第5話 〝ヘブンズ・オブ・ロッカー〟
「——。やめとけ、俺なんか誘っても良いことなんてないぜ」
ルナからの勧誘の言葉に、シオンはそう言って肩をすくめた。
「もしかして、もう誰かと組んだりしてるの?」
「……いや、今は誰とも組んでねえよ」
「ならいいじゃん! ね、やろうよー!」
無邪気に笑うルナに、シオンは深くため息をついて言った。
「……俺はもう、ロックンロールはやめたんだ」
しかしルナは怯むことなくその両手をぐっと握って、
「——お願い! 一緒にやろうよ! きみとなら届く気がするの! あの舞台に!」
「……はぁ。いちおう聞くが、どの舞台のことを言ってるんだ?」
ふつふつと湧き上がってくる静かな怒りを抑えてシオンはルナに訊ねる。
その場所がどこかのライブハウスであるとかならまだ許せた。
だが案の定というべきか、ルナは人差しを空に向けて伸ばして。
「——ユグドラシルの頂上」
厚顔無恥にも、その不遜で、誰もが一度は夢を見る場所の名を言った。
「……ふざけんな。その意味をお前はわかってるのか? そんなタクシーにお願いするような感じで言って行ける場所じゃねえよ」
ルナが告げた場所。それは全てのロックンローラーたちにとって憧れの舞台。
年に一度。大樹ユグドラシルの上で開かれる祭典。招待されるのは人気も実力も兼ね備えたロックンローラーたちで、大陸中に生放送されるそれに出演するために血で血を争う闘いが繰り広げられる。
それが少女の口にした〝ユグドラシルの頂上〟と呼ばれる場所だった。
「……あそこはな、バケモノたちの巣窟なんだ。凡人が逆立ちしたって目指すべき場所じゃねえ」
「ふざけてなんかいないよ。わたしは本気でヘブンズ・オブ・ロッカーを目指してる!」
ルナは両拳をぎゅと握りしめて、その翡翠色の瞳を燃え上がらせる。
だが強い意志だけで願いが叶うというのなら、この世界に涙は存在しない。
「はっきり言ってやる。お前には無理だ。お前にはあの頂きを登れない。あんなお粗末な演奏してるお前には——」
「関係ないよ、そんなの」
「……なに?」
続けようとしたシオンの言葉が、強い意志のこもったルナの声によって遮られる。
「凡人とか、バケモノとか、演奏が下手だとか、そんなの全部関係ないよ。——わたしが、目指すって決めたの!」
「……」
話にならない、とシオンは首を振って頭を切り替え、ルナに向かって問いかける。
「どうしてお前は……あの場所を、ヘブンズ・オブ・ロッカーを目指すんだ……?」
ルナはふっと柔らかく微笑んで、
「――きみなら、知ってるでしょ? マリヤ・ノーザンウィードのラストライブのこと」
「……」
シオンは押し黙る。しかし悲しいかな、沈黙は雄弁な口を持っている。
マリヤ・ノーザンウィードは頂きに至り、その魂を激しく燃やした。
その演奏は観るものを圧倒させ、その歌声は聴くものを惹きつけた。
しかし彼女が最も人々の心を打ったもの。
それはその魂の在り方だった。
『——ロックンロールはお前らを待ってる! ロックンロールはお前らを拒まない! ロックンロールはお前らを愛してる! だからお前ら! やろうぜ、ロックンロールを!!』
彼女がそのラストライブで叫んだ言葉はロックンロールへの愛であり、感謝であり、その〝魂〟を次代へと繋げるバトンだった。
そのバトンを受け取ったひとりである少女——ルナメルディ・ハイドランジアは、シオンに向かって微笑み、
「わたしもみんなを熱狂させられるバンドになりたい。わたしも誰かに夢を見せられるような歌をうたいたい。わたしも、マリヤみたいになりたい」
「他のだれでもない、わたしが、そう決めたの。だから——」
——わたしはヘブンズ・オブ・ロッカーを目指す。誰にもわたしの〝夢〟を否定させない。
「……」
雲間から差し込んだ月明かりが少女の髪を照らしていた。
その金色の輝きに目を焼かれそうになったシオンは、まぶたを深く閉じて、
「……その傲慢さ、嫌いじゃねえぜ。お前が本気であれを目指してるってのもわかった。……けど、俺には無理だ。俺にはお前の夢に付き合えない。他の奴を当たってくれ」
傲慢で、無謀で、愛すべき挑戦者。
側から見ている分にはワクワクさせてくれる存在。きっとそういう奴のことを、人は応援したくなるし、成功して欲しいって願いたくなるのだろう。
でも現実はいつだって非情だ。
才能は深く現実を突き付けてくる。
あんな場所、目指すべきじゃないし、目指してどうなるわけでもない。
残るのは目指さなければ良かったという悔恨……、自分の限界になんて気づきたくなかったという涙だけ。
確かにシオンも一度は夢を見た。
いつかあの舞台に立てることを願って懸命に努力した。
でも——。
「……マリヤは嘘つきだ。ロックンロールは俺を愛しちゃくれなかった。俺は見捨てられたんだよ、ロックンロールにな」
「でも好きなんでしょ! 今もまだ、ロックンロールのことが」
「——。嫌いだよ、もうずっと前から」
「嘘! だってわたしの歌を、あんなに楽しそうに聴いてくれた!」
「……」
あんなものはただの気まぐれだ。
あんなことで、いったい何がわかるというのだろう……。
「——わかるよ!」
「——っ! わかるわけねえだろ! お前に、あんな楽しそうに歌うやつに、俺の気持ちなんか!」
声を荒げ、シオンは少女を睨みつける。
しかしルナは真っ直ぐにその瞳を見つめ返してきて、
「わたしはキミのことをまだ何も知らないのかもしれない! キミがどんな想いでいるのかわかってないのかもしれない! ——けど、わかる! キミが音楽を——〝ロックンロール〟を好きだってことは!」
「だから嫌いになったって言ってんだろ! いい加減にしろよ、てめえ! なに勝手に人の気持ち捻じ曲げてんだよ! ふざけんな!」
「勝手なんかじゃない! だって、キミは一度もわたしの歌を否定しなかった! キミだけがわたしの歌を耳を塞がずに聴いてくれた! キミとなら本当に届くと思ってる!」
「なら俺よりももっと上手いやつを探せよ! 俺よりももっと愛されてるやつを誘えよ! 俺よりももっと優しいやつに頼めよ! そんな奴ら、この街には腐るほど——!」
「——キミがいいのっ! もう決めたの!」
「……っ」
いったい、何が彼女をそこまで突き動かしているのだろうか。昨日初めて会ったばかりの男に、まだ演奏だって聞いていないはずなのに、何を求めているって言うんだ。だいだいおかしいだろ、こいつ。なんでこんなダメダメの奴にいつまでも拘ってんだよ。なんでこんな断ってんのに諦めずに誘い続けてくるんだよ。なんでなんだよ。なんでなんでなんで——。
「シオン」
「——っ」
ぐちゃぐちゃになる頭の中を、その涼やかな声で蹂躙し、少女はシオンの視線を惹きつける。
エルフの少女はその翡翠色に燃える炎をにっこりと微笑ませて、
「——わたしと一緒に、もう一度、〝ロックンロール〟をやろうよ」
風が世界を攫うように吹き抜けていった。
「……」
シオンはぼんやりとした瞳で、目の前に立つ〝怪物〟を見る。
そう、〝怪物〟だ。
まっすぐに前だけを見つめていられる自信。
どんなに言われても決して曲げない屈強な意志。
それは紛れもなく、〝怪物〟たる証左。
あるいは彼女なら届くのかもしれない。
あの魑魅魍魎が蠢く世界に。
あの〝天才〟たちが跋扈する舞台に。
あの頃の少年が夢を見た場所に——。
「……この二日で、エルフに対する俺の認識が粉々にぶっ壊されたぜ。まさか初めて会ったエルフがこんな強引な奴だとはな」
ルナはそのペシャンコの胸を張って、
「えへへ、知らないの? 〝エルフの瞳は碧いほど我が儘〟なんだよ?」
「……んだよ、それ。初めて聞いたぜ」
「え、嘘! ほんとに知らないの? エルフの森じゃ常識だよ?!」
「閉じた世界の常識は常識とは言わねえよ……馬鹿……」
毒気を抜かれたシオンは頭上を仰ぎ見る。
それから想像する。
ルナと並ぶ自分の姿を。
想像して、震えて、歓喜して。
でも、それでも——。
「……無理なんだよ、俺にはもう」
どうしても、シオンには受け入れることができない。
——〝ヘブンズ・オブ・ロッカー〟を目指す。
シオンにとってそれは遥か昔に過ぎ去った夢……悪夢だ。
もう二度と、あんな思いはしたくない。
「悪いな、俺はお前と違って凡人なんだ。凡人は凡人らしく、月を観ながらひっそりと生きて行くよ。……じゃあな。応援はしてる、頑張れよ」
そう告げると、シオンは少女に背中を向けた。淡い月光が照らす道を逃げるように歩いていく。
「——諦めないから! わたし、絶対諦めないから!」
「…………」
雲間から朧いだ月が輝いた夜。
その美しい声に乗って、決意が、夜の街に木霊して消えていった。




