彼が居た世界は騒がしかった
ガタッ、ドンドンドン!
(あぁ……また来たのか)
ファントムは重い身体を起こして、ベッドの上に座る形になる。音はどんどん大きくなって、やがて勢いよく部屋の扉が開かれた。
「うぃーっす! 今日も良い獲物とったどー!」
「はぁ」
うきうきとした様子で現れたのは龍のソル。その手には鹿が握られていた。
「なんていうか、貴方っていつも元気だね」
「君は逆に無気力過ぎ。いつも寝てるじゃないか」
「仕方がないでしょ、眠いんだ」
「だからってちゃんとベッドで寝ないとダメだぞ。この前なんて屋根の上で寝てたじゃないか」
「わかりましたよ」
ソルはファントムに好意を向けていた。そのことはファントム自身もわかっていたし、彼のことは少なくとも嫌いではない。自分は体力がすぐ減るので温存しないといけない、だから下手に狩りをして骨折れ損になるよりも、寝ていた方がずっと良いのだ。まぁ、それでもお腹は空くものだから代わりにソルが色んなものを持ってきてくれる。
だが、ファントムは疑念だった。いくら自分が好きだからといってよく飽きずに来れるものだ。この、暗くて埃っぽい、退屈な地下室に。ここは静か過ぎるものだから、かえってソルの陽気な声が木霊する。
ソルは殆どの時間をファントムの傍で過ごしていた。朝起きてから、眠るまで。夜ファントムが一人で寝たとしても、朝になったらいつのまにかベッド下でソルも寝ているし、飯を取る時だってファントムと一緒に食べるし、風呂に入る時だって一緒だった。あまりにも一緒に居るせいで友達からはリア充だのなんだの好き放題言われる。
「貴方って本当に私のことが好きだね」
「君は俺のことが好きじゃないのか?」
「……そうだねぇ、貴方が居るとうるさくて仕方がないけど……悪い気はしないかな」
その日は雨だった。風も吹いている。ファントムの姉であるエニグマは憂鬱そうな表情で窓から外を見ていた。
「今日雨とか聞いてないんだけど」
「そりゃ誰も言ってないし」
妹のライトがそう返す。
「今すぐ晴れにしてくれよ」
「無理だって」
「名前負けしちゃうぞ」
「光の速度は出せるけどさ、晴れにするのは違うじゃん」
「姉さんッッ!!」
ファントムの声が轟く。その気迫に思わず怯む姉二人。
「なんだ、どうした。お前が地下室から出てるだなんて珍しい」
「早く、早く来てッ!」
ぐいぐいとエニグマの腕を引っ張るファントム。その表情はかなり焦っていた。
「何があったの?」
「ソルが、朝からなんかおかしくって……」
「何だと?」
地下室、ソルは床でうずくまっていた。
「すごい熱だな……風邪か?」
「酷く唸ってるよ、お医者さんのところに連れていかなきゃ」
「そうした方が良いな」
エニグマはソルを担いで階段を上り、外へ出る為玄関へ向かう。扉を開けた、その時だった。
「ッッァ!!!」
突然ソルがエニグマを振り払って玄関から凄まじい速さで距離をとったのだ。その様子は何かに怯えているようにも見える。
「ど、どうしたのソル?」
「……ゥ、ゥゥ」
「………まさか」
「え、何?」
「………この雨じゃ外に出れないな、晴れてから行こう」
エニグマが複雑そうな表情でそう言った。
雨は止み、雲の隙間から太陽が顔を出す。ソルを病院へ運んだ三人。医者であるレオが担当してくれた。
「ん、今日は爬虫類の人じゃないんだね」
「ああ……今日は忙しいんだと」
「………?」
ぎこちない様子に違和感を感じつつも、ソルを診てもらう。
「………やはり、これは」
「ソル、変な病気とかじゃないよね?」
「……これは……『狂龍病』だ」
「ッ!」
「嘘……」
「きょうりゅうびょう?」
「……簡単に言えば、『狂犬病』の爬虫類バージョンだ。『狂犬病』を誘発するウイルスが変異して、爬虫類にも感染するようになったと考えられている。感染源はわからない……不幸としか言いようがない」
「た、大変だ。早く治さないと」
「無理なんだよ……」
「え?」
ライトが続ける。
「狂犬病は発症したらもう治らないんだ。それが変異したものなら尚更治療法なんて………」
「……狂犬病を発症すると、神経が敏感になってまともに水が飲めなくなる。幻覚が見え、不安を覚え、攻撃的になる。最後は呼吸すらもできなくなって、死ぬ」
「………お医者さんなら治せるよね? お医者さんは凄いから治せるよね!?」
「………申し訳ない」
レオが重い言葉を告げる。
「……そっか。わかった。ソル、帰ろう。立てる?」
と、ファントムがソルに言葉をかける……その時
「カワズ、サンショウ、道を塞げ!!」
レオの部下が玄関へ繋がる道を塞いだ。
「………なんのつもり?」
「彼はここに置いていってもらう」
「は?」
「この病はとても恐ろしい病気だ。感染拡大を防ぐためにも……彼にはここで死んでもらう」
「ふざけるな!!」
その声と同時にファントムが懐から銃を抜く。
「わかってください、これは仕方のないことなんです!」
「黙れッ! 今すぐにそこをどけッ!! ぶち殺すぞ!!!」
「やめろファントム」
エニグマがファントムを制止した。
「ファントム、現実を見ろ。喉が痙攣すれば水は飲めない、呼吸はできない、会話もできない……もう、お前と世間話をすることすらできないんだ。お前はそれでもソルを生かしたいのか?」
「……………」
「………そうだな、もしお前がソルを生かすことを選ぶなら……私が退路を切り開こう」
「なっ!?」
「………これを」
レオが薬を渡す。
「無味無臭の安楽死剤だ。……本当に申し訳ない、なんの力にもなれずに……」
「選べ、ファントム!! お前が一番ソルのことを知っているだろ!!」
「……………」
そのままファントムはどこかへ行ってしまった。
「………私がやります」
カワズが羊羹を持ってソルの前に置く。しかし彼は口にしなかった。
「お腹空いていないのでしょうか?」
「ソルは羊羹なんて食べないよ」
「!」
鹿をずるずると引きずりながらファントムが戻ってきた。
「ソルはお肉しか食べられないんだ」
ファントムはソルを起こす。
「ソル、起きて。ご飯にしよう」
「…………」
「今日は私が狩ってきたんだ。ソルの好きな鹿肉だよ」
「…………」
「………全部、貴方のものだよ。好きなだけ食べなよ」
「…………」
「……!」
それを聞いたソルが笑って、鹿肉を少し口に含んだ。
そのまま眠りについて、流れるように息を引き取った。
「……………」
目が覚めた。
「ぁぁ、おはようソル………」
と、欠伸をしながら言う。しばらくして気がついた。
「ああ、もう居ないのか………」
そう、うるさい彼はもう居ない。もう眠りを邪魔されることも、付き纏われることもない。獲物から流れる血液で、この部屋が汚されることもない。
だというのに
「………退屈だなぁ」
何故か、目から涙が溢れる。
「……なんでかなぁ、なんで、こんなに苦しいのかなぁ……?」
貴方は、こんな私と一緒に居て楽しかった?
冷めた反応しかできなかったから、もしかしたらちょっとだけ嫌だったかな?
でもね、本当は嬉しかったんだよ。毎日部屋に来てくれることが。
ごめんね、照れくさくて言葉にできなかったんだ。
アナタが居ない世界は、寂しいだけみたい。