6話目:襲撃、終劇、
城下街の中心に建てられた時計塔は、民家ひとつ半くらいの高さで頂上に時報用の鐘が設置されている。午後一番の鐘が遠くまでその音色を響かせた少し後に、ラクチェア達は塔内の石階段を上り始めた。
ラゼリア国からの訪問者としてノエル王子はユニフィス国の民に姿を見せ、挨拶をする。公の場に出る事に慣れているのか、王子は最初に会った時のような優雅で気品に満ちた雰囲気に切り替わっていた。心なしか凛として見える。
(さすがだわ)
バルコニーの周辺に、守護隊の隊士が何人か立っていた。ベールをかぶっているとはいえ、万が一バレた時の事を考えるとラクチェアはドキドキしっぱなしだった。
「ユニフィス国内でもしも王子の身に何かあれば、婚約取り消し。だけならまだしも、下手をすればラゼリア国を敵に回す事になりかねませんから。警護は必要なんですよ」
フォルスに小声で耳打ちされ、ラクチェアは頷く。他国との外交を快く思わない者もいると聞く。由緒あるユニフィス国の文化に余所からの影響を取り入れたくはないらしい。それも愛国心なのだろうが……。
守護隊としての癖が出た。神経を尖らせ、常に周辺に視線を巡らせる。
(入口に四人。バルコニーには二人。時計塔の周りにも何人か配置しているのね。……あっ、あくび!? あれは……アレシスね。後で叱っておかなきゃ)
「姫。キョロキョロしないでください」
それは姫としての行動ではないだろうとフォルスに釘を刺され、ラクチェアは小さく首を竦めた。
王子がバルコニーに立ち、拍手と歓声が聞こえラクチェアは慌ててそちらに意識を向ける。
(あれ?)
キラリと何かが光る。太陽が何かに反射しているのか、顔に光が当たった。眩しさに目を細め、原因を探る。
前方やや左側に植えられている木が目に留まる。葉が生い茂るその中に、チカチカと銀色の光を放つ何かを見つけた。
風が吹き、葉が揺れる。
(弓矢!?)
一瞬だが、枝に乗り弓を引き絞っている男の姿が見えた。狙いは恐らく。
(王子!!)
誰かに声をかけ説明している間に、きっと矢は王子へと放たれる。そう思った瞬間、ラクチェアはそばに立っていた隊士の腰から剣を抜き飛び出していた。
同時に銀色の矢が真っ直ぐに空を駆ける。何かを考えているヒマなどなかった。王子の前に体を滑り込ませ、剣を上から下へと振り下ろす。
割れるような音が聞こえ、半分に斬られた矢が足元に落ちた。
「ひ、姫?」
王子の驚いた声が背後で聞こえる。
狙撃が失敗したと悟った男は木から降り、西の森へ逃げていく。隊士達は何が起こったのかまだ理解できないでいるのか、ざわざわと騒ぐだけで動けない。
ラクチェアは腹を括った。
「馬鹿者!! 西へ逃げた! 森だ! さっさと行け!!」
そう叫び、ドレスの裾を思い切り持ち上げる。後でフォルスには怒られるだろう。怒られるだけならまだいい。何が待っているのか想像も出来ない。
「姫!」
王子の呼び声に、ラクチェアは一瞬動きを止める。もうごまかせない。きっと軽蔑されるだろう。
ベールを剥ぎ取り、後ろを振り返る事なくバルコニーの手摺りに飛び乗った。
(王子を狙った人間を、絶対に逃がしたりしない)
手摺りを蹴り、体を地面へと落とす。石畳にぶつかる瞬間膝を曲げ、足への衝撃を緩和した。間髪入れず西の森へ駆け出す。剣を右手に握りしめて。
*****
追い掛ける隊士達に四方八方から囲まれ、男は逃げ場を失いつつあった。なんとか振り切ろうと必死に辺りを見回す。
視界の悪い木々の中で、活路を見出だそうと目を血眼にして自分を助ける何かを探していた。
草の揺れる音が聞こえ、怯える男は息を飲む。
「……見つけた……」
伸びきった草の合間から現れたのはラクチェア。整えてもらった髪を振り乱し、上質な絹のドレスは膝の辺りで引きちぎられ、剥き出しの顔や手足は細かい傷だらけだった。
その様子に男は気圧され後ずさる。が、相手が女という事ですぐに我に還り、懐からナイフを取り出した。
「抵抗……するの……する気なの……」
男が飛び掛かる。ラクチェアは恐れる事なく、男のナイフを剣で受け止めた。そのまま脇へと受け流す。
「……っ、よくも王子の事狙ってくれたわね!? 絶対絶対許さないから!!」
涙目になりながら、ラクチェアは素早い剣さばきでナイフを弾き、柄で男の顔を殴った。倒れた男に馬乗りになり、胸倉を掴む。
「あんたのっ、あんたのせいでバレちゃったじゃない! 王子にバレちゃったじゃない! 嘘ついてた事知られたくなかったのに……どうしてくれるのよ、馬鹿!!」
半ば八つ当たりだ。追い付いた隊士が、慌ててラクチェアを引き離す。男の手首に縄をかけ、連行するように別の隊士に指示を出した。
ラクチェアは涙が溢れるままに頬を濡らし、ドレス姿にツッこもうとした隊士達を片っ端から睨み付けて城下街へと戻っていく。
なんて言って王子に謝ろうか、それだけを考えながら重い足を前へ動かした。
*****
森から抜け出し街の入口まで戻ってくると、門の前に人が何人か立っているのが見えた。
(う……)
フォルスとメイダ、隊士が三人とカテリーナ。それからノエル王子。
気休め程度に前髪を手で整え、彼等の元へと歩みを進める。
「……捕まえました。隊舎で事情聴取をさせます」
これはフォルスへの報告。けれど本当に言いたい事はこんな事じゃない。
目の前の王子の顔をまともに見られず、俯いたまま唇を噛み締める。止まったはずの涙がまたじわりと滲んだ。
「あのね、フォルス殿から聞いたよ。色々」
フォルスの方をちらりと見たが、彼は無表情で何も読み取れない。怒っているのは間違いないだろう。
「君の本当の名前は?」
王子は、怒っていない。今までと変わらず優しく声を掛けてくれる。彼を騙した自分にまで優しい。
ラクチェアは目尻を拭い、顔を上げた。
「守護隊副長、ラクチェア・フォールズです! 騙していた事、申し訳ありませんでした!」
姿勢を正し、頭を下げる。絶対に泣くまいと、強く強く唇を噛んだ。
知らず震えていた肩に、そっと手が置かれる。
「ラクチェア。……それが君の名前」
初めて王子の声で名前を呼ばれる。こんな状況なのに、それを嬉しいと思ってしまう自分が嫌だった。
「ラクチェア。顔を上げて」
言われた通り、ゆっくりと顔を上げる。チェリークォーツの瞳と視線がぶつかり、ラクチェアの胸が鋭く痛んだ。
王子は笑顔のままで、ラクチェアの手をとる。
「ありがとう、僕の事守ってくれて」
「わ……私なんかに、お礼を言わないでください。私、私は、王子の事をずっと騙して……」
「言ってくれた事も全部嘘?」
「ちが、違います!」
強く、首を横に振る。結婚を承諾した言葉以外は、全部本物。本当の気持ちだった。姫のフリをしながら、自分の気持ちを伝えていた。
王子が、嬉しそうに目を細める。
「……うん。そっか。だったら変わらないよ」
「……はい?」
言われた事の意味がわからず、首を傾げる。メイダも首を傾け、フォルスは何かに気付いたように驚きの表情を浮かべた。カテリーナに至ってはにやけそうになるのを隠そうとしているが全然隠せていなかった。
ラクチェアの手を両手で握ったまま、王子は満面の笑みで頬を上気させる。
「君だから好きになったんだよ。ラクチェア、僕と結婚してください」
「はい……はい!?」
頷きかけて頭を止める。そこにいた人間のほとんどが唖然としていた。
「え……あの、え? お、王子、何をおっしゃって」
「結婚してください!」
もう一度大きく叫び、ラクチェアの体を抱きしめる。王子の肩越しに見えた隊士達の顔は、今すぐにでも皆に伝えたいという表情をしていた。
「ちょ、ちょっと待っ……えええ!?」
困惑した顔で開いた口が塞がらないフォルス。のんきに拍手をしているメイダ。拳を握り親指を立ててウインクをしているカテリーナ。
耳をくすぐる笑い声と、全身で感じる体温。夢のようで、幻みたいで。けれど紛れも無い現実。
「う、嘘……」
「嘘じゃないよ」
終わりだと思っていた。終わるのだと思っていた。でもそうじゃない。王子の手が、繋ぎ止めた。
(嘘みたい)
どうやらまだまだ終わりそうにないらしい。涙が溢れそうになるのをごまかす為に、ラクチェアはそっと目を閉じた。