第7話 〝左利きのギタリスト〟
「——ガッハッハ、よお小僧。テメエいつから彼女同伴で出勤するほど偉くなりやがったんだァ? えェ?」
「……彼女じゃねえよ。こいつはストーカーだ」
「ガッハッハ、そうかそうか、ストーカーか! 羨ましいねェ、んな可愛いエルフの嬢ちゃんからストーカーされるなんてよォ、漢冥利に尽きるじゃねえかシオン!」
「……うっせぇ、黙れヒゲ親父」
バイト先であるカフェにたどり着いた途端のやり取りに、シオンはげんなりとした表情を浮かべた。
揶揄ってきたのはヒゲの逞しい親父、もといこの店の店長兼オーナーであるドワーフ族の男。
ドワーフ族らしい筋肉隆々な身体をぴっちりとしたシャツで包み込み、豪快にその人目を引く顔を笑わせている。
その姿をシオンの背後から覗き込んだルナは目を丸くして、
「——うわー立派なおヒゲ!」
「ガッハッハ! なんだなんだ、小僧の彼女のわりにャ見る目があんじゃねえか!」
「……だから彼女じゃねえって」
「むぅ、そうだよおじさん! わたしはシオンの彼女じゃなくてバンドメンバーなんだからっ!」
「ガッハッハ、そうかそうか! 小僧のバンドメンバーか! そりゃめでてェなァ……なにィ? バンドメンバー?」
ヒゲ親父、もとい店長はその真っ黒な瞳を丸くしてシオンへと向けてくる。
「なんだ小僧。テメエ、遂に復帰したのか?」
「……なわけねえだろ」
シオンは朝から何度目か知れないため息をついて、
「……俺はもうロックンロールをやる気はねえんだよ。いい加減諦めろ、ルナ」
「いいじゃん! ねえやろうよ〜!」
「嫌だ」
「シオンのベースが必要なんだよぉ!」
「聞いたこともねえくせに」
「じゃあ聞かせてよー!」
「しつけえぞ」
と、昨夜の焼き直しのような会話が続いていく。
しかしそんなシオンたちの攻防は野太い声に遮られた。
「——ガッハッハ! ま、なんでもいいがよォシオン。オレァ制服も着ずに駄弁ってる時間にまで金を払うつもりはねェぞー」
「わ、悪い!! すぐ着替える!」
「くふふ、怒られてる〜」
「……」
くすくすと笑っている少女をシオンは睨つける。
ぷちんと何かが切れる音がした。
「……。おっと、忘れてたぜ。そういやここはカフェで、お前は客だったな」
「そうだよ! わたしはお客さんなんだから!」
ドンっ、とない胸を張って威張るエルフに、カフェの店員は現実を突きつける。
「なら知ってるか? 注文もせずに飲食店に居座るやつのことを、この街では〝不法占拠者〟って言うんだぜ?」
「え、注文……?」
エルフの少女はたじろぐように呻いて、
「……し、しなきゃダメなの?」
「当たり前だろ? 飲食店に入る以上は何か物を頼むのがマナー、いや義務だ。義務を破って居座るってんなら警察に突き出されても文句は言えねえ。さて、それで便宜上はまだお客様であるところのお客様……ご注文は?」
「で、でもわたしお金が! だ、だから……!」
「おいおい、まさか無銭飲食しようってのか? そりゃねえだろ。で? ご注文は?」
「うぅ、で、でもでも……わたし、お金が……!」
「ご・注・文・は?」
「うぅぅ〜〜! い、いじわるっ!」
「はて? 申し訳ありませんお客様。〝いじわる〟なる物はうちの店には置いておりません。お帰りになられるか、お帰りになられるか、もしくはお帰りになられた方がよろしいのでは?」
「うぅぅぅ~~~!! ——ホットコーヒーひとつ!!」
「——かしこまりましたお客様」
満面の笑みを浮かべたシオン。
ルナは懐から取り出した財布を見て涙目を浮かべている。
その様子にようやく朝からの溜飲を下げたシオンはバックヤードへと着替えに向かった。
しかし着替えから戻ってくると、テーブルについたルナの前にはなぜかイチゴのショートケーキが置かれており、幸せそうにその頬をほころばせていた。
「——あ、おいテメェ! なに金ねえくせにケーキなんか頼んでやがんだよ! つまみ出すぞ!」
「ガッハッハ、いいんだよシオン。オレの奢りだからなァ!」
「なに?」
眉を顰めたシオンに、ヒゲ親父もとい店長は豪快に笑い飛ばしてくる。
「サービスだよ、サービス。常連への道もはじめの一歩からッてな! 客商売の基本だぜェ?」
「……いいのかよ親父。こいつこれだけでずっと居座るつもりだぞ? 営業妨害だろ」
「はッ、構やしねえよッ。こんな可愛い嬢ちゃんなら客寄せにはピッタリてもんだァ。しかもそれがエルフときたら尚更だぜェ。〝エルフ御用達〟ってェ箔が付くってもんよ!」
「……」
ヒゲに似合わず商売上手なことだ。
これで上手いコーヒーを入れると評判なんだから人間はわからないものである。
「おらシオン、ボケッとしてる暇あんならこれも嬢ちゃんに持ってってやれ。どうせ朝メシも碌に食っちゃいねぇんだろうからなァ」
「……んなサービスしてっと潰れるぞ」
「ハッ、元々こっちは道楽でやってんだァ。潰れて困る店じゃねえよ。いいから待ってけ」
「……バイトしてる俺が困るんだよ。ちっ」
しかし同じように助けられたことのある身の上としてはこれ以上何も言えなかった。大人しくルナのもとへと運んでいく。
「ほらよ、コーヒーとたまごサンドだ。ヒゲに感謝して食べろ」
「わ、ありがとー!! わたしたまご大好きっ! あ、ねえねえシオン。ミルクとお砂糖は?」
「あん? ねえよんなもん。ここは本格喫茶でやってんだ。ブラックで飲め——痛ぇ!!」
飛んできた衝撃にシオンは頭を押さえて呻く。シオンの頭に拳骨を振り下ろしたヒゲ親父もとい店長はフンッと鼻息を荒げ、
「つまんねえ嘘つくんじャねえシオン。ほらよ嬢ちゃん、ミルクだ。砂糖は何個がいい?」
「わーい、おじさんありがとー! 三個ちょうだい!」
「おうよ! それとワシのことはヒゲ爺と呼んでくれや。このヒゲはワシの誇りだからよォ!」
「うん! わかったヒゲ爺!」
展開される和やかなムード。
シオンはその髪をぷるぷると震わせて、
「——こ、このっクソヒゲジジイ! 何が嘘だよ! 俺が初めてこの店に来たときにテメェが言ったんだろうが! 『ブラック以外でコーヒー飲むやつァ誰だろうとオレの店の敷居はまたがせねえよォ』ってな! テメェの決まりをテメェで破るってのかよ?!」
「あァん? テメエいったい何年前の話してやがんだァ? 時代は日々移り変わってんだよ。それにそもそも小僧は男で嬢ちゃんは女だ。どこの世界に月とドブネズミ比べてドブネズミに優しくしてやるやつがいるッてんだァ? そりァ変態だけだろうが」
「あんたそりゃ差別だぞ! 男女平等はどこいったよ!」
「ハッ、そりャあ外の世界の常識だろうが。ここはオレの店で、オレはそのオーナーだ。オレが〝黒〟と言やァ〝黒〟で、オレが〝白〟と言やァ〝白〟なんだよォ、どんな色だろうとな」
「くっ、この……」
破茶滅茶な暴論だが、真理でもあった。
どこまで行っても所詮はバイトであるシオンにとって、目の前のヒゲ親父、もとい店長兼オーナー様は生殺与奪の権利を持った神なのである。
ムスッとカウンターに頬杖を付いたシオンは不毛な争いを挑むのをやめ、ヒゲ親父言うところの〝月〟を〝ドブネズミ〟らしいジト目で見た。
「ふんふんふーん♪」
ルナは鼻歌を奏でながらコーヒーにミルクと砂糖を入れてスプーンでかき混ぜている。
くるくるくるくるとやけに楽しそうだ。
「えへへ! たまごもケーキもコーヒーも全部美味しい!」
ハムハムと食べ物をハムスターよろしく口に運んでいくルナ。
しかしシオンにはその仕草に気になる部分があって、
「——。おいルナ……お前、もしかして左利きなのか?」
「ふぉえ? んっん……そうだよー。スプーンを待つのもフォークを持つのも左! もちろん字を書くのもね!」
と、口の中身を呑み込んでから左手でVサインを決めてくるルナに、シオンは昨夜のライブを思い出して浮かんだ疑問を口にする。
「じゃあなんでお前、左利き用のギター買わなかったんだ? なんか拘りでもあんのか?」
「え、左利き用の、ギター……?」
ルナはVサインを決めたまま、ぽかんと呆けた視線を向けてくる。
「……まさかお前、知らなかったのか? ギターにも左利き用のものがあるってこと」
こくこくと頷くルナ。それから腕をわちゃわちゃと振って、
「え、だ、だってお店の人にマリヤのやつが欲しいって言ったら出してくれたんだもん! そ、その人も特に利き手とか聞いてこなかったし!」
「……あのな、ルナ。エルフの世界じゃどうかは知らねえが、世の中の大半の人間は右利きなんだよ。もちろんマリヤ・ノーザンウィードもな」
「嘘!」
「嘘じゃねえって。……はぁ、大体お前は舐めすぎなんだよ。確かにその店員も適当な仕事したのかもしれねえけどよ、ヘブンズ・オブ・ロッカーを目指そうなんて大口を叩く前に普通そんくらい調べてくるだろ」
「う、うー」
唇を尖らせて珍しく、と思えるほど知り合って長いわけではないが、珍しく本当に落ち込んでいる様子を見せるルナ。
その涙目に気づいたシオンはさすがに言い過ぎたかと慰めの言葉を口にしようとして、しかし野太い声に遮られる。
「——ガッハッハ、まあそう落ち込むなよォ嬢ちゃん。別に右利き用のギターだからって左利きの奴が使えねえわけじゃねえんだ。どうせギター弾くには両手がいるんだからよ。ま、どうしても左手で弦を弾きてェてんなら幾つか手段もあるしなァ」
「……そうなの?」
「おうよォ! 簡単だぜ? 弦を逆の順番に張替えて逆に持ちャあいい。ま、なかには弦を張り替えずにただ逆に持って弾く奴もいるらしいがなァ!」
ガッハッハ、と笑うヒゲ親父もとい店長の助言にシオンは感心する。
「へぇ、ずいぶん詳しいじゃねえか親父。音楽には興味ねえとか言ってなかったか?」
「なァに、この街で酒場やってりャ嫌でも耳に入ってくるってもんよ」
得意げにヒゲを撫でるヒゲ親父。
「あれ? 酒場? ここカフェだよ?」
「ん、ああ……ここは夜には酒場になるんだよ。ってか、どっちかって言うとそっちがメインだな」
ヒゲ親父がさっき自分で言っていたように道楽でやってる店だ。しかしこれもさっき言ったように潰れて困るのはバイトであるシオンなのだから頑張って欲しいところではあった。
「しッかし嬢ちゃんはヘブンズ・オブ・ロッカーを目指してんのか。ガッハッハ、そりゃいいじゃねえか、嬢ちゃんみてえな可愛いのが有名になってくれりャあロックンロールの未来は明るいってもんよ! 応援してるぜェ!」
「うん、頑張るよ! ありがとー!」
先の会話を聞き留めていたらしく、豪快に笑って告げるヒゲ親父にグッと両拳を握って応えるルナ。
シオンはため息をついて、ヒゲ親父もとい店長を少し離れた場所まで引っ張っていき、
「おい、あんま勝手なこと抜かすなよ親父。ヘブンズ・オブ・ロッカーを目指すなんてのは無謀もいいところなんだぞ」
「ガッハッハ、無謀絶望結構なことじゃねえかァ。目標は高く持つに越したこたァねえ。昔ッからテメエの夢を叶えられんのは馬鹿ヤロウって相場は決まってんだ。小僧だって、昔は馬鹿やってんたんだろ?」
「……だから、その馬鹿なやつからの忠告なんだよ」
夢を叶えた馬鹿は成功者として尊ばれるが、夢を叶えられなかった馬鹿は馬鹿のまま死んでいくだけだ。
「んでェ? 実際のところどうなんだァ? お前の目から耳からして嬢ちゃんはやっていけそうなのかよォ?」
「……あんたもさっき聞いてただろ。あいつは左利き用のギターがあるってことさえ知らない素人なんだぞ? そんな奴がやっていけるわけねえだろ」
「ガッハッハ、無知と才能の有無は別だろうがァ。ま、テメエに話を聞くよりかは実際に聴いてみた方が早ェか」
どうせまだ客もいねェしよォ、とヒゲ親父は笑って、最後まで残していたらしきイチゴを摘んで恍惚としているルナに呼びかける。
「——おーい嬢ちゃん!」
「ふぉえ? なぁに、ヒゲ爺?」
「幸せなところ悪いんだけどよォ、ちょっくらあそこで歌って見てくれねえか? ワシも嬢ちゃんの歌を聴いてみてえ!」
ヒゲ親父が親指で指し示した先には簡易的なステージ。この街のほとんどの酒場に付属しているその舞台を見て、ルナは翡翠色の瞳を輝かせる。
「——え、いいの!」
「おうよ! 存分に歌ってくれやァ!」
「やった! 実はすっごく歌ってみたかったの!」
早速背負っていたギターケースからギターを取り出してマイクの前に立つルナ。
そのルンルンな様子を見ながらヒゲ親父はその立派なヒゲを考え込むように撫で回して、
「ふゥむ、しッかしアカペラッてのもなんだなァ。——おいシオン、お前ベースやれ。んでオレがドラムやる」
「はぁ?! 何言ってんだよ! ってか親父、ドラムやれんのかよ!?」
「あんまオレを舐めんなよォ小僧。オレが何年酒場の親父やってると思ってんだァ? いいからやれ、店長命令だァ」
職権濫用甚だしい。
しかしこの〝世界〟にいる限り、〝神〟の命令は絶対なのである。
「……ちっ」
シオンは舌打ちをひとつして、舞台へと上がっていく。
それを見たルナは瞳を輝かせて、
「やったー! えへへーわたし誰かと演奏するの初めてなんだ!」
「ガッハッハ、そいつァ光栄だぜ! コイツァ下手な演奏できねえなァ、シオン!」
「……言ってろ」
置いてあるベースを握り、その音を確かめていると、ヒゲ親父はその自慢のヒゲを光らせて、
「ハンッ——。どうせ、練習は欠かしてねえんだろォ?」
「…………さあな」
シオンは肩をすくめてみせ、その目をルナへと向ける。
「……で、曲は?」
「んー、どうしよっか……あ! ねえねえ、ヒゲ爺は『ロックンロールは種族を選ばない』って知ってる?」
「おうよ! 十八番だぜェ!」
「よぉし! じゃあそれで行こう! シオンも大丈夫?」
「……ああ」
「——うおッし! じゃあ行くぜェ嬢ちゃん!」
「うん!」
「……」
そうして奇妙な三人組による、奇妙なセッションが始まった。