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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

北欧神話シリーズ

アースガルズの男ロキ、母親になる

作者: 白緑


 街は寒々しく雪が降っています。

 季節は冬、ぬくもりや情熱が所望される――そんな時期でした。

 人通りがまばらな街頭で、チラシを配っている人がいます。

 早く帰宅したいがために過ぎ去る人々。

 チラシはなかなか減りません。


 ビラ配りの彼は、広告を眺めました。

 タイトルは、『何も知らないスレイプニル』。

 主人公は、北欧神話のロキです。

 ずる賢く、ハンサムな彼は、いったいどんな活躍をするのでしょう。

 貧しくて娯楽なんて行ったことのない彼は、乏しく想像します。


 ふと気が付くと、ずいぶん時間が経っていたようです。

 帽子の上に雪がつもっています。

 ビラ配りの少年の肩が、軽く叩かれました。

 彼がはっとして見上げると、そこには街の人々がいました。

 彼らは口々に言うのです。


 そのチラシが欲しい、と。

 君が夢中になって読む、その劇を見に行きたい、と。


 チラシは飛ぶようになくなりました。

 これなら、劇場は大繁盛のはずです。

 では、少し時間を早巻きして、公開当日の様子を見てみましょうか。

 予定より早く仕事が済んだ少年は喜んでいます。

 良かったですね。




 劇場内は満員です。

 今日、初公開される劇の名は、「何も知らないスレイプニル」。

 北欧神話一の策略家で、いたずら好きの彼が主役です。

 彼と神々は、仲良くはありませんが、悪くもありません。

 それは、ロキの存在が、行動が、彼らに被害をもたらす一方で、多くの贈り物や繁栄をもたらしてきたからです。

 今日の公演もそんなお話なのでしょうか?

 劇場の幕がゆっくりと上がっていきます。

 お話の始まり、はじまり。



 * * *


 北欧神話のトールは、たいへん強い神さまです。

 愛用のミョルニルを振り回し、外敵を一撃でやっつけてしまいます。

 そのミョルニル、柄の短い雷鳴の鎚が手に入った経緯も、ロキのいたずらが関係あるのですが、今回はそのお話ではないようですね。


 さて、神々が統治する地域では、敵がいます。

 東方のトロールたちが、トールやロキの義兄オーディンに嫌がらせを仕掛けてきました。

 神々は短気で愚かなので、黙って見ていることはしません。

 次の日、トールがのしのしと、東のほうへ出かけていきました。

 守り神の留守に、神々は考えます。

 我々の統治するこのアースガルズにも、何か守るものが必要なのではないか、と。

 神々は賛同し、城壁を造ることになりました。


 翌日、紳士な男が一人、神々を訪ねてきました。

 どこで聞いたのやら、城壁を造りたいと言うではありませんか。

 喜ぶ神々ですが、話はそこでは終わりません。

 男はこの偉大な仕事をやり遂げたら、報酬として欲しいものがあるというのです。

 それは、女神フレイヤ、太陽、月でした。


 女神フレイヤはたいへん美人な女神です。

 仲間の神々から、敵、中立の小人たちまで、とても人気がありました。

 このお話のほかに、オーディンたち最大の敵、霜の巨人に求婚された話もあります。


 当然ながら、美しく能のあるフレイヤは、この話を蹴るように神々に言います。

 神々も、美しい女神のほかに、太陽や月を奪われるのは嫌でした。

 話がまとまりかけたそのとき、立ち上がる男がいました。

 そう、我らがハンサム、誰よりも頭の回る男、ロキです。

 彼は、神々に言いました。


「どうせ、一年でできる訳がない。完成間近まであの男にやらせて、残りの城壁を自分たちで仕上げればいいじゃないか」


 神々は賛同しませんでした。

 彼らも、ロキのいたずらにほとほと手を焼いていたからです。

 ロキは畳みかけます。


「じゃあ、こういうのはどうだ。期間を、男が希望した一年から半分にするんだ。さらに、誰かの手を借りてはいけない、としよう。たった六ヶ月、一人で高い城壁を造るんだ。できないに決まってる」


 ロキの素晴らしい考えは、神々に甘露のごとく染み渡りました。

 これならば、フレイヤも太陽も月も、城壁だって我々のものになる。

 そう考えたのです。


 神々は、まとまった話を男に伝えました。

 これで男が断れば、城壁は自分たちの力で造ればよい。

 しかし、男は条件が厳しくなっても、城壁を造る、と言いました。

 ほんの少し、条件に注文をつけて。

 城壁造りの男は言います。


「私一人で造れといいますが、私の馬は私の所有物。すなわち、私の力です。私の馬も、城壁を一緒に造って構いませんね?」


 神々はロキに助言を求めます。

 ロキは、神々に囁きました。


 ――あんな馬、たいした力にはならないさ。おれたちの求める城壁は、天よりも高い。馬が一匹増えた程度で何だって言うんだ。小石一つ運べないぜ。できっこない。


 神々はなるほど、と納得して、男の言い分を呑みました。


 翌朝から、城壁造りの男と馬はせっせと働きました。

 まず、岩を埋めて地盤を固めるための溝を掘ります。

 日が暮れると、男と馬は岩を切り出しに行きました。

 翌日、神々が見守るなか、男と馬は現れました。

 馬の引く“そり”には、重たい石がたくさん乗っていました。


 神々は血相を悪くしましたが、ただ一人ロキだけは笑います。


 ――馬は直に疲れるさ。毎晩、あんな重い石ころを運べるはずがない。それに、もうすぐ冬が来る。吹雪が来れば、山に行くのは難しい。心配することはない。


 誰も何も言いませんでした。

 フレイヤだけがロキの言葉に顔をしかめていました。


 あくる日も、あくる日も、男と馬は同じことを続けました。

 石を積み、山へ石を集めに行き、朝には大量の石を引っ張ってくる。

 城壁は日ごとに高くなり、夕暮れ時には前の日よりも立派になっていきます。


 ある日、オーディンは神々を集めて言いました。


「城壁はどんどん高くなっている。どうするのだ? 我々はあの男に太陽と月を与えなければならん。さらには、美しいフレイヤを妻として差し出さねばならんのだ」


 神々は男と契約を交わすとき、絶対に破れない誓いを立てていたのです。

 各々の武器に誓い、財産を増やすという腕輪に誓い、グングニルに誓いました。

 グングニルは決して外れない、というほかに、槍にかけた誓いを破れないという特性があるのです。

 神々は口々に言いました。


「あの男は何者なのだ」

「驚くほど仕事が早い」

「それに、悪くない出来だ」

「人間ではないかもしれん」

「巨人か?」


 そして、最後にはこういうのです。

 ああ、トールがいてくれたらなあ。

 ロキは神々を励ますため、口先を回らせました。


 ――まるで預言者のばあさんだな。なんでもないことが、なんでも心配になる。あいつにゃ無理さ。冬の最後の日までに完成させるなんて、どんな力持ちの巨人だって、できやしない。


 しかし、誰もロキの話を聞いていませんでした。


 本格的な冬が到来しました。

 雪が深く積もり、時には厳しい吹雪が吹き付けました。

 男と馬は変わらず仕事を続けます。

 やがて冬は去り、暖かい風が吹き始めました。

 春がもうすぐやってくるのです。

 雪解けでぬかるむ道も、男と馬は平気でした。

 ロキは、馬が泥で動けなくなることを期待しましたが、馬は物ともしません。

 春の花が咲き出します。

 ぬかるみが乾いて、タンポポの黄色い花があちこちで見られます。


 アースガルズの城壁は、すでに出来上がっているといって遜色ありません。

 立派な城壁は、どんな敵――巨人、トロール、小人、人間のことです――も通さないでしょう。

 冬が終わる前日、オーディンは、もう一度神々を集めました。

 神々の一人、美男子バルドルが言います。


「我々の太陽は、二日後にはあの男の太陽になるのだな」

「私たちは月で年を刻んだが、それもなくなるのだ」


 誰もが悲嘆に暮れるなか、フレイヤは冷ややかに神々を睨みます。


「もし、あの男が本当に巨人なら、わたくしは彼の妻となって、ヨトゥンヘイムまで行きましょう。ですが、一つお願いがございます」


 ずっと黙っていたオーディンが、フレイヤの話を促しました。


「この災いを引き起こした者、その男を、わたくしがこの地を去る前に、わたくしの前で、むごたらしく殺して欲しいのです」

「そんなこと言ったって、責任の所在を明らかにするのは難しいぞ。これは、みんなが賛同し、みんなで決めたことなんだから」

「ロキ、あなたがやったのよ。あなたがこのお馬鹿さんな神々を扇動して、この惨状を引き起こしているの。そんな者は命を奪われて当然。分かるでしょう?」


 ロキはなおも言い募ろうとしましたが、周りを見てやめました。

 どの神々にも、ロキを殺してしまうという意志が見られたからです。

 どの神々の目もぎらぎらと光っていましたし、どの神々にも、ロキへの慈愛や許容の心はありませんでした。

 オーディンは、誰かに向かって言います。

 その眼は、一人の男を鋭く見つめていました。


「あの男には賭けに負けてもらう必要がある。だが、我々は誓いを破れない。あの男が城壁造りを失敗すればいいのだが」

「おれにどうしろって言うんだ」

「どうしろとは言わん。ただ、明日の日、城壁が完成してしまえば、おまえは死ぬ。みじめで恥すべき死を迎えるだけだ」


 ロキは必死に頭を働かせました。

 無様に死ぬなんて、まっぴらごめんでした。

 ですが、相手は巨人かもしれない男です。

 普通に襲い掛かっても、ロキに勝ち目はないでしょう。

 ロキは、いつも力自慢の神々を馬鹿にしていました。

 何故なら、そんな頭の足りない連中よりも、自分のほうが上だと思っていたからです。

 そんなロキが思いついた秘策は……。


 * * *



 幕が下がってきました。

 休憩時間のようです。

 観客ががやがやと、このあとの展開について話し合っています。

 今のところ、いつも通りの北欧神話です。

 さっそくロキの活躍と、失態が見られましたが、これで終わってしまってはつまりません。


 なにより、ここまでは前半。

 もうひと悶着ありそうです。

 少し時間が経って、劇場のライトが再び消えました。

 幕が上がっていきます。

 ロキの秘策とは?

 そして、煽り文句の「ロキ最大の汚点」とは?

 物語が始まります。



 * * *


 あくる日、神々が目を覚ますと、ロキはいませんでした。

 アースガルズの番人ヘイムダルが言うことによると、昨日の深夜ごろ、一人で城壁の外に出て行ったというのです。


 ――まかせてくれ。


 ロキは、そんな風に言い残していました。

 逃げた、と騒ぐ神もいましたが、トールが帰ってくればどうにでもなることです。

 次第にその声は小さくなっていきました。


 さて、ここで城壁造りの男に話を移しましょう。

 彼は、この六か月間、休みなしでずっと働いてきました。

 しかし、それも今日と明日で終わり。

 この石を積み上げ、あと二十、石を運び、その石を積み上げれば完成です。

 彼は輝ける未来に思いを馳せ、幸せな気持ちでいました。

 あの美しい女神が我が妻になるのだ!

 男は馬を呼び寄せるために口笛を吹きました。


 馬は1キロ先で草を食んでいます。

 主人の合図に、類まれなる雄馬が戻ってきません。

 いつもならどこにいても、駆け寄ってくる馬に苛立ちを覚える男。

 もう一度、口笛を吹きます。

 馬が動きました。

 しかし、様子が変です。

 首を左右に揺らし、まるで人を探す人間のような動きです。

 男は馬の名を呼びました。


「スヴァジルファリ!」


 馬が駆けだしました。

 よし、と男が頷きます。

 ぱからっ、ぱからっ。

 ひづめの音が響きます。

 城壁が近くにあるせいでしょうか。


 ――まるで、馬の群れが近づいて来ているような……。


 男が音の鳴るほうへ目をやると、あることに気が付きました。

 馬が、もう一頭いるのです。

 栗毛色の、美しい雌馬でした。


 スヴァジルファリが雌にアピールします。

 脚の速度をゆるめて、片足をあげ、大きくいななきます。

 雌に近付いて、追い掛け回したり、尾を軽く食んだりもしました。

 しかし、雌馬はお構いなしに草を食みます。


 男は口笛を吹きました。

 馬の名を呼びました。

 しかし、雄馬は雌馬に夢中で、聞こうとしません。

 仕方がないので、男は手を叩きながら雄馬に近付きました。


 そのときです。

 突然、雌馬が男と雄馬の間に入ってきたかと思うと、親密そうに雄馬の首に自身の両耳とたてがみをこすりつけたのです。

 そして、森のほうへ一直線に走りだしました。

 猛烈に逃げる雌馬を、雄馬が逃がす理由はありません。

 雄馬も森へと走り去り、城壁の前には男が一人残されました。


 男は馬の名を何度も呼びましたが、帰ってきません。

 やがて男は諦めて、そりの縄を掴みました。

 翌日、太陽が高く昇った昼前、ようやく男は城壁の前に戻ってきました。

 そりに積まれた石は、十個ほど。

 あと一日あれば、スヴァジルファリなしでも城壁は完成したでしょう。

 しかし、もう期日は目の前に迫っていました。


 フレイヤと神々がやってきて、男の作業を眺めます。

 男は無表情で、ただひたすら石を積み続けます。

 フレイヤが神々に言いました。


「トールがもう少しで東方から帰ってくるそうです」


 神々は、守り神の帰還に湧きました。

 そして黙って見ていた神々は、揶揄を含んだ言葉で、男に話しかけ始めたのです。


「もはや、完成しても太陽しかやるものはない」

「月は持ち帰るのが大変でしょう。馬がいないあなたにはね」


 神々は、もはや城壁を完成させられない男を見て、大笑いしました。

 男は積み上げていた石を地面に叩きつけます。

 神々を見る目は真っ赤でした。

 疲れと怒りにまみれた男は、炎のように燃えていました。


「だましたな!」


 男は砕けた岩の欠片を両手に持ち、吠えました。

 男の身体が大きくなっていきます。

 十、いえ、十五メートルはあったでしょう。

 神々をはるか上から見下ろすと、男は名乗りを上げました。


「おれは山の巨人だ。よくもだましたな! おまえたちは暗く寂しい世界で、元気づける美女もいないまま、死にゆく定めだったのに。誓いを破ったペテン師だ!」

「我々は誓いを破ってなどいない! そして、どんな誓いも、我々からおまえを守ることはなくなった!」


 以下、神々の壮絶かつ勇ましい戦いが始まりますが、それは少し置いておきましょう。

 場所が変わって、ここは、二頭の馬が消えた森のなかです。




 戦いの音が聞こえてきた雌馬は、ハッと立ち上がる。

 それまでの親しげな様子から一変、雄馬はそれを不審に感じた。

 それでも、機嫌よく鼻を鳴らしながら雌馬に近付いた。

 しかし、それもここまで。

 何故ならば、雌馬と雄馬が接触する瞬間、雌馬の姿が変わったからだ。


 背の高い、男の姿。

 ハンサムな顔立ち。

 そこに浮かぶ、どこか馬鹿にした表情。

 愚かな雄馬に突き付けられた指。


 北欧神話の神々は、誰もが特殊な才能を持っている。

 トールが雷を操り、オーディンがオオガラスを操りさまざまな情報を手に入れるように。

 ロキには、どんな生物にだって自由に変化できる能力があった。

 さて、もうお分かりかと思われるが、雌馬の正体を明かそう。

 美しい栗毛の馬は、ロキだったのだ。


「馬鹿な馬め。これはおまえと主人の男を引き離し、城壁を完成させないための罠だったのさ。主人ともども騙されやがって、ああ、いい気味だ」


 ロキは顔面に迫る馬に対して、嘲笑いながら自らの功績を称えた。

 そのまま森を去っていこうとしたロキだったが、何者かに邪魔をされた。

 邪魔立てしたのは、雄馬だった。

 雄馬はロキの上着を引っ張って、ロキの帰還を阻止していたのだ。

 振り返ったロキを、馬は強引に引きずり倒し、見下ろした。

 馬の四肢に囲われ、逃げられなくなったロキは、必死に頭を回す。


「いったい、なにが――」


 雄馬は地面をひっかき、鼻息を荒く鳴らした。

 発情している証拠だ。

 すわ、獣姦の危機かと、物語の外が騒がしくなった。

 しかし、心配ご無用、ここは神々の住まう世界。

 十五メートルの巨人が人間に変装し、大男トールがフレイヤに変装する世界である。

 馬は、人間の男に変化した。


「おいおい、いったいどういうつもりだ? おれをとっ捕まえておくなら馬のほうが、都合がいいんじゃないのか。そんなこと、獣のおまえには分かるまいが――」

「オレはどっちだっていいさ。おまえを得ることができれば」

「あんだって? おいおい、おまえもおれの頭が欲しいクチか? おれの頭は上等だぜ? いい家具ができるだろう」


 ロキは冗談を口にする。

 いや、冗談ではなく、本当に欲しい連中が過去にいたのだが。

 しかし、スヴァジルファリは違うと首を振る。


「おまえが欲しい。おまえの身体が」

「……正気か? 今のおれは雌馬じゃないんだぞ? そんなもん犯して何になるって言うんだ。人間や巨人の女なら、いくらでも紹介してやるぜ」

「できれば美しい栗毛色の雌馬が欲しいが、無理は言うまい。今得られるのはおまえだけなのだから」


 ロキとスヴァジルファリの会話が進めば進むほど、馬だった男の視線は鋭くなった。

 ロキは頭をフル回転させて、なんとか逃れようとするが、うまい考えは浮かばない。

 スヴァジルファリの身体が近づいた。

 いよいよもって、ロキは神々をたぶらかした代償を、自らの身体で支払わなければならなくなった。


「い、いやだ! 冗談だろ!?」


 ハンサムが故に、ロキは女性に不自由していない。

 このおれが、男のはけ口として使われるなんて、そんな馬鹿な!

 ロキにとってこの事態は、到底認められることではなかった。


「か、神々は生殖しなくても神を生めるんだ! 子どもが欲しいなら、性行為にこだわる必要はない!」


 ロキは、巨人の母と巨人の父を持つ子どもだ。

 にもかかわらず、神々であるほうが都合がいいと思って、自らを偽った。


「嘘をつくな、巨人の息子。その狡猾さ、人を騙す力、自信過剰な性格。どれも巨人の特徴そのものだ」


 一瞬で見破られたロキは、ちゃんと次の策を考えていた。

 今度は、巨人であるということを逆手にとって、相手を説得するのだ。


「原初の巨人は、寝ている間に、身体のさまざまな場所から子どもを産んだという!」

「おまえは原初の巨人なのか? 違うだろう?」

「今の神々は、原初の巨人から生まれた者たちだ。オーディンにすら、3/4は巨人の血が入ってる! そして、おれたちは原初の巨人の孫から生まれた存在だ。おれたち巨人に、不可思議な力が宿っていたって、なんらおかしくない!」


 スヴァジルファリは、ロキの主張をしばらく咀嚼した。

 それから、ロキにさらに顔を近づけて微笑んだ。

 馬であったなら、大きく鼻を鳴らし、尾を大きく揺らしていたことだろう。


「オレが欲しいのは、子どもではなく、行為そのものだ」

「……な、あ、ああっ……!」


 ロキは自らの失態を悟る。

 だが、もう遅い。

 もう、どうにもならない。


 ロキは、馬だった男に刺し貫かれた。

 ロキの悲鳴が響き渡る。

 巨人はもとより、神々は誰も助けに来ない。

 このいたずら者の巨人を、誰もが懲らしめて欲しいと思っていたからだ。

 さらに、今、神々の領土は、トールの帰還と脅威の消滅に湧いている。

 誰も、ロキに注意を払う者はいなかった。



 ★とてもお見せできないシーン★

 ※しばらくご自分の想像のみでお楽しみください。



 しばらくの間、ロキをもてあそんで、スヴァジルファリは帰っていった。

 雄馬のたくましいひづめの音が遠ざかっていく。

 ロキは、ゆっくりと身体を起こした。

 頑丈な巨人の身体と言えど、馬相手の行為は厳しかったようだ。

 身体の節々が痛い。


 とりあえず、早く身体を洗いたい、と思ったが、その前にとある存在に気が付いた。

 身体の側に、小さなぬくもりがある。

 ロキは目を丸くした。

 自分でもよくそんな体力が残っていたと思ったが、素早くそのいきものに駆け寄る。

 そっと抱き上げて、ロキはにやりと笑った。


「これは珍しい……オーディンに献上すれば、おれの失態も帳消しだな」


 ロキは子馬を小脇に抱えると、森の奥へ消えていった。

 身ぎれいにして、服も探して、あの馬に見つからないうちにアースガルズに戻らなければ。

 そんなことを考えながら。

 子馬が嬉しそうに、ロキに耳をこすりつけた。




 戦いは、神々の圧勝でした。

 東方から帰ってきたトールがミョルニルで山の巨人を一蹴、否、ぺちゃんこにしてしまったからです。

 トールは倒すべき敵がいたことを、神々からの土産だと言って喜びました。


「わざわざ楽しみを残しておいてくれたのか。おれは嬉しい」


 別段、トールのためという訳ではありませんでしたが、機嫌のいい人を正す理由もありません。

 神々はトールと今宵の勝利を祝って、祝賀会を開きました。

 ぜいたくなご馳走や酒を用意して、一晩中呑み明かしました。

 次の日、比較的呑まなかった若い神々が、二日酔いを免れて、片づけをしていました。


「あれ、酒が残ってる」

「トールも帰って来ていたのに、どうしてだろう?」

「誰か大酒呑みがいなかったんじゃないか?」

「そんなの誰が――あ!」


 ロキがいないことに気が付いた神々は、不思議がりました。

 今宵の祝賀会が開催できたのも、もとを正せばロキが雄馬を誘惑し、巨人のたくらみを潰すことができたからです。

 自尊心の高いロキなら、真っ先に自慢しに来るはずでした。

 はて、今度は何を企てているのやら。

 神々の懸念をよそに、ロキはしばらく帰ってきませんでした。


 ロキがアースガルズに顔を見せたのは、あの日から一年経ったあとでした。

 それはちょうど、神々が残り十個の石を切り出し、二十個の石を積み上げ、城壁が完成したのと同じぐらいの時期でした。

 その頃、アースガルズ近くの草原に、美しい栗毛の馬がいると噂になっていました。

 何人もの神と巨人と人間が挑戦し、姿も捉えられぬまま、帰ってきます。

 やがて、そんなものは誰かの幻だったのだ、という話すら出てきたころ、ロキは灰色の毛並みの子馬を抱えて、帰ってきたのです。


「ロキ、いままで何をしていたんだ?」


 仲の良いトールの投げかけにも、ロキはだんまりでした。

 黙ってオーディンに子馬を預けると、そのまま口を閉ざしました。

 これには、口が空気のように軽いロキには珍しいことでした。


 オーディンは、足が八本ある子馬を受け取り、愛情深く育てました。

 始めは、いなくなった母親を探して、子馬はずいぶん鳴きましたが、やがてそれも少なくなり、いつしか父親譲りの駿馬に成長しました。

 母親の美しい毛並みと、父親の頑健な身体を持つその馬の名は、スレイプニルと言いました。


 スレイプニルの素晴らしさは、多くの人が口にしました。

 しかし、スレイプニルの親が誰であるか、ロキの前で話した人はいません。

 神も、巨人も、人間も、誰一人として。

 そして、ロキは決して、あのときの屈辱を忘れませんでした。

 誰かが城壁の完成に関する話をしようものなら、ロキは徹底的な嫌がらせをしました。

 あの雄馬――スヴァジルファリにも復讐をしたか、それは分かりません。

 何故なら、ロキの報復を恐れて、誰もが口をつぐんだせいで、今後、北欧神話にスヴァジルファリの名は登場しないからです……。



 * * *


 幕がゆっくりと下がっていきます。

 興奮さめやらぬ観客たちは、割れんばかりの拍手を送ります。

 オーケストラの指揮者や、衣装を着たままの役者たちが壇上にでてきました。

 カーテンコールです。

 彼らが一斉に頭を下げると、劇は終わりました。

 ほほを赤くした婦女、新しい何かに目覚めた紳士。

 客が一人一人と帰っていきます。


 ただ一人、まだ小さい子どもが小首をかしげていました。

 お話の流れがよく分からなかったためでしょう。

 後半はほとんど、馬とロキの行為に時間が割かれていたせいもあるでしょう。

 やがて子どもは、何か別のことに気が付き、女に抱きつきました。

 それはまるで、劇中の二人にそっくりでした。

 そう、ロキと彼に甘えていたスレイプニルのようだったのです。


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