No.02 ごちそうは生きる力:03
生きたいか、死にたいか。そんなことを普通に聞かれても、莉子にははっきりとした答えが出せなかった。
ナツの言う未来が本当に訪れるかどうかすらわからないのに。
「……わからない」
「どうしてかねえ。人間は生きるために生まれたのにさ。死にたいなんて思うのか、俺にゃさっぱり。わかんないってのも、さっぱり。生きたくないの?」
生きたい? 死にたい? 生きたくない? 死にたくない?
考えたこともないことが頭をグルグルと回る。いや、考えたことは多々ある。ただ、明確な答えなど、出したことがないのだ。
「……死にたくは、ない」
「はっきりしない子ねえ。じゃあ、占ってやるよ。あんたが死ぬのは、あんたが走った十分後。その十分の分だけいただいて、来週の大会、あんたが死ぬその瞬間を見せてやる。特別サービスだ。あんたの死期は十分だけ、縮まる」
コタツの中をもぞもぞと漁って、でかい水晶玉が出してきた。
ナツの表情は固く険しかったから笑えなかったが、なんでそこからそんなもん出てくるのか、莉子は笑いそうになるのを必死にこらえる。
ナツが手をかざすと、水晶の中が虹色を帯びる。プリズムのような光が揺らいで、莉子の顔が映る。やがて、それはかき消され、別の映像が見えた。
走る莉子の姿。一番にゴールを切る。ハアハアと荒い息を整えながら、重そうな足をヨタヨタと動かしている。
足取りはどんどんおぼつかなくなり、苦しそうに心臓を押さえる。そのまま斜めに倒れ、土の上に顔をうずめた。
突然の出来事に驚いて、莉子を囲む部活の仲間たちが何かを叫んでいる。声は聞こえてこない。
そこで、映像は終わった。
「こんなんじゃ、わかんない。本当に死ぬの?」
「さあ。死んだのかどうかは自分で判断してちょ」
「……私、まだ、死にたくない」
自然とそんな言葉が出た。
リアルすぎる映像が、体をえぐったみたいに心に染みついて離れない。
嘘だ、と思いつつも、死んでしまうのだと警鐘が鳴り響く。
湿り気を帯びてくる両手を握りしめ、震える唇を噛む。ナツを睨むと、彼は目を細めて笑うだけだった。
***
ふと気付くと、朝を迎えていた。
魔王の部屋は消え去って、いつもの莉子の部屋に戻っていた。
チェックの赤いカーテンが風で揺らいでる。十二月の冷え込んだ空気で、部屋はとても寒かった。
毛布をかぶったまま、ストーブをつける。昨日のは夢だったのか、それとも……。
莉子は肩までのびた髪をクシャリと掻き、部屋を見渡す。ナツがいた片鱗を探すが、どこにもそれらしきものはない。
夢だったんだと言い聞かせて、パジャマを脱ぎ捨てる。
***
いつものように、莉子は放課後の校庭を走っていた。
部活の仲間はすでに下校し、他の部活の生徒の姿ももう無い。あたりはすっかり闇に覆われ、校庭を囲む道路の街灯の光が、校庭の端っこの方だけ土を白く染めていた。
「なんで帰らないの?」
いつのまにか、校庭のど真ん中にナツがいた。
定番の赤ジャージに黄はんてんを羽織り、よほど寒いのかマフラーも巻いてる。白地にピンクハート柄だ。しかもデカデカと『LOVE』とまで縫いこんである。相変わらず、ダサい。
莉子はわざとため息を大きくついて、ナツの前で仁王立ちする。
「――走りたいから」
「それだけの理由?」
なんとマフラーと同柄の手袋までつけていた。手袋で顔を隠して寒さを防いでいるようだ。
座り込んだ体勢のまま、莉子を見上げてくる。
「家に帰っても、私、一人なんだよ。両親が恋しいわけじゃないけど、一人で家にいるのは、嫌なの」
莉子は走るのをやめて、ベンチに置いておいたタオルで汗をぬぐう。
昨日の水晶の映像が脳裏をよぎった。
「私が、生きたいとも死にたいともどっちつかずなことを考えるのは、寂しいからだと思う。世の中には、私だけを想ってくれる人なんて誰もいなくて、私一人、誰にも必要とされずに生きてるような気がして……つらい」
本音が零れ落ちてゆく。こんなこと考えたくもなかったのに、この男のせいで考えさせられてしまったのだ。
見たくもない答え。出したくもない答え。けれどそれは、あまりに鮮やかに心を刺し貫いた。
「私、私だけを大切に想ってくれる人がほしい。それがいないのなら、生きてる意味なんてわからない。……誰にも必要とされてないから、あんたに、あげてもいいって思ったのかも。この命を」
「わかるよ。その気持ち」
周りには友達がいる。両親だって健在だ。恋人がいたことだってある。
それでも、寂しい。
心を許してきたことが、きっと、今まで無かったから。
「りこたんは、走ってるときが一番キレイ。輝いてるよ」
「りこたんって呼ぶの、やめてよ。気持ち悪い」
「そお? かわいいじゃん」
冬の澄んだ空気が、莉子の火照った体を心地良く包む。
走れば走るほど、莉子を包む空気は優しくなる。それが愛おしくて、莉子は走るのだ。
スニーカーで地面を軽く蹴り、走り出す。
冬の空の下、走ることが好きだった。
どんなに冷たい空気も、熱を発する体にとっては快い冷却剤なのだ。
地面を蹴るたびに、風が体をすり抜ける。外気に包まれ、心はひたすらにほぐれてゆく。
この感覚を、莉子はずっと知っていた。
何もしなければただ冷たいだけのものが、変わるこの瞬間を。
足を止め、座ったまま莉子を見つめるナツに視線を投げる。
思い立ってしまった。気付いてしまったのだ。
「すべては自分の考え方次第ってこと?」
ナツに問いかけると、ナツはにっこりと笑ってくれた。
「そうだよ。どんなものも受け止め方次第で、どうとでも変わるんだ。冷たくも、温かくも。不快にも、快にも。不幸も、幸も」
またもや更新が一日遅れてしまいました。
申し訳ありませんっ
諸事情により、次の更新は少し遅れそうです。
週末辺りに更新できればと思います。




