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姫君への軌跡  作者: 瀬川メル
3章
11/60

11話目:思いを馳せる

「そろそろ寂しくなってきたんじゃないですか?」


 書類の整理をしていた眼鏡の神官が唐突にそんな事を言った。


「は、はい? ななな何の事ですか?」

「薔薇園。さっきからずっと見ているのは何故でしょうね?」


 執務室の窓からは薔薇園が見える。無意識の内にそれを眺めていた事を指摘され、ラクチェアは顔を真っ赤にした。


「それはっ、その……綺麗だなって!」

「貴方に花を愛でるような感性があったとは驚きですね」

「どういう意味ですか」


 相も変わらずずばずば歯に衣被せぬフォルスの物言いに、ラクチェアの頬がひきつる。涼しい顔をして書類の束を運ぶその背中に向かい、軽く舌を出した。

 とは言え、フォルスの言った事は的を射ていた。ノエルがラゼリア国に帰ってからひと月。今頃どうしているのか、次に会えるのはいつだろうかなどとぼんやり考えてしまったのは、薔薇園が目に入ったからだ。

 薔薇や紅茶を見る度にノエルの事を思い出す。月明かりが照らす夜は、彼の体温さえ鮮明に。


「結婚してしまっても良かったのに」

「は!?」


 フォルスの口からこぼれ落ちた言葉に、ラクチェアは耳を疑う。


「ななな何を……っ! そんな事出来るわけがないです! フォルス様がそんな事おっしゃるなんて……」

「姫が最悪見つからない時の事を考えると、いっそ貴方でもいいからラゼリアとの繋がりを持たなければと」

「ものすごく打算的じゃないですか」

「貴方だって、満更でもないくせに」


 見透かすようにレンズの向こうから鋭い視線が飛んでくる。


「な、な、な……! ちが、違います! 私はあくまで人として王子に好意を持っているだけです! 絶対絶対違います! れ、恋愛の対象にとか……有り得ませんっ!」


 手にしていた報告用の書類を思い切り握りしめぐしゃぐしゃにする。それをそのまま机の上に叩きつけると、ラクチェアは逃げるように扉へと急いだ。


「変な事言わないでください! フォルス様の馬鹿ー!」

「馬鹿って……」


 フォルスが怒る前に扉は音を立てて閉められた。少し間を置いてから再びカチャリと開かれる。

 笑いながら入ってきたのはメイダだった。


「ラクチェアいじめたの? 顔真っ赤にして走っていったけど」

「人聞きの悪い」

「またまた。彼女をいじめるの好きなくせに」


 先程までラクチェアを追い詰めていたフォルスが、今はメイダに追い詰められている。


「……馬鹿正直に反応が返ってくるのが新鮮で。神官達は腹の探り合いが仕事みたいなものですからね。特に貴方は読みづらい」

「他人事みたいに言わないの。……っと、これ報告書? ふーん、なんだか世の中物騒だね」


 ラクチェアが置いていったしわくちゃの報告書を手にし、メイダは目を滑らせる。


「厄介な事にならなきゃいいけど」


 ため息混じりに呟いたが、残念な事にこういった彼の言葉はたいてい現実になる。嫌な予感に頭痛さえ感じ始め、フォルスは額を手の平で押さえた。


*****


(別に……っ、別に別に別にそんなんじゃないもの! おかしくないわよね? 友人なら! 友人なら!)


 早足で隊舎への道を進んでいく。頭の中は先程フォルスから言われた言葉でいっぱいになっていて、他の事が入ってこない。


(会いたいって思うのは、友人だからだもの……)


 他意は無いと繰り返し心の中で呟く。繰り返し、繰り返し。


「副長!」

「きゃー!!」


 急に飛び出してきた人影に、ラクチェアは思わず悲鳴をあげる。そんな様子に相手も驚き、目を丸くして固まっていた。


「と、トビアス……びっくりさせないでよ……」

「すみません。何度も呼んだんですけど」

「そ、そう? 考え事してたから……」


 ノエルの事を考えていたなどと正直に言えば、からかわれるに違いない。からかわれるだけならまだしも、あることないこと脚色されて隊士達に噂でもされたら堪らない。

 その点でトビアスは果てしなく信用がなかった。


「それで? 何か用?」

「……副長、なんかごまかそうとしてません?」

「な……っ、何をごまかすって言うのよ! いいからさっさと用件を言う!」


 探るようなトビアスの視線を徹底無視。表情を引き締め、動揺を隠そうとする。


「ふーん……まあいいや。えっと、例の強盗団の被害に遭ったって人がまた」

「また!?」


 少し前から、ユニフィス付近の林道で強盗団に襲われたという通報が続いていた。十数人で行動しているらしく、一気に囲まれてしまえばむやみに抵抗は出来ない。

 主に馬車の積み荷などを狙って襲撃をしてくるが、つい先日には女子供も連れ去ったという情報が入った。


「こまめに拠点を変えられるから足取りが掴みづらいですね。被害は増える一方……どうします?」

「……」


 ただのならず者集団だと思い甘く見ていたが、存外に慎重で狡猾だ。隊士達総出で捜索したとしても、恐らく捕まらないだろう。


「もういっそ私が囮になって捕まっちゃえば早いわよね」

「副長……無茶ばっかり言いますよね」


 一度隊舎に戻り、作戦会議でも開こうかと思った瞬間、見覚えのあるオレンジ色の髪が見えた。


「カテリーナさん!?」

「え? あ、ノエル王子の付き人さん……」


 最初は彼女の姿がここにある事に驚いていた二人だったが、段々様子がおかしいと気付き始めた。

 苦しそうに息を切らせて走ってくる。その足は時折縺れ、何度もカテリーナの体が傾いた。


「は、ふぁっ、あ、らく、ちぇ、さ……っ」


 駆け寄ったラクチェアにしがみつくように倒れ込み、カテリーナは言葉と息を同時に吐く。


「大丈夫ですか? 焦らないで、息を吸って……吐いて……」


 深呼吸を繰り返し、カテリーナは少し落ち着いた。がっしりとラクチェアの腕を掴み、泣きそうな顔で叫ぶ。


「王子っ、王子、攫われてしまったの! 助けて! 助けて!」


 ノエルの笑顔と強盗団の文字が脳裏をよぎり、ラクチェアは血の気が引いていくのを感じた。

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