No.02 ごちそうは生きる力:01
「あんたって、ほんとバカだね」
「俺もそう思う」
黒いスーツの上に落ちる雪が、モノトーンの世界を作り出す。
深夜だからだろう。誰もいない。イルミネーションの消えたクリスマスツリーが、寂しげに佇んでいた。モミの木ではなく、杉の木。適当な飾りつけのため、オーナメントの金色の星が、ぼとりと落ちた。
その下にナツは倒れていた。ななめに下ろされた黒髪に雪がしみこみ、しっとりと濡れている。
「いつまでここで寝てんの?」
「死ぬまで、かね」
「……ほんと、バカだね」
女はひざをつき、ナツの唇に口付けを落とす。
女の栗色の長い髪が、ナツの頬をくすぐった。ナツはくすぐったそうに笑うが、力がこもらない笑いはわずかに空気を震わせるだけだった。
「おいしいね」
「バカじゃん」
ナツの手が女の髪を辿って、頬に触れる。すっかり冷え切った手を温めようと、女はそっと手を握ってくれた。
「もっとちょうだい。俺、あんたからのコレが欲しくて、わざとこうしてるのかも」
「バーカ。知ってるよ。あんた、あの子に同情したんでしょ」
「まさか」
唇が触れる。零度を下回る気温の中で、ナツの唇に心地良い熱を与える。
「あんたは、残酷なくせに、下手に優しい。私が来なかったら、あんた、ここで死んでたんだよ。誰にも気付かれずに」
「でも来てくれたじゃん」
「死なれたら、さすがに寂しいからね」
私たち、たった三人しかこの世にいないんだから。女はそう言って、ナツの頭に降り積もった雪を乱暴にはらった。
「ルイ。俺は、お前さえいればいい」
「バカ」
長い髪に触れ、もう一度、女の頬に触れる。引き寄せて、唇の端に触れるか触れないかのキスを落とすと、女は首を振って立ち上がってしまった。
「ルイ」
「行こう、あの子が心配してる」
***
「なにしてんの〜?」
突然の声に、莉子は振り返った。この学校の陸上部に所属する莉子は、部活が終わった後も一人で校庭を走っていたのだ。
もう陽はすっかり落ちて、夜の帳が下りようとする時間帯。誰もいなくなっていたはずなのに、その男はいつのまにか校庭のど真ん中にいた。
ぼさぼさの寝癖だらけの頭で、一体なに時代なの? と聞きたくなる赤ジャージ。その上に、黄色いはんてんをはおっている。どう見ても趣味の悪いその男は大昔のヤンキーのような座り方でどっかりと腰を下ろし、莉子を見つめていた。
「あんたは、なにしてんの?」
「俺? あんたの走ってる姿がちょーきれいで、見とれてた」
そう言われて、莉子は真っ赤になってしまった。そんなこと、言われるのは初めてだったのだ。
「私は、見ての通り。走ってた。気持ちいいから」
「こんなに寒いのにねえ」
「走れば、暑いよ」
莉子も男と同じようにジャージを着ているが(男のようなダサいジャージではないが)、莉子とこの男の体感温度は全く違う。運動をしている莉子の体は火照っていて、長そでが暑いくらいだ。
一方、男ははんてんのすそを無理やり手の先まで延ばし、身を縮こまらせて震えている。
「スタイルいいねえ」
「セクハラ」
「あら、褒めてるのに。やあねえ」
甲高い声でわざとらしく笑って、男はまた莉子を上から下までじろじろと見てくる。
「ねえ、あんた、なに?」
「俺ぇ? 俺はエセ占い師のナツ。なっつんでもなっつーでも、好きに呼んでいいよー。ただし、呼び捨ては禁止!」
「なんで?」
「馴れ馴れしいのはキライなのよぉ」
キライという割には十分馴れ馴れしいこの男は、すっと手の平で莉子を指した。
その動作が、どうやら「名前は?」と聞いていることに、莉子は数秒遅れて気付く。
「私は、赤石莉子」
「りこたんは、占いお好きですか?」
「……りこ、たんって」
格好もださけりゃ、ネーミングセンスもださい。りこたんというサムイあだ名を勝手につけられて、莉子は唖然と口を開ける。
「……占いなんて、信じない。うさんくさい」
「俺のは百発百中よ。来週の大会で優勝できるか、知りたくなーい?」
「そんなの、自分の実力次第だ。知りたくない」
だんだんと体も冷えてきて、体に張り付く汗が気持ち悪くなってくる。
ジャージの襟を掴んでパタパタと仰いでいると、ふと疑問がわいた。
なぜこの男は、莉子が大会で優勝目指してるか知っているのか。
それはこの高校の陸上部の伝統的な行事。十二月二四日、クリスマスイブに行うひどい大会なのだ。
陸上部内だけのごく小規模な大会。大会というよりは、部活の記録会程度のものだ。
他の学校から参加者がいるわけでもない。ただ単に、イブに皆で走ったり跳んだりして、優勝者決めて、祝うついでにクリスマスイブを楽しく過ごそうなんていう、恋人のいないやつが考えたしょうもないイベントなのだ。
それでも、莉子は優勝したいと思っていた。
一番に走ることだけが、莉子の人生において唯一の楽しみと言っても過言ではなかった。莉子にとって、他に楽しいと思えることが無い。
男をじろりと睨む。
整った顔立ちをしている。切れ長の瞳に、鼻筋はすっと通っている。ぷっくりとした唇は柔らかそうで、色っぽい顔立ちというのが一番あっている気がする。
普通の格好をすれば普通にかっこいいだろうに、なぜ赤ジャージに黄はんてんなのか、莉子はもったいないな、と思った。
置いておいたタオルを掴むと、ナツに背を向ける。
「帰るんで」
「ええー? もいっかい見たかったなあ。走ってるところ。ちょーきれいだったもん」
見た目は二四,五歳くらいだろうに、妙に幼いしゃべりをするこの奇妙な男と関わりたくなくて、無視して歩き出す。
関わるとめんどくさそうと、思ったのだ。
次回更新は11日を予定しています。
実は大昔に投稿した短編の作品だったりします。
読んだことがあるって方がいたら、感動です(笑)