第3話 秘密
部屋にはカレーのいい匂いが充満している、こんな飯テロ、近所迷惑にも程があるだろう。
アサギさんは、ハーフパンツにタンクトップにエプロンと、なかなかにエロい格好をしてキッチンでカレーを煮込んでいた。僕はチグサとリビングで、人が1人寝れそうなほど大きなソファに座って待っている。一応、手伝おうとしたのだけど。
「料理、したことあるのか?」
「あんまり・・・」
「座ってろ」
「はい・・・」
と、いった感じで、門前払いされてしまった。
チグサはと言うと、ここがまるで自分の家かのようにソファでくつろぎ、ラジオから流れる音楽を楽しんでいた。オーバーサイズのシャツの襟元から出た鎖骨を、僕に見せつけるかのようにしていて、また、片足をソファに上げて右腕で抱え、反対の伸ばした脚の白い内ももが見えている、実にはしたない。
「なに見てんのよ?」
僕の視線に気づいたのか、手で肩を隠し、股を閉じる。いや、隠すぐらいなら肩の出ないシャツを着てください、それにちゃんと座ってください。
「見てねーよ!!」
「えっち」
「なっ!ちがっ!」
わざとらしくチグサは頬を赤らめる。それにちょっとドキッとしてしまって、声を荒らげてしまった。
これは、そうだ、新手の美人局に違いない。
そう思い、ソファの端へと移動して、チグサから少し距離を置く。
「ちょっと、何で離れるのよ」
ニヤニヤと笑いながらチグサが寄ってくる、せっかく端まで移動したのに、もう移動する場所がない。
「ばか、やめろって!」
「えー、なにー?」
僕にグリグリと体を押し付けてくる、僕の脚にチグサの生脚が触れ、肘で俺の腕を押す。コイツ、酔ってんじゃないだろうな?と思ってさっきから下げている左手を覗き込んでみると、ブランデーの瓶を持っていた。
ブランデーをラッパ飲み、だと・・・。
よくよく顔を見てみると、少し目もトロンとしている。くそっ、酔いに任せて破廉恥な。
「レイきゅんも、呑みなよー」
「呑まないよ!てかなんだよ、きゅんって!」
ブランデーのビンをほれほれ、と僕の顔に押し付けてくる。
飯前なのに、だいぶ出来上がってるけど大丈夫か?
「何を騒いでいる、ほら出来たぞ」
僕は一目散に立ち上がり、ダイニングテーブルへと移動する。チグサは支えを失って、ペタッと倒れたが、気にしない。テーブルには、薄手のパンとサニーレタスのサラダ、スープ皿に入ったカレーが2種類用意されていた。
「私は辛党でな、お前はどうせ辛いの苦手だろ?甘いのも用意しといたからな」
どうせって心外である、まあ確かに辛いのは苦手だけど、翌日お尻が大変なことになってしまうから。しかし、そこまで考えて作ってくれるなんて本当に申し訳なく思うし、嬉しくも思う。
「ありがとうございます」
そう言うと、アサギさんは嬉しそうに笑った。
「わー、美味しそう!いたっ!」
酔っているチグサは、すぐさま席についてパンに手を伸ばすが、アサギさんに手をパチンと叩かれていた。
ちゃんとお祈りしないと、バチが当たっちゃうからね。
僕達はお祈りを済ませて、食事に手を伸ばす。
「うんま!!」
「美味しぃ!」
甘い方のカレーは、それほど甘すぎることなく絶妙な美味しさだった、パンもカレーに浸して食べると、しっとりとしていてとても美味しい。チグサは昨日と同じように、頬っぺたが落ちないように手で支えながら食べている。ほんと、コイツは美味しそうに食べるよな。
「レイ、こっちもいってみるか?」
どう見ても辛そうに赤い、というより黒いカレーを、アサギさんは指さす。いやー、絶対ヤバイってこれは。
でも、アサギさんの好意を無下に断ることも出来ない、スプーンで少し掬って食べてみる。
香辛料の香りが口一杯に広がる。おっ?意外といけるか?
「ゴホッゴホッ!やっば!」
いけなかった。めっちゃ辛い!いや、痛い!よくこんなの食えるな!
「なんだ、子供だなぁ」
アサギさんはそのカレーを、汗1つかかずに、パクパクと食べている。
いや、その殺人的な辛さのカレーを、普通に食べる方がどうかしてますって・・・。
「え?それも美味しそう!」
こら、チグサ、やめときなさいって、マジでヤバいから。と止める暇もなく、彼女はスプーン大盛りを1口。
「辛いけど、美味しい!」
おい、マジかよ。2人ともそっくりだな・・・。
僕はヒリヒリと、辛さが残る口を紛らわすために、甘いカレーをかき込んだ。やっぱり甘い方がいいや。
●
そして、全て食べ終わると、お礼にと僕は皿洗いをしていた。アサギさんとチグサは、一緒になってソファでお酒を飲んでいる。
脚をおっぴろげて、肩を組んで凄く楽しそうにしているが、もうちょっと女性らしくお淑やかに飲んで欲しいものだ。
どうやら今は、隣国バルセルの、スポーツ実況のラジオがたまたま受信出来ているらしい、2人はそれで盛り上がっていたのか。
僕はテキパキと洗い物を済ませて、ダイニングテーブルの椅子に座る。楽しそうな2人を見ると、僕まで楽しくなってくる。
「ほらレイ、お前もこっちに来い」
絶対嫌だ、もみくちゃにされておしまいだ。僕はハハハ、と笑って誤魔化した。
「なんの、スポーツ実況なんですか?」
しばらく内容を聞いていても、ピンと来なかった、盛り上がっている2人なら分かるだろう、と聞いてみると。
「わからん」
「さー」
酒の力ってスゲー・・・。
なんの実況か分からずに、そんなに盛り上がれるものなのか?いやいや、酒の力には恐れ入る。
しばらく、キャッキャと3人でラジオを聞いていると。突然、実況が止み、雑音のみになってしまった。
酔ったチグサがバンバンとラジオを叩く。こらこら、壊れるよ。と僕が慣れないながらも周波数を調節しても、さっきのスポーツ実況は入らなかった。どうやら、本当にたまたまだった様だ。
チグサはむー、っと膨れている。いや、意味わかってなかったんだから、いいじゃん別に。僕は適当な音楽番組に周波数を合わせた。
落ち着いた曲でいい感じ、考えることをやめて、しばらくボーッとしていると、何やらソファの方でスースーと寝息のようなものが聞こえる。
その方向を見ると、アサギさんとチグサが、肩を並べ頭をくっつけて眠っていた。
「え、ちょっと!」
2人は揺すっても、引っ張っても全然起きない、どうしたものか。とりあえずアサギさんは彼女の部屋に運んだ、昨日に引き続き慣れたものだ。
問題はチグサだ、彼女の家まで運んでいくとなると、階段を登らないと行けない、落としたり転けてしまっては大変だ、運び上げることは諦める。しかし、このままソファに寝かすのもはばかられるし。んー、どうしよう・・・。
とりあえず、チグサを持ち上げる、アサギさん同様にお姫様抱っこだ。チグサも意外と軽い。
すると彼女は、ん~、と起きているのかいないのか、僕のシャツを左手でギュと掴む。どうしたどうした、可愛いじゃないか。
ソファで寝かすのもアレなので、自分に与えられている部屋まで来たが。
「僕の寝た布団で寝かすのもなぁ・・・」
ちょっと考える。
ま、いっか!
後輩のよしみだ、彼女を布団に寝かせて、よし!僕は美女2人のためにソファで寝よう!と部屋を出ようとすると。
「・・・レイ」
チグサが小さく呟く、ん?どうした?と近寄ると、彼女は枕をギューっと掴み、目を瞑ってスースーと寝ている。なんだ、寝言かよ。いったいどんな夢見てんだか。ちょっと恥ずかしくなって部屋を出た。
僕も寝よう、ソファに横になって部屋から取ってきた掛け布団を被り、部屋の明かりを消して眠りについた。
●
カラン・・・。
何かの物音で目が覚めた、目を開けると外は明るくない。しかし、キッチンの方には薄明かりがついていた。
時計を見ると午前0時、寝てからそんなに時間が経っていない。
んー?と体を起こす。ダイニングの方には誰かの影が。
「お母さん・・・?」
「ああ、すまん、起こしてしまったな」
ダイニングの椅子には、アサギさんが長い脚を組んで座っていた。わ!めっちゃ恥ずかしい!しかし、アサギさんはそれには触れなかった、聞こえてなかったかな?
「いえ」
僕は立ち上がり、恥ずかしさを紛らわす様に、キッチンに向かい、グラスに水を汲んで、アサギさんの前に座った。
彼女はウィスキーかな?ロックでグラスに入れていた。
ああ、その氷が崩れる音だったのか。
「目が覚めたら、なんだか眠れなくてな」
「はい」
僕は水を1口飲む。
「チグサは?なんでお前がここで寝ている?」
「チグサは酔って、僕の部屋で寝てます」
「ああ、あいつはすぐ寝るからな」
アサギさんもね、と心の中でツッコミは欠かさない。
少しの沈黙が流れる。
「あの、アサギさん、聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
チグサもいない、この際に気になっていたことを聞くことにした。酒も入っているし、多少は許してくれるだろう。
「・・・あの、シンって誰ですか?」
「・・・どうしてそれを?」
さっきまで緩んでいたアサギさんの顔が一変、厳しくなる。あ、地雷踏んじゃったかな。
「いやあの、寝言で言っているの聞いちゃって、その・・・。」
「ああ、聞かれたか」
厳しかった顔はすぐに緩む。ふー、よかった。
「私にはな、弟がいる。いや、いたんだよ」
アサギさんは色々と教えてくれた。
彼女には6歳年下の弟がいたとか、僕と同い年だ。子供の時は仲が良くてよく遊んでいたらしい。それから、アサギさんが20歳になった時に、彼女は自治軍に入隊し、単身このアルサーレに来た。家族は麓の小さな町で生活を続けていたとか。
そして、あの紛争が起こった。
父親は出兵、母も工場へと駆り出されてしまい、町には弟だけが残っていた。その時は既に、弟も成人していたので多少は大丈夫だったが。戦況か怪しくなってきてからは、1人にしておくのも不安になって、部屋を用意したからアルサーレに来なさい、と弟に連絡した。その矢先、町が攻撃され焼け野原になってしまった。それから、弟は、家族は行方不明らしい。
「それでな、お前、弟に似てるんだよ」
「え?」
言葉に詰まる。なんと言ったらいいのだろう。
「ほっとけなくてなぁ。すまんな、ブラコンで」
「いえ、そんな・・・」
どうやら、あの部屋、クローゼットに有った服も全て弟さんのために用意していたらしい。それで、僕が弟さんに似ているから、好きに使っていいと。だから、昨日酔って、僕のことをシンとかって呼んでいたのか。そう思うと、悲しくなってきた。
「僕に弟さんの代わりは出来ませんが・・・」
「バカ、そんな事頼んじゃいない」
「へ?」
「ただな、生きていて欲しいんだ」
空軍、ましてや解放軍である以上、今は仮初の平和だがいつか戦闘が起こる。その中で、私も死ぬかもしれないし、お前も死ぬかもしれない。そんな事を考えたことがあるか?
僕は考えたことがない、いや、重くて考えようとしていなかった。昨日明日を生きるのに、やっとな僕には。
「だからせめて、私より長生きしてくれ」
「・・・はい」
この時代を生き抜く自信はない、自分はまだ弱いから。しかし、アサギさんの少し悲しそうな顔を見ると、そう言うしか無かった。
「いやー、言ったらスッキリした」
彼女はウィスキーを、グイッと一気に飲んだ。
「じゃあ寝るよ、おやすみ、レイ」
「あ、おやすみなさい」
彼女はスタスタと自分の部屋にいき、ガチャ、とドアを閉めた。
僕はダイニングに1人残され水をズズズッと少しずつ飲む。
(長生きして、か・・・)
ガチャ。
「わ!」
自分の部屋のドアが開く、そこにはシャツを脱いで、ブラジャーとショートパンツ姿のチグサが立っていた。胸は大きく、ウエスト周りはスラッとしていて、おへそが・・・、じゃなくて、シャツは!?
「トイレ・・・」
フラフラとリビングを彷徨うチグサ。ははは、何処へ行こうというのかね?トイレはそっちじゃないぞ。
彼女をトイレへと誘導してシャツを探す、ベッドに脱ぎ捨ててあった。それを急いでトイレまで持って行くと、ちょうど彼女が出てきたところだった。
目はほとんど瞑っていてフラフラしている。どうやって着さそう・・・。
「えっと、ばんざーい」
彼女は条件反射なのか、両手を上げてバンザイする。それを逃すことなく、ササッとシャツを着させた。子供かよ!
そして、彼女をベッドまで誘導し、布団を被せて一件落着。
ふー、ハプニングとはいえ、女性の半裸なんて初めて見た。目に焼き付いたチグサの姿が、なかなか消えない。頭をブンブンと振って忘れようとする。
ここにいたらまた、なにが起こるかわからない、すぐに部屋を出よう。
「レイ・・・・・・、ありが、とう・・・・・・」
なんだ、起きてるのか?顔をチラッと見るがスースーと寝ている。変なやつ、と思いながらも。
「どういたしまして」
部屋を後にした。
●
翌朝。
「レイ、起きて!」
「う~ん、あと30分・・・・・・」
「あなたね・・・」
「はっ!起きます!起きました!」
昨日の痛い思いを思い出して、飛び起きた。目の前にはチグサがいる。夜中の半裸姿が、まだ目に焼き付いていて、服の中が容易に想像出来る。いかんいかんと、僕は頭をブンブンと振った。
「レイ?私をベッドに移してくれたの?」
「え?ああ、まあ」
「どこも触ってないでしょうね?」
「触ってねーよ!!」
チグサは自分の胸を両手で隠す。そんな事しないっつーの。まあ、脚とか肩とかは運ぶ時とか、ベッドに移す時に触ったけども。意外と柔らかくて、ドキドキしたのは内緒だ。
「冗談、ありがとね」
「ああ、うん」
僕はチグサのお礼に、ちょっと嬉しくなって頬を赤らめ目をそらす。そして、気を紛らわすために洗面所に行って顔を洗う、今日も今日とて髪の毛はボサボサだ、昨日と同じように一回濡らしてタオルで巻いてみる。
そうやって四苦八苦していてダイニングに戻ると、朝食が出来上がっていた。今日は、焼きたてのパンと、スクランブルエッグにソーセージとスープ、とても美味しそうだ。
「さっさと食べてしまえ」
「何その頭、女子みたい」
「いいじゃん別に・・・」
チグサに、小馬鹿にされた気もするが、特には気にしない。だって跳ねるんだから仕方ないじゃん。
僕はアサギさんに、朝食のお礼を言い、お祈りを済ませて朝食に手をつけた。
パンはサクサク、スクランブルエッグはフワッと、ソーセージはパリッとしていて、とても幸せだった。