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第4話 〝ルナ、だよ〟

「んんーー! 楽しかったーー!!」


 ライブ終わりの喧騒がどこか寂しさを持て余している夜。

 シオンは少女とふたり路地を歩いていた。


 ギターケースを背負った少女はぐっと身体を逸らし、目一杯の空気を吸い込んでいる。その表情は充足に彩られており、本当にライブを楽しんでいたことがシオンにも伝わってくる。


「それでねそれでね! 本当は違う曲、マリヤの曲をやるつもりだったんだけど、昨日のきみに感化されちゃった! やっぱ最高だよねっ、〝ロックンロールは種族を選ばない〟って!」


 彼女の口からは絶え間なく興奮が飛び出してきて。

 ときおり通り過ぎる春風では彼女の熱を冷ますには十分でないらしい。


 しかしシオンもまた、隠すことのできない高揚感で胸を満たされていた。それはもう随分昔に忘れてしまったものだと思っていた感情で、自分の中にまだそんなものが残っていたのかという事実に軽い驚きを受ける。


「ん? どうしたの?」


 自分が見つめてられていることに気がついたのだろう。少女はシオンの瞳を覗き込んで首を傾げてくる。少女の持つその翡翠色の輝きは綺麗で、だけど心のうちまでを見透かされるような気がして、シオンはそっと星空へと視線を逃しながら言った。


「……ずいぶん楽しそうに歌うんだな」

「うん! だって楽しいからね!」


 当たり前のように答える少女。シオンは夜空に視線を向けたまま、眩しいものを見るようにその目を細める。


「歌は、誰かに習ったのか?」

「ん? ううん、別に誰にも習ってないよ?」

「天然であれかよ……」


 少女の答えにシオンは戦慄を覚える。

 まだ少女の歌声がシオンの耳にこびりついて離れない。


 ——心が震えた。久しぶりに。


 もうずっと昔。

 〝彼女〟の歌を聴いたとき以来の衝撃だった。


「……天才、なのか?」


 囁くように口の中で呟いて、ぎゅっと奥歯を噛みしめたシオン。

 そのまま口にしなくてもいい言葉まで飛び出してしまいそうで、代わりの言葉を急いで紡ぎ出す。


「ギターはあんな下手くそなのにな」

「むぅ、それは言わない約束だよー!」


 そう。少女は歌う傍らでエレキギターを弾いていたが、その演奏はお世辞にも上手いとは言えなかった。

 いや、『上手いとは言えなかった』という表現すらお世辞と言えるかもしれない。


 だって少女の演奏はとても演奏とは言えないほど酷いものだったから。

 あれはただ悪戯に弦をかき鳴らしているだけ。

 初めてギターに触らせてもらった子どもと一緒で、鳴らすだけで楽しいと思っているような、そんな感じ。


 そんなふうになるのは、ギターというものに興味を抱いていないのか、あるいは——。


「うぅ、だって仕方ないじゃん! ギター弾くの始めてだったんだからっ!」


 あるいは遊びでもギターを弾いたこともない初心者、か。

 そしてその印象は間違っていなかったようだ。


「弾くの初めてって……あんた、マリヤ・ノーザンウィードに憧れてんだろ? ならギター買ったりして練習とかしなかったのか?」


「むぅそんなの無理だよー。わたしは〝エルフの森〟に住んでたんだから」


 唇を尖らせて拗ねる少女に、シオンはハッとする。

 そうだ。その言動でついつい忘れそうになるが、少女はエルフ族なのだ。


 文明の利器に慣れ親しんだシオンたちとは違い、森の奥でひっそりと暮らしているといわれるエルフ族。ネットどころか物流さえ満足ではないと聞く。

 そんな生活を送る社会では、望むものを入手する難易度は段違いだろう。

 ましてや少女が欲しがったのはエレキギターであり、それは殆どのエルフ族にとって忌むべきものなのだから。


「……悪い、考えが足りなかった」


「いやいや! ぜんぜん謝ることないよ! だからわたしこの街に来たんだからね! むふふ〜ほら見てよこれ! 昨日やっとお金が貯まったからさ、マリヤと一緒のやつ買ったんだ!」


 嬉しそうに背中に背負ったそれを見せびらかしてくる少女。その子どもよりも子どもな行動に、シオンはふっと肩をすくめてみせた。


「けど、それなら何も今日のライブで演奏する必要はなかっただろ。もっと練習してからにしろよな」


「えへへ~、だって早く弾いてみたかったんだもん!」


「早く弾いてみたかったって、あんたな……」


 どれだけ度胸があるんだよ、とシオンは今度こそ呆れて首をふる。


 だが実際、初舞台に弾いてみようとする度胸を抜きにすれば、シオンにも少女の気持ちがわからなくもなかった。

 新しい楽器を買ったときには一秒でも早く弾いてみたくなるものだ。


「まあ、それでギターケース抱いたまま外で眠りこけてるんだから世話ねえけどな……って、ん? まてよ……?」


 ふと、シオンは昨夜の少女との邂逅を思い出す。

 彼女はお腹をすかせて眠りこんでいた。

 あまり深く考えてこなかったが、いったいどういう状況であればそんなことになり得るというのか。


「……。なあ、あんたは昨日腹をすかせて倒れ込んでたんだよな。で、同じく昨日あんたはギターを買った。しかもマリヤのモデルってことはそれなりに高めのヤツを。てことは、まさか……!」


「あ、あはは……! き、気づいちゃった……?」


 すっと気まずそうに少女は視線をそらした。


 ギターを含め、楽器は高価だ。それはこの街だって変わらない。

 安いモデルもあるとはいえ、少女が買ったというマリヤ・ノーザンウィードが使っていたモデルは値が張る。


 少女がこの街に来てどれくらいなのかは知らないが、生活費を払いながら購入資金を捻出するためには結構な時間が掛かるだろう。


 だがこれまで見てきた少女の性格からして、無理をすれば手の届く場所にあるというのに取りにいかないなどと思えるだろうか。

 ——否、思えない。


 ということは、つまり——。


「……ギター買うために全財産ぶっこんだのか? 飯も買えなくなるくらいに?」


 その事実に思い至ったところで、シオンは思わず吹き出してしまう。


「——あー! 笑うなんてひどい! わ、わたしだってちょっとは反省してるんだからねっ!」


「はは、やべえ! 久しぶりに会ったぜ、こんな馬鹿! ははっ馬鹿だ、馬鹿! 馬鹿がいやがる!」


 込み上げてくる笑いが収まらない。

 腹が捩れて、涙が出てきそうだった。


「もー! ひどいよー! バカ馬鹿って! わたしこれでもすっごく頑張ってお金貯めたんだから! 楽しみだったんだから、我慢できるはずないじゃんっ!」


「ははっ悪い悪い。褒めてんだよ、これでも」


「むぅ! 全然そんなふうに見えないー!」


 ぷくっと頬を膨らませてくるが、勘弁してほしい。

 シオンにしてみれば本当に褒めているつもりなのだから。


「なあ、あんたは……」

「それと! わたし、〝あんた〟じゃないよ!」


 少女はふくれっ面を見せたまま、その翡翠色の瞳でシオンの目を覗き込んで、


「——ルナ、だよ。わたしの名前! ルナメルディ・ハイドランジア!」


 初めて自らの名前を告げてくる。そして口をへの字に曲げたまま、


「きみは? きみは、なんていう名前なの?」


「……シオンだ」


「シオン……!」


 瞬間、少女——ルナは月が弾けるような笑みを浮かべて、


「いい名前だねっ!」

「あんた、……ルナもな」


 そう言って、シオンは差し伸ばされてきた左手を掴んだ。


「えへへ」


「? どうした?」


「わたし、男の子と手を繋ぐのお父さん以外じゃ初めてかも! 〝エルフの森〟じゃ避けられてたから!」


「——なっ!」


 いきなりの告白に、シオンは頬が熱くなるのを感じてルナの手を振りほどく。


「な、なに急に変なこといってんだよ」


「? だって本当のことだよ?」


「ほ、ホントのことでも言っていいことと悪いことがあるんだよっ」


「? 言ったら悪いことだったの?」


 もちろん何も悪くはない。

 ただシオンが思春期を抜けきらない男の子だったというだけ。


 普段クールぶっていたところで、所詮は十九歳の男の子。

 女の子を意識してしまうと弱いのである。


「ふーん、変なの」


 と、しばらく不思議そうに首を傾げていたルナだったが、「ま、いっか」と嬉しそうにその手のひらを見つめてから、シオンに向かって訊ねてくる。


「ねえねえ、それよりさ! シオンもなにか楽器やってるんでしょ?」


「……どうしてそう思うんだ?」


「んー何となく? なんかきみの背中には楽器ケースが似合っている気がする!」


「どんな理由だよ、それ」


 ルナの答えに思わず苦笑する。


「……ベースを、ちょっとな」

「やっぱり! それにベースかぁ!」


 ルナは「うんうん」と何かを決意したように頷いて、


「——よぉし、決めた!」


 と、パッと表情を輝かせる。


「……決めたって、何をだ?」


 嫌な予感を覚えながらも訊ねたシオンに、少女は満面の笑みで告げてきた。


「——ねえシオン! わたしと一緒に〝ロックンロール〟をやろうよ!」

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