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姫君への軌跡  作者: 瀬川メル
1章
3/60

3話目:本当の自分と嘘の自分

 任務として姫の警護を勤めた事は多々ある。周辺の見回りも当然行ってきた。そのおかげで、案内をするには困らない。

 中庭の片隅に薔薇園があり、まずはそこを観賞してもらおうと足を運んだ。


「凄い……よく手入れされているみたいですね。葉も健康そうで」


 喜んでもらえた事にホッとして、ラクチェアは胸を撫で下ろした。


(男性でもお花を見て楽しめるのね。それともこれが王族の教養というものなのかな……)


 守護隊の男性隊士の中には恐らく花を楽しめる者などいないだろう。根本が違うのかとひとりで納得して頷いた。

 頷いた瞬間、王子の姿が視界から忽然と消えた。


(え!?)


 驚いてキョロキョロ辺りを見回すと、足元に俯せた王子の姿を発見した。両腕を前方に投げ出し、まるで子供が転んだかのような光景に、ラクチェアはポカンと口を開ける。


(……あ、え、えっと)


 ゆっくり上体を起こす王子のそばへしゃがみ込み、服に付いた土を払いながら起き上がるのを手伝う。顔も土で汚れているのを見て、ドレスの袖でそっと拭いてやった。

 先程まで上品に振る舞っていたノエル王子は頬を赤く染め、ラクチェアから目線を外す。


「すっ、すみません! あの、ちょっと、えーと、うっかり転んでしまって……!」


 しどろもどろに詫びる王子に、紙を一枚差し出す。


『大丈夫ですか?』


 その文字を見て王子はますます顔を赤くした。勢いよく立ち上がり、何事もなかったかのように再び歩き出す。


「大丈夫ですよ。今のは本当にうっかり……うわっ!」


 二度目の転倒。今度は薔薇の密集している所に頭から倒れ込んだ。

 慌てて駆け寄り、肩を引っ張って助け出す。端正な顔に棘で出来た傷が刻まれていた。


(ひっ……)


 青ざめるラクチェアとは対照的に、薔薇の花にも劣らないくらい真っ赤になっていくノエル王子。俯く頬に血が滲んでいた。

 今度はハンカチを取り出し、ラクチェアの手が王子の頬へと伸びる。さらりと指にかかった髪の柔らかさに、心臓が跳ねた。


「……みっともない」


 小さく呟かれた言葉に、ラクチェアは首を傾げる。髪に遮られ、王子の表情を窺う事は出来ない。


「いつも、いつもこうなんです。よく転ぶし壁や柱にはぶつかるし、いつもそう……今回はちゃんとしようと思っていたのに……」


 パッと顔を上げ弱々しい笑顔をラクチェアに見せる。


「すみません。……お嫌でしょう、こんな情けなくて頼りない男は」


 セレネディア姫ならなんと返したのだろう。見合いを台無しにするような返事はしないだろう。迷わず「そんな事はない」と答えるはずだ。

 それだけでいいはずだ。


「……姫?」


 気が付いた時には手が動いていた。乱れたクリーム色の髪を、指で梳くように撫でる。


(ど、わっ! あれ? 私何やって……)


 不思議そうに見上げる王子と視線がぶつかり、慌てて体を離した。

 焦って上手く動かせない手で紙にペンを走らせる。文字は震えてガタガタだ。


『大丈夫です』


 何が大丈夫なのか自分でもわからなかったが、それを見た王子は頬を染めたまま微笑んだ。今まで見ていた気品に満ちた表情ではない。無邪気で純粋な、ただの男の子の顔だった。


*****


 数日滞在する事になった王子は、ラクチェアに対して素の自分を出すようになった。本当はのんびり屋で、のほほんとした性格。

 朝食に出されたパンに苺のジャムを塗りたくり、満面の笑みで頬張っていた。


(弟がいたら、こんな感じ?)


 ラクチェアも向かいに座り、紅茶を喉に流し込む。一緒に朝食を摂りたいという王子の希望に添った結果だ。

 今朝は気持ちがいいくらい晴れたので屋外にテーブルと椅子をセットしてもらい、爽やかな風にあたりながら食事をしていた。


「喉はまだ痛む?」


 心配そうに聞いてくる王子に、ラクチェアは内心冷や汗をかく。絶対に喋るわけにはいかない。こくこくと頷き、そばに置いておいた紙にペン先を滑らせる。


『ごめんなさい』

「あっ、いや、こっちこそ……。早く治るといいね」


 ふわりと笑うその顔は穏やかで、ラクチェアもつられて笑顔をこぼす。


(優しい)


 あたたかくて染み込むような優しさは、普段交流している人々にはないものだ。きっとこれがノエル王子の魅力なのだろう。

 エディルとは違う。強くも男らしくもない、けれど一緒にいると安心できる。


(て、いうか! なに隊長と比べてるんだろ。比べる必要なんてないでしょ、私のバカ)


 何故か顔が熱くなる。冷めかけた紅茶を一気に飲み干し、小さく息を吐いた。


「早速仲良くなられたんですねえ! いや、一安心です。やっぱりお二人だけにしたのが効きました?」


 王子の付き人である女性がカップ片手に近付いてきた。歩く度に揺れるポニーテールはさらさらと流れるように彼女の肩や背中を伝う。強気な瞳は快活さを強調していた。

 王子の隣に立ち、カップをぐいと傾ける。


「行儀悪いよ、カテリーナ」

「これくらいは大目に見てくださいよ。徹夜で書類片付けてコーヒーでも飲まないとやってらんないんです」


 昨日と違い、随分砕けた敬語になっていた。こちらが本来の姿なのかもしれない。

 王子が気にしない所を見ると、普段からこうなのだろう。


「それは関係ないでしょ。飲むなら座って飲む。それよりも部屋に戻って寝た方がいいと思うけど」

「あははぁ、私はお邪魔というわけですね。随分親密になられたようで。いやあ私のおかげかなあ」


 にやにやしながら言われ、ラクチェアと王子は同時に顔を真っ赤にした。姫の代役なのだとわかっていても、恥ずかしさは拭えない。

 ベールがあって良かったと、心底思った。


「もういいから部屋に戻りなさい!」

「そんな照れなくても。じゃあお昼くらいまで寝る事にしまーす」


 茶化すように笑い、カテリーナはふらふらと来た道を戻っていく。


「あ」


 戻ろうとして、ふいにぴたりと足を止めた。振り返り向けられた視線はラクチェアへ。


「姫、そういえばフォルス殿が探していましたよ」


 それだけ言うとまたふらふらと歩き出して行ってしまった。

 ラクチェアは言われた言葉に慌てて立ち上がる。何か失敗をしてしまったのかと不安が背中を駆け登り、一気に顔が真っ青になった。


「姫、僕の事は気にしないで……行ってきて」


 王子の厚意に頭を下げ、ラクチェアは早足で城内へと急いだ。


*****


 執務室の中でベールを剥ぎ取り、ラクチェアは姿勢を崩す。


「はー……」

「朝からそんな調子で保つんですか?」

「大丈夫です。それより何かご用でしたか? カテリーナさんからフォルス様が私を探していたと聞いたんですけど」


 恒例の嫌味に頬を膨らませつつ、本棚を整理しているフォルスに尋ねる。


「順調ですか?」

「へ? あ、ああ、えーと……多分順調です。仲良くなれている気がします」


 主語も無しに質問され返され一瞬目が点になるが、すぐに王子との事だと悟った。しくじれば国の未来にかかわる。気にならないわけがないのだ。


「……でも」


 ただひとつの気掛かり。その気掛かりを意識する度に、ラクチェアは心が重くなるのを感じていた。


「王子を騙すのは……ちょっと、嫌です」


 小さく呟いたラクチェアに、フォルスは動かしていた手を止める。

 無責任だと責められるだろうか。それでも、出来る事なら王子に嘘をつきたくないと思う気持ちは変わらない。


「……エディルが姫を連れ出さなければ、こんな事をしなくても良かったんですけどね」


 嫌味のような、慰めのような言葉。まさかそんな風に言われるとは思っていなかったラクチェアは、驚いたようにフォルスを見つめる。

 相変わらず無愛想な表情の奥にある真実は、手が届きそうでまだ遠い。


「……隊長、どうして姫を連れていってしまったんでしょう……」


 バサッと本が床に落ちた。珍しく表情を崩し、信じられないものを見るような眼差しで上級神官はラクチェアを見る。


「え? そこから? そこからですか?」

「な、何がですか? 何でそんな目で見るんですか」

「鈍いのもここまで来ると国宝級ですね」


 ため息をつかれ鼻で笑われ、ラクチェアは眉を寄せる。

 フォルスは落とした本を拾い、そんなラクチェアの頭にコツンとぶつけた。


「駆け落ちでしょう、多分」

「か……」

「ノエル王子との見合いは前から決まっていた事ですし、直前にいなくなったとなれば駆け落ちぐらいしか」

「駆け落ち!?」


 机でゆっくり舟を漕ぎ始めていたメイダがびくりと体を震わせる。


「大声を出さないでください! 誰かに聞かれたらどうするんですか!」

「う、あっ、すすすすみません」


 謝りながら頬に手を当て、頭の中で言葉を反芻する。駆け落ちとは一般的に、認められない恋を貫こうとする二人が行うものであり、つまり要するにエディルと姫が恋仲だったという事になる。

 恋仲。互いに互いを好いていたと。そのために国を捨ててまで二人は消えた。

 その事実が真実かもしれないと認識した瞬間、ラクチェアは何かがこぼれ落ちる音を聞いた気がした。


「ラクチェア?」

「……私、戻りますね……」


 力無くベールをかぶり、俯いたまま執務室を出ていく。その背中に掛ける言葉が見つからず、フォルスは黙って見送るしかなかった。


「……ラクチェア大丈夫かな?」

「さあ。……ボロを出されては困るんですけどね」

「素直に心配だって言えばいいのに」


 咳ばらいをひとつ。完璧に揃えるのが得意なはずの彼が片した本棚の本は、一冊だけ逆さまに入れられていた。

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