやがったなぁ~……」
トモエさんは僕の頭を少し乱暴に撫で回した。
「すみません……」
「いいよ」
そう言うトモエさんの声色は、全く濁りがなく、どこまでも突き抜ける青空のようだった。
「寧ろ、俄然やる気が出てきた。こうなったら、何としてでも突破しないとね!リオ、私の後ろにいて――!」
トモエさんは消え入りそうな声でそう言うと、僕を手放した。僕は言われた通りにトモエさんの背後に回る。トモエさんは僕を庇うように片腕を上げる。その腕は傷だらけで痛々しく赤み、服も所々汚れている。立っているのもやっとなほどフラつき、息も荒い。
「何度来ようと同じことだ!」
ラルレインは剣を抜き、トモエさんに向けて構える。
「リオ……。今から私が言うことを信じて従って……」
トモエさんはラルレインを捉えたまま、囁く。
「え、あ、はい!」
「私が合図したら、全力で裏門まで走って。何があっても止まらないで。道は私が必ずこじ開けるから」
「分かりました!」
「それじゃあ、いくよ……!――さん、にぃ、いち、ゴー!」
合図と共に僕は走り出す。足も身体も体力も限界だったが、トモエさんの指示にどこまでも駆け抜けられそうな未知の力が湧いてくる。今なら日が沈むよりも早く走れそうだった。
背後からは発砲音が二発轟く。一瞬振り向くと、トモエさんの弾丸がラルレインの周囲を縦横無尽に飛び回っていた。
「その技はもう効かぬ……」
二度目ということもあってラルレインは山のように微塵も動じず、思わず息を飲んでしまうほど集中力を高めている。これじゃさっきと同じだ。ラルレインには通用しない。トモエさんはどうするつもりなんだ?いや、僕はトモエさんを信じる。僕は走るんだ!だが、裏門は固く閉ざされ、目の前には門番が二人待ち構えている。さっきの僕の言葉を聞いた二人は、手に持った槍を僕に向け、すっかり敵意剥き出しである。大人二人など、僕には到底敵わない。どうすればいい、トモエさん――!
振り向くその瞬間、僕の目の前を弾丸が通過した。僕は思わず目を閉じて身動いでから、トモエさんの姿を探して改めて振り返るが、そこにトモエさんの姿は既になかった。僕は咄嗟に弾丸の軌道を追った。弾丸が向かった先、僕の行く先、僕は前を見る。すると門番二人の姿が消え、代わりにトモエさんの姿がそこにあった。
「リオ、あっちだよ!」
トモエさんは裏門の方向に指を指す。流石に言われなくてもそれくらいは分かるが……。僕は取り敢えず頷いた。その時、トモエさんを中央に捉える僕の視界の左端にラルレインの姿が映り込む。
「トモエさん!左――!」
「え?うわっ!」
ラルレインの振り下ろされる一太刀をトモエさんは間一髪避ける。空振った剣が直撃した石畳には、深く細かいヒビが広がった。あんなの食らったら一溜まりもない。
「マジかアンタ!どうやって抜け出したんだよ!」
「斬った」
「バケモンかよ!」
トモエさんは再び二発の弾丸を発砲し、ラルレインの周りに纏わり付かせる。
「もう効かぬと言った筈だ!」
ラルレインは剣を肩の高さで横向きに構えた。まさか、本当に飛び交う弾丸を斬るつもりなのか?
「……誰が同じ攻撃だって?」
発砲音が三発響いた。弾丸はラルレインの頭上高く、二階建ての周囲の建造物よりも高く昇り、そこで三つの大岩に姿を変えた。大岩はそれぞれ、加速しながらラルレインに振り下ろされる。
「……」
ラルレインは構えを変えた。腰辺りで切っ先を斜め下に向けた構え、そして振り上げた。ラルレインの剣は周囲を飛び交う弾丸の一つを切り裂いたあと、そのまま上空より迫る大岩を一刀両断にしてみせた。その流れのまま二発目の弾丸を切り返しに切り落とし、やはりその流れのまま二つ目の大岩を真っ二つにする。そして三つ目の大岩に向けて地を蹴って飛び上がった。
「はあぁぁぁ!」
「……残念、それはダミーなんだな」
ラルレインの剣が最後の大岩を切り倒す直前、大岩は忽然と姿を消した。それと同時に裏門の方から激しい衝撃音が鳴った。振り返ると、閉ざされていた裏門に穴が穿たれ、砂埃が舞い、門の向こうの深い森が顕わになった。そうか、置換の異能で裏門に岩を“落とし”たんだ!
「行け!リオ!」
「はい!」
「させるか……!」
ラルレインは着地と同時に一蹴りでこちらに迫る。剣は既に振りかぶられ、トモエさんを捉えた。
「悔しいけど、今はアンタと正面からぶつかる気はないんだ」
剣が振りかぶられた瞬間、トモエさんは消え、そしてラルレインの背後に現れた。ラルレインはそれに反応し、強い推進力を片足で相殺してその場に立ち止まると、振り返り様にトモエさんに斬り掛かる。その瞬間にまたもやトモエさんは姿を消し、ラルレインの剣は空を斬った。僕はトモエさんの姿を探した。ラルレインの傍にはいない。見渡すと裏門の向こう側にその姿はあった。
「リオ、早くこっち側に――」
「はい!」
僕は裏門を越えて、トモエさんの隣に移動した。トモエさんは得意げに高々と腕を上げ、掲げられた手は指を鳴らす形を顕す。ラルレインはそれにも反応してトモエさんを目で捉えていたが、急発進と急停止の反動ですぐには動けないようだった。
「それじゃあ、お宝は戴いてくね!」
「待てえぇぇぇ!」
トモエさんは裏門に向けて弾丸を投げた。弾丸は裏門の境目に投げ込まれ、トモエさんの指が鳴った瞬間、弾丸は大岩へと姿を変え、裏門を封鎖してしまった。更にそれから、ダメ押しに数個の大岩を裏門に出現させ、もはや岩山となった裏門は、流石のラルレインと言えど簡単には突破出来ないだろう。僕らは勝ったのだ。僕は逃げ果せたのだ。遂に、動くことのなかった運命を覆したのだ。
「やったぁ……!」
何か、胸を沸き立たせる何かが猛烈に湧き上がる。僕はそれを持て余し、トモエさんの顔を見上げる。
「やりましたね!!」
トモエさんの顔は微笑んではいたが、だが少し不満げであった。
「まぁね。ミッションはコンプリート。虛空の欠片も手に入ったし、リオも連れ出せた。だけど、アイツに勝ちたかったなぁー」
「ラルレインですか?」
「そう、アイツ強すぎ。まぁでも――」
すると突然、トモエさんは僕を抱き上げた。
「今日のところは見逃してやるか~。戦果は充分だったしね!アイツへのリベンジマッチはまたいつかで、今は手に入れたお宝を愛でるとしようかな?」
トモエさんは僕の顔を見下ろす。意地悪する気満々の嫌らしい微笑みを頬一杯に浮かばせて。
「愛でる、ですか……?」
「そうだよ。だって私が誘拐してきたんだもん。もう、めちゃくちゃに可愛がってあげちゃうんだからね!」
「可愛がる……」
まるで悪の幹部みたいな台詞だなと、若干の不安は抱きつつ、だけど今はそんなトモエさんと運命を越えてここにいられることが、自由が、何より嬉しく僕の心に満ちたのだった。




