7話目:王子と副長
鳥のさえずりが耳に心地良い朝、まだ露の残る庭で食事をしている二人の姿。正確にはテーブルに着いているのはひとりで、もうひとりは背筋を伸ばし直立不動で向かい合っていた。
「ねえねえ、式はどっちで挙げようか? 僕はユニフィスで挙げても構わないよ」
紅茶に薔薇のジャムをたっぷり入れながら楽しそうに話す青年。無邪気に笑う様子はまるで子供のようだが、これでも二十を越える年齢である。
彼の名前はノエル。ラゼリアという国の第二王子だ。
「あ、あ、ラクチェアはドレス何色がいい? 最近は白じゃないドレスも流行ってるんだって」
ラクチェアと呼ばれた少女は先程から浮かない顔のまま立っている。後ろで組んだ手をもぞもぞ動かし、落ち着かない。
「指輪どうしようかなー。どんな細工にしよう。ラクチェアは……」
「あああああのっ」
うきうきと満面の笑みで喋っていた王子の言葉を遮り、ラクチェアは緊張に震える声を出した。
キョトンとする王子。そのあどけない表情に胸がちくりと痛む。
それでもラクチェアはずっと言いたかった事を王子へとぶつけた。
「わっ、私……結婚なんてしませんよ? 王子とは」
一瞬、すべてが沈黙した。鳥の声さえ止んでいる。
壮絶な気まずさの中、耐え切れずラクチェアが逃げ出してしまおうと決めかけた時、王子がガタガタと音を立てて椅子から腰を上げた。
「えっ、ちょっ……な、何で!? わぶっ!」
テーブルの足に引っ掛かり、盛大に顔から地面に倒れ込む王子。
ラクチェアが駆け寄るよりも早く上体を起こすと、真っ青になって見上げた。
「や、やっぱり頼りないから?」
「ちちち違います! あ、あの、だって……私は平民です。王子と結婚なんて出来るわけないです。お立場をよく理解なさってください……」
段々小さく弱くなっていく声。ノエルを傷付けているのだと思うと胸が痛む。
彼を騙していた事実を、あっさり許してくれた。あまつさえ、そんなラクチェアを好きだと言ってくれた。
ノエルの気持ちは嬉しかったが、ここで頷くわけにはいかない。彼は王族なのだ。
(それに……王子の事、男性として好きなわけじゃないもの)
王子の人柄に好意は抱いているものの、それが恋なのかと聞かれれば首を傾げてしまう。
「立場とか身分てそんなに大事?」
「あ、当たり前です! 王子、ご自分が王族である事を軽んじたらいけませんよ」
諭され唇を尖らせるノエルに、ラクチェアはうなだれた。正論を主張しているはずなのに、沸き上がるこの罪悪感はなんだというのだろうか。
その日の朝食を王子は半分も食べられず、それは余計にラクチェアの罪悪感を増大させた。
*****
街を囲む森のそばに、守護隊の隊舎がある。隊に所属する者はおよそ五十人。そのほとんどが男性であり、ラクチェアのような女性隊士は片手の指で数えられる程度だ。
鍛練場で各々訓練用の剣を振るう隊士達の横を、ラクチェアが通り過ぎていく。
「リオラ、脇が空いている。ディスは剣先がぶれ過ぎだ。……マルティオ! 剣に遊ばれるな!」
ひとりひとりの動きに目を配り、的確に指摘する。口答えする者も、不満そうにする者もいない。
巡回に出ていた隊士達が戻ると、ラクチェアは集合の号令をかけた。
「休憩の後、八班と九班は巡回に出てください。十班は午後からレグル神官がサルエルに出向かれるという事なので同行してください。詳細はレグル神官からご説明なさるとの事です」
テキパキと指示を出していくラクチェアの視界に、柔らかなクリーム色が入り込む。
「!?」
急に指示が途絶え、隊士達は不思議そうにラクチェアを見、次いで彼女の視線の先を見る。
そこに立っていた人物を認識すると、ほとんどの隊士がギョッとしたように目を見開いた。
「お……っ、王子! こんな所で何をなさってるんですか!」
ひらひらとのんきに手を振るノエル王子は、その言葉にキョトンとした。
「見学だけど……」
「そ……そういう事じゃなくて……」
眉を寄せたラクチェアの様子に、ノエルは叱られた子供のように小さくなる。
「ごめん、迷惑だった?」
別段迷惑をかけられたわけでも、迷惑になるわけでもない。ただノエルがこの場に居るという事が、王族である彼には相応しくないとラクチェアが勝手に思っているだけだ。
「……いえ、迷惑では、ないです。でも……危ないですよ? 訓練用とはいえ剣も使いますし」
迷惑ではないと聞き、ノエルの顔に安堵の表情が浮かぶ。心配するラクチェアをよそに、無邪気な笑顔で応えてみせた。
「大丈夫。それで怪我しても自己責任だから」
「怪我をする事前提はやめてください! ……わ、私がお守りします。私のそばにいてください」
「やったー」
「何で喜ぶんですか!」
そんなやり取りを交わす二人を見つめる多数の瞳。ハッと我に返ったラクチェアが振り向いた途端、わざとらしく隊士達は顔を背けた。
「……えーと……そういうわけなので、ノエル王子が見学されていきます。くれぐれもお怪我をさせないように」
全員が揃って返事をしたが、笑いを堪えているのがバレバレだった。ラクチェアがこんな風に困った顔をするのは、滅多に見られない。
「頑張って! ラクチェア!」
「何をですか!」
二人の掛け合いを隊士達がほほえましく見守る中、ひとり険しい顔でノエルを見つめる少年がいた。少しクセのある髪をかきあげ、苛立ちを隠し切れずに舌打ちをする。
そんな少年の様子には誰も気付かず、ただラクチェアとノエルがじゃれ合うのを楽しんでいた。