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序章 〝伝説への幕開け〟

 ——やっと、ここまで戻ってきた。


 そんな抱くには早すぎる感慨に耽りながら、シオンは目前に迫った出番に対して込み上げてくる興奮を抑えることができないでいた。

 あるいはその昂りは恐怖と言い換えることができるのかもしれない。


 壁を越えて聞こえてくる大歓声。演奏中の楽器が醸し出す荒々しくも澄んだ旋律。出番が近づくにつれてじんわりと滲んでくる緊張感。


 どれも初めての経験ではない。

 しかしその初めてではないという事実こそが、シオンの心を苦しめていた。


「……情けなさすぎるだろ、俺」


 震える身体は武者震いだと自分に言い聞かせるのも限界で、本番が近づくにつれて虚勢が剥がれ落ちていく感覚を味わっている。油断するとすぐさま高まった集中が牙を以て襲いかかってきそうだった。


 このまま一人、際限なく深みに落ちていきそうで——。


「——大丈夫だよ、シオン!」


 しかしその間際、明るく凛とした響きがシオンの意識を引っ張り上げた。

 知らず俯いていた顔を上げると、翡翠色の瞳を輝かせた少女がにっこりと微笑んでシオンの目を覗き込んでいた。


「わたしたちは無敵で、最強で、最高なんだから! 今日も絶対大丈夫! イケるよ!」


 ふんすと鼻息を荒くして両拳を握る少女は、綺羅びやかな金髪を燃えるように震わせて、そんな根拠とも言えない根拠を告げてくる。その言葉にシオンが呆れるよりも先に、


「うむ、姫の言う通りでござるよシオン。一切いっさいは全て人の世からすれば玉響たまゆら。必要以上に気負う必要はござらんよ。なにより、拙者たちは姫の下僕にござる。姫の、姫による、姫のための存在。ゆえにただ姫を信じ星原ほしはらの下で戯れるだけでござるよ」


 緊張なんて微塵も感じていないであろう狂信者が嘯く脳天気な声が聞こえて、


「わ、私はシオン先輩の気持ちもわかります……。だって、ここまで本当に大変だったから……。で、でも頑張らなくちゃダメだって思いますっ……!」


「だなー。けどま、何があってもおれたちは兄ちゃんを信じるだけだぜ! うぉぉおお!! おれたちは無敵! おれたちは最強! おれたちは最高ーっ!!」


 次いで聞こえてきたのは、噛み合っているようで噛み合っていない、けれど心の底ではきちんと共鳴している褐色肌の双子の声。


「……シオン。怖いのなら帰って。臆病者がいても演奏に邪魔なだけ」


 そしてこの場にいる最後の一人。白銀の毛先だけを瑠璃色に染めた幼馴染の少女が発したその辛辣な言葉の中に優しさを見出せるのは、きっと付き合いが長いから。


「……」


 五対の瞳に射抜かれ、シオンはちっぽけな部屋の中を見渡す。


 狂信者はその端正な顔立ちを残念すぎる着物を纏うことで狂信者が狂信者たる所以を見せつけており、双子たちは互いに互いを支え合いながらこの難局を乗り越えるための意志を瞳に燃やし、辛辣な幼馴染は不機嫌を隠そうともしない表情で腕を組みシオンを見据えている。


 そして最後。

 月が輝くような笑顔でシオンに翡翠色の瞳を向け続ける少女を見つめて……。


「——これからだよ、シオン! わたしたちの〝夢〟は!」

「——」


 そうだ。

 何を怖がる必要があるというのだろうか。


 シオンはひとりじゃない。

 喜びも、悲しみも、辛さも。

 同じ感情を分かち合える仲間がいる。


 それは心の傷を舐め合うような、仲良し小好しの集団ではないかもしれない。

 でも、同じ志を持つ仲間が——。


「——っ。悪いみんな、心配かけた。もう大丈夫だ」


 両手で頬を打ち、軽く頭を振ってシオンは立ち上がる。

 もう怖気つく心はどこにもない。

 身体に残る震えは、——武者震いだ。


「……やっと復活。いっつも遅いねんホンマ、アホシオン」


「うぉ出た! 感情マックスのときに出るアオ姉の方言! ウィル兄ちゃん風に言えばツンデ——あてッ!」


「……黙れ。それ以上はデコピンの刑」


「フッ、言葉よりも先んじて手が届くとは相変わらずの腕前。拙者でなければ見逃していたでござろうよ」


「あ、あのあの……! け、ケンカは良くないですよーっ……!」


 緊張感を蔑ろにした頼もしい仲間たちの会話にシオンはそっと笑みをこぼす。

 ——っと。

 不意に空間全体を包みこんでいた爆音と興奮が和らぐのを感じる。


「ふむ」


 そのことが何を意味するのかは明白で、いち早く気づいた狂信者はすぐさま傍らの〝刀〟を取ってシオンたちに告げた。


「——。たおやかな風が今しがた拙者たちに天満月あまみつつきの輝く刻が満ちたことを告げにきたでござるよ」


「あわわわ! ど、どうしようシオン先輩……! ウィルさんがまた訳のわかんないこと言ってる……! と、というかわわ私もまだ心の準備が……!! あうあう、て、天にまします我らの主よ、願わくば——あうぅ頭が……!」


「よっしゃあ! おれたちは無敵! おれたちは最強!! おれたちはさいこ——あてッ!」


「……うるさい」


「さすがにひでぇやアオ姉!!!」


 ドタバタ劇を見せながらも、それぞれが、それぞれの方法で準備を整えると、互いに視線を巡らせ合い、最後にその視線を一点に集中させる。


「——。ルナ」

「うん!」


 金色の髪をたなびかせ、その眼差しを一心に受けた少女は、シオンの呼びかけに翡翠色の瞳を燃え上がらせて、


「——行こう、みんな! わたしたちの〝ロックンロール〟を演奏し(やり)に!」


「ああ……見せてつけやろう。俺たちの音楽を」


 そう。

 今から始めるのは最高のショー。


 これから登るのは〝頂き〟への道。

 その険しさに一度は諦め、目を背けた道への第一歩だ。


「……大丈夫。俺はもう、逃げたりはしない」


 小さく、誰にも聞こえないように呟いたシオン。


 頭を巡るのは過去への贖罪。

 その手に握りしめるのは世界に自らの存在を示す〝武器〟。


 今日ここで、弱さとは別れを告げ、〝頂き〟を目指す資格を得る。


 そのために。……否。

 そのためだけに、シオンは再びこの舞台に戻ってきたのだから——。


「皆、準備はできたようでござるな。しからば——円陣、でござる」

「……げ」

「……忘れてなかった」


 控室を出る直前、狂信者のひと言にシオンとほか一名が渋い顔を浮かべる。

 がしかし、それはシオンたちが行う演奏前の儀式でありルーティンなので、反対したところで意味はなかった。


「よぉーし、みんな! 手を出してー!」


 いの一番に右手を前に差し出した少女に続いて、ある者はニヒルに、ある者は喜々として、ある者は苦笑し、ある者たちはげんなりとしながらも、それぞれが手を重ね合い、六芒星を形作る。


 これは仲間たちが一言ずつ鼓舞する単語を紡いでいき、最後に全員が同じ言葉を叫ぶことで結束を高める儀式。

 ゆえにシオンは少女の始まりの号令を待つ。


 が。


「——? どうした?」


 いつまで経ってもその初めの一発目が発せられないことにシオンは戸惑いの目を少女に向ける。少女は珍しく眉間にシワを寄せて何事かを思い悩んでいるようだ。


「おい、どうしたルナ?」

「んー、ねえシオン……」


 再度声をかけるシオンに、少女はこてんと首を傾けて、


「——思わず右手を前にしちゃったんだけど、左手の方が良かったかな? ほら、わたしって左利きだし!」

「……」


 神妙に告げられたその言葉に、シオンたちは口をぽかんと開けて、


「バッお前! んなもんどっちでもいいだろ! いいから早くしろよ、時間が詰まってんだよ!」


「フッ、天路あまじかんとすは正道せいどうを外るることなり。やはり姫こそが拙者の命を捧げるに相応しいお方にござるよ」


「る、ルナさ〜ん……! こ、ここはふざけずにビシッと決めるところだったと思いますっ……!」


「なははっ! やっぱルナ姉は面白えやっ!」


「……ルナ。恥ずかしいことに付き合ってあげてるんだから、せめて真面目にやって」


 一斉に放たれる仲間たちの声。

 その反応に少女はぷりぷりと左腕を振り回して、


「ひどいよー! わたし的には重要なことなのに!」


「俺はこの土壇場でんな馬鹿なことを言い出すお前が恐ろしいよ。心臓に毛でも生えてんのか?」


「むぅ失礼な! わたしの心臓はイチゴで出来てるから毛なんか生えないよ!」


「……あっ! で、でもルナさん……た、たぶんイチゴにも毛はありますよ……? ほら、あの表面の粒々のところに……?」


「あっ確かに! なんか茶色いのがあった気がするよ! え、じゃあわたしの心臓って毛だらけなの!?」


「……アホなん?」


 忘れないでほしい。

 未だシオンたちの手は重ね合わせた状態であることを。

 思い出してほしい。

 刻一刻とライブの出番が迫っていることを。


「おいルナ! 本気で時間がヤバい! やるならちゃっちゃとやるぞ!」


「だからまだ問題が解決してないよー! 右手か左手! どっちの手の方がいいかな?!」


「ふむ、なれば姫。いっそのこと両手でやると良いでござるよ。古来より〝二刀流〟と呼ばれ尊ばれていた手法にござる」


「あっなるほど! さすがウィル! あったまいいー!」


「おっ! じゃあおれもおれも! へっへん! なんか両手の方が気合いがダブルで入るって気がするなっ!」


「……アホなん?」


 こうして突発的に起こった騒動——後の世に〝右手左手問題〟として長く語り継がれることになる出来事は狂信者の機転で解決し、都合八つの手が重なり合うことになり、


「よぉし! じゃあ、行くよ——」


 そして今度こそ、翡翠色の瞳と金色の髪を輝かせた少女——ルナメルディ・ハイドランジアは息をすーっと大きく吸って、大きな声で言葉を紡いだ。

 

「——わたしたちは!」

「無敵で!!」

「さ、最強で……!」

「最高なぁ!」

「……。ロックバンド」


 次々とときをあげる仲間たち。

 その最後の言葉に繋げるためにシオンが口を開こうとした、その刹那——。


「——」


 シオンは全員の顔を改めて見渡して、その表情に自らの口元を綻ばせると、身体中にみなぎっていた全ての震えをぶつけて叫んだ。


「——エルフッ!!!」


「「オン・ザ・ロック——!!!!!!」」


 そして、伝説への幕が開けた!

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