1 蜂鳥(ハチドリ)
「この力は、君が引き継ぐんだ……」
そう言う彼の声は力無く震えていた。
「無理だよ……。私に、は。……死なないで……、すぐ助けが来るから、ね?きっと助かるよ」
血が滝のように溢れる彼の腹部を、喉元を必死に抑えながら、飛び散った血で全身を濡らした少女が必死に笑顔を浮かべた。しかし、その男が致命傷を負っているのは一目瞭然だった。体の血はほとんど流れ尽くし、地面に池を作ってしまっている。それでも少女は諦めず、彼を励まし続けた。
「……大丈夫。君ならできる。……君は、私の弟子なのだか、ら。君が出来ないのなら、私の教えが下手だ、ったみたいだろう?」
口の端から血を垂らしつつ、男は小さく笑った。その笑みが、少女の心を大きく揺さぶったのは言うまでも無いだろう。
「さあ、もう時間が無い。……私の命ももう火が消える。……師匠の、最後の我儘だ。……頼む」
「……」
彼は最後の力で自分のポケットに収めていた懐中時計を手に取り、少女に突き付けた。彼女は震える手でそれを受け取り、たどたどしい動きでぎゅっと握り締めた。
「……うん、もう見えないけど。……君はこの選択をしてくれた。……ありがとう」
「……」
少女は言葉が出なかった。声が喉でつかえてそのまま沈んで行った。
今までの華やかな人生を送ってきた中で、人が死ぬ様を見たのはこれが初めてだった。それも、蝋燭の火が散るようにあっという間に。
「……世界を、救って。……君が、終わらせるんだ」
「…………はい」
「……いい返事だ。……行きな、セントへレンズ」
火が、消えた。
手を取っていたその腕は、静かに重力に身を間を任せ、彼の寄りかかっている壁にぶつかった。
「……さようなら、師匠」
瞳孔が開ききった目をそっと瞼を下ろして綴じさせる。
こう目の前にしても、未だに彼が死んだとは考えられない。その実感も、まだ生まれない。また旅をする中で、頭を掻きながらひょっこり現れるのではないか。そんな気持ちだった。
だけれど、彼が死んだというその事実が。皮肉にも彼女の手の中に重みとしてのあるのであった。
彼の死を憐れむようにか、または祝福するかのように水平線に沈む夕日が嫌に眩しく二人を照りつける。
セントへレズはそんな夕日を背に崩壊した街並みを一人、闊歩する。
己の使命を、彼との約束を。
引き続ぎ、受け継いだこの力の意味を。
果たす為に、彼女は歩み続ける。
――
ドタドタと扉の外を走り回る音、人間の騒ぎ立てる音、鳥の鳴き声、窓の外から差し込む陽の光、その全てが彼の神経を逆撫でする。
机の前に広がる数多の書類。
戦死者数報告書、総合死傷者数報告書、建築物倒壊数報告書、行方不明者報告書、必要額明細書。紙!紙!紙!
その一枚にある無数の文字に目を落としながらひたすらにサインを書きなぐっていく仕事。シンプル故にとても精神的に蝕まれる。
それに今回は特に死者数が多い。兵士も、一般市民も含めだ。死者が出ている資料を蔑ろに扱う訳にもいかず、立ち上ってくる眠気を何とかコーヒーで抑えつけながらひたすらに目を動かす。
文字を目で流している内にゲシュタルト崩壊が起きてくる。今読んでいる文字が何なのか、こんな文字あったかと頭の中がぐちゃぐちゃになり、彼は椅子の背にもたれ掛かり仰向けになって目元を手で抑えた。
「少しくらい休んだらどうですか?無理をしても作業効率は上がりませんよ」
そんな彼を見かねて隣の机で同様に書類と睨めっこしている女性が声を掛けた。
「下手に休んだらこの作業量の多さに絶望するだけだ。……俺はキリのいい所までやらないと完全に手が止まっちまう……」
彼女の言う通り少し休めばこの疲労感も倦怠感も多少はマシになるのもしれない。が、休憩後にこの量の書類を見ても絶望感に呑まれるだけであろう。恐らくそうなってしまえば自分がその後作業を続けられる確率は無に等しい。
「今回は如何せん被害数が多いですからね。……最近落ち着いていたと思ったのだけど、『零化』は」
何故ここまで死者が発生しているのか。それはこの世界を襲っている『零化』という現象にある。
ある日突然発生した『零化』は街を瞬く間に滅ぼした。天が割れ、そこから天使の如く降臨した数多の『ニゲラ』によって人間を、動物を虐殺し、建造物を破壊して回った。
彼らとのコミュニケーションも試みて、何が目的なのかを探ろうともしたが大した結果も得ることは出来ずに終わった。
為す術なく虐殺されるのであれば、多少は楽だったのかもしれない。むしろ諦めもついただろう。
しかし、人類の手でもニゲラ共の撃退は辛うじて可能なのである。ニゲラを撃退した所で正直プラスになる事は無いに等しいが、それでもそこに勝機を見いだせるのであればやるしかない。
だが結局のところ消耗戦、人類側の時間の問題かと思われているのだが。
しかし、ここ数週間で大きく戦況が変わった。この人類の危機に対して半ば博打のように組織された対零化特別編成部隊16番、通称『ハチドリ』。この部隊がジリ貧だった戦況をひっくり返し零化に対して引けを取らない戦いを取れるようになった。
「あなたのとこの16部隊がこのまま零化を食い止めてくれればいいのだけれど」
彼女は頬に手を着いて尻目でこちらを見やった。
「やめてくれ。今は何とかなってるが、あいつらも何を考えてるか分かったもんじゃない。下手な過信は禁物だ」
男は冷めたコーヒーを喉に流し込み、手首を数度回し再びペンを手に取った。
「ま、何があっても結局最後は零化で死ぬ訳だからそこまで気にしちゃいないがね」
彼は小さく鼻を鳴らした。
――
天が割れる。これは比喩抜きにである。
空に大きな亀裂が入り、その先に広がる未知の空間から音も立てずに無数の人影のようなものが地上へ降りてくる。
「相変わらず神々しい登場だよな」
「全部が天使だったらいいのに」
各々がそんな天を見上げて軽口を叩く。中にはそんな空には目もくれずに、網弁当箱にギッシリと詰められたサンドイッチをひたすらに頬張る者もいた。
「おい、これから死にに行くってのに呑気に飯かよ」
そんな彼に視線が集まり、周囲からカラカラと笑い声が舞う。彼は自分の周りを一瞥すると最後の一欠片を口に放り込み、手に着いたソースを舐め取りながら言った。
「腹が減っては戦は出来ぬ、どっかの文献に書いてあった。それに、死にに行くなら最後くらいいい飯を食っていきたいだろ」
周りより一回り小柄な、カーキ色の軍服に身を包んだ少年はひらりと腰掛けていた瓦礫から飛び降り、鳥の羽の如く着地した。
地味な色の軍服に似合わぬ、真紅色の髪に瞳。ろくに手入れもされていないせいか毛先は跳ね、毛自体も相当傷んでいるようだったが、その髪から燃えるような色が消えることは無かった。
「あんまり食いすぎても揺れた時に全部吐き出すぞ。気をつけろ」
そんなに彼に若干気だるそうにして肩に腕を回す、彼の上司である女性。凛とした面立ちに、気力に満ち溢れた鋭い瞳、一束に纏められた滑らかな黒髪はとても戦場にいるとは思えないほど、丁寧に手入れを施されていた。
「そうやって体重をかけられる方が胃に響くんすけど……。レイさん重いんだから」
「……女性にそういうこと言うのは禁句だと思うが?」
彼女はバツが悪そうな顔を浮かべ腕をホールドアップし、ギロリと彼の事を睨みつけた。その様子を見て周りの面々は、喧嘩か喧嘩か?と囃し立てる。
彼女の名はレイ・ヴィオレ。この対零化特別編成部隊16番『ハチドリ』の面々を纏める大尉である。そんな彼女に冷たい目を向けられているのはその部下であるセツナである。
そんな二人にちゃちゃを入れるのは黒髪をマンバン風に結わえた高身長が特徴のシュンジ・グロリオ。そして地毛の短髪を短く切り揃え、カラカラと高い笑い声を上げるトツサ・アッハ。
そしてその脇。技師であり、装備の手入れの片手間にそちらへチラチラと目をやっている小柄な体躯の少年。彼の名前は星霜。気だるげな目に中性的な面立ち、くすんだ灰色の毛が特徴的である。
「はいはい、皆。そろそろ時間だから、茶化さないの」
「「はい~」」
シュンジとトツサはお互いの顔を見やった後、踵を返してその場を去っていく。
「二人とも、ましてやレイは大尉なんだからもう少し尊厳を持って……」
「私は別に喧嘩なんかしてないわよ?」
はあ、と二人を見て深々とため息を吐くのは、この班の衛生兵であるトゥルナ・アオイ。艶やかな黒髪を肩ほどまで伸ばし、常に白衣を身につけている。医事に関わらない時ですらそれを着ているのは、清潔感があって落ち着くのだとか。
「セツナ、また喧嘩してる?」
「……してない」
若干不貞腐れた様子でセツナが視線を背ける。そんな彼に肩を竦めるトコル・エルトゥナ、身長がトゥルナの腰程までしかないが、年齢はほぼ同じだったりする。ブロンド髪をボブカットにしており、手入れ不足故か毛先が痛み跳ねている。
身長故か性格故か、定かでは無いが皆と気さくにコミュニケーションを取れる数少ない人物で、よく揉め事などの仲裁に駆り出されている。とはいっても、揉め事を起こすのは大抵セツナとレイの二人なのだが。
「そんなに仲良いならさっさと婚姻届でも出しちゃえば良いのに。私たちなんていつ死ぬか分からないんだからさ」
「「……」」
二人から息ぴったりの冷たい目線を向けられ、トコルは冗談だよ冗談、と白々しく目を背けた。
「さ、お喋りはここまでにしましょう。皆集まって、今回の作成の概要を確認しましょう」
トゥルナが数度手を叩くと、皆の視線が一斉に集まり、ぞろぞろと彼女の周辺にメンバーが集まってくる。
レイ、セツナ、シュンジ、トツサ、トゥルナ、トコル、星霜。たったこの七人が現在唯一零化に対抗出来る、人類の希望の存在なのである。
『お前ら揃ってるな?時間が押してるから手短に済ませるぞ』
軍用テントの下に配置された長机の上に横たわるトランシーバーからノイズ混じりの男の声が聞こえる。
この声は部隊の中佐によるもの。基本いつもこのように作戦開始前にトランシーバーを介したブリーフィングを行っている。
数秒の沈黙の後、それが全員からの肯定の意味を示すものだと判断し男は再び言葉を発する。
『今回の裂け目の発生場所は第7地区の上空。予兆が出てたから既に住民の避難は済んでいる』
「俺たちは避難誘導をしなくていいって事だよな?」
シュンジがマンバンの髪の毛を結わえ直しながら言った。
『零化』にはある程度発生の兆しがある。殆どの場合その発生を読んで事前に住民を避難させ、そこから戦闘を行い、湧いて出た『ミゲナ』共を蹴散らすのが彼ら『ハチドリ』の役割なのだが、時折予兆を読み切れず避難が遅れる場合がある。その時は避難の誘導を行いながら戦う羽目になる上、事後処理である死傷者数の確認などもしなければならず、ひたすらに面倒なのである。
『ああ。ただ確認し切れず逃げ遅れた住民がいるかもしれないからその対応だけは頼む。…………後は』
そして男は一呼吸置いてから告げた。
『派手にやれ』
その言葉を皮切りに、場に流れていた朗らかな雰囲気が一新される。
皆の表情が少し険しくなり、ピンと空気が張り詰める。
「よし、皆聞いたな?派手に、だ。派手に。馬鹿ミゲナ共を殲滅しに行くぞ!」
レイがそう言いながら、卓上のトランシーバーの電源を切る。
「十分後に作戦開始だ。いつでも出れるよう準備しておけ」
「「「了解」」」
バラバラとそれぞれの持ち場に向かう部下の背中を見送りながら、レイはばっくりと裂けた天に目をやった。
徐々に高度を下げ、地上に近づいてくるミゲナ達。その無機質的な体の構造はいつ見ても背筋をヒヤリと凍らせてくる。
「震えてるの?」
そんな彼女の様子を見てトゥルナがコーヒーの注がれたアルミのコップ片手に寄ってくる。
「武者震いだよ。この終わりの見えない戦いへのね」
そういうと知ってましたと言わんばかりにトゥルナは鼻を鳴らし、そそくさと自分の持ち場に向かって行く。
自分でも、それが本当に武者震いなのかは分かっていない。ただし、出処のハッキリとしない恐怖が胸の中に巣食っているのだけは何となく理解していた。
――
「うわ、汗クセえ。トツサ、お前前回の出撃の時の掃除担当だろ?ちゃんと消臭したのかよ」
「うっせー、お前が臭すぎるんだよ。機体より先に体を洗えっつーの」
トツサ、そしてシュンジの二人が乗り込んだのは四本の鉄製の足を持ち、一本の主砲とその両端に取り付けられた機銃が大きく目立つ『対ニゲラ特別多脚戦車三型』、長いので二人は『ケラ』と呼んでいる。重心が低く、二人乗りの為コックピットが縦長に設計されていることもあり、その呼び名はその虫と見た目がよく似ているからである。
二人が主に行うのは部隊の地上支援。その75mmの砲弾と7.62mmの口径の機銃で地上に降り立ったニゲラを一層する役目を持っている。
主砲はHE弾、HEAT弾、徹甲弾等様々な弾薬を切り替えて使う事が可能。主に操縦を担当するシュンジでは無く、副操縦士であるトツサが主砲を扱う。
地上戦には他の一般兵も参加するのだが、その際前線を切りエリアを確保するのが二人の乗るケラの大きな役割でもある。
「レイ、こちら準備できたよ」
その一般兵の中に混じり、ぴょんぴょんとその場で跳ねたり足踏みしたりして体を慣らすトコル。彼女の肩にはその小さな体躯に似合わぬ巨大な筒が担がれており、背中には軍用の彼女の体躯と同じ大きさほどのバッグを背負っている。周りの兵士達はそんな重そうな物を持ちながらあちこちを動き回る彼女の姿を見て奇物を見るような目を向けていた。
彼女が持つのは『携帯型擲弾発射器5式』、通称『神切』。対ニゲラ用の武器では無く昔戦争で使われていた物を流用した物である。つまりは対人間用という事。その殺傷能力の高さから神をも倒さんという事から当時付けられたあだ名である。切るというよりかは爆殺するのだが。
そしてそのバッグには無数の爆発物が詰め込まれており、手投げ弾、擲弾の弾頭、プラスチック爆弾など数多の危険物が彼女の背中に抱えられているのだ。
彼女は爆発物のスペシャリスト。普段の温厚な立ち回りからは考えられない程、戦いとなるとガラリと性格が変わる。敵を爆破し葬る事が彼女にとっての快楽であり、生きがいなのだ。
「位置に着いた」
冷ややかな星霜の声が彼の耳に取り付けている無線に乗り、部隊の全員に伝わる。
『どうだー?今回の様子は』
無線越しにトツサの陽気な声が届き、彼は手に握る双眼鏡を目に当てた。
「……数は気持ち少ない。それくらいかな、得にいつもと変わりない」
『ただし油断はするなよ。常に様々なパターンを想像して動け。星霜、何か変化があったら伝えろ』
「……了解」
レイの言葉に一言だけ返答し、彼は無線機のマイクを切り、受信のみのモードに切り替える。
星霜の主な役割は戦況の把握である。高所などの高台に上り、部隊に状況等を伝達する。
「……さて」
星霜は双眼鏡を脇に置き、彼の身長程あるカーボンのケースを取り出しその蓋を開ける。象られたスポンジに丁寧に収められている様々な部品。彼はそれらを一瞥したかと思うと、慣れた手つきでそれをガチャガチャと組み始め、ものの数分でケースの中身を空にしてしまった。
「……距離は……これくらいか」
最後に取り付けたスコープを覗き、そこへ取り付けられているダイヤルを回しゼロインを合わせる。
『対ニゲラ特別対物ライフルK256』、その異様に長い銃身から皆に『ナナフシ』という愛称を付けられている銃である。.50口径であり、その反動と威力は他のライフルをも凌駕する。慣れぬ者が使えば肩を千切られる程だろう。
小柄な見た目に似合わず、その巨大な銃を扱う彼は戦況報告のみならず天才的な狙撃の腕を生かした狙撃手としての役割も持つのである。
高所を陣取る彼は、風や天候の変化などにとても敏感である。それらの上方はセツナが機体を操る上で欠かせない情報である。
「星霜、どうだ?」
『風は強くは無い。けど時々強くなる時があるから気をつけて。大体北向きかな』
「了解、あんがと」
オイルの匂いが充満する機内で、セツナは鼻を擦った。付けている皮の手袋にこびり付いた煤が、彼の鼻頭に黒い跡を残す。
『君の事だから平気だとは思うが、無茶はするんじゃないぞ。その機体で気を抜いたら即死だからな』
「心配ご無用。死ぬにはいい機体っすから」
『お前な……』
呆れた様子でレイの声が途切れる。
彼の機体は『対ニゲラ特別偵察機試作型』、そのあだ名は『ホウジャク』である。搭乗人数は一人。一人でも狭いまである。零化が発生して間もなく、ろくな対抗手段も無かった頃、半ばヤケクソで開発されたこの偵察機は当時飛ぶ棺桶と称されていたこともあった。『ホウジャク』という名の由来は、小さな機体がニゲラという獲物に向けて飛んでいく様が、花に向けて必死に羽ばたいて長い口吻で蜜を吸うために飛んでいく蛾の姿によく似ていたからである。
機構も、飛ぶのに最低限しか備え付けられておらず、長時間の空の飛行をもままならない程である。にも関わらず、セツナはこれを乗りこなし、部隊の中で最多のニゲラ撃破数を誇っているのだから恐ろしいものだ。
両翼にそれぞれ一つずつ回転翼が取り付けられており、それによって発生する揚力で飛行を可能にしている。武装は開発当時付けられておらず、あくまで偵察目的のものとされていたが、倉庫で眠っていた『ホウジャク』をセツナと星霜が勝手に改造し、二連の機銃と両翼下に特殊兵装を取り付けてある。
『全部隊、ホウジャクのに合わせて援護、攻撃を行う。地上部隊は逃げ遅れた市民が居ないかの確認を怠るな!』
レイの叫びが聞こえ、セツナは口角を吊り上げる。設計の不備で空いた搭乗席のガラスの隙間から突風が吹き荒れる。
彼はハンドルの持ち手に備え付けられた赤いボタンに指を置き、照準器に目を落とし、グングンと距離の狭まるニゲラに狙いを定める。
ニゲラ、零化と共に天から舞い降りる怪物。その容姿は無機質的であり、彼らに意思があるのかどうかは定かでは無い。メタリックな光沢を放つその体は馬のようであったり、人間のようであったり、腹部から上半分が二つ逆向きにくっ付いていたりと、個体ごとに形状は大きく異なる。
しかし頭部に珊瑚のような触角らしきものが生えていたり、目や口、鼻などの五感を司る器官は有していなかったりと共通点も見られる。
唯一分かっていること、それは。
ニゲラは人類を抹殺し、その生きた証をも全て破壊しようとしてくるということだ。
「戦闘、開始」
刹那、思わず耳を塞ぎたくなるような騒音が二連の機銃から鳴り響き、正面のニゲラの体を細切れに粉砕する。塵となり消えていくニゲラの中を通り過ぎ、ハンドルを操って大きく旋回、尻目で地上の動きを確認する。
この距離だと蟻の行進にしか見えない地上部隊達。既に地上付近にまで降下を済ませていたニゲラ達に向かって無数の弾幕が叩き込まれる。
その様はまるでストラテジーゲームのプレイヤーになったかのようで、ずっと見ていたくなるような気持ちもあったが、そうやってうかうかもしていられない。
こちらの存在に気が付き後ろを追いかけて来るニゲラを首を捻って補足する。
操縦桿を強く握り直し、大きく横に回して急旋回を行う。歯を食いしばり、全身に襲い来るGに耐えながら正面に捉えたニゲラを撃破する。
「星霜、後ろのやつ頼んだ!」
『その速度で飛んでる奴をそう簡単に落とせると思わないでよ』
耳に取り付けてある無線を叩き、16部隊のチャンネルで叫ぶと星霜が気だるげな声で返事をした。
が、次の瞬間。ピッタリと背後に着いて来ていたニゲラが地上から放たれた弾丸により砕け散り、四散した。
『まあ、普通の人間だったらの話だけど』
「さんきゅ、後は大丈夫だ」
声からの感情をあまり感じない星霜だが、その口調は少し自慢げだった。プツンと無線の切れる音がし、セツナは再び視線を前に戻す。
ニゲラ達の間を悠々と飛行し機銃を乱射しているせいで、彼らの注意を引いてしまった。まあ実際は引いているのだが。
多くのニゲラがセツナの『ホウジャク』に目掛けて無数の光弾を放ってくる。通常では避けられぬ程の弾幕の濃さ。しかしセツナは天性の才能である機体の操縦テクニックで易々とそれらを躱していく。
「相変わらず無茶な動きしやがる。落ちても知らねえぞ」
「と、毎回言う割にはピンピンして帰って来るんだけどな」
トツサとシュンジも『ケラ』の最終調整を終え、エンジンをかけその躯体を動かす。四本の足がゆっくりと動き出し、その身が大きく揺れる。
段々とニゲラ共が地上に降り立ち初め、人のいない住宅地を次々と破壊していく。
ケラが一歩、二歩と進み、やがて最高速度で第7地区の中心部に向かっていく。その姿はさながら馬の様で、その後ろを小銃やらの兵装で装備を固めた兵たちが追いかけるように進んでいく。
「トツサァ!一発目ェ!」
「あいよ!任せちってくれ!」
トツサが照準を合わせ、トリガーを引く。
轟音が機体内に響き渡り、彼はうひゃーと耳を塞ぐ。一応、遮音用のヘッドセットと通信機を耳に取り付けている訳なのだが、それらを貫通して鼓膜にダメージを与えてくる。これのせいで、任務後はしばらくの間耳鳴りが止まらなくなる。
「命中、どんどんブッパなちやがれ!!」
「俺の負担も考えろっつの!」
ケラの主砲の給弾は副操縦士によって手作業で行われる。戦車の砲弾程の大きさと重さには及ばないものの、一人で持ち上げ、砲弾をセットするのはかなりの力が必要とされる。
装置にセットした砲弾は、その脇にあるボタンを押すとアームによって運ばれ、その後隔壁の奥の装填機構部へと運ばれる。ベルトマガジン等による自動装填装置を取り付けても良いのだが、如何せん機体内が狭く纏めて砲弾を置いておける程のスペースが無い。
そんな訳で照準器と装弾を交互に繰り返し、全身から汗を噴き出しながら射撃を行うトツサを尻目に、シュンジが細かな操作を行い、攻撃を躱しながら射撃のし易いエリアに移動を行う。二人の連携は見事な物で、シュンジが言わずとも彼が狙って欲しい敵をトツサは寸分の狂いなく撃ち抜いてくれる。
「っち、距離がちけえ。捕まってろトツサ、飛ばすぞ!」
シュンジがケラを加速させ、群れ始めるニゲラの集団の中を突っ切って進んでいく。標的との距離が近いと主砲の射角的に攻撃が不可能になるのと、自滅の原因になる可能性がある。彼は二門の主砲でニゲラ達を牽制しながら全体を見渡せるような高台を陣取った。
「っしゃ、休憩は終わりだ。かましてやれ」
「へいへい、人使いが荒い事!」
トツサは額の汗を拭い、再び砲弾を運びながら射撃に徹する。この砲弾一発一発に、この戦線以降に住む住民の命がかかっている。のにも関わらず、大して緊張感を感じない。既に慣れてしまったからか、それとも感性がおかしくなってしまったのか。むしろ感じるのは、敵を片っ端から粉々に出来る快楽のみだった。
――
小さな体躯が戦場を駆ける。
次々と地上に降り立つニゲラ達が中距離からは無数の弾幕を、近距離では一気に距離を詰めてその鎌のような手で人の体を切り裂く。
「……がっぁぁあっ!?」
また一人、死んだ。胸から背にかけて貫かれ、そこから血を滝のように噴き出して息絶えて行った。ニゲラ達はそんな死体に興味など示さず、死体から手を引き抜いてその場に放置する。
だが、歩兵もその少女もその光景を見て息を飲んだりしない。死ぬのは自分の勝手、自分の不注意だ。そもそも『ハチドリ』の力無しで零化に抗う事の出来ない彼ら兵士達は、ここへは実質死にに来ているようなものだ。それでもここへ赴いて銃を手に戦場を駆けるのは、自分達の後ろに守りたいものがあるから。
倒壊したコンクリートの建物の影に隠れながら、トコルは背中のバッグから手榴弾を取り出し、うんと力を込めてそのピンを抜く。
「ネーーードッッ!!!!」
喉がはち切れんばかりに声を張り、一瞬身を躍り出させ手榴弾を放る。集団で塊になりながら中距離から攻撃を行っているニゲラ達の足元に寸分違わず、それは着地。数秒後、鼓膜を破りかねん爆発音と共にその場に噴煙が立ち上る。
「3番部隊、左から回り込んで。4番は私の援護をお願い」
「了解」
「任されました」
トコルは圧倒的な火力で敵を一掃するのを得意し、『ハチドリ』唯一の歩兵である。故に、レイが見切れない現場での直接的な指示を行う事が多い。
現在、元住宅地での戦闘が行われている。多くの遮蔽物があり、斜線が通りにくい。かといって無闇に突っ込めば、先程の兵士のように一気に囲まれて一瞬でお陀仏になりかねない。幾らニゲラを狩るのに慣れているとはいえ、気を抜けば簡単に死ぬ。きちんと他の兵士達と歩調を合わせ協力しながら倒していかなければならない。
頭の中で建物の構造と、敵味方の配置を考え、どのように戦えば一番被害が少ないかを考える。
すると視界の端でトツサとシュンジの搭乗しているケラが広く射線の通る高台から砲撃を行っているのが目に入る。
「トツサ、こっちに少し弾を恵んでくれない?中々攻め入るきっかけが無くってさ」
『んなもんお前の神切で建物もろともぶっ飛ばせばいいじゃんか』
「下手に壊せば修理に時間がかかるでしょ。意味の無い建築物の破壊はこっちの給料からしょっぴかれるかもしれないから避けたいんだよ」
『へいへい、待ってな……。あー、お前を見つけた。チビだから分かりやすいな。……トコル、丁度お前の死角になってる所にわんさかいるぞ。その建物の柱を壊そうと奮闘してる。一撃かましたらそっちの方へ逃げると思うから後は頼むぜ』
「ありがと、チビは余計だけどね」
マイクの切れる音がすると同時に、遠くのケラの砲頭がゆっくりとこちらを向き、その主砲がギラリと輝いた。と思った刹那、轟音と共にトコルが攻めあぐねていた建物の裏側に粉塵が巻き起こる。
と、同時に攻撃から逃れようとしたニゲラが建物の影から躍り出る。トコル率いる分隊はその隙を逃さず、一斉に弾幕を叩き込む。が、その肉の装甲の厚さ故に殆どの小銃の弾は弾かれてしまう。
「離れて!」
それを見兼ねたトコルが肩に担いだ『神切』に、背中のバッグから取り出した炸裂弾を装填し、バックブラストの影響を受ける背後に兵士がいないことを確認して射出させる。
恐ろしいほど跳ね上がる反動をその全身を用いて受け流し、発射された弾はニゲラ達へ命中し炸裂する。
「行けぇ!突撃!」
数体は吹き飛び、数体はその爆風で吹き飛ばされ大きく体勢を崩した。そこへ一斉に兵士達が走り込み、距離を詰めてニゲラ達を一掃する。
ニゲラの構造には個体差がある。体表が硬化しているものから流動状のものまで様々である。その個体差故にそれぞれに効果的な武器とそうでは無いものがある。体表の硬度が高いニゲラ相手にはあのように小銃での攻撃が通りにくい場合が多く、その際はトコルやシュンジらの爆発物が大いに有効である。
「こちらトコル、居住区の制圧は粗方完了したよ。これから細かいとこの確認を――――っ!?」
トコルが耳に取り付けた無線に声を入れるのに意識を取られている隙に、物陰から生き残っていたニゲラが現れ、その体を体当たりで突き飛ばす。
完全な不意討ちであり、体に立て掛けていた『神切』は吹き飛ばされ数歩離れた所に転がってしまう。トコル本人も大きくバランスを崩し、その場に尻餅を着いてしまう。
「……っ、『ハチドリ』のが……っ!!」
共に行動していた分隊の兵士も、取り逃していたそのニゲラに気が付き、一斉に銃を構える。しかし、ニゲラは既にトコルの頭部に目掛けてその鋭い腕を振るっていて、今から引き金に指を掛けていては到底間に合わない事は明確だった。
まるで時がゆっくり進んでいるかのような錯覚に、トコルは苛まれる。徐々に徐々に迫り来るニゲラの腕、共に近付いてくる死の宣告。
トコルは動けなかった。この戦場で死ぬのは自業自得、不注意である己が悪いのだ。散々この戦いで散っていった仲間を見てきた。皆、覚悟を持ってここへ来ていて、死など恐れていないと思っていた。
嗚呼、此度は私の番か、と。
否、死にたくない。
不覚にもそう思ってしまった。
「――――ッ…………」
死を覚悟し、目を見開いた。
刹那、文字通り目と鼻の先ほどの距離のニゲラの頭部が弾け飛んだ。
「……っ!?」
その場にいた全員が、横に弾き飛ばされ消えていくニゲラの残骸を二度見した。彼女が攻撃を受けてからほんの数秒、周りにいた彼らですら対応出来ていないというのにその首を吹き飛ばしたのは一体何者か――。
――
「……トコル、油断はダメ」
『星霜……。ごめん、ありがとう』
「……ん」
先の場所から数百メートル離れた場所に立つビルの屋上。そこでコッキングによって排莢された薬莢がコンクリートへ甲高い金属音を立てながら落ち、跳ねる。
軽く息を吐き、額に滲んだ汗を拭いながら再びスコープを覗き込み、引き金を引く。
まるで鈍器を肩に叩き込まれたかのような衝撃。慣れた今でも気を抜けば肩の骨程度簡単に持っていかれてしまうだろう。
『星霜、後ろのを』
「……了解」
蠅のように空を飛び回るセツナの方へ銃本体を向け、『ホウジャク』の背中を捉えたニゲラに照準を合わせ引き金を引く。
狙撃銃とはいえこれほどの距離が開けば、弾丸はスコープの照準通りには飛ばない。重力の影響も受けるし、なんなら標的はかなりの速度で飛び回っている。普通の人間なら何十発発撃ったところで当てるのは不可能に近いだろう。
にも関わらず、当たり前のようにその頭部に弾丸を叩き込んでしまうのだから恐ろしいものだ。
『さんきゅ』
「……はいはい」
再びコッキング。排莢口から残弾が無くなった事を確認し、マガジンを再装填する。
マガジンは計五つ用意してあり、これが最後。空になったマガジンが彼の横に並べられている。このマガジンを撃ち尽くした所で射撃が出来なくなるという訳では無く、余分に持ってきている弾薬を込めればまだまだ戦うことは可能である。が、やはり時間がかかる為手隙な今の内に行っておきたい。
星霜は体を起こし、その場であぐらを組みながら遠くで行われている戦闘に目を凝らし、カチャカチャと弾薬を装填していく。一つ、二つ、三つ、四つとマガジンに弾を詰めた所で軽いノイズと共にセツナから無線が届く。
『星霜、数体そっちに流れた。……こっちも後ろに付かれててカバー出来ない、任せた!』
「……分かった。報告ありがとう」
ゴチャついた戦場から三体のニゲラがこちらに向かって飛来しているのが見えた。流石にフリーでの狙撃を行いすぎて目に着いたのか。星霜は『ナナフシ』を尻目で見た。
今『ナナフシ』を用いれば、一体は確実に葬れる。が、そこで限界。後の二体に距離を詰められ、隙をつかれて殺される。であればどうするか。
星霜は深く溜息を吐き、腰に下げたホルスターから一丁の回転式拳銃と肩に掛けた鞘に収められたマチェーテを取り出し、そして構えた。
「……明日は筋肉痛確定かな」
三体のニゲラがご丁寧に屋上へ降り立つ。やがて三体は星霜の周囲を取り囲むように立ち、ジリジリと距離を詰め始める。
痺れを切らした星霜が回転式拳銃を持ち上げ、ハンマーを下ろして引き金を引いた。至近距離で放たれた弾丸を避けようも無く、ニゲラの頭が吹き飛ぶ。が、その瞬間に他二体が足を踏み出し、ほぼ同時に攻撃を繰り出してくる。
「……っ」
突き出された刀のような手を目視で躱し、大きく振って遠心力で力の増したマチェーテがその腕を叩き折る。そしてそのまま切っ先を喉笛に突き刺し、一気に下に引き体を真っ二つに切り裂く。
「……っく」
しかしニゲラとはいえどある程度の連携は取ってくるようで、残りの一体がマチェーテを弾きとばした。すかさず回転式拳銃のハンマーを下ろし、引き金を引くも大理石のように艶やかなその体には弾丸が通らず、金属音を立てて弾かれてしまう。
次にハンマーを下げる余裕は無い。こうなるのであればダブルアクションアーミーにしてくれば良かった、と心の中で舌打ちをしながらバックステップで距離を取る。
その隙に引き金を引き、掌でハンマーを叩き四連射。その全てが弾かれてしまう。が、あくまでそれは時間稼ぎ。
少しでも回転式拳銃を撃つ、という事に意識を向けさせればいい。
「っがふ……っ」
弾を撃ち尽くした隙を付かれ、膝蹴りを腹部にくらう。内臓に衝撃が響き、強烈な痛みに襲われる。体が大きく吹き飛ばされ、咄嗟に受け身を取るものの勢いは殺し切れず、コンクリートの地面に全身を打ち付けられ、肺から空気が
漏れる。
「げほっげほっ……、でも、手間が省けたよ」
絶対絶命かと思えば、星霜の口端に笑みが零れた。彼は両手で『ナナフシ』を持ち上げ、その銃口をニゲラの胸部に突きつけた。
そしてニゲラが行動を取る前に引き金を引き、その体を粉砕させる。マガジンをひとつ残して置いて良かった、でなければ為す術なく殺られていただろう。
「ふぅ…………。疲れた」
『ナナフシ』を地面に置き、星霜は大の字になってその場に寝転がった。身を守る為にある程度の近接格闘術は身に付けているものの、三体の相手となるとかなり体力を損耗する。それに加えて普段はバイポッドを立てて伏せながら撃っている『ナナフシ』を立って腕の力のみで撃ったのだ。
「……こちら星霜、狙撃手を狩ろうとしてきたニゲラは殲滅。得な負傷も無し。……ただし極度の疲労の為暫く援護射撃は出来ない。以上」
重い腕を持ち上げ、無線を切って目を瞑る。息が切れてしまっている今の状態では、ろくに狙い通りに弾を飛ばせる訳が無い。
彼は目を瞑り、そんな彼を見つめるようにしてしまえば通り過ぎていく風達の音に耳を傾けていた。
――
『セツナ、戦況は』
「順調っすよ。数も……かなり減らせたし。あと一時間以内には終わるんじゃないすかね」
セツナは首を持ち上げ、自分よりも更に上空を見上げた。空間の割れ目からこれ以上のニゲラが出現して来る様子も無く、空中にいるものも大半は片付けられた。地上部隊の方も報告を聞く限りは順調そうであるし、今回も特な問題無く戦いを終わらさせられそうだ。
「ただしホウジャクの燃料も弾もカツカツなんで。俺はそろそろお役御免っすかね」
『うん、お疲れ様。燃料に余裕のある内に戻って来るといい』
「了解、ホウジャク、帰投します」
そう言って操縦桿を捻ろうとしたその時、裂け目から稲妻のような閃光が二、三度光り輝き、辺りを一瞬煌々と照らした。
「……っ!?」
『今のは!?』
『裂け目が光ったっ……?』
『……何事?』
『ただの雷なんじゃねーの?』
『セツナ君平気?怪我してない?』
幾度かのノイズと共にハチドリの面々の声が通信機から入り乱れる。思わず耳を塞ぎたくなってしまう程の雑音だったが、各々にそんな余裕は無い。今までに見た事のない裂け目の発光。雷か何かの自然現象かと思い込みたいが、セツナの勘と経験が彼に危険信号を発していた。
『……各々その場で待機。下手に動くな。今は様子を見よう』
レイの判断に、ハチドリの面々は無言で賛同する。
『セツナ、星霜。何か裂け目に変化は?』
『……ん、特な変化は無いかな。ニゲラの出現も止まってる』
星霜が気だるげな声で応答する。
「こっちも特に……、………………ん?」
セツナはホウジャクの速度を緩め、目を細めて裂け目の中を見た。無限の影であるような裂け目の中から、幾度も発光が起こっている。そしてその中心には、見慣れる者の姿が二つ。
「……ニゲラ、か?」
片方はニゲラとは似て異なる見た目である。流動的な皮膚や、目の部分から一対の触覚が飛び出しているのは明らかに彼らの特徴であろう。しかし、今まで見てきたニゲラよりも体型が大きく異なり、例えて言うなれば筋骨隆々。遠過ぎてハッキリとした大きさは分からないが、経験上二~三倍ほどその体躯は大きいと言える。
そしてその大きなニゲラと向かい合うようにして浮かび微動だにしない、もうひとつの影。
「……人間?」
『セツナ、何が見える?ここからでは何も……、おい、セツナ?……聞こえているか?セツナ?』
耳で騒ぎ立てるレイの声が頭で認識出来ない程、彼の集中力は高まっていた。ホウジャクの軌道を変え、高度を上げてその二つの影に向かって距離を詰める。
段々と距離が短くなればなる程、その姿は鮮明に映る。片方は大柄なニゲラ、そしてもう片方は確かに人間の姿をしていた。
森の中に生える木の葉のように青々とした髪をたなびかせ、その人間は微動だにすること無く静止している。
双方ニゲラの新種だろうかと彼は眉を顰め、機銃の発射ボタンに指を重ねる。残りの機銃の弾数は限られている。先の戦闘でほとんどを撃ち尽くしてしまったからだ。であるからして、撃ててほんの数十発。どちらかのニゲラを倒すのが精一杯だろうか。
片方を倒したとて、片方に葬られる。そんな事、はなから分かっているというのに。その先に待ち受けている戦闘に、胸が高鳴り心が踊っている。
セツナはボタンの遊びを何度か指先でカタカタと触れながら、今か今かとその時を伺っている。そしてホウジャクとの距離が機銃の射程に達したその瞬間、ボタンを親指の腹で押し込み、劈くような爆音と共に弾幕がニゲラ達の元へ飛んでいく。
『セツナ!?馬鹿何やってる!?今すぐ帰投し――――――』
レイの声が途切れる。どうやらホウジャクが無線機の通信範囲外へと出てしまったようである。
「ニゲラは……、全員殺すッッ!!」
放たれた弾幕は、重量によって若干の軌道を変えながらも筋骨隆々な方のニゲラへと着弾する。激しく火花を散らすも、大半が跳弾してしまい弾かれてしまう。
――――。
すると、翠色の髪をした人間が驚いた様子でこちらに顔を向けた。瞬間ビタリと目が合い、時が止まったかのような錯覚に陥った。
その顔と体は女性特有の丸みを帯びたものであり、瑠璃のような深い青色をした瞳は鋭くこちらを見詰めていた。
――――。
彼女はこちらを見て何か言葉を発していたようだが、ホウジャクの駆動音と風を斬る音でなんと言っているのかは全く分からなかった。
が、彼女は左手を前に突き出すと、その翠色の髪の毛の色が見る内に抜けて行き、やがて最高級のシルクのような純白へと変化した。
「――――――ッ!?」
刹那、閃光が辺りを包み飛行中だというのにも関わらず、セツナはあまりの明るさに目を瞑った。
瞼の裏から光が収まったのを確認し、ゆっくりと目を開く。
しかしニゲラとその女は先程までの場所にはおらず、辺りを見回してみると、二人はあちらこちらを飛び回りながら互いに殴り、蹴りの肉弾戦を繰り広げていた。
「な、なんだ……これ」
思わずセツナは息を飲んだ。人間とニゲラが生身で戦い合っている。それも、明らかに人間の方が有利に戦闘は行われているでは無いか。
しかし、有利ではあれど決定的なダメージは通っていないようで、その弾丸をも通さない肉体に女は苦戦しているように見えた。
そしてものの数秒で形勢は逆転される事になる。
ニゲラの放った拳が、彼女の胸元を深々と貫いたのである。
――――――ッ!
体が大きく反り返り、突き抜けた拳が彼女の背中から顔を出す。
「っ!?そんなっ……」
セツナは思わず身を乗り出した。決着というのはこんなにも呆気ないものなのかと、唖然とその様子を傍観していた。
言わずもがな、即死の攻撃。例え急所を外れていたとはいえ、致命傷は避けられないだろう。
しかし、女は待ってましたと言わんばかりに口角を吊り上げると、そのニゲラの頭を鷲掴みにし再び全身から光を放ち始める。
今回は目も慣れ、目を細める程度で済んだ為、その様子をはっきりと見て取ることが出来た。
女を中心に放たれた光に包まれ、そのニゲラは塵となって消滅。同時に彼女の髪の色も翠色に戻った。
そして、まるで糸が切れたかのようにその体は力を失い、重力に従って落下を始める。その様子を数秒見てセツナははと我に返り、速度を全開にしてホウジャクを移動させる。
脇にあるボタンを拳で殴り押し、操縦席のハッチを全開にする。跳ね上げられたハッチが空気抵抗をもろに受け、機体が大きく揺らぐ。更に強烈な風が吹き込み、呼吸が困難になる。が、その程度では彼の転生の才である操縦に影響は与えることは出来ない。
ハッチの外にチラチラと見て、その女の落下地点に機体を向かわせる。そして彼女の体が機体にぶつかる瞬間に、機首を大きく下げ、衝撃を緩和させる。
「――――ッ!!ぐっうぉぉぉ……!」
彼女の体は開いたハッチから操縦席へ座るセツナの体へ見事ホールイン。しかし、消しきれなかったその衝撃が彼の全身に襲いかかり、口から苦悶の声が漏れる。
元々一人乗り用の機体である事もあり、一気に重量が増えた事により大きく機首が傾き、操縦が困難になる。
なんとかその女の体勢を変えさせ、自分の膝の上に抱えるような状態で操縦桿を握り、何とか水平を保とうと試みる。
が、不幸にもとあるメーターが0になっている事に気が付き、セツナは見なければ良かったと激しく後悔した。そのメーターはホウジャクの残り燃料を表すものである。
「……ああ、クソ」
情けない音を立てながらエンジンが停止し、回転していた両翼のプロペラが停止する。揚力で真っ逆さまに落ちるような事は無いにしろ、機体は推進力を失い徐々に徐々に落下を始める。
「これで死んだらマジで恨むからな」
膝の上で意識を失っている女に一瞬視線を向ける。先程ニゲラに開けられていた胸元の穴は完治しており、そこに傷があったとは到底思えなかった。しかし、身につけている衣服にはポッカリと穴が開いており、はだけた肌と、銀色に怪しく光るペンダントの取り付けられたネックレスが目に付いた。
よく見れば、セツナとさほど変わらない年齢の容姿をしている。女性、というよりかは少女というのが正しいかもしれない。
「助かったら、話は聞かせてもらうからな……!?」
何故己の身を顧みず、この少女を回収しようとしたのかは自分でも分からない。だけれど、直感的に。ニゲラとの戦いで培われた勘が、彼女を助けなければならないと警告を発していたのだ。
セツナは操縦桿を握り直し、着々と迫り来る地面をその双眼で睨み付けた。着地の寸前に機首を持ち上げ、機体が地面に突き刺さり、そのまま粉砕する事を避ける。
幸いにも機体はほぼ水平を保ち地面に接触し、腹部をガリガリと削りながら不時着する。だが、それでも衝撃は凄まじいものであり、機体内で大きく跳上げられた彼の体はその勢いをもろに受け、機内のあちこちに全身をぶつけ、やがて意識を手放した。