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新選組余話-比翼の鳥-  作者: 子父澤 緊
黒船と白旗 前編
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浅葱色

「山南様」

山南敬介は道場への道すがら、声を掛けられて振り返った。

そこには、黒い格子柄こうしがら絣木綿かすりもめんを着た若い娘が立っていた。

「お琴さん。妙なところでお会いしますね」

「いえ、山南様をお待ちしていたのです」

「私をですか。昨日お会いしたばかりだ」

不躾ぶしつけをお許しください。弟の前では聞きづらいことがございましたので」


神田お玉ヶ池界隈(かいわい)は、当時、学者の町として知られていた。

道を行き来する若い書生達は、みすぼらしいなりの浪士が、美しい娘と立ち話をしているのを物珍ものめずらしそうに振り返りながら通り過ぎてゆく。


「場所を変えましょうか」

山南は照れくさそうに先に立って歩き始めた。

琴は、早足はやあしの山南に小走りでついて行く。

二人ははば一間いっけんほどの小川に突き当たり、山南は川沿いに折れて歩調ほちょうゆるめた。

大八車だいはちぐるまいた物売りの老人が、小さな橋を横切っていくのが見える。


「何をあきなっているんだろう」

老人を見ながら、山南はぼんやりつぶやいた。

琴はつられて同じ方を見た。

「さあ…」


「御用というのは、昨日見た、ペリーの手紙のことですか?」

山南は琴を振り返り、不意をついた。

琴は少し戸惑とまどったが、

「はい」

と短く答えた。


「どうも、帰り道は皆な黙り込んで、変な雰囲気でしたからね」

山南は笑いながら言った。

それは、山南の気遣きづかいかも知れなかったが、甲斐かいなく、琴は沈んだ声で切り出した。

「一昨日の晩、弟の着物から同じものを見つけたのです」


山南は少し考えてから口を開いた。

「弟さんが心配ですか」

「はい。良之介は何か隠しているようなのです。山南様は、その件で何かご存知ぞんじありませんか」

「いえ…だが、道場の清河先生に何やら言い含められているようです」

「清河?」

琴の返事に何か違和感を覚えた山南は、不振ふしんげな顔をした。

「ご存知ぞんじですか?」

「…いえ、ずっと以前に、州崎で同じ名前のおさむらい様と言葉を交わしただけです。多分関係ありません」


二人は、先ほど物売りの老人が通った小橋こばしの上で立ち止まった。

「お琴さんは、以前にも江戸に出られたことが?」


琴はしばらく押し黙って山南の目をじっと見つめていたが、このさむらいを信用して良いと決めたらしい。

「私は、子供の頃、州崎の遊郭ゆうかくに売られてきたところを、今の父、中沢孫右衛門に身請みうけされたのです。ですから、私と良之助に血のつながりはありません」

「なにやら複雑な事情がありそうだ。良之助君はそのことを?」

琴は、小川の流れに視線を落とした。

「はい。でも詳しい経緯いきさつまでは知らないはずです。良之助には私と同じ名前の妹があったのですが、ちょうどその頃、流行はややまいで亡くなったそうです。養父は、失った愛娘まなむすめの代わりに私を(もら)ってきたと、良之助に説明しました。幼かった弟は、それで納得したみたいです」


琴は、その「事情」にまで言及するつもりはないらしい。

山南も敢えて聞くことをしなかった。


「しかし、今や彼も、元服げんぷくを終えた立派な大人です」

「そうですね。でも弟は今もその事には触れません。そういう子なんです」

「いい奴だな。あの男は…」

「ええ。あの子はたった一人の跡継あとつぎです。御公儀ごこうぎに目を付けられるような事に関わって、万が一にも何かあれば、父に申し訳が立ちません」


「例の手紙の件には、千葉周作先生も一枚噛いちまいかんでおられる様子なので、心配はないと思いますが…」

何もかもさらして訴える琴に、山南はそれ以上掛ける言葉が見つからず歯がゆい顔をした。


二人はしばらくの間、橋の欄干らんかんに手をついて、じっと水の流れをながめていた。


「あ」

琴が小さな声を上げた。


水面がみるみる真っ青に染まっていく。


「ええ。浅葱色あさぎいろの川だ」

山南が微笑ほほえんだ。


琴は、問いかけるような眼で山南を見た。


「ここは藍染川あいぜんがわと言って、この先にある紺屋町こんやまちから染物そめものさらした水が流れてくるんです」

「…綺麗」

「そうですね」

山南は、琴の横顔を見つめながら相槌あいづちをうった。


琴は浅葱色あさぎいろの流れを見つめたまま、ひとり言のようにつぶやいた。

「…あの手紙をばらいている人たちは、戦争をけしかけているのですか」


山南には、琴が何を言おうとしているのか解らなかった。

「かも知れません」

「山南様もそうすべきだとお思いですか」


山南はどう答えればよいか思案する様子だったが、やがてはっきりとした口調で言った。

「ええ。彼らは威嚇いかくのために、浦賀沖でわざわざ艦砲射撃かんぽうしゃげきをやってみせたと言います。そんな相手に、ただひざを屈するのは、我々がるべき道ではないと思っています」

「5年前…州崎の海辺で、その清河というおさむらいが、お台場をながめながら言ったんです」

琴は山南に向き直った。

「いずれあの砲台ほうだいが必要になる時代が来ると」

山南の人差し指と中指は、無意識にあごの先に触れていた。

それは彼が何か考えるときのくせだった。

「…なるほど。その清河という男は、清河八郎、もとい清河正明という名ではなかったですか」


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