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姫君への軌跡  作者: 瀬川メル
2章
10/60

10話目:恋の宣戦布告

 トビアスに背中を支えられながら、カミルは月が照らす道を帰っていく。最後まで謝り続けた彼の目は後悔の色に染まっていて、ラクチェアはそれだけが心配だった。


「……あんまり思い詰めなきゃいいけど……」

「うん……あのね、ラクチェア?」


 見送る為に外に出ていたラクチェアの隣にはノエル。みっともない所を見られたと、今頃恥ずかしくなってきて目を合わせられないでいた。

 振り向きもせず、ラクチェアは小さく返事をした。


「な……何でしょう?」

「夜に! 男の人を部屋に入れるなんて何考えてるの!」


 怒ったような声……いや、確実に怒っているノエルの様子に、ラクチェアは驚き思わず振り返ってしまう。声だけではない。眉を吊り上げ唇を噛み締めているその顔はどう見ても怒っている。


「え……え?」

「ちょっとは警戒して! 君は女の子なんだから!」


 突然の事に、ラクチェアは開いた口が塞がらない。


(なっ、なん、何で……? カミルの事も怒らなかったのに……何で私には怒るの……!?)


 優しいだけの人かと思っていた。怒った所など見た事がない。

 呆れられたのか、嫌われたのか。ラクチェアの胸の奥がずきりと痛む。少し前まで熱くなっていた顔からは血の気が引き、心臓は嫌な音を奏でた。


「わ……私が入れたんじゃないです!」

「でも何の警戒もしないで扉を開けたんでしょう?」

「それは……そうですけど……でもあんな事になるなんて思わなかったんです! だって私は副長だし……」

「だから」


 頬をむぎゅっと掴まれる。昼間トビアスにした事が自分に返ってきて複雑な気持ちになった。


「……き、君は……可愛いから……」

(う!?)


 怒ったと思えば頬を赤くして困り顔になる。中途半端に照れられるとラクチェアまで照れてしまう。

 頬を掴まれたまま向き合い照れ合う姿は少しばかりシュールだった。


「ラクチェアがどんなに鈍くても、自分が女の子だって事は自覚して」

「……王子、今さりげなく鈍いって」

「返事」

「……はい」

「よろしい」


 満足そうに微笑んで手を離すノエル。その笑顔がいつもの優しい笑顔であった事に安堵し、ラクチェアはホッと胸を撫で下ろした。

 彼に嫌われる事は、きっと辛い。


「そういえば王子、どうして私の所に?」


 ふと気付き尋ねると、ノエルも思い出したように手を叩いた。


「えっと……その、昼間の事謝ろうと思って。僕、変な態度とっちゃったからラクチェア困ってたでしょ? だからトビアスに宿舎まで案内してもらって……」

「ああ、それで……」


 頷きかけてラクチェアの動きが止まる。すっかり忘れていたが、カミルが来るまではその事で悩んでいたのだった。


(そうだったー! 知られちゃってたんだ、わ、わわわ私が隊長の事……)


 思い出した途端にいたたまれなくなり、ノエルから顔を背ける。それを見たノエルが傷付いた顔をしても、ラクチェアの視界には映らない。


「あの、ごめんね。トビアスから聞いたんだ。……好きな人、いるんだね」

「す、好きって、いうか……」

「ごめん。僕すっかり浮かれてて、自分の事しか考えてなくて」

「王子……?」


 そっと戻した視線の先で微笑むノエルは、いつもと変わりないように見える。けれどラクチェアには、何故か泣きそうに見えた。


「本当にごめん。明日にはラゼリアに帰るから、安心して」

「待っ……」


 引き止める間もなく走り出したノエルの背中を見つめる。追い掛けるという選択肢は頭の中に浮かんでいたのに、手を伸ばす事が出来なかった。

 きっとノエルは自分がラクチェアに迷惑をかけたと思っている。自分が悪いのだと思っている。


(明日、帰っちゃう……もう、会えなくなっちゃう)


 滞在期間を延ばしていたのはラクチェアとの結婚を考えていたからだ。ラクチェアがノエルの想いを受け入れなければ、ユニフィスに居る理由がない。それはラクチェアにもわかっていた。

 わかっていて、それでいいと決心して切り出したはずなのに、結婚を断った事を今は後悔している。

 きっともう、ノエルはユニフィスに来る事はない。


(嫌、こんな風にお別れしたかったわけじゃないのに……)


 ラクチェアの瞳が潤み、涙が溢れた。


(こんなの、絶対に嫌)


 握りしめた拳で涙を拭う。


(私、まだ正直な気持ちを話していない)


 濡れた瞳に灯る強い光。その光が揺らいでしまわないように強く唇を噛み締め、ラクチェアは走り出した。


*****


 息を切らして部屋の中に駆け込む。テーブルの上には小さなランプが置いてあり、静かに炎が揺れていた。カテリーナが用意したものだろう。

 ベッドの上に腰を下ろし、ノエルは頭を抱えて嘆息した。


(……結構、きつい……。本当に何も知らなかったんだなあ、僕)


 誰かを好きになる嬉しさや楽しさや、あたたかさ。苦しさ、哀しさ、切なさ。この数日で初めて味わった、様々な恋の味。

 最後は、泣きたい程に苦かったけれど。


(ラクチェアも、こんな気持ちだったのかな)


 もう会えない。もう会わない。自分が楽な方に逃げようとしている事はわかっていたけれど、ノエルはどうしてもラクチェアの顔を見るのが辛い。

 手に入れられないと思い知る程に手を伸ばしてしまいそうで。


「……やだな、こんな気持ち」


 思わず呟いた瞬間、窓に何かが当たる音がした。風で葉か何かが飛ばされてきたのかと思ったが、何度も何度も繰り返される音に、緩慢な動きで顔を向ける。

 また、コツンと音がした。


「……あれ?」


 窓の外には人が登れるくらいの太い樹が植えられている。だからといって実際登るような人間は恐らくいない。

 見間違いかと思い目を凝らしてみたが、視界に映る風景は変わらない。ノエルは慌てて窓を押し開き開放した。


「ラクチェア……!」


 樹の枝に足を掛けしきりに小石をぶつけていたのは、先程別れた少女だった。ようやく自分に気付いてもらえた事に、ラクチェアは安堵の表情を見せる。


「ちょ、あ、危な……ら、ラクチェア、危ないよ……!」

「あ、はい。ちょっと窓から離れていていただけますか?」


 何の躊躇いもなくラクチェアは枝を蹴りつけ宙を駆ける。月明かりとランプの灯だけを頼りに、目指す窓へと。

 窓の縁に着地し、そのまま弾むようにして部屋の中へ降り立った。


「らっ、ラクチェアっ、こ、ここ、ににに二階……」

「すみません、でも通してもらえなかったから……」

「あ」


 ノエルを追い掛けてきたラクチェアを、見張り番が通さなかったのだ。ノエルがそれを望んだ。ラクチェアが来ても通すなと。


「ごめん……でも、むごっ」

「王子、とりあえず私の話を最後まで聞いてください」


 ノエルの口を手の平で覆い、反対側の手で腕を掴む。神官達が見たら卒倒しそうなくらい無礼な事をしている。


「絶対、何も言わないで、最後まで……聞いてください」


 ラクチェアの瞳が必死に訴えかける。ノエルは戸惑いながらもぎこちなく頷き、体から力を抜いた。口を覆っていた手が離れていく。


「言いたい事は二つです。ひとつ目は……エディル隊長の事」

「あの、僕は別に気にしてな」

「何も言わないで! 聞いてください!」

「……はい」


 叱られ首を竦めるノエル。黙った事を確認して再びラクチェアが口を開く。


「確かに、確かに好きでした。ずっとずっと好きでした。いつからかわからないけど……好きでした」


 面と向かって改めて聞かされると辛い。ノエルは唇を噛んで俯いた。

 ノエルの知らないラクチェアの時間。その時間を共に過ごした男性。ラクチェアが、想いを寄せた人物。

 嫉妬の念を抱くのも初めてで、その暗く淀んだ気持ちを持て余す。


「でもきっと憧れだったんです」

「……え」


 喋り掛け、ラクチェアに睨まれて慌てて口を閉ざす。


「……私、隊長みたいに強くなりたくて守護隊に入りました。隊長の隣に立ちたくて、必死に訓練を重ねて剣の腕を磨きました」

「……」

「好きでした。大好きでした。でも、……それが恋だったか、よくわからないんです」


 笑うラクチェア。その笑顔に嘘はないように見える。


「わかっているのは、好きだって事だけ。隊長が姫と恋仲だったと知った時、凄く凄く苦しかったけど……王子が」


 ノエルの手を取り、ぎゅっと握りしめる。開きっぱなしの窓から流れ込む空気は冷たいけれど、繋がった部分は火傷しそうに熱い。


「王子が抱きしめてくれたから……王子が優しかったから……だから、今はもう平気なんです。今は、隊長と姫が幸せになって欲しいって、心から思えます」


 他の人には言わないでくださいね、と悪戯っぽく笑って付け足した。


「私、王子と一緒にいるのが楽しいです。王子とお話するのが楽しいです。好きなんです、その……人として、ですけど」


 揺れるランプの灯に照らされるラクチェアの瞳は真剣で、痛いくらいに真っ直ぐノエルへと向けられる。


「あんな終わり方は嫌です。私はもっと王子と一緒に居て、王子の事をもっと知りたいんです……。駄目ですか? この気持ちが恋でなければ価値はないですか?」


 ノエルはゆるりと首を横に振った。嬉しそうにラクチェアが笑うから、ノエルにまで気持ちが伝染する。


「では、友人として……これからも接してください。またユニフィスに来てください。一緒に居てください。……これが二つ目です」

「うん……。なんだかずるいな」

「え?」

「ラクチェアにそう言われたら、断れない」

「い、嫌ですか? 嫌ならご無理なさらないで……」


 焦るラクチェアを見て、ノエルが小さく笑う。繋いだままの手を引き寄せ、拒む間も与えず抱きしめた。


「ああああの王子っ、だか、だから、こういうのは……っ」

「まずはお友達から、でしょ?」

「はい?」


 ノエルの笑い声が耳をくすぐる。


「君が僕を必要としてくれるなら……凄く嬉しい。だから僕、気長に待とうかなって」

「……あの、王子」


 なんだかマズイ流れになり始めた事を察し、ラクチェアはノエルから体を離す。


「僕の事、男として好きになってくれる可能性もあるんだよね? そしたら結婚してくれる?」


 無邪気な笑顔。咲き誇る花よりも華やかに。


「そ……っそれとこれとは話が別です! だから身分が……」

「あ。ラクチェア、夜に男の部屋を訪ねるのも駄目だよ? 警戒してって言ったばかりなのに」

「私の話を聞いてください! というか、それを言ったら王子だって私の所にいらっしゃったじゃないですか! 矛盾です!」

「あ、首のトコ」

「はい!?」


 少し視線を落とし何かに気付いたノエルは眉をひそめた。面白くなさそうに頬を膨らませる。


「……カミルかな」

「何がですか?」

「怒らないでね?」


 言うが早いか、ラクチェアの首に唇を寄せる。それは一瞬の出来事。

 柔らかな熱はあっという間に離れていく。


「お、王子ー!!」


 真っ赤になってノエルを追い掛け回すラクチェアの首には赤い跡。

 それは恋の宣戦布告。果たしてどちらが勝利を収めるのか、誰にも見通す事の出来ない不確定の未来。

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