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3話

 揃って青を身に着け参加した晩餐会は、つつがなく終盤を迎えていた。食事のあと男女に別れてそれぞれ歓談し、全員が戻ってきてまた会話を楽しむ。ここまで来ればもう間もなく解散だ。社交があまり得意ではないオリヴァーはいつも解散を心待ちにしているのだが、今日は終始気分がよく、まだ終わらなくてもいいと思っていた。


 数日前に贈った指輪を今日、シャロンがつけているのだ。共に会場まで移動する馬車の中でそれに気づいたオリヴァーに、シャロンは少し照れたように笑った。本当に毎日つけてくれているのだろうか。やはり相思相愛じゃない方がおかしいと思うのだが、勘違いをしてはならない。オリヴァーは唇を噛み締めて、こみ上げる感情を押さえつけたものだ。


 そんなオリヴァーは今、少し離れたところで見慣れない令嬢と話しているシャロンを眺めながら、ちびちびとワインを飲んでいた。同じワインを手にしたトラヴィスが近づいてきて、隣の椅子に腰を下ろす。


「相変わらずのように見えるな」

「指輪を贈ったら喜んでもらえた。ほら、今日もつけてるのが見えるだろ?」

「指輪を贈っただけか? どうせまだちゃんとシャロン嬢と話していないんだろう」

「……そう簡単にいくか。こればかりはあんたに分かるまい」


 進展らしい進展がないことを指摘したいらしい。前は慌てずに頑張れと助言しておきながら、たった数日で急かすような口ぶりとなっている。

 トラヴィスは結婚相手に恋愛感情を求めていないから簡単に言えるのだ。そしてオリヴァーも前までは従兄と似たような結婚観だったから、なかなか口にできずにいま苦労しているのだ。


「そっちこそどうなんだ?」

「はぁ……母上も余計なことをしてくれる」


 今日の晩餐会は婚約破棄された息子のため、トラヴィスの母が主催しているものだ。未婚の令嬢を三名ほど、その父兄と一緒に招待している。気に入った令嬢がいれば婚約を、という算段らしい。

 そこにオリヴァーとシャロンが招待されているのは人畜無害な頭数を増やすためであったり、もう少し社交に真面目に取り組めという厳しくも優しい心遣いであったりする。


 本日の主役であるトラヴィスはというと、全く乗り気ではなかった。候補の令嬢は皆美しく、教養があって年頃も身分も釣り合うので、誰を選んでも問題はない。だがトラヴィスにとっては、自分で誰かを選ぶ、という状況なのが気に食わないらしい。家同士の結婚なのだから、一番条件のいい相手をそちらで勝手に選んでくれ、ということなのだ。


 前の婚約者もそうやって選んだ結果が婚約破棄だったではないか、とは口にできなかった。二人きりであれば口にしただろうが、今は晩餐会の最中だ。無難な言葉だけを小さな声で伝える。


「話し合いが必要なんだろ? 俺じゃなくて令嬢方と話して来いよ」

「俺は相手が決まった後でいいんだが……」

「あんたも大概だな」

「うるさいなオリヴァー。ったく、可愛げがない」

「俺に可愛げなんて元からないだろ」

「昔はもう少し可愛かった」

「何年前の話をしてるんだ」


 そうやってコソコソ話している二人を、シャロンと話し相手の令嬢もコソコソ見ているのは気づいていた。赤い薔薇が活けてある花瓶の近くで時々笑いながら楽しそうにしている。あの令嬢はトラヴィスの相手候補として招待された一人だが、シャロンの新しい友人になったのだろうか。


 そんな二人の雰囲気が次第に悪くなってきた。口論と言うほどの激しさはないが、意見の食い違いでもあったのか、いつの間にか二人の間から笑顔が消えている。それなのに、口ばかりは一生懸命動かしていた。

 オリヴァーに小突かれたトラヴィスも、令嬢二人の微妙に剣呑な雰囲気に気づいたようだ。女性同士のいざこざに男が無闇に首を突っ込むものではないが、さり気なく声をかけて話題を変えたり、そっと二人を引き離すくらいはしてもいいだろう。何よりトラヴィスは主催側の人間なので、招待客同士の揉め事があれば率先して解決しなければならない。幸いにも、他の客たちは令嬢二人の様子にまだ気が付いていないようだ。


 二人は視線を交わして頷き、シャロンたちの元へ向かった。近づく男性二人に気がつくと、どちらも気まずそうにうつむき、あれほど一生懸命に動かしていた口も閉じてしまう。オリヴァーがシャロンの隣に、トラヴィスがもう一人の令嬢の側に寄り、「四人で少しお話ししませんか」と声をかけた。

 シャロンは隣に立つ婚約者にしか聞こえないような小さな声で、ごめんなさいと呟く。オリヴァーとは違い、社交をそつなくこなせるシャロンが落ち込んでいる。その細い肩を抱き寄せて、心配するなと言外に伝えた。



 帰りの馬車の中、あの令嬢と何があったのかを聞いてみる。答えたくなさそうにしていたシャロンだが、ややあってから、まなじりを釣り上げてこう言った。


「あの方、オリヴァー様のことを何も分かっていないんです!」

「え?」


 何故そこで自分の名が出てくる。まさか自分が原因で揉めていたとは露程も思っていなかったオリヴァーは混乱した。

 一方、一度口にすると止まらなくなってしまったらしいシャロンは、一発目から置いてきぼりを食らっている婚約者そっちのけで更に続けた。


「お父上の爵位を継ぐご長男として、しかし分家の者として、オリヴァー様が実はどれほど難しいお立場におられるか。領地経営を学び、呪術の研究でも成果を上げ、トラヴィス様と肩を並べてもそしりを受けることなどない程になるまでどれだけ苦労があったのか。あの方には何も分からないのです! それなのに、軽々しく……軽々しくも『トラヴィス様とオリヴァー様』などと!」

「え……っと?」


 出てくるのは自分だけではないらしい。従兄の名も出てきたのだが、余計混乱するだけだった。しかしシャロンに解説する気はないようだった。


「しかたのないことだとは分かっています。トラヴィス様はともかく、オリヴァー様のことを誰より良く知るのはこの私をおいて他にはいませんから。私、少し大人気なかったです……でもオリヴァー様を簡単に語ってほしくはなかった。絶対オリトラなのに……」


 ギャクカプなんて認められない。

 そう言って締めくくったシャロンは、それきり口を閉ざしてしまった。車輪の音と馬のいななきだけが聞こえる馬車の中で、意味の分からないことを次々聞かされたオリヴァーもしばらく口を利くことができなかった。シャロンに何と声をかけたらいいのか、本当に全く分からなかったのだ。


「あの、ごめんなさい。何を言っているのか分からないですよね。忘れてください、今言ったこと全て」

「確かによく分からなかった……けど、忘れないよ。君が誰よりも俺のことを知ってくれてるなんて、光栄だ」

「うぅ……」


 シャロンの発する言葉の何割かは意味が分からないものの、オリヴァーのことを思っているのは伝わってくる。相手を多少なりとも好ましく思っていなければ出てこない台詞ばかりだった。

 だからこそやはり、シャロンが分からない。この婚約者が何を考えているのかを知りたい。異性として好きではないのなら、今から好きになってほしい。指輪にあんなに喜んでくれるのに、自分のために声を荒げるのに、何が駄目だというのか。何だってしてみせるから教えてほしい。


「シャロン、俺は君が好きだ」

「……オリヴァー様?」


 何を考えるより先に、言葉がぽろりと出ていた。一拍置いて自分が何を言ったのか理解して焦るも、出してしまった言葉は引っ込まない。

 いずれにしても、言おう言おうと思っていた言葉だ。意を決して更に続けた。


「前は結婚相手なんて誰でも良かった。俺はこんなだから一生結婚しない人生になるかもしれないけど、別にそれで構わないとも思ってて……でも君に出会って、俺は君を好きになった。今はシャロンと結婚したいと心から願ってるし、結婚するならシャロンじゃなければ絶対に嫌だ。だから」


 言いながら正面に座るシャロンの手を取る。いつもは冬でも温かい指先が氷のように冷たいことが気になってシャロンの顔を見ると、オリヴァーは続きの言葉を詰まらせた。

 いつものように目を輝かせるでもなく、頬を赤らめるでもなく、オリヴァーの渾身の告白に照れた様子もない。シャロンはほんの僅かに困ったような顔をして、笑っていた。


「大丈夫ですよ。私はちゃんとあなたの妻になります。だから何も心配しないでください」

「いや……俺が言ってるのはそういうことじゃなくて」

「貴族の妻としてがんばりますよ! 奥向のこととか、社交だって今まで以上に必要になりますね。オリヴァー様も苦手でしょうけど、一緒にがんばりましょうね」

「シャロン……?」


 明るい口調と言葉の内容に反して顔は曇り、言葉尻も弱くなっていく。冷たい指先が震え、困り顔だったのが終いには泣き笑いのような表情になっていた。


 やがて馬車が止まり、御者が扉を開けた。ライリー邸に到着したらしい。

 固まっているシャロンを促して馬車から下り、出迎えた侍女に引き渡す。侍女もシャロンの様子に気が付いてオリヴァーに問いかけるような視線をよこしてきたが、男が何も答えないのを見て、黙って頭を下げるにとどめた。


「おやすみ、シャロン。夜は冷えるようになったから風邪を引かないように」


 うつむいたシャロンが小さく頷いたのを見て、オリヴァーは馬車に戻った。本当はこのまま別れたくなかったが、シャロンがああなったのはオリヴァーが原因で間違いない。ならば少なくとも今は、離れた方がいいのだろう。

 令嬢と揉めた原因を聞いたときはまだ大丈夫だった。その後よく分からないことを言うシャロンに想いを告げたら、ああなってしまった。


「異性として好いていない、か……」


 オリヴァーの妻にはなる。でも異性として好きにはならない。

 貴族の結婚とはそういうものなのだから、何も問題はない。従兄のような結婚観をオリヴァーも持っていた。それがいつの間にか形を変えていったが、シャロンには迷惑な話だっただけだ。よっぽど理性的な婚約者である。


 だが、オリヴァーはシャロンに恋をしてしまった。体裁を整えるための政略結婚という以上にシャロンを愛し、叶うことなら彼女からも同じだけの愛を返してほしいと願ってしまった。


 静かに揺れる馬車の中、オリヴァーは胸を押さえつけた。心臓が抉られるかのような感覚を、歯を噛み締めて堪えた。

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