これが彼らの生きる道
期間空いてすまそ。
翌朝、私たちは高級な布団から出られないでいた。前に住んでいたアパートのボロい布団よりもずっと柔らかくて寝心地がいいからだ。それにこの時期はまだ寒さが厳しい。だから尚更出られない。
そんな中、なんとか布団の呪縛から逃れることに成功したのは、我らがツチノコだった。朝の寒さに弱いはずの彼女だが、己の体を鞭打って這い出ることに成功したようだ。
「ほら起きてッ! ずっと寝てたら失礼でしょ!」
「う〜……あと5分……」
「そう言っていっつもみんな起きないじゃないッ! もう! いいから起きろッ!」
ガバッ!
「ヒャウッ! 寒い!」
私たちが起きないことに痺れを切らした彼女は、くるまっていた毛布をその小さい体からは想像もできないような力で引き剥がした。突如体を襲った寒波に身を丸める者や、放り投げられた布団を探す者もいた。だが私たちの努力もむなしく、結局は全員叩き起こされる羽目になった。
廊下に出ると、それはそれは寝ぼけた頭にとっては迷路そのもので、あの姉妹がいる部屋にたどり着くのは無理だと脳が言った。するとドラキュラが股のあたりを押さえ始め、キョロキョロと落ち着かない様子で辺りを見回した。
「どうしたの? ドラキュラ?」
「えっ、いや、トイレ……」
「……大? 小?」
「小。」
どうしよう、デパートとか大型店には矢印でトイレとかの場所が示してあるものだが、そういうものはこの豪邸には一切ないようだ。当たり前と言えば当たり前だが、流石にこれは客人には厳しすぎる。どうしようかとアタフタしている時にも、彼女の膀胱はジワジワと限界を迎え始め、徐々に顔も赤らいでいった。早くしないと彼女が大変なことになってしまう。とは言ってもどうする? と悩んでいると、
「ふぅ……あれ? もう起きてたのですか?」
「あっ! うっ……えーっと……ヴィ……ヴァ……」
「ヴァーゴです。フィレンツェ=エクス=ヴァーゴ=ヘルルです。どうかなされました?」
「トッ! トイレはどこですか!?」
「ああ、こっから廊下を左に曲がってすぐです。」
「ありがとうこざいますッ!」
ドラキュラは大急ぎで指さされた方向へ駆け出した。とりあえず朝はしっかり出しておきたいのでその他のUMAたちも彼女の後を追った。
後には緑髪の女性が1人残された。彼女はキョロキョロと辺りを見回し誰もいないことを確認すると、近くにあった大きめの鏡をコンコンと叩いた。
「ねぇ、私。ちょっといい?」
その光景は見るものから言葉を奪うほど驚愕なものだった。
「なに? 私?」
「ちょっと来てよ私。姉ちゃんが朝食の準備してってうるさいんだよ。そこで私、手伝ってよ。」
「面倒だなぁ……ま、いっか。どーせ私は暇だし。私の頼みなら聞くしかないしな。私。」
「ありがとう、私。」
「お構いなく、私。」
彼女はなんと鏡の中の自分と話していた。それにとどまらず、話を終えると鏡の中の彼女はなんと、その中から出てきたのだ。2人となった彼女は話し合いながら姉の元へと向かった。
「あっ、姉ちゃん。おっはよー。」
「うん、おはよう。ってヘルル、あんたまた鏡の中の自分を出したのね……。」
「でも姉ちゃんだって準備のために3人にまで増やしてるじゃん。」
「ふん、せっかくある力だもの。使わなきゃもったいないじゃない。」
食堂にはなんと、姉の姿が3人もいた。計5人の彼女たちはそれぞれで朝食の準備を始めた。これが彼女たちの能力、『無限の残機』と『無限の自分』である。
姉のヴァーゴは文字通り、『無限の残機』を持っている。この力を軽く説明すると、『死ぬけれど残機が無限なので、すぐに復活する』という能力だ。つまり、ゲームなどで一度敵の攻撃を受けて残機が1減るとすれば、いずれは残機が0になりゲームオーバーとなる。だが彼女にはその概念がない。すなわち死にはするけど、『そこで彼女が終了』するわけではない。
妹のヘルルは無限の自分を持っている。これは彼女が鏡の前に立つか、誰かが彼女のことを思っている際に彼女がそれを察知すると、そのものの近くの鏡から彼女が出てくるという能力だ。この力は鏡がなければ発動することはできないし、さらに1枚の鏡につき1人しか出せないという条件がある。(正確にはその者の近くに鏡とそれを映し出すための瞳があることが条件。)だが鏡と鏡を組み合わせて奥行きを作るとそこからならいくらでも自分を出すことができる。ちなみにこの能力の真髄が発揮されるのは2枚以上の鏡を使った『合わせ鏡』のときである。こうすることで彼女は真の『無限の自分』を体現できる。
彼女たちはこの能力を生まれつき持っていた。だがこの力に気づき使えるようになったのはつい最近の話。このことを知っているのは一部の人間と身内だけである。でもなるべく彼女たちはそのことを隠しながら生きてきた。この力を大っぴらにしては自分たちの体がどうなるか知れたものではないからだ。それに今はこの家に住む大切な家族もいる。両親には心配をかけたくないから彼女たちは自分と家族のためにしかこの力を使わないと心に固く誓っている。
「あーっ、私、マヨネーズ取って。それとヘラも。」
「えっ、ちょっと私今、手が離せないんだ私。ヘルルッ、あなたに任せる。」
「私に任せといて。おい私ッ! お前はヘラを取って、私はマヨネーズを取るから。」
「了解私! あっ、それと姉ちゃん。そこにある取り皿並べといて。」
「ちょっとだけ待って。今盛り付けが終わるとこだから……。」
彼女たちの朝は基本的にこうだ。この大豪邸を使いこなすには1人や2人では到底足りない。なのでこうして自分たちの手を増やしているのだ。こっちのほうが家政婦やメイドを雇うよりもずっと心待ちが楽だ。だって自分が指示を出したり受けたりするのは他でもない自分なのだから。
「あっ、足音が聞こえる。そろそろお客さんたちがくるんじゃない?」
「そのようね。ありがとう私。もう戻っていいわよ。」
「そうするわ、私。」
姉の方はそれぞれの自分にお礼を言うと、緑色の長い髪をほんの少しフワッと浮かせた。すると髪と背中の間に少しだけ空気が入り僅かな隙間ができる。
「それじゃいつでも呼んでね、私。」
「ありがと、頼りにしてるわ、私。」
すると2人はその髪と背中の隙間にスルッと入っていった。そしてそこの空間を通して、2人分の残機はどこかへと消えた。
「それじゃあ私もそろそろ行こうかな。」
「そうだね、協力してくれてサンキュー、私。」
すると妹のヘルルの方も鏡の中に飛び込んだ。そして彼女はその鏡の中をくるりと回ると、ただの光の反射が生み出す像となった。
それから間もなく、客人たちが食堂へとやってきた。彼らは私たちが用意した朝食に目を丸くしていた。少し用意しすぎたかな? ま、もし余ったら私と妹たちに食わせよう。もったいないからね。なんて考えていると彼らはオドオドと落ち着かない様子でなかなか席に付かなかった。私はどうぞと手を出しながら彼らを席に案内する。
「どうぞ、私と妹たち……いや、妹と準備しました。どうぞごゆっくりと。私たちにはお構いなく。」
「えっ、いやでも……」
「何かお気に召さないものがございましたか? それともアレルギーの食べ物がございましたか? それならばすぐにお下げいたしますが。」
「えっ、いやその……こんなに食べられるかなって……」
私は目の前に出された朝食に言葉を失っていた。だってこんな食べ物見たこともなかったから。特にこの黒いつぶつぶはなんだ!? なんか私がいた湖に一緒に住んでいたチョウザメの卵みたいだけど。それにこのきらびやかに輝く……なに? なんかすごく美味しそうな何かはなに? もうわけがわからない。ただただ美味しそうではあるが、こんな豪華なものを食べていいのだろうか? なんて軽いパニック状態になっていると、
「それならばご心配はありません。お客様たちが残されても私たちが後々処理しますので。あっ、それともまだお腹が空いていませんでしたか? それは申し訳ございません。よろしければ朝食の時間をずらすこともできますが、いかがなされますか?」
「たっ、食べます! 残さず食べます!」
「えっ、あ……はい。」
「いっ、いただきます!」
私たちは慌てて彼女たちが作った朝食を口の中に入れた。すると口の中の皮膚全てを通して表すことのできない味が脳に伝達された。特に舌は今まで食べていたものが食べられぬようになるほど麻痺してしまった。ただ一言、美味いの一言だけが脳、いや体全身を駆け巡る。口の中でこんなに美味いものを歯で噛むのすら惜しいと思うほどに。かといってそのまま飲み込んでしまうのももったいない。だから噛まずにそのまま舌の上で転がしていると、またその食べ物が持つ美味が口内で暴れる。
ゴクン……
「あっ。」
私はフッとそう呟いてしまった。その食べたものは口の中で転がしているうちに柔らかくなってしまい喉の奥から胃に滑り落ちてしまったのだ。私はなんてもったいないことをしたのだろう。こんなに美味いものをもっと口内で楽しむ前に胃に入れてしまうなんて。しょうがないのでもう1つフォークで取り、口の中へと誘う。
「はぁ……クゥンッ……!」
ついつい喘ぐような声が漏れてしまった。もう一度あの美味いものを口にした快感が味わえることへの喜びと、こんなに美味いものを食べさせてくれる彼女たちへの感謝の意がこうして出てしまったのだ。ヤバイ、ヤバイ、これはヤバイ。このままでは病みつきになってしまう。そうなって仕舞えばもうこれ以外のものは食べられなくなってしまうかもしれない。いや、きっとそうなる。もしそうなってしまったら? 私たちは飢え死にしてしまうかもしれない。まずい、これはまずい。
「ご馳走さまでしたッ!」
私は机をバンッと叩きながら立ち上がるとその快感から逃げるように食堂を後にした。でも心が拒絶しても体はその快感を覚えている。まだ食べ足りない。もっとあの快感が欲しい、と体全身が泣いている。その欲求は私の足をピタリと止めると、強い快感がある方へ足を運ばせた。
「ダッ、ダメッ! そっちはダメェ!」
私は必死に足に言い聞かせたが、これがなかなか止まらない。もはや彼女の意思とは関係なしに体は動いていた。覚えた快感の匂いがする方向へ、その快感を得るために、彼女の体は本能的に動いていた。その役の力は凄まじく、もう誰にも止められることはできないほどだった。だって彼女自身にさえ止められていないのだから。
「ああ……もうダメ……もしまたあれを口にしてしまったら……」
きっと帰ってこられなくなる。一生あの味が忘れられず、もうそれなしではいられなくなってしまう。まるで麻薬中毒者のように。彼女たちの家に一生住み着いてしまう。それはなんとしてでも避けなくてはならない。特にこれといった理由はないが、もしそうなってしまったら怖いと本能が言っている。だが、その本能がその恐怖を還元するものとして、彼女たちが作った朝食を求めているのだ。まさしく負の連鎖。彼女たちよ朝食を止めるために、彼女たちの朝食を取る。とても矛盾しているが、現に心がそうなってしまっているのだ。
ああ、早く引き返さなくては。早くしないと彼女たちが作った朝食が見えてしまう。そうなってしまえば体はたちまちそれに向かって走り出し、二度と止まることはないだろう。せめて、最初の数秒だけは見まいと私はギュッと目をつぶった。
ドンッ!
「ふぇっ……?」
暗闇の中、私の体に何かが当たった。それは素早く私の体を持ち上げると、急ぎ足で私をどこかへ連れ去った。しばらくそれは走っていたが、急にぴたりと立ち止まった。私は恐る恐る目を開けるとそこには、荒い息を立てるモスマンの姿があった。
「どうして……モスマンがいるの?」
「ふぅ……やはりお前もだったのか……アレの味を覚えたのは。」
「えっ、てことはモスマンもッ!?」
どうやら私の読みは的中してしまったようだ。どうやら彼もあの味に快感を覚え、あやうくそれなしでは生きられないようになってしまうところだったようだ。他の仲間はどうなったかと聞くと、どうやらもう手遅れのようで席に座ったまま黙々と彼女たちの朝食を食べているらしい。くそう、どうすれば。どうすれば仲間たちをあの快感と快楽の呪縛から解放できるだろうか? 必死に考えた末に思いついたのは、イスを強引に引っ張って仲間たちを地に落としそのまま抱えてこの客室まで運んでくること。名付けて、『UMA堕落作戦!』
実行は今すぐ!
「行くよ! モスマン!」
「おうッ! ネッシー!」
その掛け声とともに私たちは再び快感と快楽が渦巻く食堂へと足を踏み入れた。
「ん?」
「おっ? モスマンとネッシーじゃん。」
そんなことはつゆ知らず、もむもむと朝食を頬張るドラキュラとツチノコ、そして体を縫い合わせ完全復活したゾンビ。ドラキュラはこれほどの美味は生き血と同じくらいと思っておらず、ツチノコはこの程度の美味で己の欲を抑えられぬほど生ぬるくはなかった。もっぱらゾンビの舌が味など感じられるわけがなく、ただ柔らかい食感を楽しむだけだった。ゆえに彼女らの意識にそんな呪縛があるはずもなく、
「これには……何かあるわね。隠し味に何を使っているの?」
「はい、この料理には実は料理酒を隠し味として入れています。」
「そう……どうりで一味違うのね……」
ドラキュラは舌の上に料理を乗せただけで中に隠し味が入っていることを見抜いた。もともと彼女だって日本に来る前はこの双子に負けないくらいの豪邸を持っていた。そこには沢山の召使いがいたし、食事だって生き血以外も食べていた。だからこのくらいの料理、一度は食べたことがある。味だって昨日のことのように鮮明に思い出せる。どうやら彼女たちとは気が合いそうだな。つい昨日出会ったあのキチガイ女と比べればずっといい方だ。いや、あんな女とは比べものにならない。まさに人ができている。こんなに優しい人間いつぶりだろう。なんて思いを巡らせていると、その時間を遮るようにおバカ2人が私の座っているイスの足を引っ張ろうとした。私はフゥとため息をつくと腰掛けているイスからそっと腰を持ち上げた。
「アッラー!?」
「おバカをするならどっか行ってちょうだい。」
私はネッシーをそっと起こすともう一度イスに腰掛けた。せっかくいい気分で朝食を食べていたのに台無しだな。なんて思いながら私はキャビアが乗ったパンを食べた。
もう少しだけ彼女たちの大豪邸編は続くよ。




