第3話 〝勇者が伝えたる音楽〟
世界広しと言えども、〝ユグドラシティ〟以上に多様性に満ちた街はない。
大樹ユグドラシルを囲むように発展していったこの街は、ヒト族、竜族、ドワーフ族、悪魔族……たくさんのヒューマン種が混在するが故に、多くの文化や娯楽が入り混じっている。
なかでも特に住む人々の心を熱くさせるもの。
それが、〝ロックンロール〟と呼ばれる音楽だった。
——〝ロックンロール〟
遥か遠い昔、まだこの世界が争いで満ちていた時代。〝勇者〟と呼ばれるヒト族の英雄が広めた音楽だという。
いがみ合う種族間を音楽の力で一つにする。
そんな夢物語のようなことを実際に実現させたわけだから、勇者と呼ばれるのも頷ける話だ。
一説には神様から授かった知恵だとも、大樹から生まれた精霊の加護だとも言われているその力を使って、勇者はロックンロールを演奏し、人々の心を打ってきた。
そして勇者が多くのライブによって天下泰平を成し遂げ、終の住処に選んだ街こそがユグドラシティであり、その魂を最期まで燃やし続けた場所。
『——俺たちが世界を救うんじゃない。〝ロックンロール〟が世界を救うんだ!』
勇者がライブの際に必ず語ったとされるこの言葉は今も街の至る所に刻まれ、ロックンロールを演奏する者たちの魂に引き継がれている。
海に人魚族が、空に天使族が、森にエルフ族がいるように、この街には〝ロックンローラー〟がいる。
朝も、昼も、夜も——。
旋律が聞こえない日はない。
数多のロックンローラーにとって正しく聖地と呼べる場所。
それがユグドラシティであり、シオンたちの住む街の名前だった。
しかし……。
今のシオンにとって、それは何ら関係のないことだった。
♫——♫——♫
〝ロックンロール〟の聖地というだけあって、この街にはライブハウスが至るところに存在している。
指折り数えたわけではないが、体感ではカフェや居酒屋よりも多い。その中から目的のライブハウスに巡り着こうとすれば、土地勘のない者からすればちょっとした冒険だ。
幸いシオンはちょっとばかりその辺の事情に明るかったから、チケットに記載されていたホール名を見るだけで目的地にたどり着くことができた。
「いらっしゃいませー。今日はどのバンド目当てに来られたんですか?」
受付でチケットを渡したシオンに犬族の店員はそう訊ねてくる。
ライブハウスだって何も慈善活動で営業しているわけじゃない。実力主義の世界は常に競争に晒されている。演奏者——つまりは出演するバンドにチケットのノルマを課す店だってほとんどだ。
ゆえにこうして訪れた客に目当てのバンドを尋ねることで、個々のバンドの集客力を確かめている。
「名前は知らないんだ。エルフの女の子がいるバンド……だとは思うんだけど、知ってるか?」
「エルフの女の子、ですか?」
しかしバンドの名前をシオンには答えることができなかった。バンド名どころか少女の名前すら知らないのだ。一応エルフの少女であることを伝えてはみたが、返ってきた反応は芳しいものではなかった。受付の人にはピンと来る出演者がいなかったらしい。
「……あんま有名な奴じゃないみたいだな」
それからシオンはバーカウンターでドリンクにジンジャーエールを選ぶと、ホール後方の壁にもたれかかった。
時刻は十九時ちょうど。
ステージはまだ暗く、客もまばらだった。
受付で貰ったフライヤーを見るに、今日ここでは六組のバンドによる演奏が行われるらしい。
『ノックオンザワールド』
『THE GREEN EYED GIRL』
『SPLASH THE WORLD』
『デストロイワールド』
『THE END OF WORLD』
『キャットピープルズ』
「……なにか世界に恨みでもあるのか?」
リストに並ぶバンド名を見て思わず突っ込んでしまったシオンだが、その頬は微笑ましいものを見たというように持ち上がる。
ライブハウスにもランク付けがあって、この場所は初心者たちが集う所謂ニュービーズハウス。出演するのはみな結成したばかりのバンドか、お試しで組んでみたバンドがほとんど。
しかしバンドを組む以上は、せっかくだからカッコいい名前をつけたいものだ。それはシオンにも覚えがあることだった。
「『世界への反逆こそがロックンロール』、か——っと。始まるみたいだな」
バンッという音とともに、ステージに照明が瞬いて点り、一組目の演奏者らしい三人組が出てくる。
「あーえっと……俺たちは『ノックオンザワールド』。今日は来てくれてありがとう。よろしく」
ガチガチの緊張がその声に乗って伝わってきた挨拶がわりのMCが終わり、いよいよ演奏が開始される。
どうやらまだ自分たちオリジナルの曲はないらしく、有名なバンドの曲を模倣——コピーしているらしいその演奏はお世辞にも上手とは言えない。ところどころ調子が外れていたり、それぞれの楽器が調和していなかったりと、たどたどしかった。
でも——。
「……いい顔してんな」
必死で演奏する表情の中に、どこか楽しんでいる様子が垣間見える。
いまこの瞬間、世界は自分たちを中心に回っていると確信しているような表情。
自分も昔はあんなふうに——。
「……ちっ、アホくせえ」
シオンは雑念を振り払うように頭を振る。
今日ここに来たのはあくまでもチケットをくれた少女への義理を果たすため。
それ以上でも以下でもない。
感傷に浸りかけた脳を冷ますためにシオンはジンジャーエールを流し込んだ。キュッとした食感が喉から全身に広がっていく。大丈夫、気持ちは切り替えられた。
「——。みんなありがとう! 絶対またやるから来てくれよな! せめて『ノックオンザワールド』って名前だけでも覚えていってくれたら嬉しいぜ! 『ノックオンザワールド』最高!! フォー!!」
そうしているうちに一組目の演奏が終わり、晴れ晴れとした表情で退場していったのと入れ替わりに、二組目がステージに現れる。
「……アイツ、か」
それがあのエルフの少女だった。
どうやら一人での参加らしい。
エレキギターを肩に掛けて、マイクスタンドの前まで軽快に歩いていく。
そしてマイクの高さを自分の口の高さに合わせるために上部のパイブを掴んで、マイクの頭をギュッと下に押し付けるように手を動かした。
「あ、あれ? 動かないよ?」
だがマイクの調整が上手くいかないらしく、おろおろと悪戦苦闘している。
その様子を見かねたのか、観客たちが笑いながら助け舟を出す。
「無理矢理下ろそうとしてもダメ! 先に横のつまみを緩めないと!」
「え? これ? これを回したらいいの?」
「うん、そうそう! それ回したら高さの調節ができるから! で、もう一度今度は逆に回して固定するの! どう? 行けそう?」
「——あ、出来たっ! えへへ、ありがとー!」
少しだけ恥ずかしそうに助けてくれた観客にそう言ってから、少女は「よしっ!」という気合いを入れた声をあげて、
「あーあー! ——うえぇえ! なにこれーっ!」
マイクに向かって何やら叫び、ハウリングを発生させた。観客の目を惹きつけるための演出かとも思ったが、あの慌て具合を見るにどうやら天然らしい。
「そういや、初ライブとか言ってたっけ……」
昨晩の会話を思い出し納得するシオン。
盛り上がる観客をよそに、少女はもう一度「あーあー」と何度か抑え目の声を出して満足気に頷いて、
「うおっほん! ——お待たせ、みんな〜! 今日は来てくれてありがと〜!」
咳払いとともに元気な挨拶を観客に向ける。先の失敗が功を奏したのか、既に観客の心をがっしりと掴んでいるようで、熱狂が巻き起こっていた。
「えへへ、さっきはごめんね! 初ライブだから緊張しちゃった! 助けてくれてありがとー!」
口では緊張していると言いながら、その涼やかな声に緊張は微塵も感じられない。初舞台とは思えないほど軽妙だ。
思うに、少女の神経はユグドラシル並の太さで出来ているらしい。あるいは心臓に毛でも生えているのか。
「……いずれにしろ、物怖じしないってのは一種の才能だな——っと」
ロックンローラー向きであるその性格を素直に称賛していると、少女の翡翠色の瞳がシオンを捉えたのを感じる。
「——あっ! ホントに来てくれたんだー! ありがとー!」
パッと明るい笑顔を浮かべ、ぶんぶんとシオンに向け両手を振ってくる少女。
同時に向けられるいくつかの視線。
「あの馬鹿……!」
目立つことを恐れるシオンは被っていた帽子を目深にして視線から逃れる。
そんなシオンの態度を見て少女は不思議そうに目を丸くしていたが、「ま、いっか! ちゃんと聴いててね!」とMCを続けていった。
「——。ではでは! 聴いてください! 〝NEVER THE CRY〟で〝ロックンロールは種族を選ばない〟!!」
そして少女の演奏が始まる。
シオンは瞑目し、その歌に耳を澄ませた——。