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#2 夭逝

「……ここは、何処だ?」

 上手く声を出すことができず、掠れた声で記憶喪失の常套句のような台詞を言う。

 周囲を見渡す。目の前に広がるのは白。ところどころ黒ずみがあるが、それ以外は何もない何の変哲もない壁。いや、今は光っていないが丸い蛍光灯が見えるので天井だろうか。というか、自分の体勢的にそうだ。

 横には壁は言わずもがな、本棚や机など様々の――という程はないが――家具が置いてある。本棚には小説やら漫画やらが並び、机には教科書やメモ書きや文房具が雑多として散乱している。その向こうには――今は閉扉されているが――クローゼットがある。

 そして、その全てに見覚えがあった。勿論今自分が横たわっているベッドにも。ここは間違いなく俺――躑躅秋人自身の部屋だ。

「てか、何で思い出せなかったんだ……?」

 小さく虚空に呟く。自分のベッドで寝た。そんなことを忘れるはずがない。それに自分の部屋だと判断するのにもこれ程時間がかかることは無いはずだ。

 ――もしかして記憶が喪失して――。

 冗談ではなく、真面目に記憶喪失なのかもと少し戦慄し、知り合いの名前を挙げていく。よし、忘れている訳ではないな。ということは寝惚けていてたまたま判断力が鈍っただけだろうか。

 そこでふと時計を見る。勿論時間を遡行したのかを確認するためだ。

 示された時刻は11月6日 7時49分。やはり昨日――今日に巻き戻っているのだ。

 ――ということは。

 近くに置いてあった携帯を取り出し、死んだはずの萌香に電話をかける。プルルルルルルという発信音を暫し聞かされた後、電話は繋がった。

「もしもしー。どうしたの?」

 よかった、萌香は生きている。それだけを確認したかった俺は、

「いや、やっぱ今の間違い。ごめんな」

 とだけ言って通話を切った。

 昨日と一昨日――正確には今日と今日、萌香はトラックに轢かれ、轢死した。禍々しい、二度と目にしたくもない赤黒い血を大量に流しながら、苦しむ暇もなく即死した。

 そのはずの彼女は何故か生きている。そして今日、三度目の死に向かうのだろう。

 それを止めるべく昨日の俺は立ち上がり、筒井教授にこの現象の解明を依頼した。始めの方はふざけていた教授ではあったが、科学者の血が騒いだか依頼を受領してくれた。そして今も――。

 ――いや、もしかすると教授は今実証するべく努力することは愚か、そもそもこの現象のことすら忘れているのかも知れない。何故なら、時間を遡行したとき、過去――他人から見れば未来――の記憶を保持していられるのは俺だけだからだ。萌香は自分が今日死ぬなんてことは一切知らず、今ものうのうと生きているのだろう。余命十時間のその命を。

 ということはまた一から説明しなければならないのか。人間は繰り返し何か物事をするのを嫌う。俺は物凄く面倒臭くなりながらも、仕方なく一から説明を始めることにした。

 朝の用意をささっと済ませ、コートをバサッと羽織って、俺は家を飛び出した。


「俺は怪奇現象に出会いましたそれはタイムスリップです今日の一日が終わった後また今日に帰ってきてしまったんです原因は俺の彼女である結野萌香が死んだことだと思われます萌香が死んだことにより多大なショックを受けた俺は恐らく過去に戻りたいと強く懇願してそしたら過去に戻ったんだと思いますどうですSFチックでしょう是非とも文系科学者筒井和子教授に解明を依頼したく――」

「ちょっと待て。何言ってるか全然解らんぞ。ゆっくり説明してくれよ」

 手っ取り早く済ませたくとんでもなく早口で捲し立てていた。それで聞き取れないのなら本末転倒だろうに。

「じゃあ端的に言います。解明してください」

「何をだ!」

 怒鳴られてしまった。仕方ない、一から説明するとしよう。

「すいませんね、この説明二回目なんでめんどくさいんですよ。えっとですね、俺はタイムスリップしたんです。ある特定の日――今日をループする感じの。原因は萌香が死んだことによるショックでどうにかなったんだと思いますが、詳細は解りません。なので解明していただけませんか?」

「ああ、了解した。俄に信じがたい現象というのと、詳らかな情報がない点に於いて実証は難しそうだが、試させてくれ」

 筒井は俄に信じがたいという割に信じ切った様子でそう言った。

「助かります。えーっと、教授は一日おきにこの現象関連のことを全て忘れると思うので、実験レポートを一日おきに纏めてください。服も遡行している以上、俺が見につけていれば過去に行くと思うのでそれを取った後過去に戻って届けに来ます。それで進めてくれますか?」

「ああ、解った。君も新たに解ったことがあったら言ってくれよ。この情報量じゃまだ難しすぎるからな」

「はい。色々救出の手を尽くして見ます」

「萌香という子をか?」

 筒井は別に訊いているという訳でもなく、どちらかというと確認を取るかのように訊ねる。

「そうです。何ですか、わざわざ確認なんかとって」

「いや、講義のとき少しあの子も観察しておこうと思って。その子は必ず死ぬのか?」

「解りません……。今解っていることは死ぬ前にしていた会話の内容が違っていても最終的には同じ話題が振られ、結局死ぬということだけです。死は見たくないので解明される前にでも救って見せますが、教授は教授で頑張ってください」

「承知した」

 少し微笑み、筒井はそういう。

「じゃあこれから萌香を死ぬ場所から遠ざけることをしなければならないので帰ります」

「……今日の講義はどうするつもりだ?」

「休みってことにしといてください。それでは」

 俺は昨日同様、教授室を振り返りもせず飛びだしていった。まだこの時間なら萌香は家にいる。とりあえず萌香を誘って何処か遠くへ行ってみよう。

 俺は萌香の家へ向かった。


「朝の電話は何だったのっ?」

 顔を出すなり萌香は俺を糾弾した。

「いや、それの件でちょっと言いたいことがあって……」

「ふーん。間違いっていうのは間違いなんだぁ……」

 萌香が何が何だかよく解らなくなるようなことを言った。

「だから、あそこで一回切った理由も説明するからちょっと来てって」

「……解った」

 釈然としない顔をしながらも、萌香は一応了解し、すぐに外に来てくれた。


「……ふーん、そんなことがねぇ……。で、本題は何なの?」

「嘘じゃないんだって!」

 前回は俺自身が倒れていたので、それを使って何とか信じ込ませることができたのだが、何の証拠も証明も根拠もない今、この件を信じ込ませるのは難しいだろう。

「本当に? 昨日読んだ小説の話とかでしょ? どうせ」

「違う! これは実話だ!」

 何だろう、この切なさ。俺は無罪だと抗議する犯罪者――俺を、言語道断で裁こうとする警察――萌香。少し台詞を弄ればそんな風にも見える構図だった。

「信じてくれ!」

「……うーん、信じられないなぁ……。まあでも秋人君が言うなら特別に信じてあげる」

 特別って何だと訊き返すのは今は自重した。

「助かった。それで、感想は?」

「感想?」

 萌香が首を傾げる。

「話を聞いての感想だよ」

「信じられない」

「だからそうじゃなくてぇ!」

 後ろ上がりの文頭に助動詞をおいた英文の疑問文みたいな発音になる。

「解ってるよ。正直言うと実感湧かない」

「だよな。尤もな意見だよ。でもあのままあの紅葉の道を歩いていてはまた死んでしまうんだ。生きていられるかは知らないけどとりあえず逃げよう」

 諭すように言う。

「逃げるってどのくらい?」

「いや、今日一日でいいんだ。今日死ぬんだから今日を抜ければ大丈夫なはず」

 すると萌香は少し考え込む様子を見せ、

「うん、解った。じゃあ何処まで行くの?」

 と旅行にでも行くかのようなトーンで告げた。実感がないのはどうやら本当らしい。

「とりあえずここの最寄の上野から横浜くらいまで?」

「そんなに逃げるの。そのトラックどんだけ爆走してたのよ」

 萌香が半眼になる。

「念には念を。作戦の抜かりは死に繋がるからな」

「……まあ解ったよ。じゃあ行こっか」

「ああ」

 そして定期を改札に翳して通過し、電車に乗り込んだ。

 時間もあってか車内は案外空いており、二人とも席に座ることに成功した。

「私、左右に気を付けて歩くよ」

「轢かれない為にか?」

「うんっ」

 元気よく萌香は答える。

「殊勝な心掛けだが多分あのトラック以外は萌香を轢かないと思うぞ」

「そうなの? いやでも解らないよ?」

「こういう時は特定の場合が多い」

 とこの状況に初めて直面する俺が言うのも何だが。

「まあどっちにしろ死なないからね」

「俺も死なせないよ」

 二人同時に微笑んだ。


 とりあえず到着。

 ここで適当に時間を潰して終電とかで帰れば恐らく萌香は死なないだろう。あのトラックの走行圏外へ来てしまえば後は関係ないのだから。

「これだけでいいの?」

「多分な。これで死なない、ループも止まるはずだ」

 少し緊張したような様子で俺は言う。不安があるのかも知れない。

 その時、萌香は俺を後ろから、そっと包み込むように抱いた。俗にいうあすなろ抱きという奴だ。身長差があるので、背伸びをして、不恰好に。

「大丈夫だよ。心配しないで」


挿絵(By みてみん)


「……ああ、大丈夫だよ。てかその抱き方性別反転してるぞ」

 この抱き方は基本的には抱く側が男子、抱かれる側が女子で固定だと思っていたのだが。

「いいんだよ。秋人君は可愛いんだから」

「なっ、可愛いって……」

 犬みたいに頭を撫でられる。子供扱いされているようでイラッと来たが、悔しくも気持ちよかったので暫くそのまま抵抗しなかった。

 やがてふっと風のように離れていき、莞爾として笑みを浮かべた。

「デート、始めよっ!」

「そうだな」

 そして数時間程ぶらぶらと歩いたり食べたりした。


 十六時五十分。

 俺達は茜色の空をバックに、ベンチに座りながらジュースを飲んでいた。

「まだいるの? もう死亡推定時刻に近付いてきてるけど」

「そうだな……もう一時間程いるか。心配だしな。あ、ちょっと待ってくれ」

「何?」

 萌香が問う。

「今は動かないようにしよう。このベンチから」

「ああ、うん、解った」

 ここは横浜内の公園。名前は何処かに示すものがあったのかも知れないが、見ていない。周りには駆け回って遊ぶ子供もいるし、いちゃいちゃしているリア充もいる。彼女持ちの俺が他人をリア充呼ばわりというのもどうかと思うが、あんな衒うようなことはしていないのでセーフだ。

 そしてそれを幻想的に、絵画のように仕立てあげるのがあの夕陽だろう。あれの作用により、彼らはより輝く。思っても見ないくらいに燦然と輝くのだ。

 そして――。

「私に生きていてほしいって思ってくれて、ありがとね」

 何よりも一番に輝いているのは、燦爛たるこの笑顔だった。

「そりゃまあ彼氏だからな」

 照れ隠しのように俺は言ったが、それが裏目に出たか萌香はまた俺の頭を撫で始めた。

「秋人君、かーわーいーいー」

「やめろって、可愛くないから」

 抵抗しようとするが、逃がしてくれない。

「そういう照れてるところだよぉ……ぇへ」

 こういう時折見せるお姉さん的なところは子供扱いされているようであまり好いていないのだが、悔しくもやはりこの心地よさ、気持ちよさに甘んじてしまう。

「お前って、結局どっちなんだよ」

「ん? どっちって?」

「だから、時々妹っぽかったり時々姉っぽかったり」

 問うと、萌香は――どっちかというとお姉さん寄りの――挑発的な笑みを浮かべた。

「どっちだと思う?」

「清楚な見た目も相俟って元はお姉さん属性なんだと思う」

「私もそんな気がしてる」

 何だろう、この謎の会話は。じゃあ時折見せる妹っぽい顔は極度のデレが発生しているということなのだろうか。極端にデレていないときと、優位に立った時は姉属性のようだが。

「そんな気がしてるって。まあでもそうだと思うよ。だって、彼氏になでなでとか普通逆だろ」

「そうだね。そうかも知れない」


「まあでも、そんなのどっちだっていいじゃない。私が秋人君を――」


 その時、絵画に墨は落とされた。

 横にあったポールが突如としてぐらつき、転倒した。そしてそれは俺を包む形で抱く萌香の頭に向かって、後頭部に直撃した。そのシーンは、そこだけを見れば萌香が俺を庇ったようにも見えた。

 結果的に俺を庇った萌香はというと、当然後頭部から血を流し、気絶していた。いや、恐らくこれは死んでいるのだ。ポールが頭を直撃し、斃仆した。茜色の空を塗り潰すようなその赤黒い血を浴び、俺は忘れられない恐怖を味わった。これが血なのだと。これが生命の奔流なのだと。これが死なのだと。

「……萌香……」

 口から虫の息のような声が出る。

 また死んだ。萌香は三度目の死を迎えた。普通にしていれば間違いなく死ぬ。遠出をしても死ぬ。結局、何をしても死ぬのではないだろうか。

 俺の認識が甘かった、としか言いようがない。こうやって逃げれば、あのトラックからさえ逃げれば死なないと思っていた。だがそれは違ったのだ。あのトラックが故意で轢いた訳ではないことは知っていた。だからあのトラックに追われているという訳ではないのだ。萌香を殺そうとするのは、萌香の身近にある、俺以外の全ての存在の何かだ。結果的に萌香が死ぬ運命に収束するんだ。これこそが『運命』。決められた未来にして変わらない未来。この世界の誤差を修正するプログラムのような死が萌香には待っているんだ。

「くそっ……何で……絶対に救って……」

 救急車を呼んだりはしなかった。萌香を放置して、俺はそのまま――血塗れのまま――急いで電車へ乗り込み、帰っていった。

 萌香が生きられる方法は何かないのか。どうやったら生きていられる? どうやったら死なない? 解らない。解ったら萌香は死んでいない。

 ――何で彼女は死ぬんだ?

 今までそれは考えて来なかった。何故萌香は死ぬのか。それに理由があるのだろうか。少なくとも俺には見当がつかない。そもそも、人が死ぬ理由に正当化されるものなどあってはいけないのだ。そこに生きている人は、生きる価値をもったから生まれ、今日まで生きてきている。逆説的に、生きる価値のないものはそもそも生まれていない。萌香は死んでいい存在ではない。何も悪いことはしていない。生きるべきだ。生きるべきなんだ。

「絶対に……覆してやる……運命を」

 今回の俺も誓う。同じように、萌香の運命を覆すと。想定しうる全ての手段を取るに於いて、そのいずれでも死ぬであろう萌香の結末を、覆すと。

 到着したや否や車輌から飛び出し、俺は大学へと向かった。

 教授室へと迷わず向かい、到着するなり扉を開け放つ。

「ノックもせずにどう――って君、どうしたんだその血は……」

「この血は、萌香の命の一片だったものです」

 息も絶え絶え俺は言う。

「……というと?」


「この返り血のようなものは萌香の血です」


「ということは――くそっ……」

 筒井は悔しげに呻く。どうやら悟ったようだ。

「つまり――」


「萌香は死んだんです。轢死とは、また違う方法で」


「何をしても死ぬってことかよ。どうすればいいんだよっ」

 尚も悔しげな筒井に事の一端を説明する。熱心にふむふむと聞いてくれた筒井は、最後に顔に飛び切り激怒の色を浮かべ、

「絶対に解明してみせる。あの子はまだ若い、死ぬべきではないんだ」

 そう言った。



 二十三時三分。

 自室のベットに横たわった俺は、筒井のレポートを読んでいた。

 と言ってもそこに書かれているのは何文かの、俺の話を要約したものしか書かれていない。つまり、一切進んでいないということ、一切何も解っていないということだ。

 でもそれじゃ駄目なんだ。絶対に死なせてはいけないんだ。

 強くそれを唱える。何度も何度も、呪文のように。

 そして、眠気に襲われ、そのまま眠りに就いた俺は――



 再び遡行する。

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