31話目:決意の姫君
空が茜色に染まる頃、ひとり訓練場で剣を振るっていたラクチェアの元に歩み寄る人影があった。その人影の正体を認識すると、ラクチェアの手から剣がこぼれ落ちる。
久しく見ていなかった恩人の笑顔が、そこにあった。
「隊長!!」
守護隊の制服に身を包んだエディル。以前よりも少し痩せ、顔色も芳しくない。
「裁決は……」
「ああ、死刑は免れた。進言してくれたそうだな。……ありがとう」
ノエルの発言は思いの外神官達に慎重な決断を要求する結果となった。会議は朝から昼まで続き、詳細を知らされないままラクチェアはずっと隊舎で待機していたのだ。
「ノエル王子もお口添えしてくださったんです」
「ノエル……ラゼリアの第二王子か。彼が……」
ノエルの名を聞いたエディルがふいに表情を曇らせる。
「隊長? どうかしました?」
「いや、……殿下にも礼を言わねばなるまいな」
ラクチェアがエディルの態度を不審に思う前に、エディルは訓練用の剣を取った。それを構え、ラクチェアへと向ける。
「久しぶりに付き合ってもらえるか?」
「……っ、はい!」
*****
夕焼けに照らされた部屋の中で、セレネディアは椅子に腰掛け俯いていた。息をしているのかどうかさえ危ういくらいに静かなその様子に、女官達が戸惑う。
神官が入れ代わり立ち代わり訪れては城を出ていた間の事を聞き出そうとしたが、セレネディアの唇は一切開かれる事なく皆収穫を得られないまま部屋を後にした。エディルも詳しい事を話そうとせず、真相は未だ闇の中。
コンコンと幾度めかのノックの音が聞こえ、女官が扉へと向かう。次はどの神官だろうと扉を開けた彼女は、次の瞬間慌てて床に膝をついた。
「あ、あの、そんなにかしこまらないで。普通にしていて」
緊張感も無く扉をくぐり部屋の中へと足を踏み入れたのはノエル。突然の訪問に女官達が互いに顔を見合わせた。
「フォルス殿には許可をいただいてきましたから、大丈夫。……少し二人にさせてもらえるとありがたいんですが……」
「で、ですが……」
「良い。あなたがたは下がりなさい」
今までずっと押し黙っていたセレネディアが、初めて口を開いた。椅子から立ち上がり、ノエルへと近付く。
女官達は困惑しながらも一礼して退室を始めた。最後に残った女官長だけが厳しい表情のままセレネディアを見つめる。
「下がりなさいと言ったはずですが」
「……はい。ですが私は部屋の外で待機しておりますので、何かありましたらお呼びください」
「……わかったわ」
女官長も退室し、扉が閉じられる。
しばらく無言が続いた後、セレネディアが先に動いた。ドレスを摘み、緩やかに頭を下げる。
「初めまして、ノエル殿下。セレネディアと申します」
無表情のまま、何も映していない虚ろな瞳で挨拶をする。ノエルもそれに応え、軽く礼をした。
「初めまして、セレネディア姫。……お加減はいかがですか?」
「悪くありません。どうぞ、お座りになってください」
椅子をすすめられ、ノエルは腰を下ろす。それを確認した後、セレネディアも椅子に腰掛けた。
「口を割らせるように、神官達から泣き付かれましたか?」
「いえ、姫が今までの事をお話になられないのはフォルス殿から聞きましたが……私では力不足でしょう」
「では何故こちらに?」
硝子玉のようだったセレネディアの瞳に、光が灯る。ノエルがこの部屋に訪れた理由を探り、疑うような眼差し。それは闇に溶ける暗い光だった。
「少しお話してみたくて。それに、告げておかなければいけない事もありますし」
「……ラクチェア・フォールズの事ですか?」
「もうお耳に?」
「私が不在の間、何があったのかはすべてフォルスから聞きました。ラクチェアが私の代わりに殿下との見合いを行った事、それを経て殿下がラクチェア自身に求婚なされた事も」
セレネディアの瞳が揺れる。不安、緊張、覚悟。それらが混ざり合ったような空気を、ノエルは感じ取った。セレネディアは何かを胸に秘めている。
「殿下」
「……なんでしょう?」
「私と結婚していただけませんか」
ノエルの笑顔が固まる。何か言われる事は予想していたが、この展開は想定外だ。なにしろ先に結婚を拒絶したのはセレネディアの方なのだから。
しかし冗談とも思えない真剣な目と声が、彼女の決意の程を物語っている。
「何を今更、と思っていらっしゃるでしょうね」
「いえ……」
「結婚していただけるのであれば、東の領地はラゼリアにお任せ致しましょう」
「!」
ユニフィスの東には肥沃な土地が広がっており、作物がよく育つ。対してラゼリアの土地は土が固く、気温も低い。作物を育てるには環境的に厳しく、主に他国からの輸入に頼っているのが現状である。
東の領地が手に入ると聞けば、ラゼリア王は恐らくセレネディアとの結婚を承諾するだろう。見合いから逃げた事の無礼よりも、目先の利を優先する性格である事は、ノエルがよく知っている。
「……お受けしていただけますよね?」
その問いに、ノエルは答える事が出来なかった。




