豪腕
若き師範、島崎勝太の甲高い掛け声が、道場に響いた。
轟音と共に上段から振り下ろされた竹刀を、山南敬介が刃先で円を描くようにいなす。
島崎は素早く引くと、二の太刀、参の太刀と矢継ぎ早に繰り出した。
その脚運びは、まるで機械仕掛けのように、自分と山南を結ぶ軌道上を逸れることはなかった。
山南は防戦一方にも見えたが、その実、全ての攻撃を巧みにかわしていた。
「またアレだ。まるで相手の考えが読めるみたいだ」
中沢良之助は、自分との立ち合いを思い出すように苦い顔をした。
やがて、良之助の記憶をなぞるように、わずかな隙を突いて、山南が攻撃に転じた。
下段から一閃、島崎の咽喉元に、竹刀がのびた。
島崎は、野生的な勘で、大きく体を仰け反らせてそれをかわす。
上体が崩れたところに、山南は刀を返して、島崎の左肩から袈裟懸けに振り下ろした。
島崎は逆手でそれを受け止めると、鍔迫り合いで、強引に身体を引き離した。
道場に小さなどよめきが起こる。
「すごい」
良之助は島崎の豪腕と、それに似ない柔軟な体捌きに見惚れた。
一進一退の攻防が続き、事態は膠着したようにも見えたが、やがて、少しずつその均衡は崩れて行った。
山南は、四方八方から乱れ飛ぶ攻撃を、先んじて防ぎながらも、気づくと壁を背負っていた。
島崎は追撃の手を緩めない。
じりと間合いを詰め、真正面から気合もろとも竹刀を振り下ろす。
竹のひしゃげる鈍い音がして、山南の手から竹刀が零れ落ちた。
門人たちの歓声があがった。
「参りました」
山南が、頭を垂れる。
島崎は肩で息をしながら、小さくうなずいた。
そして、何か言おうとしたが、思い留まり、微笑んだ。
良之助は、まるで自分が試合をしていたような緊張感から開放されて、止めていた息を大きく吐いた。
井上源三郎が二人に駆け寄り、手拭を渡して、
「お疲れ様でした。お水をお持ちしましょう」
と声をかけたが、山南はそれを遮った。
「いえ、私はこれにて。また出直して参ります」
「帰るんですか?」
良之助は、意外そうな面持ちで、山南に問いかけた。
「用は済んだ。これ以上なにが?」
「いや、その、てっきりもう一番…」
「そりゃあ君、恥の上塗りってやつだ」
山南は素っ気無く答えた。
その表情はサバサバして、きな臭い政治の話が始まる気配は、微塵もない。
良之助は当てが外れたという顔をした。
「山南さん」
島崎勝太が額の汗を拭いながら呼びかけた。山南は島崎に視線を戻す。
「我々は、こんな棒っ切れを振り回していて、文字通り奴らに太刀打ち出来るんだろうか」
良之助は、意外な方向から予期していた話題が飛び出したのでぎくりとした。
山南は、乱れた袂を合わせながら、小さく息をついて眼を閉じた。
「奴らとは?」
「言わずもがな」
道場には、庭から吹き込む晩秋の風が、床の間の掛け軸をはためかせる音だけが響いている。
山南は、島崎の真意を問うように、その顔を見据え、なお沈黙を守った。
突然、琴が口を開いた。
「さきほど、沖田様とお話をされていたというのは、その件ですか?」
島崎勝太は、少し驚いた顔をして、琴の方を見た。
「ええ。彼がこんなものを持ち込んできましてね」
そして沖田林太郎から手渡された紙を広げて見せた。
しかし山南と琴が目を通す間もなく、良之助がそれを引っ手繰った。
「ペリーの書簡…」
良之助は、その怪文書をもう一度読み返した。
例えこれが偽書だとしても、そこに幾許かの真実が含まれているとしたら、これをばら撒いている一派に同調する気持を禁じ得ない。
それが、師範の海保帆平であれ、山南敬介であれ、彼らを売り渡すようなことはしたくないし、するべきでも無い。
何故なら、それは、この国の志ある若者全てに宛て、ペリーの手紙という形を借りて発せられた檄文だった。
そして、平穏そうに見えたこの小さな町はずれの道場も、やはり時代の奔流とは無関係でいられないのだ。




