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2話

 翌日、オリヴァーは早速行動を開始した。仕事は切が良いままに今日一日休みを取り、シャロンの元へ手紙を送った。今日こそシャロンを誘い出し、二人で街歩きをしようという心づもりだ。いい雰囲気のところを狙って、好きだと言葉で伝えるのだ。幸いなことに今日も天気がいい。


 手紙を送ったのは、前触れもなく訪問した挙げ句にこっそり聞き耳を立ててしまった昨日の引け目があるからだ。聞かなければ幸せだったのにとも思い、本音を知ることができてよかったとも思い、良心の呵責に苛まれている。

 しかしシャロンから了承の返事が届くと、少々舞い上がって自責の念も薄まった。


 張り切って着替え、うねる髪を後ろで一つにまとめる。好きな香りだと言っていた香水を一振りしてから馬車でライリー邸まで迎えに行くと、顔を合わせて早々、シャロンに体調を心配された。


「オリヴァー様、今日は一段と目の隈が濃いですね。無理せず家で休んだ方がいいのではありませんか?」


 そういえば徹夜したのだったと、指摘されて思い出した。眠気もなければ体調不良も感じてはいないが、シャロンは気遣うようにオリヴァーを見上げている。いつもの妙な輝きは鳴りを潜め、純粋な心配だけが見て取れる視線は長いこと直視できない。そっと目線をずらして答えるのがやっとだった。


「大丈夫だ。俺の隈なんていつものことだろ?」

「それはそうなんですが……」

「心配してくれてありがとう。でも家で休んでいるより、君と出かける方がいい。だめか?」


 心配してくれるのはありがたいし嬉しいが、だからといって外出が取り止めになってしまうようでは本末転倒だ。そもそも隈だって元を辿ればシャロンが原因とも言えるのだが、昨日の盗み聞きがバレた訳ではないだろうか。

 まさかと思いつつも恐る恐る視線をシャロンに戻せば、オリヴァーの肩の力はあっさり抜けた。シャロンの様子がいつも通りになっていたからだ。真面目に心配してくれていたのは幻だったのかと思うほど、目が輝き頬は朱に染まっていた。


 昨日までのオリヴァーであれば、恋慕による表情だと疑うことはなかっただろう。今となっては昨日のあの言葉を思い出し、ただただ混乱するだけである。

 シャロンにこの顔をさせるほどの感情は、一体何だと言うのだ。婚約者の気持ちがさっぱり分からず、しかし腕を出せば躊躇わずに絡めてくるその体温が愛しくて、オリヴァーは小さくため息を付いた。



 賑やかな街まで移動すると、馬車から下りて二人でのんびりと歩く。特に買うものがなくても自由に店を出入りして良いのがこの街の気風で、シャロンのお気に入りだ。

 爵位のある家の令嬢なのだから、使用人を使いに出すか店の人間を屋敷に呼び寄せるのが普通なのだが、シャロンは違う。こうやって自分の足で気の赴くままに店を見て回り、カフェで休憩するのが好きなのだ。


 今日もシャロンは楽しそうにあちこち覗いている。いくつか店を回り少し買い物をしたところで、シャロンに乞われて宝飾店へ入った。


「見てください。このカフス、きっとオリヴァー様によくお似合いになりますよ」


 シャロンが指差すのは、艶のある黒鉄色のカフスボタンだ。磨き抜かれた表面に何本か艶を消した線を入れている。宝石は使われていないが、その分手が込んでいる。簡素だが地味ではなく、しかし存在を主張しすぎることもなさそうなので、確かにオリヴァーには似合いの一品である。


「こっちのスカーフもいいですね。もう少ししたら寒くなりますから、首元を冷やさないためにも必須ですよ」


 次に見たのは高山山羊の希少な毛で織られたスカーフだった。薄手で軽いが保温、保湿に優れ、絹に勝るとも劣らない高級品だ。一見無地のようだが、光の加減で織柄が浮かび上がる。

 色違いで並べられている中、シャロンが手にしているのはワインより深い赤だ。自分であれば選ばない色だが、シャロンに言われると似合うような気がする。明るい色ではないので身につけることに抵抗もない。


「オリヴァー様のことですから、また研究に夢中になって服や装飾品は後回しになっているのでしょう? この機会に少しお求めになっては?」

「そうだな……、っていや、そうじゃない」


 勧められるがままに購入しようとして、これではいつもと変わらないことに気が付いた。


 思い返せば、いつシャロンと街に出ても彼女は自分のための物はあまり買わず、オリヴァーのための物ばかり購入している。ここに来る前に買った茶葉やクッキーもそうだ。シャロンはいつも、まるで自分のために買うような素振りで、オリヴァー好みの物を購入していた。

 茶葉や菓子なんかは結局シャロンの口にも入っているのだが、選ぶ基準はオリヴァーの好みか否かだ。己の物欲や食の好みに疎いオリヴァーにも、前の店で買ったココアクッキーをこの頃よく食べている自覚があった。ほろ苦くて甘ったるくないので、つい手が伸びるのだ。


「あら、好みではありませんでしたか? では別の物を選び直しましょう」

「いや、これは買っていくよ。君が見立ててくれたものだし、俺も気に入った」


 少し残念そうに言う彼女の手からスカーフを受け取った。ケースに入ったカフスと一緒に包むよう、店員に言いつける。

 店員が用意している間に、オリヴァーはシャロンの手を取って女性用の品が並ぶ方へと歩いた。繋いだ手から戸惑いが感じられることに、オリヴァーも戸惑う。シャロンが宝石嫌いといったことなどないはずだ。今だって赤い石のピアスを付けている。


「シャロン。俺の物もいいけど、今日は君にも何か贈りたいんだ」

「そんな、街に連れてきていただけるだけで十分なのに」


 決して出しゃばろうとしないのはシャロンの美点だが、こんな時くらいは遠慮しないでほしい。ルーフェン家は資産家という程ではないが、貧乏貴族でもない。更にオリヴァー自身も魔法省所属の研究者として一定の給与を得ているのだから、婚約者に宝石を一つや二つ贈るくらい何の問題もない。


「いつも君に見立ててもらってるから、今日は俺が君に似合う物を見つけよう。指輪とかどうかな?」

「ゆっ、ゆっ、指輪!?」

「俺のセンスはあまり期待できないだろうが……」

「い、いえ、オリヴァー様自ら選んでくださるなんて、それだけで私……!」


 いつもの輝く瞳に真っ赤な顔、加えてやや涙目にまでになっている。これで勘違いするなという方が難しい。この顔を他の男の前では絶対にしないでほしいと、心の底から願った。


 しばらくしてオリヴァーが選んだのは、銀色の台座に透明な宝石が一粒だけ埋め込まれた指輪だった。一見すると地味な宝石だが、複雑に研磨されているので一粒石でも十分な輝きがある。銀髪のシャロンにはよく似合うだろうし、どの色のドレスを着ても邪魔することはないはずだ。


「どう?」

「……」


 シャロンは無言のまま、オリヴァーの選んだ指輪を見つめていた。やはりセンスが悪すぎて幻滅されたのだろうか。じわじわ焦り始めるオリヴァーだったが、シャロンは一言、絞り出すように告げた。


「一つ、お願いが」

「なんでもどうぞ」


 シャロンがお願いとは珍しい。思わず姿勢を正していると、シャロンは掌を下にした両手をオリヴァーに差し出してきた。混乱して直立不動になる男には気づかず、シャロンは言葉を続ける。


「オリヴァー様に、つけてほしいです……」


 喜んで、という言葉は音にならなかった。情けないことに口をパクパクさせただけなのだが、幸いにも、顔を伏せてしまっているシャロンには気が付かれていない。

 二人の様子を見守っていた店員が硝子の陳列棚から指輪を取り出して、ニコニコしながらオリヴァーに差し出してきた。


 指輪を受け取ったオリヴァーは、ゴクリと喉を鳴らしてシャロンの指に視線を落とす。なんと白くてほっそりした綺麗な指――じゃなくて、どの指につけたらいいのだろうか。

 両手を差し出してきたということは、どの指でもいいのだろう。シャロンの指と、手に取った指輪を何度か見比べた後、彼女の左手を恭しく持ち上げて薬指に輪を通した。


「よく似合ってる」

「……ありがとうございます」


 本当ならシャロンの好きな指に合わせて、指輪の大きさを直すべきなのだろう。しかし、意外にも左手の薬指にぴったりだった指輪を大事そうに掲げて眺めるシャロンを見ていたら、このままでも良さそうな気がした。


「私、この指輪を毎日つけます……一生大事にします……」


 繰り返すが、これで勘違いするなという方が難しい。


「本当にありがとうございます、オリヴァー様」

「うん……それで、あの、シャロン」


 シャロンに好きだと告げるには、今が好機ではないか。指輪を殊の外喜んでくれて、今の二人はものすごくいい雰囲気だ。

 名を呼べば、指輪を見ていた彼女がこちらに顔を向ける。オリヴァーの言葉を促すようにわずかに首を傾げ、目を細める。意を決して口を開いたところで、気が付いた。


 ここは店の中だ。店員もいるし、他の客もいる。想いを告げる場所としてはいささか問題があるだろう。全くもって不適切だ。別の場所の方がいい。気が付いてよかった、本当に。


「ええと、次はどこの店に行こうか?」



 結論から言えばこの日、オリヴァーは自分の想いを告げることができなかった。


 宝飾店で買い物を終えた後はライリー邸へ向かい、街で買った紅茶とクッキーを二人で食べた。オリヴァーの体調を心配していたシャロンが早めに家に戻り、ゆっくり休むことを再度勧めてきたからだ。

 一度は大丈夫と言い張っているオリヴァー、実際のところ本当に体調には何の問題もないのだが、婚約者の心配をこれ以上無下にはしたくなかった。しかし本日の目標も達成できていなかったので、どちらかの家で茶でも一杯、という折衷案で落ち着いたのである。


 ライリー邸の庭の四阿に通され、シャロンが自ら淹れた紅茶を飲みながらオリヴァーは機会を伺っていた。使用人も気を使ってか遠くに控えているので、好きだと言っても誰に聞かれることもない。

 庭は美しく暖かな陽に照らされて絶好の機会だったのだが、結局言えなかった。場所や雰囲気など関係なく、オリヴァー自身の問題だった。


「今日は楽しかったです。気をつけてお帰りくださいね」

「こちらこそ急な誘いに応じてくれてありがとう。それで、だな、シャロン」


 自邸に戻るオリヴァーを、シャロンが馬車の前まで見送ってくれている。これが今日最後の機会だ。

 しかし。


 ――私がオリヴァー様を異性として慕っているかというと、それは違うわ。

 ――人としては好きよ。立派な方だと思うわ。顔も好き。だけど、私はどうしても……。


 昨日のシャロンの言葉が頭に響く。

 好きだと告げて、もし拒否されたら。親の決めた契約結婚なのだから余計な感情はいらない、と言われたら。他に好きな人がいるからこの婚約を破棄したい、と言われたら。


「……今度の晩餐会では何色のドレスを着る予定だ?」

「青です。色を合わせて来てくださいますか?」

「ああ、もちろん。青だな、分かった」


 本当に、婚約者の気持ちが一切見えない。だからこそはっきりさせたいのに、今の関係が壊れてしまったらと思うと怖くて何も聞けない。

 情けないな、と呟いた声は馬のいななきに吸い取られ、誰にも聞かれることなく消えていった。

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