No.02 ごちそうは生きる力:04
大会の当日。
浮かれる部活のメンバー達は、どこからか持ち寄ったイルミネーションで、杉の木を飾っている。モミの木ではないが、そのあたりは気にしていないらしい。
この日、莉子は死ぬと占いに出た。
嘘かまことか。いまいち信じがたいが、莉子が走り終えた後、それはわかる。
柔軟体操をしながら体をほぐし、占いのことを頭から失くそうとせわしなく動く。
走り幅跳び、高飛び、ハードル。次々に競技が行われ、莉子の出番がやって来た。
位置につき、走り出す。
足は莉子の意思に関係なく、前へ前へと突き動かされる。風が体をすべって、後ろに流れていく。風と一緒に走るようなこの感覚を莉子は噛みしめる。
走るのが好きだった。その瞬間、何者でもなくなるから。寂しさもすべてが消えて、ただひたすらに足を動かすだけ。
すべては受け止め方次第だと、ナツは言った。寂しい自分を哀れむのも、奮起して寂しさから抜け出そうとするのも、自分次第なのだ。
だったら、どっちを選ぶ?
悲劇のヒロインぶって、「寂しいの」なんて言ってるのは性にあわない。
抜け出してやろう。もっと、もっと私が私であるために、生きるために。
莉子は決意を胸に秘め、ゴールを目指した。
生きたいのだ。まだ、何も見つけてない。見つけなきゃいけないものがあるのに、まだ何も見つけていない。
莉子が、莉子として在るために。莉子を必要とする、莉子が必要とするものを。見つけなければ。
一番にゴールを切る。あがった息も湿った体も、気持ちよく感じる。
大きく深呼吸した瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。マーブル模様を描いたように、ぐるぐると回り続ける地面は、足元をふらつかせる。
心臓が押されるように痛み、莉子は服をぎゅっとつかみ、そのまま倒れてしまった。
土が口の中に入ってむせそうになるのに、苦しさが先に込み上げて、咳をすることさえ出来ない。
死ぬ、と気付いた。
あの、占い通りに。
周りに人が集まってることがかすかにわかる。だが、視界がぼやけてよく見えない。
「あんたはどっち? 死にたい? 生きたい?」
「生きたい」
死ぬ瞬間だからなのか――世界が止まっているような気がした。
莉子の周りにいた人たちも、一切動かない。喧騒は消えうせ、風の音さえしない。
静止画像のように時を止めた世界で、唯一動く人がいた。必死に目を動かすと、そこにはナツがいた。
いつの間にか、彼は莉子のすぐそばに座っていた。
黒いスーツに黒いネクタイをつけ、あの寝癖だらけの髪の毛は整えられていた。
それが喪服であることに、莉子はすぐに気付いた。彼は死の道先案内人で、死の世界に連れに来たのだと、莉子はそう思った。
「生きたいの?」
「生きたい」
「じゃあ、生きるといいよ」
目にかかる黒髪をうざそうに掻いた後、ナツはにっこりと微笑んだ。
「どうして?」
いつの間にか、苦しさも、心臓の痛みも消えていた。
「俺、りこたんの走ってる姿、好きだから。きれいだもん。人間って、不思議ね。たった一言で、変わる。そういう風に変われる子、好きだよ〜」
そう言って、ナツは莉子の頭に触れる。風でそよぐ髪を優しくなで、跪いた体勢のまま、莉子の唇にそっとキスをした。
なぜだか、嫌悪感は一切無かった。
彼の熱い唇が、離れていくのが名残惜しい。
体がほてっていく。毛布で包まれてるみたいに熱を発する。大昔、母親に抱かれたあの安心感を思い出す。
「俺に、見せてよ。かっちょいい生き様をさ」
いたずらっ子のように二ィと白い歯を見せるナツが愛おしくて、莉子はその手を掴んだ。
ナツが生きる時間を与えてくれた気がした。ナツの口付けで、莉子の体に、莉子の時間――命が戻る。そんな気がしたのだ。
まるで、白雪姫のように。
掴んだ手の感触がどんどん遠ざかっていく。手の平に残るのは温もりだけで、そこにはもう何もない。
そっと瞳を開く。時間は動き出していた。ざわつく仲間達の声が戻ってくる。
「大丈夫?! 突然倒れるから、びっくりしたよ」
「ごめん。貧血だったみたい」
急いでナツの姿を探したが、どこにも見つけることが出来ない。
あたりを伺っているうち、空から降ってくる白いものに気付いた。
雪がひとひら。ひらひらと落ちてくる。
地面にジワリと溶ける雪を、莉子はじっと見つめる。
「頑張ろう」
頑張ろう。生きるために。『私』を生きるために。莉子はそう決心して、胸の前で手を握った。
***
飾りの落ちた杉の木の下で、彼はむくりと起き上がった。
陸上大会は終わりを告げ、もう誰もいない。いるのは、ナツとルイだけ。
ナツはこの場所に倒れていた。ルイに発見されなければ、ここで死んでいただろう。
だが、ちゃんと生きている。
「さて、あっついキスで生き返ったことだし」
体中にはりついた雪を犬か猫のように体を震わせて落とすと、何事も無かったかのように歩き出す。
「ねえ。なんで自分の時間をあの子にあげてまで、あの子を生かしたの? そんなことしたら、自分が死ぬかもしれないのに。なんで無茶するの?」
「なんかさ、それって、あれみたいだよね〜。人間ポンプ? 食べたものを出してあげるなんてさあ。俺の胃から出た金魚ですが、いかがすか? みたいな」
「つまんねえギャグはいい」
女の目は据わっている。怒っているのだ。
「クリスマスだから、いいじゃないの。あ、イブだけどさ。たまにはこういうプレゼントがあってもいいんでない? さあ、行きましょう。あいつが今頃、ぶーぶー文句言ってるよ」
遠くで、大きく手を振り回す人影が見えた。小柄なその子が、「なにしてんだよお?!」と大声を上げている。
「俺たち、三人。楽しくクリスマスを過ごそうよ。俺はもうご馳走食べちゃったけど」
「たった十分じゃない」
「それと、チュウね。うまかった!」
星が瞬く星空を見上げた後、楽しそうに笑む。
この世界には、まだまだごちそうが転がってる。これだから楽しい。ナツはそう思って、くすくすと笑った。
「俺が無茶するのは、あんたらがいるからだよ。助けてくれるってわかってるからね」
「やっぱりバカだね」
たった三人、人間外の彼ら。歩き出した彼らのすぐ後ろにあった時計が十二時を指す。
遠くから「メリークリスマース!」と叫ぶ声が聞こえた。
次回更新は21日を予定しています。